第215話 港に来た商人3
◇◇◇
漁師フスニが岩虎魚を売却するようになり、二週間が経過。
すでに百匹以上を売っており、フスニはこの短い期間で金貨十枚以上を手にしていた。
フスニにとっては三ヶ月分の収入だ。
それをたった二週間で稼いだことで、フスニの生活は一変。
毎日繁華街のレストランで食事をして、流行りの服を購入。
漁の道具である釣り竿も新調していた。
外道と呼ばれる岩虎魚を一日十匹釣るだけで金貨一枚だ。
おいしいなんてものじゃない。
とはいえ、岩虎魚狙いだと本来の漁獲量が減る。
実際に、フスニの漁獲量はかなり減少していた。
それにもかかわらず、急に金回りが良くなったフスニは、多くの漁師から嫉妬や疑いの目を向けられていた。
漁師ギルドの支部長グレクは、漁師たちから様々な噂を聞き、対応せざるを得ない状況だった。
グレクは自分の漁が終わると、港で作業しながらフスニの帰りを待つ。
日が昇ってしばらくした頃に、フスニの船が帰港した。
「おい、フスニ。お前、最近漁獲落ちてるぞ」
「グレクさんか。火を運ぶ台風前の影響なのか、なかなか渋くてな。漁場を変えてたり、色々とやってるけど厳しいよ」
「確かに火を運ぶ台風前で全体的に漁獲は落ちているが、お前は落ちすぎだ。普通にやっていたらもっと釣れるだろう?」
「俺の腕が……悪いんだよ」
グレクは「じゃあ、なぜ最近羽振りがいいのか」と喉から出そうになった言葉をこらえた。
仲間を疑いたくないグレク。
それにフスニが不正をやっている事実も証拠もない。
実は、フスニは帰港する前に、別の岬で商人に岩虎魚を渡していた。
そこで現金を受け取り、ティルコア港へ帰港するという段取りだ。
「そういやお前、岩虎魚を釣らなくなったな。いつも漁に行けば五、六匹は釣っていただろう? 買取価格が低いってボヤいてたじゃねーか」
「あー、岩虎魚を釣らないように気をつけてるから、漁獲が減ったのかもな」
「そうか。まあ確かに岩虎魚を釣っちまうとその分漁獲量は減る。だが、岩虎魚を釣らないようにして漁獲を減らすのは本末転倒だぞ?」
「分かってるさ。竿も網も新調したから、もっと頑張んなきゃならねーしな」
フスニの竿は、町の釣り竿職人が作った業物だ。
これだけでも金貨二枚はするだろう。
儲かっている漁師ならいざ知らず、漁獲量が低いフスニに購入できるものではない。
グレクは口に出したくない言葉を、ついに出すことにした。
「まさかとは思うが、ギルドを通さず魚を降ろしてないだろうな?」
「おいおい、逆に聞くけど、そんなことできるわけないだろ?」
「まあ……そうだな。そうだよな。疑って悪かった」
仲間を疑ったことを反省したグレク。
同時に安堵し、深く頭を下げた。
「じゃあフスニ。お前の水揚げ手伝うわ。手伝うほど釣れてないけどな」
「う、うるせーな!」
フスニは文句を言いながらも、笑顔を見せた。
だが、本来の笑顔とは程遠い。
それはきっと後ろめたさのせいだろう。
◇◇◇
太陽が頭上に来る頃、俺は調査機関の事務所に向かっていた。
愛馬のライールに跨り、のどかな町道を進む。
湿気を含んだ南風が身体を包む。
「春の日差しももう終わりか」
「ヒヒィィン!」
町中の裏路地にある調査機関に到着。
扉を開けると、職員が応接用のソファーに案内してくれた。
「マルディンさん、お呼びだてして申し訳ありません」
ティアーヌが珈琲をテーブルに置き、対面に座る。
「いや、全然構わないが、どうしたんだ?」
「これを見ていただけますか?」
ティアーヌが一枚の書類をテーブルに置いた。
「サルリオの犯罪組織壊滅について、か」
俺は表題を声に出して読み上げた。
「はい。先日、サルリオを根城にする中規模の犯罪組織が壊滅しました」
サルリオは、ティルコアから北西へ六十キデルトの位置にある街だ。
ティルコアよりも数倍大きな街で、冒険者ギルドの支部も設置されている。
「その犯罪組織を壊滅に追いやったのが、別の犯罪組織です」
「犯罪組織の抗争か」
「はい、そうです」
「まさか夜哭の岬と関係があるのか?」
「いえ、どちらの組織も夜哭の岬と関与はありません」
「そうか。まあ犯罪組織なんて、腐羽蠅のようにどこにでも湧いて出るか」
ティアーヌの言葉を聞きながら、俺は書類を読み込む。
すると、不穏な文字を発見した。
「お、おい。壊滅した組織の死者数が酷すぎないか」
「はい。六十八人が全員死亡です」
「全員死亡……。それに対し、こっちの組織は死者どころか負傷者すらいない。そんなことが可能なのか?」
ティアーヌが大きな瞳を細めて俺を見つめている。
何か言いたげな表情だ。
「誰かさんがやったみたいですねえ」
「バカなこと言うな。俺がやるわけないし、そもそも俺一人で殲滅なんて無理に決まってるだろ」
「へえ……」
ティアーヌが呆れたような表情を浮かべていた。
「実は、マルディンさんとは似ても似つかない方法で全滅させているんです」
「だから、俺には無理だっつーの」
確かに俺の糸巻きは広範囲攻撃が可能だ。
だが、狭い建物内では効果は半減する。
「毒殺です」
「毒だと?」
「はい。建物内で毒が発生したようです」
「毒の発生……。どこかで聞いたことが……」
以前、俺が皇国から依頼されて調査した事件で毒が使われていた。
百年前に活躍した画家リメオルが、顔料に毒を混ぜていたという毒殺事件だ。
「ま、まさか、リメオルの毒か?」
「毒の成分は調査中です。皇国から依頼があり、医療機関と研究機関が共同で研究しています」
「だが、状況から考えられる毒の主成分は……」
「はい。恐らく岩虎魚の毒かと思われます」
「街の犯罪組織が岩虎魚の毒を使ったというのか? 毒の開発なんて、それこそ国家規模だろ?」
ティアーヌが顎に手を当てながら、首を大きく傾げた。
美しい金色の長髪も同時に揺れる。
「うーん、そうなんですよね。今回の組織の規模で、これほどの毒を開発できるとは思えません」
毒の開発ができる研究者と施設を持つほどの組織だ。
それなりに大きいだろう。
「毒で殲滅できるなんて、これはもう毒物兵器だ。あまりに危険すぎる。皇国も黙ってないぞ」
「はい。こちらでも調査を進めます。でも、皇国が調査をするとなると……」
「はあ……。そうだったな……。嫌な予感しかしないぜ」
俺は大きな溜め息をついた。
今の俺は、皇国で中央局調査室という、わけの分からない組織の室長をやらされている。
階級としては驚くほど高いのだが、部下なんていない俺一人の組織だ。
要は都合のいいように使われている何でも屋だった。
「もしかしたら、シャルクナさんも情報を持っているかもしれません」
「そうだな。一応聞いてみるよ。それに、少し気になることもあるしな」
「気になることですか?」
「ああ、岩虎魚はマルソル内海全域で獲れる危険な毒魚だ。各港の漁師ギルドでは独自のルールで規制していると聞く。だが、麻薬販売のように国家として明確な規制があるわけではない。つまり……」
「つまり?」
「獲ろうと思えば誰でも獲れる」
「でも、毒殺や研究に使うほどです。大量の岩虎魚が必要なのでは? 獲るのは難しくないですか?」
「じゃあ、お前だったらどうする?」
「漁師さんに頼みま……す」
ティアーヌが俺の意図に気づいたようだ。
「どこかの漁師ギルドで、横流ししている可能性があるということですか?」
「そうだな。もしくは、漁師個人か……」
考えたくもないが、俺の脳裏に、ここ最近で急に羽振りがよくなったというフスニの顔が浮かんだ。




