第177話 救いきれないもの9
「さて、今度は俺の質問に答えてくれるか?」
「なんだ?」
「改めて聞くけどよ。お前、何しに来たの?」
「目的が三つある」
「三つ?」
「怒れる聖堂の壊滅と、ビッツの処分と、ダムラの救出だ」
「そうか。そりゃ残念だったな。どれも叶わない」
イスラが俺に視線を向けたまま、ダムラを指差した。
「おい、ガキ。ダムラとか言ったか。ゲロ吐いてねーでビッツ飲め。こいつに飛び込んで抑えろ」
「なるほど、汚い手だな」
「なんだよ。やっと褒めてくれたのかよ。嬉しいぜ」
ダムラは腰が抜けたかのように、床に座り込んでいる。
「小僧! 貴様も怒れる聖堂だろうが! やれ!」
これまでニヤけていたイスラの表情が豹変した。
「ダムラ! これが犯罪組織だ! お前なんて使い捨てだ! 分かっただろ!」
「うるせーよ! 邪魔するな! 小僧! 遊びじゃねーんだぞ! やれ!」
ダムラに殺し合いなんて無理だ。
足が震え、失禁している。
その様子を見たイスラが大きな溜め息をついた。
「はあ、なんつー役立たずを雇ったんだ。雇うのだってタダじゃねーんだぞ。幹部会で吊し上げだな。あ、でもそこで死んでんのか。ちっ、めんどくせー。もういいや。全員死ね」
イスラの腕が揺れる。
「しまった!」
「ぎゃっ!」
イスラがダムラに向かって投短剣を投げていた。
胸に投短剣が突き刺さり、崩れるように倒れるダムラ。
「き、貴様!」
「やっぱ人なんて信じるもんじゃないね」
そう言いながら、イスラが何かを口に入れた。
恐らくビッツだろう。
「はあ、効くぜ。さあ、続きだ。わはは」
イスラが笑うと、人間の速度を超えて突進してきた。
俺は咄嗟に右へ飛び込み回避。
そのまま前転し起き上がると、すでにイスラは眼前に迫っていた。
「くっ!」
暗殺短剣を振り下ろすイスラ。
俺は再度、右前方へ飛び込みながら前転して避けた。
「わはは! 逃げてばっかじゃねーか!」
起き上がった直後で、まだ膝をつく俺に向かって、イスラがジャンプして飛び込んでくる。
俺はすかさず悪魔の爪を水平に振った。
だが、空中にあったはずのイスラの姿が消え、後方に下がっていた。
瞬間的に足をついて、後方へ飛び退いたのだろう。
普通はそんなことをしたら、足の腱が切れる。
身体能力の高い者がビッツを飲むと、その効果は絶大のようだ。
「んだよ。首落としって言うくらいだから、もっとすげーかと思ってたぜ。大したことねーんだな。もう死ねよ」
イスラが暗殺短剣を構えて踏み込んできた。
俺はイスラの腰の高さに糸巻きを発射。
「だから見えてんだよ!」
イスラは叫びながら、ジャンプして糸を避けた。
異常な反応速度とジャンプ力だ。
そのまま空中で膝を折り曲げ、両腕を広げながら俺に迫る。
まるで空中から地上の獲物を狙う大鋭爪鷹だ。
「そこまで高く飛べば、足はつかないだろう?」
俺はイスラを高くジャンプさせるために、あえて腰の位置を糸で狙った。
イスラの移動は厄介だが、空中に飛ばしてしまえば補足できる。
俺はその場で垂直にジャンプしながら、身体を回転させた。
そして、イスラに向かって悪魔の爪を水平に振り、回転斬りを放つ。
「クソがっ!」
首を落とすつもりで剣を振ったが、イスラは空中で身体を捻り、悪魔の爪を避けた。
驚愕の身体能力だ。
イスラが片膝と左手をついて着地。
「よく足から着地できたな」
「て、てめえ……」
少し遅れて右腕が床に落ちた。
イスラは自らの右肩に目を向ける。
すぐに自分の腕が切られたことを理解したようだ。
「こりゃ、もう生えねえか……。はあ、はあ。クソいてぇぇ」
「もう一本もらう」
俺は即座に糸巻きを操り、イスラの左腕も落とした。
イスラは片腕でも危険だ。
だが、両腕を失えば投短剣を投げることはできない。
「ぐぅぅぅぅ」
歯を食いしばり、床にうずくまるイスラ。
「はあ、はあ。ぐ、ぐぅぅ」
「夜哭の岬のことを話す気は?」
「……ないね」
「せめて剣で切ってやる」
「そりゃ、ありがたい。クソいてーんだよ。一気に頼むぜ」
イスラが歯を食いしばりながら正座して、俺に首を差し出す。
「クソ野郎だけど強かった」
「わはは! 褒め言葉ありがとう!」
俺は悪魔の爪を振り下ろした。
その場で大きく息を吸い、呼吸を整える。
「ダムラ!」
辺りを見渡すと、ダムラの姿が見えなかった。
「ちっ! あの傷で動けるのか!」
俺は血痕を追う。
◇◇◇
「はあ、はあ。ジルダさんの……言う通りだった。俺は……バカだ」
ダムラは胸に投短剣が刺さったまま、廊下を走る。
動けるようにビッツを大量に飲んだ。
ビッツは力を増幅し、感覚を鋭くする効果がある反面、痛覚も増す。
ダムラには激痛が走っている。
「ジルダさん。ごめんなさい。ジルダさん。ジルダさん」
大粒の涙を流しながら、ダムラは走った。
急がないと時間がない。
ダムラはもう先がないことを悟っていた。
階段を下り、厳重に施錠された部屋に到着。
「はあ、はあ。急げ、急げ」
落ちていた剣を握り、何度も扉に叩きつける。
慣れない剣で、手のひらは血だらけだ。
だが、ビッツによって力が増幅されたダムラは、扉を破壊した。
ここはビッツの保管部屋だ。
ティルコアを掌握するためだけではなく、生産された全てのビッツが保管されている。
「時間が……ない」
血を流しすぎて、ダムラの目がかすみ、意識が遠のく。
ダムラの命が尽きる。
ダムラは最後の力を振り絞り、廊下に置かれた篝火台に手を伸ばし、上部の鉄籠を掴んだ。
手が焼け、黒煙が上がる。
それでも構わず、鉄籠を持ったまま部屋へ入るダムラ。
「母ちゃん、ごめんなさい。ティルコアのみんな、ごめんなさい。親方、ごめんなさい」
「ダムラ!」
部屋の入口に到着したマルディン。
「ダムラ!」
「マルディンさん! 俺のせいで! 俺のせいでごめんなさい!」
「待て! やめろ!」
「ジルダさん、ごめんなさい! ジルダさん、ジルダさん、ジルダさあああん!」
ダムラは燃え盛る燃石と油が入った鉄籠を抱え、ビッツが収納された木箱に飛び込んだ。
一瞬で木箱に火がつき、激しく燃え上がるビッツ。
マルディンは全力でダムラに駆け寄る。
「くそっ!」
ダムラの身体が炎に包まれた。
マルディンは炎に向かって右腕を伸ばしたが、猛烈な炎に遮られ、ダムラには届かない。
すぐに糸巻きを発射。
だが糸に火がつき、燃え落ちた。
それでもマルディンは手を伸ばす。
防火処理を施されている革のグローブが焦げ始め、マルディンの前髪が焼ける。
「ダムラ!」
「ジ……ルダ……さ。ありが……とう……ござ……」
もう炎でダムラの姿が見えない。
部屋が炎に包まれた。
「ダムラ! ダムラ!」
どうにもならないほどの炎が回る。
これ以上ここにいると、マルディンも焼け死ぬ。
すでに肺が焼けるように熱されていた。
「くそぉぉぉぉ! ダムラァァァァ!」
◇◇◇




