第194話 呪いの絵3
「噂?」
「呪いの絵と呼ばれています」
「呪いの絵だと?」
「はい。有名な画家の作品なのですが、これまで所有者が何人も死んでいるそうです」
「所有者が死亡か。死んだ状況は同じなのか?」
「なにぶん百年前の絵画なので詳細は不明で、噂だけが残っている状況です」
「なるほどね。だが、この世に呪いなんてあるはず……」
シャルクナが呪いを信じるか聞いてきたことを思い出した。
きっとこの絵の存在を知っていたのだろう。
特殊諜報室がこの事件をどこまで調査しているのかは分からないが、この事件は俺を試していると考えるべきだ。
俺は戦うことはできても、こんな調査は初めてだから。
「俺の調査力を見極める試験という位置づけだな」
「マルディン様?」
「いや、なんでもないよ」
バルードが大きな背中を丸めて、萎縮したように俺の隣に立っている。
「なあ、バルード小隊長。このシミは血と葡萄酒だと思うが、この葡萄酒の瓶はあるのか?」
「はい。ここにはありませんが、保管されています」
「そうか。その瓶を見ることは可能か?」
「もちろんです。ここへお持ちしましょうか?」
「ああ、頼むよ。まずはこの状況を再現してみる」
しばらく待つと、バルードが葡萄酒の瓶を持ってきてくれた。
瓶の血痕は綺麗に拭き取られているが、ラベルには血がシミとして残ったままだ。
なんとか銘柄は確認できたのだが……。
「こ、これは……。再現しようと思ったが無理だぞ」
「え? どういうことでしょうか?」
俺は葡萄酒の瓶を持ち上げ、バルードにラベルを見せた。
「エ・ス・ティエリ大公国の高級葡萄酒、真紅の森だ。しかもこれは、一本金貨百枚はくだらないと言われる三十年物だぞ」
「な、なんですと! それほどの高級葡萄酒は、さすがにこの街でも手に入らないかと……」
「そうだな。もし売っていても、あまりにも高額だ。手が届かんよ」
俺は葡萄酒の瓶をテーブルに置いた。
「仕方がない。ひとまず似たような葡萄酒を買うよ。そして、この屋敷で明日まで過ごしてみる」
「え!」
ドルドグムが死んだこの部屋で、可能な限り似たような状況を作り、夜を過ごしてみるつもりだ。
もしかしたら、呪いの正体が判明するかもしれない。
「だ、大丈夫ですか?」
「外は皇軍が警備しているんだ。何の問題もないだろう?」
「そ、その、呪いが……」
「なんだ、バルード小隊長。君も呪いが怖いのか?」
「ま、まさか! 私は精鋭ぞろいのレイベール五番地区小隊長です!」
シャルクナと同じような反応だ。
まあ、呪いの類を信じる気持ちも分からないわけではないし、人の考え方に対して何も言うつもりはない。
ひとまず現場をバルードに預け、俺はいったん屋敷を出た。
「これだけの葡萄酒になると、似たようなものでも高価だ」
乗合馬車で市街地へ向かった。
繁華街の商店に行けば、似たような葡萄酒が見つかるだろう。
俺は葡萄酒について、多少の知識を持っている。
いくつかの商店を回り、同じ葡萄の品種で安い葡萄酒を購入。
それでも金貨三枚と、普段なら飲めないほどの高級葡萄酒だった。
「そういえば、今回の報酬は経費込みだったな……」
経費を抑えるに越したことはないが、出し惜しみしている場合じゃない。
屋敷に戻り、さっそくバルードを呼んだ。
俺から部屋を出ない限り、誰も入らないように指示。
「これで密室を再現できたぞ」
壁にかけられた蝋燭に火をつけ、装飾が施された高級なテーブルに葡萄酒の瓶を置く。
そして、いくつかの食品を並べた。
干し肉の薄切り、チーズ、木の実類という葡萄酒には定番の内容だ。
準備が終わるとすでに日は沈み、夜を迎えていた。
「さて、じゃあ葡萄酒を開けるか」
この再現に意味があるのか分からないが、他に手がかりがないため、やってみるしかない。
呪われた絵のことも気になる。
俺は静かに葡萄酒をグラスに注ぐ。
蜜黄玉と、白王桃と、蜂蜜を合わせたような芳醇な香りが広がる。
「うお、これは凄い。ということは、真紅の森はもっと凄いのか。いつか飲んでみたいぜ」
しばらくの間、葡萄酒を飲み、つまみを堪能。
「干し肉はまずくないが、やはりアリーシャの干し肉が一番旨いな」
壁にかけられた呪いの絵を眺めながら、葡萄酒を口に含む。
「有名な画家の作品らしいな。なんとも言えない魅力がある」
俺はグラスを手に持ち、絵の前に立った。
瞳の碧色は、まるで生きているかのような輝きと生気を放つ。
「実在した女性なんだろうな」
テーブルに戻り、グラスに二杯目の葡萄酒を注いだ。
すると、僅かに瞳が動いたように見えた。
「ん? 動いた? まさかな。まだ二杯目なのに、もう酔ったか?」
もう一度絵に近づき瞳を凝視する。
だが、絵が動くわけない。
「高級葡萄酒に酔っちまったか。はは」
テーブルにグラスを置き、部屋を見て回る。
壁、扉、床、天井、どこにも異変はない。
壁の蝋燭がゆっくりと揺らめく。
鍵がかかったこの部屋に、痕跡を残さず侵入し殺害することなんて可能なのだろうか。
椅子に座り、グラスに口をつけた。
「ふう、分からん」
椅子の背もたれに背中を預ける。
「ぐっ……」
突然、猛烈な吐き気と頭痛が襲ってきた。
「な、なんだ。たったこれだけで酔ったのか?」
絵に目を向けると、女は妖艶な笑みを浮かべていた。
「の、呪い……。まさか……」
呪いなんてない。
だが、実際に不可解なことが起きている。
「くっ、視界が……回る」
絵の女の微笑みが歪んで見える。
「くそっ、なんだってんだ……」
椅子から立ち上がるも、よろめいて四つん這いになってしまった。
そのまま床に倒れ込む。
這いつくばりながら、俺は必死に部屋を出た。




