第219話 港に来た商人7
「腕が! 腕が!」
腕を押さえながらうずくまる男。
だが、構わず残りの三人が三日月剣を抜く。
仲間の怪我にも怯まないとは、相当な手練だろう。
「おいおい、治療しないのかよ」
三本の湾曲した刃が、俺に向かって振り下ろされる。
「ちっ!」
さっきの男よりも鋭い剣筋。
この三人はかなりの実力者だ。
糸巻きでは間に合わない。
俺はすぐさま腰から悪魔の爪を抜く。
左から振り下ろされる三日月剣をあえて弾き返すと、火花が散り、瞬間的に暗がりを照らす。
そして剣を弾いた反動を利用し、悪魔の爪を右へ水平に振る。
俺に向かって、中央と右から振り下ろされる二本の三日月剣を剣身ごと叩き切った。
「「バカな……」」
声を上げ、口を開けたままの首が二つ宙に浮く。
「くそっ! 化け物がっ!」
叫びながらも、左側にいる男はもう一度三日月剣を振り上げた。
俺はその倍の速度で、悪魔の爪を右上段から振り下ろす。
間に合わないと悟った男は、悪魔の爪を受けようと三日月剣を斜めに構え直す。
だが、俺はそのまま剣を振り下ろし、防御している三日月剣ごと、男の肩口から腰まで斜めに切り捨てた。
「バ、バカな! 全滅だと!」
スーツの男がうろたえている。
最初に腕を落とした男は口から泡を吹き、傷口を押さえながら地面に倒れ込んだ。
三体の死体が四体になった。
「さて、残りはお前一人か」
俺はスーツの男に視線を向ける。
こいつがフスニを騙した商人だろう。
商人は何度も大きく息を吸い、冷静さを取り戻している様子だ。
「私はただ岩虎魚を買っただけです。何か法令に触れるようなことがありましたか?」
「法令ね……。そうだな。しかし、俺に襲いかかっただろう?」
「いきなり現れたと思ったら、あなたたちが取引相手を連れ去ったのですよ。襲われたのはこちらのほうではないでしょうか?」
「なるほどね」
こいつらがいきなり剣を抜いて襲ってきたのだが、自らの正当性を主張する。
何を言っても言い返してくるだろう。
面倒なタイプだ。
「なあ、お前岩虎魚を買ったのか?」
「ええ。そうです。本当にそれだけです。なぜ、あなたに襲われたのか分かりません」
完全に被害者ぶっている商人。
俺は左手を挙げた。
「まあ別にいい。岩虎魚を買ったと分かればな。聞いたか?」
「だ、誰に話している?」
不審な表情を浮かべる商人の背後から、一人の老人が姿を現す。
この老人は元暗殺者のため、完全に気配を消していた。
「だ、誰だ!」
商人が叫ぶと、背筋が伸びた姿勢のいい老人が一礼した。
「私はレイベール女伯爵閣下の代理の者でございます」
レイベールの領主であるハルシャの執事長、ロルトレだ。
毒王という二つ名を持つ元暗殺者で、毒に関して深い知識を持つ。
重要な話があるとのことで、俺に会うために昨日ティルコアまで来てくれた。
俺は万が一の事態に備え、密かにこの場への同行を依頼していた。
「昨日の正午ですが、レイベール州では岩虎魚の捕獲及び売買禁止令が公布されました。もし捕獲や売買をするなら特別な許可が必要です。違反者は拘束します」
「なっ! なんだと!」
またしても冷静さを失う商人。
画家リメオルの事件の際に、岩虎魚の毒が使われていたことで、ハルシャはその強力な毒性を危惧。
学者や研究者たちの意見を取り入れながらも、この禁止令を発令したそうだ。
今回の件があったため、ハルシャの判断は正しいといえよう。
「閣下の正式な書類もございます」
自ら岩虎魚を購入したと述べた商人は、言い逃れできないだろう。
知らなかったでは通らない。
「そ、その禁止令とやらが本物だとしたら、フスニはどうなるのですか? 私と同じですか?」
悔し紛れの一言を発する商人。
フスニの名を出し、この場を逃れようとする魂胆だ。
「もちろん、フスニも処罰の対象だ。例外はない。港で拘束される。お前もここで拘束する。まあ、俺に襲いかかってきたことは目を瞑ろうじゃないか」
「くっ」
「どうする? 抵抗するか?」
諦めたようにうなだれる商人。
その顔色は、夜が明けたばかりの空のように真っ青だった。
すでに周囲は明るく、間もなく日が出る頃だ。
森の中で明告蝉が鳴き始めると、こちらに向かって数台の荷馬車が近づいてきた。
「マルディン様。あとはお任せください」
「ああ、シャルクナか。助かるよ。よろしく頼む」
「かしこまりました」
シャルクナが皇軍の小隊を引き連れてきた。
商人に視線を向けると、真っ青な顔色に脂汗を流している。
観念した様子だ。
「お前、夜哭の岬だろ? 色々と聞かせてもらうぞ」
「はあ、はあ、はあ」
俺の質問には答えず、商人は地面を見つめていた。
いや、その目は虚ろというか、焦点が合ってないようだ。
尋常ではないほど呼吸が乱れている商人だが、両脇を兵士に抱えられ、護送用の馬車に連行されていく。
「くはは、くはははは」
突然、大声で笑い始めた商人。
「ぐぼっ! ぐぼぉぉぉぉ!」
口から大量の血を吐きだした。
「離れてください!」
ロルトレが叫ぶと、兵士たちはすぐに反応しその場を離れた。
「ぐほっ。ぐは、ぐははは……」
商人は笑いながら血を吐き、膝から崩れ落ちていく。
すでに瞳からは光が失せている。
ロルトレが倒れた商人に近づく。
そして、血だらけの口を開き、覗き込んだ。
「どうやら奥歯に、自害用の毒を仕込んでいたようですね」
ロルトレ以外は死体から離れている。
「その毒は、周りに影響ないか?」
「マルディン様、まだ近づかないでください。これはおそらく……」
ロルトレが水筒の水で手を洗い、バッグから取り出した小瓶を開け、液体を飲んだ。
解毒剤だろう。
「調べてみないと分かりませんが、岩虎魚の毒かと思われます」
ロルトレはこの場にいる全員に小さな瓶を配った。
「皆様、念のために解毒剤を飲んでください」
全員が解毒剤を飲む。
兵士たちはシャルクナの指示に従い、商人以外の死体を片付け始めた。
シャルクナはこんな時でもメイド服なのだが、兵士たちはしっかりと指示を聞いている。
特殊諜報室の中でも、最高峰の諜報員である黒の砂塵は皇軍の隊長と同格だそうだ。
なお、中央局調査室の室長である俺は、将軍と同格になる。
とはいえ、調査室は俺しかいない部署だ。
階級はほとんど意味がない。
シャルクナが俺に頭を下げた。
「マルディン様、この男の自害までは予想しておりませんでした。申し訳ございません」
「いや、俺もそこまでは考えてなかった。結局この男は最後まで何も言わなかったな」
「はい。余程の覚悟を持っていたのか、組織のしきたりなのか……。調査を進めます」
俺は死んだ商人に視線を向けた。
大量の吐血で、顔面が赤く染まっている。
「マルディン様、その調査に私も参加させていただけますか?」
ロルトレが俺の正面に立ち、一礼した。
「毒の特徴は、すなわち毒師の特徴でもあります。この毒を調べれば、何かが分かるかもしれません」
「毒性学の権威が手伝ってくれるのか?」
「権威など恐れ多いですが」
シャルクナの手前、さすがに元暗殺者とは言えない。
「ハルシャ様は大丈夫か?」
「はい、問題ございません」
「それは助かる。頼もしいよ」
俺はシャルクナの肩に手を乗せた。
「シャルクナ、改めて紹介しよう。レイベール女伯爵閣下の執事長で、ロルトレだ。毒性学の権威でもある」
「ロルトレと申します。シャルクナ様、よろしくお願いいたします」
ロルトレが挨拶すると、シャルクナが姿勢を正す。
「シャルクナと申します。ロルトレ様のご参加は心強いです。よろしくお願いいたします」
そして、ロルトレに対し深く一礼した。
お互い服装は執事とメイドなのだが、その正体は元殺し屋と現役諜報員だ。
「ロルトレ。内密にしてほしいんだが、シャルクナは中央局の人間だ。皇軍に対し特別な指揮権を持つ」
「左様でございましたか。佇まいから、マルディン様にお近い方かと想像しておりました」
俺に近いという意味は、同類ということだ。
血の臭いも含めて、シャルクナの本来の姿を見抜いているのだろう。
「あの、マルディン様。ロルトレ様は執事長以外にも何か?」
「毒性学の学者だ」
「いえ、その……。大変失礼いたしました。今の言葉を取り消します。忘れてください」
「まあ、口に出さないほうがいいこともあるってことだ。はは」
シャルクナも察した。
さすがというか、すでにお互いが素性に気づいているようだ。
日の出を迎え、朝日がいくつもの光線となり地上を照らす。
「あとはグレク次第だな。任せたぞ、グレク」
俺は海岸へ進み、黄金に輝く港を見つめた。




