第180話 翠玉色の海に祈りを捧げ1
◇◇◇
翠玉色に輝くマルソル内海。
断崖絶壁が続く崖の上に、数万人が生活する城塞都市があった。
その都市はどの国にも属しておらず、地図にも載っていない。
マルソル内海最大の犯罪組織、夜哭の岬の拠点だ。
夜哭の岬には七組織と呼ばれる七つの主要組織があり、それを老師と呼ばれる老人が指揮している。
いや、正確には七つだった。
巨大な砦の最上階の一室に、六人の男女が集合。
リーダー格の男が、荘厳な美しさを誇る白理石のテーブルに座る五人に視線を向けた。
「すでに知ってると思うが、怒れる聖堂が襲撃されイスラが殺された」
「聞いたよ」
「七組織に襲撃なんて初めてだろ?」
「あのイスラが殺られるなんて信じられない」
「バカだけど強かったし、まあまあ良い男だったわ……」
「老師は?」
一人の男の問いかけに、リーダー格の男が小さく頷いた。
「老師は喪に服しておられる。慈悲深いお方だからな」
リーダー格が改めて全員を見渡す。
「首謀者は首落としマルディンだ。いや、首謀者という言い方は間違っているか……。奴はたった一人で乗り込んだ」
「なあ、本当に一人でやったのか? 怒れる聖堂の規模は数千人だろ? それに、あそこは白聖歌隊と黒聖歌隊っていう、軍隊上がりの部隊があったはずだ」
「白聖歌隊と黒聖歌隊は全滅した」
「嘘だろ!」
「マルディンによって、全員首を落とされた」
「マ、マジかよ……」
リーダー格の発言に、驚きを隠せない男。
「ねえ、イスラだって弱くないでしょう?」
「俺が聞いた話によると、イスラはビッツで強化したにもかかわらず、両腕を落とされ、首を落とされたってよ」
「信じられねえな」
「イスラって昔から身体能力は異常だったぞ」
「いつも崖から飛び込んで遊んでたわね」
「なあ、怒れる聖堂はどうなるんだ?」
夜哭の岬の歴史は古く、七組織のトップは代替わりしてきた。
イスラは怒れる聖堂の五代目だ。
本来ならイスラの死によって六代目が襲名するのだが、その怒れる聖堂自体が壊滅した。
「夜哭の岬の歴史において、七組織の壊滅は初めてだ。老師のご判断を仰ぐ」
そしてリーダー格の男は発言と同時に、窓の外に視線を向けた。
「我々が馴れ合うことはない。常に競い合い、結果を出してきた。だが、我々はこの街で一緒に育った。お前たちの中には、幼少期の頃からイスラを知ってる者もいるだろう。今は静かにイスラを追悼しよう」
六人全員で、翠玉色の海に向かい黙祷した。
◇◇◇
怒れる聖堂の事件から三ヶ月が経過。
新年を迎え、季節は真冬だ。
それでも、俺にとっては暖かいと感じる日が多いティルコアだった。
怒れる聖堂は完全に壊滅し、皇軍と議会で賄賂を受け取っていた者は処分された。
その人数は五十人にも及んだという。
ティアーヌが入手した資料から、調査機関や特殊諜報室が調査を行っている。
だが、資金の流れ等巧妙に隠蔽されているため、夜哭の岬にたどり着くのは難しいようだ。
夜哭の岬側も警戒しているのか、特に動きは見えない。
そのため、安心はできないが、今のティルコアは平穏だった。
俺は町の南にある、海を見渡せる崖上の草原に来ていた。
ここは冬でも芝が生えており、北風が吹く冬は風裏となる穏やかな場所だ。
だが、身を乗り出せば断崖絶壁。
海面まで百メデルトはあるだろう。
俺は海を眺めた。
翠玉色の海はいつでも美しい。
「眩しいな……」
ティルコアの男たちは皆、海に還る。
ダムラの骨も半分はこの海に散骨した。
「ダムラ、お前もそろそろ酒の味を覚える頃だな」
俺は地元産の黒糖酒を海に注いだ。
「ジルダも一緒に味わってくれ……」
俺は翠玉色の海に祈りを捧げた。
「てめえ! 勝手に殺すんじゃねーよ!」
「お前、よく生きてたなあ」
「俺の生命力を舐めるな!」
「死んだと思ったのになあ」
「ふざけんな! 結婚するまで死なねーっつーの!」
「すげー執念だぜ」
俺は三ヶ月前のことを思い出した。
◇◇◇
怒れる聖堂襲撃から二週間後。
朝からレイリアがジルダの手術をしている。
俺は廊下のソファーで祈りながら待つ。
無限とも思える時間が過ぎ、空が夕焼けに染まる。
「レイリア!」
手術室からレイリアが出てきた。
「マルディン。ジルダさんの手術は成功したわ。もう大丈夫よ」
「そうか! レイリア! ありがとう! ありがとう!」
俺はレイリアの手を取りながら、何度も頭を下げた。
「ちょっと、やめてよ! 私だってジルダさんを助けたい一心だったもの。あなたと同じ気持ちよ」
「だが、レイリアじゃなかったら、ジルダは助からなかった。お前のおかげだ」
「そんなことないわよ。ジルダさんの生きる想いよ。それはきっと……」
「そうだな。ダムラへの想いでもあるな」
それから数週間後、容態が安定したところで、ジルダはティルコアで最も大きい町立病院に移った。
レイリアの話によると後遺症はなく、術後のリハビリをしっかり行えば怪我の前と同じ状態に戻れるそうだ。
この頃になると見舞いも可能で、町の住人たちが病室に押し寄せていた。
「あら、マルディン。お見舞い?」
「ああ、ジルダの奴が暇だろうと思ってな」
ティルコアの病院でも、数日に一度レイリアがジルダを診察している。
ジルダを見舞いに来た俺は、偶然レイリアと顔を合わせた。
「ところで、マルディン。言いにくいのだけど、ジルダさんの治療費がかかるのよ。かなりの大金よ」
「まあ、そうだろうな」
「ラウカウの病院に金貨六十枚、ティルコアの病院に金貨二十枚。それに加えて、今後の入院費と治療費がかかるわ」
「お前の報酬は?」
「私は正規の報酬を受け取るから大丈夫よ。医師の報酬体系はしっかりと確立されているのよ」
「そうか。それなら安心だ。じゃあ、ジルダの治療費は金貨百枚くらいあればいいのか?」
「そうね。生活費なども考えれば、百枚は超えるでしょうね」
「いくらジルダでも、百枚は出せないだろう。まあ、別に俺が出すつもりだったからいいけどな」
「それはダメじゃない? ジルダさんが怒るでしょう?」
「いや、いいんだ。ジルダの怪我は俺の責任だ。かかった費用は全て俺に請求してくれ。ただ、ジルダにバレたくない。それとなくジルダにも請求するんだ。そうだな……金貨十枚ってとこだな」
「分かったわ。ジルダさんが落ち着いたら請求するわね」
「その金は俺にくれよ」
「あなたに? あ、なるほど、そういうことね。ウフフ。使い道が分かっちゃった」
「な、なんだよ……」
「あなたって人は本当にもう……」
「うるせーな」
「大好きよ。ウフフ」
「やめろっつーの!」
ジルダの回復が見込めたことで、俺とレイリアは心に余裕ができていた。
◇◇◇
俺はもう一度海を眺めた。
隣では、ジルダが祈りを捧げている。
「ダムラの最期の言葉は、ジルダへの感謝の言葉だ。俺はたくさんの死を見てきたが、本当に見事な最期だった」
「うん。あいつも立派なティルコアの男だったよ」
ジルダが回復してから、俺はダムラの最期を伝えた。
ベッドの上で、涙を流しながら悔しそうにダムラの冥福を祈っていたジルダの姿を、俺は今でも覚えている。
「俺たち大人がもっとあいつをケアすべきだった。今となっては後悔しかないよ」
海を眺めながら、悲しげな表情を浮かべるジルダ。
当然ながらジルダの責任ではない。
ダムラは自分の境遇を呪い、堕ちていった。
だが、それは今言うべきことではないし、今後も言う必要はない。
ダムラは命と引換えに町を守った。
それでいい。




