第192話 呪いの絵1
◇◇◇
「ついに! ついに私はここまで登りつめたぞ」
豪邸の一室で、家主のドルドグムはソファーに座りながら、壁にかけられた絵画を眺めた。
そして、葡萄酒の名産地であるエ・ス・ティエリ大公国の高級葡萄酒をグラスに注ぐ。
一本金貨百枚はくだらないと言われる三十年物の葡萄酒だ。
「こんなもんを寄こしやがって。よほど私との取引を続けたいようだな、くくく」
ドルドグムは葡萄酒を口に含み、絵画の前に立つ。
「さすがはリメオルの絵だ。素晴らしい」
葡萄酒を口に含みながら、肖像画の美しい女性を見つめる。
謎めいた微笑を浮かべる肖像画の女性。
瞳の碧色は、まるで顔料が乾いたばかりのような、鮮やかな発色を見せていた。
「くくく。だが、まだまだだ。あいつらを踏み台にして、もっと……。ぐっ! ぐほっ!」
ドルドグムはグラスを床に落とし、床に崩れ落ちる。
葡萄酒がこぼれ、血まみれの絨毯に沈んだ。
◇◇◇
「マルディン様。おはようございます」
「おはよう、シャルクナ」
二階の自室から一階のリビングに入ると、メイド服を着たシャルクナが朝食の用意をしていた。
テーブルに並べられた数々のメニュー。
「なあ、朝から多くないか?」
「早朝トレーニングをされたので、これくらいは召し上がるかと思いまして……」
シャルクナが住み込みで働き始めてから一週間が経過。
部屋を見渡すと塵一つない。
シャルクナのおかげで、新築の美しさは未だに保たれている。
「私の仕事にご不満がございましたら仰ってください。すぐに改善いたします」
「いや、ないよ。というか、完璧過ぎる」
「ありがとうございます。それではごゆっくり」
シャルクナがリビングを出た。
諜報員ということを隠しており、完全にメイドとして働いている。
一階の客室をシャルクナの部屋に割り当てているため、自宅で顔を合わせる機会はほとんどない。
誰もいない時の飯くらいは、一緒に食べてもいいと思うのだが、メイドが主人と食事をすることはあり得ないと頑なに拒否している。
シャルクナは呆れるほど真面目な性格だった。
朝食を終えると、シャルクナが珈琲を運んできた。
タイミングは完璧だ。
「今日はレイベール産です」
「ありがとう」
湯気が立つカップを手に取る。
地元であるレイベール産の珈琲は苦味が強く、酸味は控えめで朝に丁度いい。
しかも俺の好みに合わせ、濃いめで淹れてくれている。
正直なところ、シャルクナの仕事は非の打ち所がない。
「マルディン様、依頼が来ました」
シャルクナの本来の任務は、特殊諜報室との連絡係だ。
だが、特殊諜報室で最高の諜報員とされる黒の砂塵のシャルクナが連絡係をするということは、何か特別な事情があるのだろう。
もちろん俺は詮索しない。
人には触れられたくないことが、いくつもあるのだから。
「ついに初めての依頼が来たか。で、内容は?」
「不審死した商人の調査です」
「不審死の調査?」
「こちらが依頼書です」
俺は書類に目を通す。
「商人ドルドグムの不審死調査、か」
レイベール州の州都レイベール在住の商人ドルドグムが自宅で死亡。
死因は出血死で、全身から流血していたが外傷はなし。
また、部屋に不審な点はなく、侵入の形跡はない。
「持病の発作とか、病死じゃないのか?」
「そういった症状はなかったそうです」
「じゃあ、暗殺者の仕業か? 奴らは痕跡を残さんぞ?」
「それを調べていただくのです」
「そりゃそうか」
一通り目を通した書類をテーブルに置く。
「俺はドルドグムの不審死を調べるだけでいいんだな?」
「はい、今回はあくまでも調査のみです。仮に殺人と判明しても追跡は不要です。報告だけしていただきます」
俺は珈琲を口に含み、目を閉じた。
なんというか、腑に落ちない点がある。
「なあ、これ……。俺が対応する案件じゃないだろう?」
「それはどういう意味でしょうか?」
「俺はこういう調査なんてやったことがない。それこそお前たち特殊諜報室の専門だろ?」
「私には分かりかねます。室長のご判断なので……。ただ、特殊諜報室でも、こういった内容は扱いません。どちらかというと、捜査室の案件かと思われます」
「それをなぜ俺が? って、シャルクナに聞いても分からんか」
「申し訳ございません」
「まあいいさ。どうせ、ムルグスが何か画策してるんだろうよ」
普段のムルグスは気の抜けたおっさんなのだが、恐ろしいほど頭が切れる。
噂で聞いたところ、中央局内でも飛び抜けて優秀だそうだ。
「こちらが調査に必要な階級章になります」
シャルクナが、革製の薄い板上のケースをテーブルに置いた。
手のひらに収まる長方形の革製ケースの中心には、大きな金貨のような階級章が埋め込まれている。
「マルディン様には、新設された部署の室長として活動していただきます」
「新しい部署?」
「はい、中央局特殊調査室と申します。冒険者ギルドで例えると、ギルドハンターのようなものと考えていただければよろしいかと」
「特殊調査室ね。名前は立派だが、きっと何でも屋なんだろうな……」
俺は珈琲を飲み、気持ちを落ち着かせた。
「今回の報酬は諸経費込みで金貨五十枚です」
「おいおい、高額だな。調査だけだから危険なんてないだろ?」
シャルクナは表情を変えずに一礼。
そして顔を上げると、俺の瞳を真っ直ぐ見つめていた。
「マルディン様は霊や呪いを信じますか?」
「霊? 呪い? 何を言ってるんだ?」
いつもの真面目な表情を浮かべている。
冗談ではなさそうだ。
「その……亡霊や恨みを持った者の呪いで、殺人が可能だと思いますか?」
「そんなものは存在しない。そもそも、俺がこれまで何人殺してきたと思ってるんだ。もし、この世に霊や呪いなんてものがあったら、俺が真っ先に殺されてるよ」
「実は、今回は呪いが原因と噂があるのです」
「おいおい、そんなバカな話があるかよ」
「あくまでも噂です」
「なるほどね。それらも含めて調べろってことか」
「左様でございます」
正面で組んでいるシャルクナの手が、僅かに震えている。
「そういうお前は信じるのか?」
「いえ、私は黒の砂塵ですから」
「そうか……」
返答になってないと思うが、あえて追求しない。
俺は珈琲を飲み干し席を立った。
「支度する。すまんが留守を頼むよ」
「かしこまりました」
「そういや、この家はどうも不思議な現象が起こるんだよ。時折、白い影みたいなものが見えてな」
「え?」
「ほら……、今もお前の後ろに……」
「きゃっ!」
シャルクナが、俺に飛びつくように抱きついてきた。
そして俺の顔を見上げる。
「失礼いたしました」
何事もなかったかのように、そっと離れた。
「す、すまん、嘘だ。そんなに驚くとは思わなかったんだ」
「いえ、驚いてなどおりません」
「一人で大丈夫か?」
「問題ございません。私は両断剣使いですから」
意味不明なことを呟くシャルクナ。
あきらかに動揺している。
「えーと、フェルリートに連絡する。留守中は一緒にいてもらうように頼んでおくよ」
「不要でございます」
「お前たち、仲良くなったんだろ? 友人が遊びに来るだけだぞ?」
「それなら歓迎します」
まったくもって素直じゃない。
頑固というかなんというか。
「それにしても、まさか黒の砂塵の諜報員が霊に怯えるとはな」
「怯えておりません」
「あ、後ろに……」
「きゃっ!」
またしても抱きついてきたシャルクナ。
「すまん。もう二度と言わないよ……」
「抱きついてなどおりません」
シャルクナが、俺からそっと離れた。
「この家は平気だから安心してくれ」
俺は支度をするために自室へ戻った。




