第147話 東方から来た男5
町を出てしばらく進むと馬車は停車し、御者が扉を開けてくれた。
「足元にお気をつけください」
「ありがとう」
外へ出ると潮の香りが鼻をくすぐり、心地良い海風を感じる。
だが、目の前に見えるのは壁だ。
「え? な、なんだ?」
恐る恐る視線を上げると、巨大な飛空船が停泊していた。
「デ、デカい! こ、これが獅子の双翼か!」
エマレパ皇国の旗艦、皇帝陛下専用機の獅子の双翼。
大型船サンシェル級の四階建てで、船体の薄黄色はエマレパ皇国特有の砂岩と同色。
側面にはエマレパ神話に登場する、翼を持った獅子が彫刻されている。
「こりゃ美しいな」
以前見たギルマス専用機、悠久の冒険者を凌ぐ大きさだ。
「それにしても、デカすぎんだろ。ラミトワに見せてやりたかったぜ」
もしこの場にラミトワがいたら、喜びのあまり泡を吹いて倒れただろう。
獅子の双翼の一階にある乗車扉が開くと、幾人もの従者が下船。
列を作り、一斉に跪く。
この光景を見ると、キルスは本当に皇帝だと実感する。
次に獅子の双翼の後部ハッチがゆっくりと開く。
ムルグスとキルスが馬車から降車すると、馬車はそのまま獅子の双翼に乗船した。
「馬車ごと収納するのかよ。すげーな」
その馬車と入れ替わる形で、従者が一頭の黒風馬を連れて降りてきた。
「ん? 黒風馬?」
キルスが俺の肩に手を乗せてきた。
「この馬は、この国で最も速い黒風馬の血統だ。生後一年。もう乗馬可能だ」
「なんという美しい黒風馬だ……。自慢か? あっはっは」
黒く光る美しい毛並み。
長いたてがみが、海風に吹かれて優雅になびく。
背中には見事な装飾を施された鞍もある。
「お主は元騎士だろう? 馬がなくてどうする。この黒風馬を送る。鞍は宮殿の職人による特級品だ。宿泊代だと思ってくれ」
「お、おいおい。これほどの黒風馬を? い、いいのか?」
「もちろんだ。これで町へ帰るがよい」
「分かった。ありがたく頂戴するよ」
どうせ断ることはできないのだから、素直にいただくことにした。
それに、正直なところ嬉しい。
「ブルゥゥ」
黒風馬が俺の顔を見つめながら、頭を上下に振った。
挨拶してくれている。
「陛下。では参りましょう」
ムルグスがキルスに向かって一礼した。
そして顔を上げ、俺に視線を向ける。
「マルディン。皇都で会おう」
「ああ、近々伺うよ。よろしくな」
ムルグスと握手を交わす。
続いて俺は、キルスに略式の礼式を行った。
「陛下。お気をつけてお帰りください」
「なんだその口調は。お主とは友だ。それは今後も変わらん。わははは」
「ちっ。最後くらいはカッコつけさせてくれよ。あっはっは」
「わははは。またな。マルディン」
俺はキルスと固い握手を交わした。
キルスが乗船すると、獅子の双翼がゆっくりと上昇する。
俺と黒風馬は、その様子を眺めていた。
「ぶっ! なんだよ、お前。口が開いてんぞ。あっはっは」
隣りにいる黒風馬の顔を見ると、上空に顔を向けながら口を開けていた。
黒風馬でもこの光景は驚くのだろう。
「ブルゥゥ!」
「いてっ!」
黒風馬が鼻で俺を小突いてきた。
「おっ、空中停止したぞ」
「ブルゥゥ」
獅子の双翼が上空で旋回。
東の皇都へ向かってゆっくりと出航した。
「行っちまったな」
「ブルゥゥ」
「なんていうか……。マジで変な皇帝だったな。あっはっは」
「ブルゥゥ」
「でも……」
東から来た男は、気持ち良いほど豪快で、恐ろしく強くて、尊敬できる君主だった。
「さて、行くか」
俺は黒風馬に跨った。
「さあ、行こう。お前に名前をつけなきゃな」
「ヒヒィィン!」
反応を確かめるように手綱を取る。
黒風馬は、俺の意思を汲んでいるかのように機敏に動いてくれた。
「なんという良い馬だ。キルスに感謝だな」
「ブルゥゥ」
「せっかくだし、飯でも食ってくか」
「ヒヒィィン!」
俺は速度を上げた。
「こ、これは!」
力強く大きな歩幅は、通常の馬よりも数倍はあるだろう。
空中で伸びる手足は、まるで空を飛んでるような感覚だ。
海風と一体化したかのような走りに、あるはずのない翼が見えた。
「よし、お前の名はライールだ!」
「ヒヒィィン!」
名前の意味は、祖国の古い言葉で『翼を持つ者』という。
どうやら気に入ってくれたようだ。
――
ギルドに到着した。
まずはライールと厩舎に向かう。
「マルディンさん!」
ギルド職員が俺に気づいた。
「その黒風馬、どうしたんですか?」
「貰ったんだよ」
「貰ったって……。これ、相当良い馬ですよ?」
「ああ、命がけの仕事だったんだ。その報酬だよ。あっはっは」
「はは、相変わらずですね。飼葉でいいですか?」
「ああ、頼むよ」
ライールから下馬し、そっと顔を撫でた。
「ブルゥゥ」
「ライール。また後でな」
ギルド職員にライールを預け、ロビーへ移動。
すると、廊下を歩くパルマの姿を見かけた。
「よう、パルマ!」
「お、マルディン! いいところに来てくれたな!」
「どうした?」
「あのリースって冒険者が、クエスト報酬を全部置いてったんだよ」
「置いてった?」
「ああ。フェルリートの飯が美味かったからって、全部渡してくれって」
「あ、あいつめ……」
「それとは別に、香辛料のレシピ代と言って、この革袋も置いていったんだ」
クエスト報酬とレシピ代。
二つの革袋を持つパルマ。
「どうする?」
「どうするも、そう言ってたんならフェルリートに渡せばいいだろう?」
「合計で金貨二十枚だぞ?」
「なっ! そ、そりゃ、大金だな。だけど、本人の希望なんだから渡せばいいさ」
ちょうどフェルリートが通りかかったので、事情を説明した。
「え! そんな大金もらえないよ! 確かにレシピの代金を払うとは言ってたけど、断ったんだよ?」
「まあ、いいんだよ。もらっておけ」
皇帝すら感動させるフェルリートの飯だ。
フェルリートには言えないが、誇っていい。
「それにさ、リースはもしかしたら、どこかの大富豪かもしれないだろ? あっはっは」
大富豪どころか皇帝だ。
この国で最も裕福なのではないだろうか。
「あの人、そんなお金持ちには見えなかったけどなあ」
「ぶっ!」
俺は思わず吹き出した。
「そうか。見えなかったか。あっはっは」
「でも、凄く優しい人だったよ」
「そうだな。いい奴だよ」
フェルリートが腕を後ろで組み、俺の顔を見上げている。
「ところで、マルディン。今日はどうしたの?」
「ああ、お前の飯を食いに来たんだ」
「ほんと? じゃあ、作るね。何食べたい?」
「噂の香辛料を使ってくれ。金貨二十枚の価値があるからな」
「もう! バカにして!」
「いてっ」
フェルリートが背中を叩いてきた。
そのまま俺とフェルリートと食堂へ移動。
水角牛のとろけるカレーと、茶毛猪の香辛料の漬け焼きを作ってくれた。
キルスに出したメニューだという。
やはりフェルリートの飯は旨い。
キルスが唸るもの頷ける。
「マルディン。珈琲飲む?」
「ああ、いただくよ」
俺は食後の珈琲を飲みながら、皿を洗うフェルリートの顔を見つめた。
「フェルリート。大金を貰ったことだし、たまには旅行でも行ったらどうだ?」
「えー、でも仕事があるもん」
「休めばいいだろ? 夏休みだって、結局働いたじゃないか」
「うーん、だけど一人で旅行は怖いよ。マルディンが一緒に行ってくれる?」
「え? 俺はこう見えて忙しいからなあ」
フェルリートの手が止め、俺に視線を向けている。
目を細め、不審者を見つめるような目つきだ。
いつもの大きな瞳は見る影もない。
「そういえば、皇都のサーカスに連れて行ってくれるって言ったよね? 覚えてる?」
「そ、そうだったな。まあ、いつかな」
「はああ」
フェルリートが大きな溜め息をついた。
「マルディンのいつかって、本当に来るのかあ。何十年後なのかなあ。私、お婆ちゃんになっちゃうなあ。騎士って約束守らないのかなあ」
フェルリートが天井を見つめて呟いている。
「うっ。じゃあ……。今年中にでも……」
「ほんと! 約束だよ! 約束だからね!」
「ああ、約束だ。皇都へ行こう」
「やったー!」
飛び跳ねて喜ぶフェルリート。
タイミング良くキルスに皇都へ招待されてるし、フェルリートを連れて行こう。
「フェルリート。リースは皇都本部所属の冒険者だぞ?」
「あ、そうか! ちゃんとお礼したい!」
「そうだな。じゃあ、リースにも会いに行くか」
その時に、フェルリートはキルスの正体を知ることになる。
フェルリートの驚く顔が、少し楽しみでもあった。




