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第156話 独身おっさんの決意

「じゃあ、マルディン。シャツを脱いで」

「はい。レイリア先生」

「もう、冗談はいいから早く脱いで」


 俺はレイリアの前でシャツを脱いだ。


「いい筋肉の付き方ね。最近はもう痛くないでしょ?」

「ああ、そうだな。自分でもだいぶ強くなったって分かるよ」


 俺は月に一度、レイリアの診療所で身体を診てもらっていた。

 さらに、お互いの知識や経験から、怪我をしないためのトレーニング方法を研究している。

 秋頃からその成果が現れ、慢性的だった腰の痛みは綺麗に消えた。

 そして、糸巻き(ラフィール)を多用しても耐えられるほどの、強靭な身体を作り上げた。


「でも無理はしないでよ? あなたは身体を酷使しすぎるんだから」

「ああ、気をつけるよ」


 そうはいっても、命がけの戦いで無理をしないなんて、それこそ無理な話だ。


「本当に? あなたってそういう約束は守らないもの。自分の身体よ? 大切にしなさい」

「ちっ。お見通しかよ。でもな、男にはやらなきゃいけない時があんだよ」

「はいはい。町の騎士様だものね。ウフフ」


 レイリアは机に向かい、診療録に診療結果を記入している。

 俯いた顔に髪が落ちると、左手でそっと耳にかけた。

 何気ない仕草だが、その美しい横顔に思わず息を飲む。


「なに見てるの?」


 レイリアがペンを止め、俺に視線を向けた。


「い、いや、別に見てねーし」

「ふーん。私に見惚れちゃった?」

「そ、そんなわけねーだろ!」

「そうなの? 本当に? 騎士様は嘘つかないわよ?」

「くっ。……き、綺麗だと……思ったさ。一瞬な。一瞬だけだぞ」

「ウフフ。嬉しいわ。ありがとう」


 笑いながら、レイリアは診療録に視線を落とし記入を続けた。


「なあレイリア、話があるんだよ」

「なあに?」

「今度、フェルリートと皇都へ行くことになった」

「フェルリートと皇都へ? 何しに行くの?」

「宮殿に招待されてな。感謝状が出るらしい」

「へえ、凄いじゃない。あなたは何度も町を守ってくれたものね。楽しんで来なさいよ」

「ああ、ありがとう」


 診療録を書き終えたレイリアが、机を片付け始めた。


「わざわざ、報告してくれたのね。ウフフ」

「報告ってわけじゃないが、その……年頃の娘とだな……」

「フェルリートは行きたいって言ってるんでしょう?」

「ああ、そうだ」

「じゃあ、いいじゃない。問題ないでしょ?」

「まあそうだな」

「ん? あー、そういうことね。私、別に嫉妬なんてしないわよ?」

「い、いや、そんなつもりじゃ……」

「それにね」


 書類を整理し終えると、レイリアが俺に身体を向けた。


「フェルリートは小さい頃に両親を亡くしてるでしょう」

「そうだったな」

「周りの大人たちや私たちが協力したとはいえ、大変な苦労があったはずよ。あの娘は色々なことを我慢して生きてきたのに、あんなに素直に育って……」


 涙ぐむレイリア。

 ハンカチで目頭を抑えた。


「フェルリートは旅行なんてできなかった。この町以外を見たことがないの。だから、たくさん経験して欲しいのよ」

「そうか」

「マルディンが来て、あの娘は本当に明るくなったもの。本当にマルディンのおかげよ」

「そ、そんなことないさ」


 レイリアが立ち上がり、ポットの珈琲を淹れてくれた。

 机に湯気の立つカップを二つ置く。


「私もマルディンに話があるのよ」

「話?」

「これを見て」


 レイリアが机に小さな瓶を置いた。

 透明の瓶の中には、黒くて小さい丸薬が入っている。


「これは?」

「ウルクという医療用麻薬よ。鎮痛、陶酔、快楽、多幸感をもたらすのよ」

「医療用か。ということは……」

「そうね。末期の患者さんに処方するわ」

「これがどうかしたのか?」

「先日、イレヴスで医療学会が開かれて、周知があったのよ。このウルクを元にした新しい麻薬が作られて、いくつかの街ではすでに出回っているそうなの」

「新麻薬か。また厄介なものが……」

「即効性があって、中毒性が非常に高いそうよ。ティルコアで麻薬が出回ったことはないから、もしこれが入ってきたらどうなるか分からないわ」

「分かった。気をつけるよ」

「町長には伝えたわ。町の各ギルドにも、これから周知されるはずよ」


 レイリアが立ち上がり、白衣を脱いだ。


「さて、今日はもう終わりだから、うちで夕飯食べていきなさいよ」

「いいのか?」

「ええ、今日は父が釣りに行ってるから、きっと良い魚を釣ってくるわよ。そろそろ帰ってくるわ」

「アラジなら期待できそうだな」

「冬の魚は身が引き締まって美味しいわよ」


 診察室を出て廊下を進むと、居住用の玄関の扉が開く音が聞こえた。


「おーい! レイリア! 帰ったぞ」


 アラジの声だ。


「あらあら、ちょうど帰ってきたわね。見に行くわよ」

「何釣ったのかな。棘白鯛(トルグス)なら嬉しいけどな」

棘白鯛(トルグス)なんて高級魚じゃない」

「アラジなら釣るだろ?」

「そうね、釣りの腕は衰えてないもの。ウフフ」


 レイリアと一緒に、アラジを迎えに行った。


 ――


 翌日、俺は調査機関(シグ・ファイブ)に顔を出した。


「ティアーヌはいるかい?」

「あ、マルディンさん。おはようございます」


 一人の女性職員が対応してくれた。


「ティアーヌさんは今、出張で本国へ行ってます」

「そういや、調査機関(シグ・ファイブ)の支部長会議があるって言っていたな」

「はい、仰る通りです」


 ティアーヌに麻薬に関して確認したいことがあったのだが、不在ならば仕方がない。


「分かった。すまなかったな。ありがとう」

「あの、私で対応できることなら、何なりと仰ってください」

「ああ、ありがとう。そうだな、……麻薬に関する周知は出たか?」

「はい。昨日、ラーニャ支部長から伺いました」

「そうか。調査機関(シグ・ファイブ)の対応は?」

「すでに調査を開始しています」

「さすがだな」

「他の調査機関(シグ・ファイブ)支部とも連絡を取り合っているので、情報が入り次第、マルディンさんにはお伝えします」

「ありがとう。よろしく頼むよ」


 職員に礼を伝え、俺は調査機関(シグ・ファイブ)を後にした。

 すでに調査機関(シグ・ファイブ)が調査しているのであれば安心だ。


「麻薬か……」


 騎士時代、俺たち隊長クラスは、戦場で常に麻薬を携帯していた。

 助からないほどの大怪我を負い、苦しむ者たちに飲ませるためだ。

 飲んだ者たちは静かに死んでいく。

 戦場で激痛に苦しむ者たちにとって、麻薬は救世主だった。


 だが、これを日常で使用すると、待っているのは破滅しかない。

 身体も心も麻薬に侵されて、最終的には廃人になり死んでいく。


 何より麻薬は犯罪組織の大きな収入源だ。


「ティルコアを狙う犯罪組織と関連性は分からんが、可能性はある」


 俺が以前壊滅させた犯罪組織の背後には、夜哭の岬(カルネリオ)という巨大な犯罪組織がいた。

 夜哭の岬(カルネリオ)は、マルソル内海最大の犯罪組織で海賊だ。

 

 ここ数ヶ月、夜哭の岬(カルネリオ)の動きは見られない。

 もしかしたら、ティルコアを諦めた可能性もある。

 それならこの心配は杞憂で終わるだけだが、奴らがこのティルコアを諦めるとは思えない。


 俺は港へ足を運んだ。


「いつ見ても綺麗な海だ。この海は絶対に守る」


 翠玉色の海を眺めていると、堤防に釣り人を見かけた。

 見たことがある顔だ。


「ん? あれは?」


 俺は釣り人に近づき、そっとバケツを覗いた。

 海水しか入ってない。


「今日もダメか?」

「なんじゃ、マルディンか」

「もしかして昨日の償いか? それにしては釣れてないようだがな。あっはっは」

「ぐっ。こ、この季節は難しいんじゃ」

「なんだよ、漁師のくせに言い訳か? あっはっは」

「み、見ておれ」


 昨日のアラジはまさかの釣果なしで、一匹の魚も釣れず帰宅した。

 高級魚を期待していた俺とレイリアは、腹がよじれるほど笑ったものだ。


「今日こそお主に棘白鯛(トルグス)を食べさせてやる!」

「無理すんなよ」

「お主、今日も家で飯を食っていけ」

「別にいいけどさ。だったら、俺が港の市場で買ってやるって。あっはっは」

「き、来たぞ!」


 アラジの竿が大きく曲がる。


「この引きは、まさしく棘白鯛(トルグス)じゃぞ!」

「マジか! いいぞ!」

「調子のいい奴め!」

「頼む! 釣ってくれ!」

「言われるまでもない! これが! ティルコア漁師の力じゃああ!」


 アラジが竿を大きく振り上げると、海面から姿を現した白い魚が宙を舞う。

 太陽の光が反射し、鱗が輝く。


 超大物の棘白鯛(トルグス)だ。


「今日の夕飯じゃ!」

「よっしゃー! いいぞ、アラジ!」

「見たか! マルディン!」

「見事だ! さすが一流の元漁師だ!」

「ふぉふぉふぉ、そうじゃろそうじゃろ」

「今日は刺身祭りだぜ! 酒買って帰ろうぜ。あっはっは」


 やっぱり、この町は最高だ。

 俺は何があろうと、絶対にティルコアを守り抜く。


 改めて、そう決意した。

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