第168話 初めての皇都7
皇軍との稽古を終え、宮殿に帰還した。
俺はキルスと別れ客室へ戻る。
キルスの配慮で、一人で宮殿を歩くことを許可されていた。
通常は防犯や諜報の観点から、来賓を一人にさせることはない。
キルスの心遣いと信頼が嬉しい反面、信頼しすぎじゃないかと心配になる。
廊下を進むと、前方に知った顔が見えた。
「マルディン。稽古はどうだった?」
「お前! ムルグス!」
特殊諜報室の室長ムルグスだ。
「今頃来やがって、なんで訓練に参加しなかったんだよ」
「私は諜報室だぞ。皇軍とは組織体系が違う」
「ちっ」
「で、どうだった?」
「全員に勝ったよ」
「将軍たちが誰も勝てないとはな。信じられん」
ムルグスが俺の剣に視線を向ける。
剣の持ち込みが許されない宮殿で、俺は特別に許可されているため、布袋に入れた悪魔の爪を腕で抱えていた。
「もしかして、陛下にもか?」
「ああ、今回はキルスと真剣で戦って五戦全勝だ」
「陛下に全勝だと……」
ムルグスは、俺の顔を見つめながら驚愕の表情を浮かべている。
俺はふと、ムルグスと初めて会った時のことを思い出した。
「そういや、お前とは決着がついてないな」
「その必要はないさ。私は陛下に負け越してる。もうお前に敵わない」
「そんなことないだろ?」
「いや、色々と情報を仕入れてるぞ。それにネームド二頭の討伐など、もはや人間業ではない」
「人のプライバシーを……。嫌な奴らだ」
「それが仕事だからな。ははは」
笑い声を上げるムルグスの肩に、俺は手を置いた。
「ところで、ムルグスに聞きたいことがあったんだ。今ちょっといいか?」
「私に? どうした?」
「麻薬に関することだ。知り合いの医師から、新しい麻薬が出回っていると聞いてな」
「ああ、ビッツか」
「ビッツ?」
「医療用麻薬のウルクから作られた新麻薬だ」
「そう、それだ。何か情報を掴んでないか?」
「それに関しては、すでに出どころは掴んだ。レイべール地方の内陸部で作られていたのだが、皇軍の治安部隊が工場を壊滅させたよ」
「動きが早いな」
「ああ、麻薬が流行すると最悪国家が傾くからな。しかし、すでに製造済みの麻薬は市場に出回った。量に換算すると、大都市でも消費に数年はかかるほどだ」
「それほどか……。取り扱っている組織は判明したのか?」
「夜哭の岬との繋がりを気にしてるのか?」
「そうだ。奴らはティルコアを狙っているからな」
ムルグスが腕を組み、小さく息を吐いた。
「それがな、製造工場だけしか掴めず、関連組織や背後関係まで届かなかったんだ。巧妙に隠蔽されていた」
特殊諜報室でも掴めないとなると、相当用心深い組織なのだろう。
「なあ、ムルグス。麻薬を根絶やしにすることはできないものなのか?」
「難しいな。こればかりは後手に回る。仮に根絶させても、必ずまた新しい麻薬が出る。それは犯罪組織も同じだ。人がいる限り、犯罪は絶対になくならない。国家としては法を整備し、厳しく取り締まる。我々は早期に発見し、対処していくしかないんだ」
「そうだな。俺も協力するよ」
「ああ、頼む。麻薬の件はティルコアも同じ地方だし、無関係では済まないはずだ。情報が入り次第連絡する」
「分かった」
「それと、お前の仕事がしやすい環境は整える」
「環境? なんだそれ?」
「まあ任せておけ」
ムルグスが俺の肩を叩く。
「明日には帰るんだろう? 皇都最後の夜を楽しんでくれ。ははは」
「お、おい!」
ムルグスは笑いながら廊下を進んでいった。
「ちっ。なんだってんだ……」
ムルグスに背を向け、俺は部屋に戻った。
――
夜はキルスとファステル、俺とフェルリートの四人で食事だ。
場所はキルスの部屋で、完全にプライベートな空間らしい。
「おお、凄い料理じゃないか。これは誰が作ったのだ?」
キルスが料理を見て驚いている。
「なるほど、これがエマレパ本来の食事か」
俺は料理が置かれている場所に驚いた。
床に敷かれたカーペットに、いくつもの料理が並べられている。
元々エマレパ皇国は、床で食事をする文化だという。
しかし、数十年前から近代化が進み、今では庶民でもテーブルを使用する。
宮殿でもテーブルを使用するのだが、皇帝の自室のみ、この文化を継承しているそうだ。
ファステルとフェルリートが飲み物を用意してくれた。
「今日の夕飯はフェルリートと一緒に作ったのよ。ね、フェルリート」
「はい! キルス様が褒めてくださったメニューと、マルディンが好きな料理を作りました」
フェルリートはいつの間にかファステルと仲良くなったようだ。
ファステルは、フェルリートを妹のように可愛がっている。
皇后と姉妹なんて失礼ではあるが、俺にはそう見えた。
「さあ、では食べようではないか。我々の友情に乾杯!」
「「「乾杯!」」」
キルスの掛け声で小さな宴会が始まった。
フェルリートの料理はいつもと同じ味で旨い。
そして、ファステルの料理は驚くほど庶民的で素朴な味だが、懐かしさを感じる旨さだった。
「うむ、フェルリートの料理は旨いぞ」
「ちょっとキルス。フェルリートの料理『も』でしょ!」
「ファステル様のお料理は美味しいです!」
「どれも旨いさ。あっはっは」
国を追放された時の俺は、国家や権力に嫌気が差したことで、実力を隠しながら日銭を稼ぎ、のんびりと自分のためだけに生きていこうと考えていた。
それが今や、他国の皇帝と友人のように飯を食っている。
「人生どうなるか分からんな。あっはっは」
「なに笑ってるの?」
フェルリートが大きな瞳で、不思議そうに俺を見つめていた。
「ん? この国に来て良かったって思ってたんだ」
「ふふ。私もマルディンが来てくれて嬉しいよ」
「そ、そうか」
今日のフェルリートはいつもと違う。
きっと化粧をしているからだろう。
窓から入り込む心地良い風が、フェルリートの金色の髪を優しく揺らす。
「フェルリート」
「なあに?」
「今日は……。いや、なんでもない」
「変なマルディン。ふふ」
娘のように思っていたフェルリートが、少しだけ大人に見えた。
「ほら、マルディン飲むぞ。良い葡萄酒を開けたんだ」
「おいおい、それってマジで良い銘柄じゃねーか!」
「私も今日は少し飲もうかしら」
「わ、私もいただきたいです」
本当に友人の家に遊びに来た感覚だ。
これもキルスの人柄なのだろう。
「マジで変な君主だな。あっはっは」
その後も良い酒を飲みながら、皇都最後の夜を楽しんだ。
――
翌朝、宮殿の見送りを受け、俺とフェルリートは馬車に乗り込んだ。
帰郷のためにタルースカ空港へ向かう。
別れ際に、俺はキルスから稽古の報酬として金貨百枚を渡された。
多すぎると伝えたが、歴戦の将軍たちにとって、今回の敗北は得難い経験になるそうだ。
それはキルスにとっても同じで、新たな発見があったという。
そして、また稽古に参加するように依頼された。
まだ足りないのかと思いつつも、友人の家へ遊びに行くと考えたら悪くない。
隣に座るフェルリートに目を向けると、馬車の窓から皇都の街並みを眺めていた。
名残惜しそうだ。
「フェルリート、初めての皇都はどうだった?」
「うん、楽しかったよ」
「そうか。良かったな」
「ファステル様が優しくしてくれてね。お料理を教わって、お化粧も習ったの」
「なるほど……」
今日のフェルリートは薄く化粧をして、香水をつけている。
普段のフェルリートは、料理に匂いがつかないように気を使い、香水を一切つけない。
だが、仕事のない日くらい、若い娘らしくお洒落を楽しむべきだ。
俺は昨日フェルリートに言いそびれた言葉があった。
「フェルリート、綺麗だぞ」
「え? あ、ありがとう」
顔を赤らめ、うつむくフェルリート。
「マルディン……、今回は本当にありがとう」
「楽しんでもらえて何よりだ」
「でも、なんだかマルディンって違う世界の人みたいだった。私には遠い人って感じだったな……」
「何言ってんだ。元騎士でああいう場に慣れてるだけだ。今はティルコアに住む田舎の冒険者だぞ」
「じゃあ、ずっとティルコアにいる?」
「もちろんだ。それより、お前こそ何人もの貴族に声をかけられてただろう? また会いたいとか言われたんじゃないか?」
「う、うん。言われた……。会いに行くって……」
「いいじゃないか。貴族に嫁入りなんて。ファステル様だって庶民から皇后になったんだぞ?」
「私はいいの! もう! マルディンのバカ!」
フェルリートが俺の腕を掴んできた。
「ずっとマルディンと一緒にいるもん!」
「まあ嫁に行くまでは俺が責任を持って守るさ。あっはっは」
「はあ? 嫁になんて行きませんけど!」
頬をふくらませるフェルリート。
「いやいや、ダメだろ」
「行きません!」
怒ったフェルリートは、俺の腕を何度も叩く。
「マルディンのバカ!」
「あっはっは」
その手が止まり、フェルリートが俺の顔を見上げた。
「ねえ、マルディン。私……また氷食べたいな」
「そうか、気に入ったか。じゃあ、今度は氷と雪を見に行くか」
「うん!」
フェルリートにとって、初めての皇都は良い経験になっただろう。
また機会があれば、この娘に世界を見せてやりたいと思った。
空港に到着し、飛空船に乗り込んだ。
朝日を浴びながら飛空船は西に向かう。
徐々に遠くなる皇都を、俺たちはいつまでも眺めていた。




