第160話 最後の晩餐4
いくつかの木々を移動しながら、罠の近くにある海緑樹の枝に向かって糸巻きを発射。
枝の上に着地し、気配を消した。
ラーニャも見事に気配を消している。
空が赤く染まると、徐々に東の空から闇が迫る。
昼と夜が同居する僅かな時間帯。
俺はこの空の色が好きだった。
完全に日没を迎え、夜が訪れる。
だが、晴れ渡った夜空は、月明かりと満点の星で森を照らすため目視が可能だ。
「来たか?」
その時、モンスターの気配を感じた。
吊るした茶毛猪に飛びつく影。
「ちっ! 闇翼鼠か」
現れたのは、Cランクモンスターの闇翼鼠だった。
手足に翼のような膜を持ち、高所から滑空して獲物を狙う獰猛な肉食モンスターだ。
放っておくと、闇翼鼠に茶毛猪を食べられてしまう。
俺は闇翼鼠を始末するため、枝から飛び降りようと糸巻きを構えた。
「ギャッ!」
闇翼鼠が小さな悲鳴を上げて、地面に崩れ落ちる。
「ラーニャか」
俺よりも遠い位置で待機しているラーニャが、たった一矢で闇翼鼠を仕留めた。
「マジですげーな」
単眼鏡を取り出し覗いてみると、正確に眉間を射抜いていた。
俺がこれまで見た射手で、ラーニャは最も腕が良い。
「ラーニャ、よくやったぜ」
茶毛猪に加えて闇翼鼠の死骸まで放置されれば、間違いなく大爪熊は来るだろう。
大爪熊の嗅覚は鋭く、数キデルト先からでも血の匂いを感じ取るという。
しばらく待機すると木々が揺れ、葉が擦れる音が聞こえてきた。
音は徐々に大きくなる。
細木をへし折りながら、進んでいる音だ。
「来たか」
まだ距離があるというのに、大爪熊の姿がハッキリと確認できた。
それも信じられないほどの巨体だ。
トレファスが言っていたように、六メデルトはある。
立ち上がって腕を伸ばせば、十メデルトは到達するだろう。
大爪熊はそのまま餌の前まで進んだ。
茶毛猪と闇翼鼠の匂いを嗅ぐ。
そして大爪熊は立ち上がり、周囲の匂いを嗅ぐ仕草を見せる。
かなり用心深いようだ。
その瞬間、大爪熊はラーニャが待機している方向へ走り出した。
「グゴオォォォォ!」
「ラーニャ!」
大爪熊の走るスピードは、瞬間的に黒風馬と並ぶ。
しかもあの巨体なら、ラーニャが乗っている枝に大爪が届く。
いや、もしかしたら大木ごとへし折るかもしれない。
俺はラーニャがいる方向の木に向かって糸巻きを発射し飛び出した。
空中で糸を巻き取り、再度別の枝に向かって糸巻きを発射。
「ラーニャ! 飛び降りろ!」
大爪熊は完全にラーニャを狙っている。
次の瞬間、ラーニャが乗る大木は大爪熊の大爪によって木っ端微塵に砕かれた。
「ラーニャ! ラーニャ!」
大爪熊が足元に転がった破片を見つめている。
「くそっ! ラーニャ!」
「マルディン!」
ラーニャの姿を発見。
攻撃の直前で、枝から空中へ飛び出していたようだ。
「今助ける!」
俺は近くの木の枝に糸巻きを発射し、ラーニャを空中で抱きかかえた。
「大丈夫か!」
「ええ、突然襲ってきて何もできなかったわ」
俺たちは、そのまま地面に着地。
「グゴオォォォォ!」
咆哮を上げた大爪熊が迫ってくる。
俺はラーニャを抱きかかえたまま、再度糸巻きを発射。
まずは一旦距離を置き、体勢を立て直したい。
枝から枝へ、空中を移動する。
すると、俺に抱きかかえられながら、ラーニャが弓を構えた。
「お、おい!」
「眉間を狙うわ!」
「無理だろ!」
糸巻きで空中を飛び回っている上に、大爪熊は暴れながら俺たちを追っている。
こんな不安定な状況では、標的に当てるどころか弓を射ることすら不可能だ。
「大丈夫よ!」
ラーニャが発射した矢は、宣言通り大爪熊の眉間を撃ち抜く。
「グゴオォォォォ!」
だが、大爪熊の頭部は矢を弾き返した。
やはり体格に合わせて、毛皮も相当厚くなっているようだ。
「矢が刺さらないわ!」
一旦枝に飛び乗った俺たち。
大爪熊は無傷のまま、もう眼前まで迫っていた。
「くそっ!」
大爪熊が大爪を振り上げる。
「掴まれ!」
ラーニャを抱えながら糸巻きを発射し、枝から飛び降りた。
「グゴオォォォォ!」
大爪熊の大爪が俺の腕を抉っていく。
「ぐっ!」
「マルディン!」
そのまま振り下ろされた大爪は、俺たちが乗っていた大木をたった一撃で粉砕。
森に爆発音が鳴り響いた。
「マルディン! 大丈夫!」
着地と同時に、俺は腕を確認。
相当な衝撃を感じたが、腕鎧には傷一つない。
「大丈夫だ。なんともない」
「凄い鎧ね」
「ああ、ローザの鎧に助けられたよ」
この鎧がなければ、腕一本失っていた。
それほど、あの大爪熊の大爪は脅威だ。
大木をことごとくなぎ倒していく。
しかし、距離をおいたことで、大爪熊も一旦様子を見ているようだ。
俺は大爪熊に視線を合わせる。
この視線を外すと、襲いかかってくるだろう。
「ラーニャ、下がれ」
「ど、どうするの?」
「一旦距離を置けばもう大丈夫だ。俺が始末する」
「分かったわ。ごめんなさい」
弓が通用しないことを悟ったラーニャは、俺の邪魔をしないように撤退に応じてくれた。
「お前、マジで凄かったよ」
「もうバカ! こんな時に!」
ラーニャが俺の背中を軽く触れた。
「死なないでよ!」
「縁起でもないこと言うな!」
俺は鞘から悪魔の爪を抜く。
「行け!」
ラーニャはすぐに後方へ走り出した。
逃げるものを追う習性がある大爪熊は、ラーニャに反応する。
狙い通りだ。
「グゴオォォォォ!」
大爪熊が咆哮を上げながら迫りくる。
俺はラーニャを隠すように、大爪熊の正面に立つ。
大爪熊は突進しながら、右の大爪を大きく振り上げる。
その瞳は怒りに満ち溢れていた。
「みんな生きるのに必死なんだ」
俺は大爪に向かって糸巻きを発射。
即座に巻き取り、大爪熊の頭上に身体を浮かせた。
「すまない」
そして、大爪熊の頭部に向かって、悪魔の爪を振り下ろす。
俺の落下とともに、悪魔の爪は大爪熊の身体の中心を通り抜けていく。
何の抵抗も感じずに、俺は着地した。
「グゴ……ォォ……」
剣を鞘に収めると同時に、大爪熊の身体が左右二つに別れ、木々をへし折りながらゆっくりと倒れた。
二つに別れた身体が、地面を揺らす。
「マルディン! 怪我は!」
ラーニャが駆け寄ってくる。
「大丈夫だ。問題ない。なんとか討伐したよ」
「この巨体の大爪熊を両断するなんて……。信じられないわ」
「ローザの剣だからな」
「それにしたって……、凄すぎるわよ……」
ラーニャは驚愕の表情を浮かべながら、大爪熊の死骸に近づく。
「これほど巨体の大爪熊は見たことがないわ」
「死骸はどうする?」
「ギルドへ帰還したら、すぐに回収の手配をするわ。これほどの大物だもの。研究機関で研究することになるわね」
「分かった」
俺とラーニャは、大爪熊の死骸を見つめる。
二人とも、まだ終わってないことを知っていた。




