第181話 翠玉色の海に祈りを捧げ2
俺は芝生にカーペットを敷いた。
これからここで飯を食う約束をしている。
「なあ、ジルダ。身体はなんともないのか?」
「ああ。レイリア先生のおかげだ。リハビリは辛かったが、今はもう元通り。いや、怪我の前より動けるよ。マジで先生は凄いな。思わず惚れそうになったわ。はは」
「あーそー。で、治療費は払えたのか? 高かっただろ?」
「ああ、金貨十枚だったが、なんとか払えたよ。ただ、数ヶ月も仕事を休んだから、貯金も尽きちまった。働かないとな」
「三十半ばで貧乏は嫌だねえ」
「う、うるせーな! これは名誉の貧乏だ! いいんだよ!」
「当面は結婚できねーな。ああ、そもそも相手がいないのか」
「はあ? てめえ、喧嘩売ってんのか?」
「おいおい、俺に勝てんのかよ」
「うっ、ひ、卑怯だぞ!」
「これが世の中ってもんだよ。ジルダ君。あっはっは」
「くそ!」
悔しがるジルダに、俺は革袋を差し出した。
「これ、お前の分だ」
「なにこれ?」
「金貨二十枚入ってる」
「に、二十枚!」
「お前がダムラを見つけたおかげで、最終的に怒れる聖堂を壊滅できた。皇軍から報奨を預かってる」
「皇軍から? マジかよ」
これは元々ジルダの金貨だ。
レイリアが請求して、ジルダが支払った。
それを俺が受け取り、さらに追加してジルダに戻しただけだ。
病院には俺が正規の治療費を支払っている。
今回の怒れる聖堂壊滅に関して、皇軍からの報酬はない。
もちろん、ギルドのクエストでもないし、ギルドハンターの案件でもない。
元々はジルダの個人的な相談から始まったことだ。
むしろ当局に拘束されなかっただけ、幸運だったといえよう。
「マルディン、今回は本当に世話になった。そもそも俺の個人的な相談だったから、お前に報酬を支払うよ」
「は? いらねーよ。貧乏になっちまったお前からむしり取ったら、干からびて死んじまうわ」
「う、うるせーな!」
ジルダの怪我に関しては、俺も責任を感じている。
俺が治療費を支払ったとはいえ、生死を彷徨う大怪我だ。
それに数ヶ月も仕事を休んで、ジルダの金は足りないだろう。
だが、ただ金を渡してもジルダは受け取らない。
「なあ、ジルダ。お前に仕事を頼みたいんだがいいか?」
「仕事?」
「春先に俺の家が完成するだろ?」
「ああ、俺もそろそろ現場に復帰するよ」
「完成したら、お前に家具を選んでもらって配置とかやってもらいたい。俺はそういうセンスがないからな」
「なるほどね。それは室内装飾って言うんだよ。今は室内装飾を受け持つ専門の職業もあるよ」
「へえ、そうなんだ。じゃあさ、お前のセンスで新しい家の室内装飾をやってくれ」
「分かった。海の石に発注してくれよ」
「違う。お前個人へ頼むんだ。海の石は通さない。親方にも話はつけてある」
「は?」
「報酬は金貨五十枚だ」
「ぶぅぅぅぅ!」
ジルダが茶を吹き出した。
まだ酒を禁止されているジルダは、酒を飲むかのように茶を飲んでいた。
「汚ねーな!」
「お、お前、五十枚って!」
「材料費っていうのか? かかった費用は別で払う。単純にお前の報酬が五十枚だ」
「そ、そんなに貰えねーよ!」
「豪華な新築の家に、親友が室内装飾をしてくれるなんて最高だろ? 家を建てるなんて一生に一度しかないんだ。俺はこう見えて金持ってるしな。あっはっは」
「お前……」
正直に言うと、俺も今はそれほど金を持っているわけではない。
だが、ありがたいことに仕事はあるし、成功すれば稼ぎも大きい。
働けばいいだけだ。
「それによ。お前が貧乏で結婚できないなんて見てられん。いつ死ぬか分からんから、早く夢を叶えてほしい。今回だって死んだと思ったしな。お前があまりにも……不憫すぎる」
「ふ、ふざけんな!」
「この金で結婚できるといいなあ」
「てめえ! マジでぶん殴ってやる!」
「お! やるか!」
「石工職人舐めるなよ!」
俺たちは顔を突き合わせながら立ち上がった。
「こらこら、何やってるの?」
「レイリア先生!」
「怪我が治った途端に喧嘩ですか。信じられませんね。ふふ」
「ティアーヌか」
今日はこの場所で昼食を取ると決めていた。
あの現場を知っている四人で、ダムラを追悼する。
ここはダムラの遺骨を散骨した場所だ。
レイリアとティアーヌが作ってきた飯を広げ、俺とジルダが買ってきた酒や茶をグラスに注ぐ。
もちろんダムラの分もある。
俺たちは、しばらくの間ダムラを追悼した。
献杯したあとに、レイリアが葡萄酒のグラスを手に持ちながら、ジルダへ視線を向けていた。
「ジルダさん。まだ身体を冷やさないでね」
「ああ、ありがとう、レイリア先生。滅多に着ない厚手の上着を持ってきたよ。はは」
「いい心がけね。お酒もあと一ヶ月はダメよ?」
「それが一番つれーんだよ」
「我慢しなさいよ」
「そうだな。俺はまた飲むことができるもんな」
ジルダが茶の入ったグラスに視線を落とした。
ダムラが酒の味を知らずに逝ったことを考えているのだろう。
そんなジルダを、ティアーヌが笑顔を浮かべながら見つめている。
「そういえば、ジルダさん。私ちょっと小耳に挟んだんです」
「ん? なんだい? ティアーヌさん」
「病院の女性看護師さんがジルダさんを噂してたんですよ」
レイリアもジルダに視線を向けた。
「あ、それね。私も聞いたわよ」
「な、なんだと! どんな噂だよ! なんて言ってた!」
ジルダが二人の言葉に食いついた。
「ジルダさんのことをカッコイイって仰ってましたよ」
「そうね、確かに言ってたわね」
ティアーヌの言葉に、レイリアが笑顔で頷いた。
「マジか! ついに! ついに俺の時代が来たか! どうだ、マルディン!」
勝ち誇ったような顔で、俺を見つめるジルダ。
普段ならムカつく表情だが、今日くらいは許してやろう。
「まあ、死にそうな目にあったんだ。それくらいのご褒美があってもいいんじゃないか」
「お前の報酬を結婚資金にすっぞ!」
「結婚って……、お前……」
ジルダはアリーシャに好意を寄せていたはずだが、それはいいのだろうか。
「なあ、二人とも教えてくれ! どの看護師さんだ!」
「えーと、私はお名前を存じ上げなくて……」
ティアーヌがレイリアに視線を向けた。
「私は知ってるわよ。ジルダさん、聞きたい?」
「あ、当たり前だろ!」
「ファリミサさんよ」
「ファリミサ? ファリミサって……、あのファリミサおばちゃん?」
「そうよ。ベテラン看護師さんよ。いつも本当に助かっているの。あなたも小さい頃から、怪我とかでお世話になったでしょう?」
「ファリミサおばちゃん……」
「ファリミサさんが『あの悪ガキだったジルダが、良い男に育ったわねえ』って言ってたわよ」
魂が抜けたような表情を浮かべるジルダ。
「ぶっ!」
笑ってはいけない。
笑ってはいけないのだが、俺は我慢できなかった。
「あっはっは! 良かったなジルダ! これでダムラにも良い報告ができるってもんだ! あっはっは!」
「て、てめえ……」
「報酬を上乗せするから、結婚資金にしてくれよ。あっはっは」
「こ、殺す……」
ジルダが拳を握った。
レイリアは真剣な表情でジルダを見つめている。
「ねえ、ジルダさん。ファリミサさんは既婚者よ? どうするのよ?」
「ど、どうもするわけねーだろ!」
真面目に対応するレイリア。
わざとなのだろうか。
「俺は……アリーシャさん一筋だ!」
「あーそー。お前最低だな」
「い、いいじゃねーか! モテるお前には分からないだろうけど、俺だってなあ……、俺だって死ぬ前に結婚してーんだよ!」
「俺は結婚してねーよ!」
涙を浮かべているジルダ。
「ウフフ、安心してジルダさん。もう一人いたわ。あの娘は若いわよ? ねえ、ティアーヌさん」
「はい。もう一人いらっしゃいます」
ジルダの顔つきが変わった。
「え? マジか!」
「かわいい娘でしたよ」
「誰だ、ティアーヌさん! 名前を! 名前を教えてくれええええ!」
ジルダの絶叫が冬空に響く。
俺は翠玉色の海に視線を向けた。
ダムラ、安心してくれ。
ジルダは相変わらずバカで元気だよ。




