第210話 故郷の調べをあなたに11
俺はさっきのフェルリートの言葉を思い出した。
「両親に会いたいか……」
誰にも聞こえないように呟きながら、隣で串焼きを頬張るラミトワにそっと顔を近づけた。
「なあ、ラミトワ。フェルリートはずっと一人暮らしだったんだよな」
「そうだよ。小さい頃から、あの家で帰ってこない両親を待ってるんだ。きっと、これからもね」
「そうか……」
「だからフェルリートは家から出ないよ。あの家が両親との唯一の思い出の場所だもん」
「だが以前、俺の家に住みたいって言っていたぞ?」
「それは半分本気で半分嘘だね。昔からアリーシャが一緒に住もうって何度も言ったし、フェルリートを心配する大人たちが引き取って面倒を見るって言ったこともあった。でも、フェルリートは全部断ったんだ。あの家で両親を待つって」
「そうだったのか」
ラミトワが俺の腕を掴んだ。
「ねえ、マルディン。フェルリートを家から出してやってよ。あの家は大切な思い出の場所としてちゃんと残しながら、新しい生活を送った方がいいと思うんだ。見ていて辛いよ」
「いやいや、フェルリートの気持ちってもんがあるだろう? それに、あんな若い娘がおっさんと住みたいと思うか?」
「ったく、この朴念仁は……。あのねえ、冗談でもなんでも、フェルリートが住みたいなんて言ったのは初めて見たんだよ。あんなに部屋が余ってるんだし、減るもんじゃないんだからいいじゃん」
ラミトワの言うことはよく分かるが、今の俺は常に狙われている。
裏の世界にフェルリートの名前も流されてしまったようだし、安易に一緒にいるべきではない。
「まあ……考えるよ」
「私もここに住むけどね」
「お前はダメだ」
「なんでだよ!」
「お前は両親いるだろ?」
「うっ、いるけど……」
「だろ? 両親と一緒にいる時間を大切にしろ」
「確かに……そうだね……」
ラミトワはフェルリートの言葉を思い出したようだ。
フェルリートは会いたくても、もう会えないのだから。
「それにな、お前みたいな美人が来ると困るんだよ」
「え?」
「ほら、家の中をお前みたいな美人がうろつくと、俺は照れちまうんだ」
「そ、そうだろそうだろ! やっと私の魅力に気づいたか!」
ラミトワが満面の笑みを浮かべた。
とても嬉しそうだ。
最近はラミトワを扱うコツが分かってきた。
正直簡単だ。
「ああ、気づいちまったよ。だから毎日会うわけにはいかないんだ。全てはお前のその美貌が悪いんだ」
「ちっ、それじゃあ仕方ねーな! 私の美貌が悪いんだもんな! あっはっは!」
両手を腰に当て、ふんぞり返って笑うラミトワ。
「まあ、庭に網焼き台もできたことだし、いつでも遊びに来いよ。肉くらい食わしてやるさ」
「うん! ありがとう!」
素直になった時のラミトワは意外と可愛らしい。
噂ではなかなかモテるようだ。
「さて、じゃあ飲むか」
「私の美貌に酔いしれろ!」
意味不明なことを言うラミトワと乾杯した。
――
「マルディン、焼けたよ」
「お、ありがとう、フェルリート」
「この肉は帝猛牛だよ。この間、ラーニャさんたちが狩猟したんだ」
「帝猛牛か。初めて食べるな」
肉汁が滴り落ちる串焼きを口に運んだ。
「なっ! うっま!」
赤身肉だが、驚くほど柔らかい。
濃厚な味はコクがある上に、噛めば噛むほど旨味が染み出る。
肉に臭みはなく、爽やかな香辛料の余韻が残った。
「アリーシャの解体が凄いんだよ。一切の臭みを出さないんだから」
俺はアリーシャに視線を向けた。
「違いますよ。フェルリートの下処理が上手いんですよ。香辛料の使い方は絶品です」
お互いを褒め合う二人。
本当にこの姉妹は仲が良い。
「フェルリートもアリーシャも、二人とも凄いのよ。本当に美味しいわね」
レイリアも俺の隣で帝猛牛を堪能していた。
俺は串焼きをもう一本受け取り、口へ運んだ。
手が止まらない。
これほど旨い肉だと、それ相応の酒も必要だ。
俺はメイドのシャルクナに向かって手を挙げた。
「シャルクナ、ちょっといいか?」
「何でしょうか?」
「申し訳ないが、地下から葡萄酒を出してもらえないか? あれだ」
「あれを? かしこまりました」
シャルクナが一礼して、地下室へ向かった。
一緒に行きたいが、今の俺は階段の上り下りができない。
シャルクナが何往復かしてくれて、テーブルに何本もの葡萄酒を並べた。
「フェルリート。これはハルシャ様からいただいたんだ」
「ハルシャ様? 本当に?」
以前の任務の際に、ハルシャから貰った高級葡萄酒だ。
せっかくなので、フェルリートに飲んでもらおう。
「驚くなよ、真紅の森だ」
「真紅の森?」
「しかも三十年物だ」
「真紅の森って……。え! あの真紅の森!」
真紅の森の三十年物は伝説と呼ばれ、一本金貨百枚はくだらない。
さすがにフェルリートもその名を知ってるようだ。
シャルクナが栓を抜くと、芳醇な香りが庭に広がる。
「こ、こりゃ、さすがだぜ」
真紅の森から様々な果実の香りがただよい、それぞれが互いに引き立て合う。
複雑に絡み合う香りが見事に調和され、真紅の森という伝説の葡萄酒を作り上げていた。
「すごーい! 香りが舞ってるよ! すごーい!」
「これほどの香りは初めてです」
「うわー、私、香りに包まれてます!」
「信じられない香りね。ラーニャにも味あわせてあげたかったわ」
「な、なんじゃこりゃああああ!」
フェルリート、アリーシャ、ティアーヌ、レイリア、ラミトワが感嘆の声をあげた。
そして、いつの間にか庭にいた全員が集まっていた。
まるで花に群がる花蜜蜂のようだ。
その他にも、年代が違う真紅の森や、別の銘柄の高級葡萄酒を全て開栓。
この場の全員が、初めて飲む高級葡萄酒に酔いしれていた。
「楽しいなあ。ふふ」
フェルリートが笑顔で葡萄酒を飲みながら、大きな瞳で俺の顔を見上げていた。
「マルディン、あのね……」
「ん? どうした?」
「私……マルディンと知り合えて本当に良かった」
フェルリートがオルゴールを開けた。
市場で待つ女の美しい旋律が流れる。
「そうだな……。俺もお前と出会えて良かったよ」
「本当に?」
「もちろんさ」
背後から不穏な気配を感じた。
避けようと思ったが、今の俺は素早く動けない。
「おい! おっさん! 私は!」
「いてっ! やっぱりお前かよ!」
ラミトワが空気を読まず、俺に飛びついてきた。
「はいはい、お前もだよ」
「そうだろ! あっはっは!」
さらに肩を叩かれて振り返ると、三人の女たちが立っていた。
「私もですか?」
「私はどうですか?」
「ねえ、私も?」
アリーシャ、ティアーヌ、レイリアまでもラミトワと同じことを言っている。
完全に酔ってるようだ。
「お前たちも同じだよ。会えて嬉しいよ」
「「「やったー!」」」
三人が笑顔でハイタッチしていた。
「まったく……面倒な奴らだぜ」
「あはは」
その様子を見ていたフェルリートが、声を上げて笑っていた。
フェルリートにとって、これまでの誕生日は両親の死を思い出す辛いものだっただろう。
だが、これからは少しでも楽しい思い出にしてやりたい。
俺たちには時間がある。
少しずつ良い思い出が増えていけばいいだろう。
「フェルリート……」
「なあに?」
南から吹く夜風が真紅の森の香りを舞い上げながら、フェルリートの美しい金色の髪を揺らす。
フェルリートは髪をそっと耳にかけた。
「俺は絶対に帰ってくる」
「うん……ありがとう……」
市場で待つ女の旋律が、故郷の景色を思い出させた。
だが、それはもう遠い過去のように感じる。
俺にとっても、ティルコアで新しい思い出が増えている。
ここはもう俺の故郷だ。




