第171話 救いきれないもの3
どうするか迷った瞬間、隣に立つジルダの呼吸が荒くなった。
「はあ、はあ」
「お、おい。どうした?」
「薬を……。薬をよこせ……」
「え?」
「薬をぉぉぉぉ! よこせぇぇぇぇ!」
自分の胸を掻きむしり、天井に向かって叫ぶジルダ。
ジルダが、この状況で中毒者を演じ始めた。
二人組みの売人はジルダの様子に驚いている。
「な、なんだこいつ」
俺は……、笑いを堪えるのに必死だ。
「薬漬けのおっさんかよ。あぶねー奴だな」
「た、頼むぜ。見ての通り、こいつはもう耐えられないんだよ。これで頼む」
俺は銀貨を二枚取り出し、売人に一枚ずつ手渡した。
「仕方ねーな。特別だぞ」
「ありがてー」
売人が手のひらよりも小さな革袋を取り出した。
「いくらだ?」
「五回分で銀貨一枚だ」
「そんなに安いのか」
「まあな。新薬だから、お試し期間ってやつだ」
「また頼みたい時はどうすればいい?」
「あの酒場に来い」
「分かった。それと、ダムラに会いたいんだ。あいつにも礼を言いたいんだよ」
俺はさらに銀貨を取り出し、もう一枚ずつ売人たちに渡した。
「夜になれば、この辺をうろついてるさ」
「分かった。助かるよ」
ジルダはまだ叫んでる。
「薬をぉぉぉぉ! よこせぇぇぇぇ!」
今度は頭を掻きむしるジルダ。
「おい! そのヤベー奴を早く連れてけ!」
「あ、ああ、そうだな」
俺はジルダの腕を引っ張り、廃墟を出た。
表通りに戻り、周囲を確認。
もう売人たちはいない。
「てめえ! やりすぎだっつーの!」
「俺の迫真の演技で情報が手に入ったんだ。感謝しろよ」
「ふざけんな! 笑いを堪えるのに必死だったんだよ!」
ジルダと言い合いながら宿へ戻り、俺の部屋でビッツを取り出した。
大きさは一粒五ミデルトで、見た目は白い丸薬だ。
「これがビッツか」
「こんなのが麻薬なのか?」
「麻薬にも色々なタイプがあるが、これは飲みやすいから危険だな」
「そんなもんが広まったらヤベーだろ」
「そうだな。麻薬に溺れ、人々は働かなくなり、町は衰退する。実際にそういう歴史もある」
「こ、こえーな」
ムルグスの話だと、生産工場はすでに潰したそうだ。
だが、相当な量が市場に出回っているという。
もしそれらがティルコアに入ってきて流行してしまったら、小さな町は壊滅するだろう。
だが、これが夜哭の岬の仕業なら、ティルコアを壊滅させるようなことはしないはずだ。
夜哭の岬はティルコアを牛耳ることで、マルソル内海の覇権を手に入れようとしている。
ティルコアの経済を止めることはない。
「考えても分からん。ひとまずダムラを探すか」
――
日没を迎え、点灯夫が街灯に火を灯す。
俺たちはもう一度裏通りへ向かう。
裏通りを歩いていると、二階建ての食堂を発見した。
「マルディン、この店いいんじゃないか?」
「そうだな。飯を食いながら待つか」
二階の窓際に座り、通りを眺めながら飯を食う。
「お、おい! マルディン! ダムラだ!」
「マジか! 行くぞ!」
飯を残したまま、すぐに店を出て走ってダムラを追う。
先に到着した俺が、ダムラの肩を掴んだ。
「ダムラ!」
「んだ、てめー。気安く触んな! 俺が誰だか分かってんのか?」
俺の顔を見て悪態をつくダムラ。
「はあ、はあ。ダムラ、やっと見つけたぞ」
「ジ、ジルダさん!」
ダムラはジルダの顔を見て、明らかに動揺していた。
「ダムラ、殴ったことは悪かったよ。みんな心配してるぞ。ティルコアに帰ろう」
「ちっ、うるせーな!」
「帰ってこい。お前の力が必要なんだよ」
「はあ? 下っ端のキツい仕事ばかりやらせやがって! それなのに儲かんねーしよ! 俺は金になることをやるんだ!」
「石工職人は下積みが必要なんだよ。石切り場で石の目利きを覚えるんだ。お前はこれからだ。絶対にいい職人になる。な、帰ろう」
「うるせーな! 世の中金なんだよ!」
俺は右手を伸ばし、ジルダを一旦制した。
ダムラに確認しなければならないことがある。
「ダムラ。お前、ビッツを直接売ったのか?」
「う、うるせーな! まだ客は掴めてないが……、これから売るんだよ!」
「やめるんだ。麻薬の密売は死罪だぞ」
「命よりも金なんだよ! 世の中は金だ!」
「母親のことか?」
「俺は金がなかった! だから誰も助けてくれなかったし、お袋は死んだ! だけど金さえあれば、どうにでもなるんだ!」
「そんなことはないんだ」
「うるせーな! じゃあどうして死んだんだよ!」
まだ子供だから分からないだろうが、母親の治療に関しては、町が全額負担していた。
あの区画の担当医師が、週に一度しっかりと診察していたそうだ。
母親の死は、金と関係ない。
だが当然ながら、町も貧困者の生活を全て保障できるわけではない。
それでもジルダは手を差し伸べていたし、正当な給料とは別に、自分の身銭を切って上乗せしていた。
ダムラの将来も考えていた。
もちろんジルダは、そんな恩着せがましいことは伝えてない。
そこがまたジルダらしいのだが。
「お前の環境が辛かったことは分かる。だけど、犯罪に手を染めるな」
「お前らは偉そうに言うだけで、何も助けてくれない! だけど、組織は大金をくれるんだ! ティルコアにビッツを広めれば、俺は大金持ちになれるんだよ! あんなクソみたいな町はなくなっちまえばいいんだ!」
この状況で町の対応やジルダのことを説明しても、聞く耳を持たないだろうし逆効果だ。
母親を失った復讐心を上手く利用し、洗脳されている。
間違いなく、ティルコアへ進出しようとしている犯罪組織の仕業だろう。
「おいおい、うちの若いもんに何の用だ?」
背後から声をかけられ振り返ると、黒いスーツを着た中年の男と、その取り巻きのような男が三人立っていた。
「うちの若いもんだと?」
ジルダが反応した。
「そうだ。こいつはうちの構成員だ。将来有望なんだぞ? ぐはは」
「ダムラはうちの職人見習いだ。連れて帰りたい」
「はあ? 頭狂ってんのか? 帰れ帰れ」
「そういうわけには……」
取り巻きの一人が刺突短剣を抜いた。
「殺されてーのか? あ?」
「ジルダ、ここは引こう」
ここで騒ぎを起こすと面倒だ。
俺はリーダー格の男に視線を向けた。
「なあ、あんたの組織の名前を教えてもらえるか?」
「怒れる聖堂を知らねーのか? 田舎者はこれだから困るぜ。魚くせーしよ」
「「「ぎゃはははは」」」
取り巻きたちが笑っている。
ジルダは気にせず、ダムラに視線を向けた。
「ダムラ、また来るよ。一緒に帰ろう」
「う、うるせーな! 俺は怒れる聖堂の一員だ! もう来るんじゃねえ!」
ダムラが俺に背を向け、歩き出した。
男たちがダムラを守るように、道を塞ぐ。
「おいおい、もう来んな。次にお前の顔を見たら殺す。田舎に引っ込んでろ」
「「「ぎゃはははは」」」
取り巻きの一人が、ジルダの顔に唾を吐く。
「消えろ、バカが!」
男たちはダムラの後を追って歩いていった。
「ちっ! 汚ねーな。ジルダ、宿ですぐ顔を洗えよ」
ジルダは無言でダムラの後ろ姿を眺めていた。




