第169話 救いきれないもの1
◇◇◇
「母ちゃん! しっかりしてくれよ!」
「ごめんね……。ごめんね……」
「母ちゃん!」
ベッドに横たわる女性。
大粒の涙を流すも、その目に力はなく、命の灯火が消えかけていた。
「ダムラには……何も残してあげられなかった。辛い思いばかりさせて……ごめんね」
「母ちゃん!」
「ごめん……ね」
「母ちゃん! 母ちゃん!」
女性は静かに息を引き取った。
「母ちゃん! 母ちゃん! 母ちゃん!」
ダムラと呼ばれた青年は、母親の死で深い悲しみに襲われた。
「あいつらだ。あいつらのせいで母ちゃんは死んだんだ。絶対に復讐してやる。こんなクソみたいな町、潰してやる」
それと同時に、強烈な憎悪に支配された。
◇◇◇
「さて、昼飯だ」
今日は久しぶりに、下位ランクのクエストに出た。
内容はDランクモンスター、毒大蜥蜴の討伐だ。
人手が足りないということで、Aランクの俺が駆り出された。
自惚れているわけではないが、さすがにDランク相手では苦戦しない。
朝から調査を開始して、午前中には討伐が完了した。
早々に帰宅して、俺はキッチンへ向かい湯を沸かす。
先日皇都へ行った際に、キルスから珈琲豆を貰った。
皇室御用達の高級豆で、驚くほど旨い。
「何気に、この豆を貰えたことが一番嬉しいかもな。あっはっは」
ポットの燃石に火をつけ、五杯分の量を淹れた。
明日の朝の分まで用意しておく。
珈琲は時間が経つほど味が劣化するのだが、ポットで保温しておけば一晩くらい大丈夫だ。
そして、市場で購入した飯をテーブルに並べた。
「ん? 誰だ?」
飯を食おうとしたところで、扉をノックする音が響く。
「よお、マルディン」
「なんだ、ジルダか」
「なんだはないだろう」
「どうしたんだ?」
「ちょっと話があってな」
「話? まあ入れよ」
石工屋海の石の若頭ジルダだ。
ジルダを招き入れ、テーブルにつく。
ポットで保温していた珈琲を、二つのカップに注いだ。
「おっと、昼飯か? すまなかったな」
「いや、いいよ。お前も食ってくか」
「大丈夫だ。ありがとう。しかし、Aランク冒険者様が市場で買った飯とはな。早く嫁もらえよ。レイリア先生とか、フェルリートとか、ギルドのティアーヌって娘がいるだろう? あ、ラーニャはやめとけ。あとアリーシャさんは渡さん」
「うるさいよ。そういうのはいいんだよ」
「元騎士隊長なのになあ。悲しい三十代だなあ」
「おめーもモテない独身男だろ」
「う、うるせーな! って、こんな話をするために来たんじゃなかった」
「お前が始めたんだろ!」
話題を逸らすかのように、珈琲を口にするジルダ。
「お、この珈琲旨いな」
「ああ、貰いもんだが、良い豆なんだ」
まさかジルダも、皇帝陛下から貰った豆だとは思わないだろう。
「そうだ、マルディン。新しい家の建築は順調だぞ」
「お、ありがたい。ここ最近は忙しくて、全然見に行けなかったからな」
「このまま行けば、予定通り来年の春頃に完成する。期待していいぞ」
「ああ、楽しみだよ」
ジルダがもう一度珈琲を口に含み、カップをテーブルに置いた。
ジルダはなかなか本題に入らないが、まあ話すまで待とう。
俺は珈琲カップを手に持った。
「……実はさ、うちの若い衆が、もう一週間も仕事に来てないんだ」
「仕事に来ない? どうしてだ?」
「それがその……、殴っちまったんだ」
「殴った?」
職人の世界じゃ聞かない話ではない。
師匠が弟子を殴ることはある。
軍隊でもよくあるのだが、俺はそれが正しいと思わないし、やらない。
ジルダも手が出るタイプではないはずだ。
事情があるのだろう。
「ダムラっていうんだが、まだ十八歳の若手で石切り場で修行中なんだ。真面目なんだが、その……」
「どうした?」
「……職人たちに妙な薬を売ろうとしたんだ」
「薬? 何の薬だ?」
「ダムラが言うには、元気が出て嫌なことが忘れられる。そして、集中力と筋力が上がるそうだ」
「お前、それってヤバい薬じゃねーか」
「マルディンもそう思うよな」
「それで、薬は売ったのか?」
「いや、薬はこれから手に入ると言っていた」
「ダムラの行方は分からないのか?」
「ああ、殴った翌日から毎日家に行ってるんだが、いないんだよ」
「家にも帰ってないのか……」
俺は湯気が立つ珈琲カップを口に運ぶ。
「他に何か分かってることはないのか?」
「……ないんだよ」
「若いんだろ? 友人とか仲間はいないのか?」
「あいつはこれまで、そういう環境にいなかったんだよ」
「どういうことだ?」
「実はさ、ダムラの母親は一ヶ月前に亡くなったんだ。ずっと寝たきりで、ダムラが金を稼ぎ看病していた」
「父親はいないのか?」
「あそこの父親は暴力が酷くてな。昔から飲んだくれては、母親とダムラを殴っていた。もちろん町の人で止めることもあった。だが、四六時中見張ることなんてできない。結局、母親が倒れた直後に失踪した」
「そうか……。それは辛いな」
「母親が倒れてから、ダムラが働きたいと言ってきたんだ。うちも事情を知ってるから、まだ子供だったダムラを雇ってな。正当な給与を支払った。だけど、きっと足りないだろうと思って、俺が自腹を切って毎月上乗せしていたんだ」
「そこまでしてたのか」
「ああ。あいつは筋が良い。今はまだ石切り場で修行させているが、もう少ししたら徐々に建築現場とかにも回そうと思ってる。あいつはいい職人になるぞ。それが楽しみなんだよ。はは」
ダムラを語るジルダは嬉しそうだ。
だが、悲しげな笑みにも見える。
殴ったことを後悔しているのだろう。
「母親が亡くなって、親方と俺とダムラの三人で葬儀をした。それから、ダムラにはしばらく休みをやったんだよ」
「それで?」
「休みの間に何をしていたのか分からんが、一週間前に戻ってきたんだ」
「つまり、その三週間の間にどこかで薬の話を入手して、海の石の職人に売ろうとしたんだな。で、お前に殴られて失踪したと」
「そうだ」
俺はフリッターをつまんで口に放り込んだ。
「行方が分からないなら、探すしかないだろう」
「今からか?」
「当たり前だ。もしその薬が手に入って、誰かに売っていたら……。それが麻薬だったらどうなる?」
「麻薬の販売は……死罪だ」
「そうだ。とにかく早く見つける必要がある」
俺は悪魔の爪を腰に吊るし、糸巻きを腕に装着した。
「行くぞ」
「行くってどこへ?」
「まずはダムラの家だ」
「でも、いないぞ?」
「居場所を見つける手がかりがあるかもしれないだろ」
「なるほど。冒険者はその道の専門だもんな。分かったよ」
家を出て、俺は指笛を鳴らした。
「ヒヒィィン!」
黒風馬のライールが走ってくる。
今の家は厩舎がないため放し飼いだ。
ライールの性格には合っているようで、日々走り回っている。
「ライール、頼むぞ」
「ヒヒィィン!」
俺はジルダを後ろに乗せ、ダムラの家に向かった。




