第199話 呪いの絵8
翌日の早朝、俺はハルシャの城を出発。
宵の口にティルコアへ帰還した。
「ふう、やっと着いたぜ」
自宅の扉を開けると、シャルクナが出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ、マルディン様」
「ただいま」
自宅は土足禁止だ。
玄関でブーツを脱ぐ。
「シャルクナ、どうだった? 大丈夫だったか?」
「はい。問題ございません」
「一人で過ごせたか?」
「そ、それは……」
廊下の奥から走る足音が聞こえた。
「マルディン! おかえり!」
「フェルリート。来ていたのか」
「うん、毎日来てたよ。ふふ」
「毎日?」
俺はシャルクナに視線を向けた。
とっさに俺から視線を外すシャルクナ。
その動きは、黒山猫の反応速度すら凌駕するだろう。
「フェ、フェルリート様と仲良くなって……」
「そうか、いいことじゃないか。あっはっは」
頬を紅潮させるシャルクナ。
ティルコアの夕焼けよりも赤い顔が、妙に微笑ましかった。
「マルディンが帰ってきたし、私はそろそろ帰るね」
「せっかくだし、夕飯食っていけよ」
「いいの?」
「もちろんさ」
「やったね! シャルクナさんのお料理はとっても美味しいの。ふふ」
この日はシャルクナも一緒にテーブルに座らせ、三人で夕食を取った。
――
翌日、俺は一階の仕事部屋へ入った。
テーブルに座ると、シャルクナが珈琲を淹れて俺の正面に着席。
この部屋にいるときだけ、シャルクナはメイドではなく、連絡員として業務を行う。
服装はメイド服のままだが。
「さて、俺は報告だけでいいんだよな?」
「はい。報告書は私が作成します。そのための連絡員です」
「分かった、ありがとう」
俺は今回の顛末を伝えた。
ドルドグムの死因は毒死。
毒は画家リメオルが復讐のために仕込んだもの。
絵画は領主であるレイベール女伯爵が所有を希望。
その他必要なことや、皇軍の小隊長のことも報告した。
「ドルドグムにとっては不幸な事故だったな。なんせ百年前の復讐のとばっちりだ」
シャルクナが手を顎に当て、神妙な表情を浮かべている。
何やら考え込んでいるようだ。
ひとまず俺は珈琲を口にした。
「もしかしたら、今回の事故は意図的に仕組まれた事件かもしれません」
「意図的? どういうことだ?」
「実はこの絵画と葡萄酒は、ドルドグムと取引した業者から送られたものです」
「この二つを? かなりの金額だぞ?」
「はい。確かに高額ですが、取引の規模から、接待及び取引金額の一部かと思われていました。しかし今回、マルディン様が絵画に仕組まれた毒を明らかにしてくださいましたので……」
「おいおい。その取引先は、毒の発生を知っていて送ったというのか?」
「現時点ではなんとも言えませんが、考えられなくもないです」
「ドルドグムは何の取引をしていたんだ?」
「主に食材を扱っていました。そして、ドルドグムの急死によって、取引先の支払いが滞っているようです」
「支払いを踏み倒すために毒殺した? そんなことするか?」
考え始めると疑問ばかりが出る。
だが、全てが憶測だし結論なんて出ない。
「まあ、今言っても無駄か。何も分からんしな」
「はい。取引関連は中央局が調べます。しかし、ここまで判明したことは、全てマルディン様のおかげです。ありがとうございました」
「俺は何もしてないさ。全て領主様のおかげだよ」
「そんなことは……」
首を横に振るシャルクナ。
その表情は真面目そのものだ。
そして、俺の顔を真っ直ぐ見つめている。
「それにしても、まさか百年前の復讐が、いつの間にか呪いと呼ばれていたとは驚きです」
「そうだな。噂というものは事実を捻じ曲げるものさ」
「復讐に噂。人間の悪意が最も恐ろしいです」
俺やロルトレと同じことを呟いたシャルクナ。
これでシャルクナも、呪いや霊を怖がることはないだろう。
「シャルクナ。今回の調査で分かったことは、この世に呪いなんてないってことだ。安心するといい」
「仰る意味が分かりません。私は最初から怖がってませんが?」
「俺が家を空けるたびに、フェルリートに来てもらうわけにはいかないからな。あっはっは」
「怖がってませんがっ!」
シャルクナは表情を変えずに、珍しく声を荒げた。
「そうか、怖がってなかったか。そりゃ、失礼」
俺は立ち上がり、報告は終わりとばかりに扉へ向かう。
「さて、俺はまだ少しだけ体調が良くなくてな。今日は一日休ませてもらうよ」
「大丈夫ですか? 後ほどお飲み物をお持ちします」
「ああ、ありがとう」
シャルクナも立ち上がった。
部屋を出る俺を見送ってくれるようだ。
「実はな、今回の俺は死にそうになったんだ」
「え?」
「絵の前に立つと身体が動かなくなって、意識が遠のいたんだ。その時、絵の女の瞳が動き出した。マジで死を覚悟したよ。この俺でもさすがに呪い、いや死者の怨念を感じずにはいられなかった……」
「や、やはり……呪いは……」
「ああ、あるのかもしれない。その証拠に、ほら、後ろに白い……」
「きゃっ!」
シャルクナが、俺の胸に飛び込んできた。
その踏み込みは、両断剣で切り込むよりも速い。
「す、すまん……。怖がってないって言ったから……」
「抱きついてませんから」
冷静な表情で、俺からそっと離れたシャルクナ。
完全に抱きついていたが、ここは何も言わないでおこう。
「抱きついてませんからっ!」
「何も言ってないだろ?」
「ふん!」
それから三日間、シャルクナは口を利いてくれなかった。




