第217話 港に来た商人5
俺は自宅を出て港に向かった。
グレクに会って、フスニの状況を伝えるためだ。
西日が眩しく、時折左手で日差しを遮りながらライールを走らせる。
港に到着すると、翠玉色の海が黄金に染まっていた。
港に建つ漁師ギルドを訪ね、支部長室の扉をノックする。
「ん? マルディンか。どうしたんだ?」
「グレク、仕事中にすまん。いくつか確認したいことがあってな」
「確認? なんだ?」
俺は応接用のソファーに座った。
支部長室ともなると、仕事机とは別に応接ソファーが用意されている。
グレクが対面に座ると、麦茶を淹れてくれた。
「なあ、グレク。漁師ギルドは、漁師から岩虎魚を買い取ってるだろ?」
「ああ、岩虎魚の毒は危険だからな。漁師たちが破棄しないように、銅貨一枚で買い取ってる」
「買い取った岩虎魚はどうしてるんだ?」
「焼却処分だよ。炭になるまで焼けば毒性はなくなる」
「ふむ、処分するために買い取るだけか。ということは、岩虎魚を買い取るほど、漁師ギルドは損失が出るのか」
「まあな。しかし、それでも放置はできない。それほど岩虎魚の毒は危険だ。漁師以外にも注意喚起をしてるよ。港に看板を立てたり、釣り人には周知するように努力してる。岩虎魚の毒を知らない人が食べてしまうことで、度々死亡事故が発生してるからな」
グレクが麦茶を口にした。
麦茶の原料となる大麦は通常初夏に収穫するが、この地方は火を運ぶ台風発生前の晩春に収穫する。
収穫したばかりの麦茶は、香りが高く飲みやすい。
普段は珈琲を飲むことが多いが、俺は麦茶も好きだ。
グレクがカップをテーブルに置く。
「ちなみに、岩虎魚の一部は冒険者ギルドに卸してるんだ」
「そうなのか?」
「研究機関で使用しているそうだ。まあ卸価格は一匹銅貨二枚だから、卸す量や手間を考えると結局は損だけどな」
「なるほどね。しかし、その厄介な魚が莫大な利益を生むとしたら?」
「は? 岩虎魚が利益を生む? それも莫大? 何言ってんだ?」
不審な表情を浮かべるグレクの瞳を、俺は真顔で見つめた。
「この話はあくまでも憶測だ。それと他言無用で頼む」
「あ、ああ、分かったよ」
「岩虎魚の毒を使って……毒物兵器を作るんだ」
「へ、兵器だって!」
「そうだ。犯罪組織の抗争で、岩虎魚の毒が使われた可能性が高い。数十人が死んだよ」
「マ、マジかよ……」
グレクの想像を超える内容だったのだろう。
額から汗を流している。
「もし、岩虎魚を買い取りたいという商人が来たら、漁師ギルドはどう対応する?」
俺は構わずグレクに質問した。
「利益を生むってそういうことか……。岩虎魚の取り扱いに関しては、国や領主からの規制はない。売買は自由だ。だからといって、毒物兵器に使われると分かっていたら卸すわけないだろ」
「ギルドの方向性としてはそうだが、個人の漁師たちはどうなんだ?」
「うちの漁師が岩虎魚を販売することは禁止している。違反したら漁の停止処分や、最悪ギルドからの追放だ。そうなるとティルコアで漁はできなくなる」
「それでもやる漁師がいたら?」
「そんな奴はいないさ。うちの漁師たちには、若い頃から岩虎魚の危険性を叩き込んでる。俺だって師匠に散々注意されてきたさ」
グレクも腕のいい漁師だし、漁師ギルドでは役職だ。
当然仲間を信じている。
「なあグレク。俺もティルコアの漁師は誇り高いと思ってるよ。お前の師匠だったトーラムは、今でも心から尊敬してる」
「トーラム師匠……」
「だがな、岩虎魚を卸してる漁師がいるかもしれないんだよ」
「そんな奴いるわけ!」
グレクは怒鳴りながら立ち上がったものの、突然動きを止めた。
「いるわけ……ない……だろ……」
グレクが俺の意図に気づいたようだ。
「俺だって信じたいさ。だが、状況が物語っている」
「あ、あいつはトーラム師匠の弟子だぞ!」
漁に命を捧げたトーラム。
その弟子がグレクだ。
ということは、グレクにとってフスニは弟弟子に当たる。
「なあグレク。もし金にならない岩虎魚を買いたいって、突然大金を積まれたらどうする? それも絶対にバレないと言葉巧みに誘惑されたら?」
力なくソファーに崩れ落ちたグレク。
「そうだな……。岩虎魚の用途を知らなければ、ギルド追放のリスクがあっても、大金を手に入れるために売っちまうかもしれない」
グレクは両腕を膝に乗せ、うなだれている。
「フスニはどこにいる?」
「今頃は家で寝てるはずだ。明日は深夜に漁へ出て、明け方に帰る予定だからな」
「そうか。フスニを問い詰めても問題は解決しない。密売の現場を抑えるしかないな。フスニは帰港する前に、どこかで岩虎魚を売り渡すはずだ」
「そういや、ここ最近のあいつは岩虎魚を水揚げしてなかった……。くそ、なんでこの俺が気づけなかったんだ……。くそ、くそ、くそ」
グレクが力なく呟いた。
自分のせいにしている様子だ。
「おい、自分を責めるな」
声をかけるも、しばらくの間うなだれているグレク。
だが、突然顔を上げた。
「くそっ! あのバカがっ! ぶん殴ってやるっ!」
グレクは両手を強く握りしめていた。
――
グレクと明朝に落ち合う約束をして、俺はライールに跨り自宅への道を進む。
すでに日は沈んだが、まだ明るさは残っている。
「マルディン様」
「ん?」
見通しのいい道で、突然声をかけられた。
俺に気配を感じさせないとは驚きだ。
「あんたは!」
「突然の来訪で、申し訳ございません」
「いや、嬉しいよ。どうしたんだ?」
俺は馬から降り握手を交わす。
「マルディン様にお話があって参りました。もし良かったら、私が宿泊している宿へ移動しませんか?」
「ああ、分かった。行くよ」
この老人と一緒に、俺は宿へ向かった。




