第182話 独身おっさんの新生活
「もう春か……。月日の流れは早いな」
ティルコアに定住してから、初めて冬を越えた。
町の人々は寒いと嘆いていたが、北国出身の俺にとっては快適な気温で、日々過ごしやすくて驚いたものだ。
とはいえ、冬の間は大爪熊のネームド、マード・ムーロの討伐や、怒れる聖堂との戦いで平穏とは言えなかった。
「また暑い季節がやってくるのか」
「うん。一緒に頑張ろうね」
隣にいるフェルリートが、俺の顔を見上げていた。
「それにしても、約一年か。世話になったよ」
「寂しくなっちゃうなあ」
「ああ、そうだな……」
自宅のリビングを見渡しながら、大きなバッグを手に持つ。
俺は今日、家を出る。
「さあ、行くか」
「うん」
家の外に出ると、黒風馬のライールが顔を寄せてきた。
「ライールも行くぞ」
「ブルゥゥ」
ライールは手綱を引かなくてもついてくる。
今や家族の一員だ。
町道をしばらく歩くと、柵に囲まれた丘に到着した。
柵の門の前には、二人の男が立っている。
海の石の親方とジルダだ。
「マルディン、待ってたぞ!」
「おはよう、親方」
今日は俺の新しい家の引き渡し日だ。
フェルリートは引き払う家の片付けを手伝ってくれていた。
「よし、案内するぞ。がはは」
親方が門を開けた。
この丘は全て俺の土地だ。
丘の周囲には町役場が簡易的な柵を建てていたが、それも新しく建て直されている。
さらに門から自宅玄関まで、馬車が通れるほどの幅広い石畳の遊歩道が完備。
「自宅に遊歩道があるぞ」
「お散歩できちゃうね」
新しい家は、小高い丘の頂上に建てられている。
二階建ての家は、もはや屋敷と言っていいだろう。
玄関前の広場には、馬車が数台並べられるほどの石敷きのスペースがある。
そして、自宅の裏に厩舎と、平らに整地された簡易空港まで建設されていた。
「これが俺の家か……。すげーな……」
建設途中に何度か見学していたが、完成してからは初めて見る。
外観はティルコアの伝統的な石造りの四角い形状だ。
伝統的な建築方法の中にも、最新の技術を使用したという。
祖国の家屋は、屋根が急角度だった。
雪が積もると家が潰れてしまうため、雪が落ちるように角度をつけている。
この地は当然ながら雪の心配がない。
むしろ台風によって屋根が吹き飛ばされるため、屋根は平たく頑丈だ。
「予算が豊富だったから、細部にまでこだわったぜ。がはは」
「本当に凄いな。それに空港まで作ってもらって助かるよ」
「ああ、お前が飛空船を手に入れたと言っていたからな。ギルドの簡易空港を参考にしたり、イレヴス空港を見学したり、空港の資料を取り寄せて作ったぞ。飛空船の納入が楽しみだな。がはは」
全員で玄関の前へ移動した。
「マルディン、これが鍵だ」
「ありがとう、ジルダ」
扉に鍵を挿し、ゆっくりと開けた。
窓から陽の光が差し込む玄関は、とても明るい。
「マルディン、この家は土足禁止だ」
そう言いながら、ジルダが靴を脱いだ。
「靴を脱ぐのか?」
「ああ、一部の地方では自宅で靴を脱ぐ文化があってな。それを取り入れた。慣れると快適だぞ」
俺とフェルリートは靴を脱ぎ、廊下に上がった。
白理石の床から冷たさを感じて心地良い。
「風の通りを計算して、床が冷えるように設計しているぞ。夏場は床が気持ち良いはずだ」
「確かにな。床に寝転んだら気持ち良いだろうな」
廊下を進み、リビングへ入った。
美しい白理石の床と白い漆喰の壁は、陽の光を反射し部屋を明るくしている。
そこにジルダが選んだ、テーブルやソファーが配置されていた。
まるで高級宿だ。
自宅だとは思えない。
親方が俺の肩を叩いた。
「一階はリビングやキッチン、風呂トイレ、そして客室。仕事部屋もあるぞ。二階に寝室や書斎、客室、もちろん二階にも風呂トイレはある。そして地下室だ。剣の稽古もできるほど広いぞ。どうだ? 気に入ったか?」
「凄すぎんだろ……」
あまりにも広く、部屋もいくつあるのか分からないくらいだ。
一人暮らしの俺は、一部屋あれば生きていける。
これだけ部屋数があると、むしろ掃除が大変だと心配してしまう。
だがやはり、自分の家は嬉しいものだ。
それも想像以上に素晴らしい。
「親方、大満足だ! ありがとう!」
「そうだろう! この家は海の石の最高傑作だ!」
「ああ、さすがだよ。親方、これを」
俺は小さな革袋を渡した。
中には金貨を二枚入れている。
「職人の皆で、飲んで食ってくれ」
「お、すまねーな。ありがたく使わせてもらうぜ」
その後は、親方とジルダから家の説明を聞いた。
――
俺とフェルリートの二人で、引越し作業を行う。
と言っても、俺の荷物は少ない。
家具類や日用品は、室内装飾を手掛けてくれたジルダが全て用意してくれていた。
「マルディン、手伝いに来ましたよ。凄いですね……。大豪邸じゃないですか」
「部屋ありすぎだー。どの部屋にしようか迷っちゃう」
アリーシャとラミトワだ。
引越し作業を手伝いに来てくれた。
「俺も驚いてるんだよ。こんなに部屋があると思わなかったぜ。あっはっは」
「あの、もしかして引越し作業って、ほとんど終わってます?」
「終わってるというか、荷物が少なくてやることがないんだ」
「じゃあ、ご飯を作りますね。新しいキッチンを見せてください」
「お、いいのか?」
「もちろんです。キッチンを楽しみにしてきたのですから。フェルリート、一緒に作りますよ」
キッチンで調理を始めたフェルリートとアリーシャ。
ラミトワはリビングの掃き出し窓を開け、敷地内を眺めている。
「ここから海が見えるんだね」
「ああ、いいだろう? 気に入ってるんだ」
「ところで、マルディン。なんで庭に簡易空港があるの?」
「飛空船を貰ったからな」
「へえ、凄いじゃん。ん、……貰った? 飛空船を?」
ラミトワが俺の顔を見つめた。
「何言ってんの?」
「だから、飛空船を貰ったんだよ」
「飛空船を……貰った?」
「そうだ」
固まっているラミトワ。
理解に時間がかかっているようだ。
「ええええええええええええええええ! なんでだよ! なんで貰えるんだよ!」
「うるせーな!」
顎が外れるくらい大きな口を開け、絶叫しているラミトワ。
「飛空船だ! やった! やった! やった! やった!」
叫んだと思ったら、今度は変なダンスを始めた。
いつもより激しいダンスだ。
「マルディン、私のためにありがとう!」
「なんでお前のためなんだ?」
「だってさ、前に飛空船買ってって言ったじゃん。それを覚えてくれたんだね。もう、メッチャいい奴じゃん。結婚してあげてもいいよ」
ラミトワがニヤけながら、肘で俺の腹をつつく。
「それにマルディンは操縦できないから、私が操縦するしかないもんね」
「俺は操縦免許持ってるぞ? それと結婚は迷惑だ」
「は?」
「しかも貰える飛空船は中型船だからな。俺は一級操縦免許を取ったんだ」
「はあああああああああ! 中型船だって?」
「俺は操縦できるんだよ。あっはっは」
「ふざけんな! 私の飛空船だろ!」
「アホか。君も自分で買いなさい」
「ねえ! ちょうだい! ちょうだい!」
床に転がり、手足をバタつかせながら駄々をこねるラミトワ。
まるでひっくり返った金甲虫のようだ。
「ちょうだい! ちょうだい!」
俺は無視して、リビングのソファーで珈琲を飲む。
フェルリートが完成した食事を運びながら、寝転ぶラミトワに視線を向けていた。
「金甲虫のマネ? 上手だけど邪魔だよ?」
「違うよ! マルディンに遺憾の意を表してるんだ!」
「なにそれ。ほら、ご飯にするよ。ふふ」
食事ができあがり、四人で昼食を取る。
新居での初めての飯は、娘たちのおかげで賑やかだ。
「キッチンの設備が凄いんだよ。ギルドの食堂よりも整ってたんだから」
「最新のオーブンだから、森鶏の丸焼きが作れました」
「もう、毎日食べに来ちゃおうっと」
引っ越し直後は、なぜか妙に寂しさを感じるのだが、この娘たちのおかげで楽しい食事となった。
その後は、全員で自宅を探索して楽しんだ。
――
水平線から月が顔を出す。
そろそろ娘たちが帰宅する時間だ。
「みんな、今日はありがとう。助かったよ」
「また遊びに来ますね」
「あの部屋は私の部屋だからな!」
アリーシャとラミトワが馬車に乗り込んだ。
「ってか、ラミトワのやつ。また馬車を改造したな」
もはや原型を留めてないほど、大きく形を変えているラミトワの馬車。
今や俺も、格好いいと思い始めている。
「マルディン。また部屋の掃除に来るね」
フェルリートが俺の腕に触れた。
「いやいや、いいって。それじゃメイドみたいだろ?」
「じゃあ、住み込みで働く」
「おいおい、お前は家があるだろう」
「マルディンは毎日掃除なんてできないでしょ? 大変だよ?」
頬を膨らますフェルリート。
「まあ、そこはこれから考えるさ」
「いつでも手伝いに来るからね」
「ああ、ありがとう」
娘たちは名残惜しそうに帰っていった。
ラミトワなんて、自分の部屋を勝手に決めていたほどだ。
俺はリビングに戻り、部屋を見渡す。
「しかし、フェルリートの言う通り、これはマジでメイドが必要かもしれん……」
ソファーに座り、葡萄酒を開けて新居の完成を一人で乾杯した。




