第144話 東方から来た男2
「おい、マルディン。どこへ連れて行くんだ?」
「もう少しだ」
「なんなんだ一体。ったく」
俺はリースを連れて、カーエンの森に作ったトレーニング場へ向かった。
「ここでいいだろう」
「なんだ、ここは?」
周囲を見渡すリース。
俺が一人で開拓したこの場所には、森の木々で作った様々なトレーニング器具が並んでいる。
「さて……」
「おい、マルディン」
俺はリースの正面に立つ。
「な、なんだ? どうした?」
怪訝な表情を見せるリース。
俺は構わず、その場に跪いた。
「これまでのご無礼をお許しください。キルス皇帝陛下」
「なっ! 貴様っ!」
この目の前にいるのは、エマレパ皇国の皇帝キルス・ハモン・エマレパ、その人である。
影武者などではなく、正真正銘の皇帝陛下だ。
俺が正体を知っていたことで、明らかに動揺している。
「貴様がなぜ知っているのだ!」
「今の時代は色々と情報が入るんです」
俺は昨日、調査機関のティアーヌに呼び出されていた。
◇◇◇
繁華街の裏路地にある調査機関を訪れると、焦った表情で俺に駆け寄るティアーヌ。
いつも冷静なティアーヌが、これほど焦っている姿は初めて見た。
「マルディンさん! ちょうどいいところに来てくれました!」
「なんだ? どうした?」
「お呼びしようとしていたところだったんです! 大変なことになりました!」
「大変なこと?」
「はい」
ティアーヌが俺の耳元に顔を近づけた。
「エマレパ皇国を揺るがす内容です」
「皇国を? ど、どういうことだ?」
「地下室へ行きましょう」
俺たちは地下室へ移動した。
ここは以前、ティルコアに進出しようとしていた犯罪組織のアジトだったが、今は綺麗に修繕され、大量の書類が並べられている。
この地下室に来るということは、職員にも聞かせることができない内容なのだろう。
「皇都の特殊諜報室から、マルディンさんに伝えて欲しいと情報提供があったんです」
「特殊諜報室から?」
「はい。それも室長ムルグス殿の名前です」
特殊諜報室とは、エマレパ皇国の諜報機関だ。
その室長であるムルグスは、以前この地を訪れている。
お互いの勘違いで剣を交えたが、タイミングよく現れたウィルのおかげで誤解は解け、今では友人関係になっていた。
「で、内容は?」
「その……皇都の宮殿から、皇帝陛下が失踪したそうなんです」
「皇帝陛下が失踪?」
「はい。ただ、行方は掴めたそうで……」
「それを何で俺に……。だったら、ムルグスが迎えに行けば……」
ムルグスの名前を口に出した瞬間、俺はムルグスとの会話を思い出した。
「ま、まさか……」
「はい。そのまさかです」
ムルグスから聞いた話によると、皇帝陛下は失踪癖があるという。
しかも、目的は剣の稽古や強者との戦いだった。
俺が国を追放された時には、俺の行方を探せとムルグスに指示が出たそうだ。
「もうすでに、この町に入っているそうです」
「なんだと!」
「そして、ムルグス殿。いや、特殊諜報室から同時に緊急のクエスト依頼もありました」
「緊急クエスト依頼?」
「はい。……皇帝陛下との試合です」
「そ、そんなクエストがあるかよ!」
「ギルド総本部には報告しています。さすがに、オルフェリア様に判断を仰ぎました」
「そりゃそうだろうな。で、オルフェリアさんは、なんて言ってたんだ?」
「それが、『断ることはできないので、存分に相手をしてください』だそうです」
「くそ! 他人事だと思って!」
「皇帝陛下に関わる内容ですから、断ると国家間の関係も……。冒険者ギルドの本国ラルシュ王国は、エマレパ皇国と友好国ですので……」
ティアーヌは他人事のように呟いている。
「ティアーヌ、お前も参加しろ!」
「わ、私ですか?」
「そうだ。お前の実力も相当だ。陛下も喜ぶはずだ」
「わ、私はまだ、重槌が完成してませんから……」
「俺だって剣はまだだよ!」
「あ! 明日はティルコア支部長会議でした!」
「くそっ! きたねーな!」
この重大な話を俺にしたことで、ティアーヌの表情は落ち着いていた。
いや、厄介事を俺に任すことができて、安心しきってる様子だ。
「頑張ってくださいね。報酬はとてもいいですから」
「金なんかいらねーよ!」
「存分にやってくださいね。ふふ」
「くそっ!」
なぜ俺は、この国の皇帝陛下と戦わねばならぬのか。
しかもギルドマスターからのお達しだ。
それに、国家間の友好に関わると言われたら断ることなんてできない。
田舎住まいの一介の冒険者に、国家間の関係なんて話は規模が大きすぎる。
◇◇◇
昨日のことを思い返すと頭が痛くなる。
だがやるしかない。
目の前にいる男、皇帝陛下の表情が一変。
猛獣のような鋭い目つきで俺を睨みつけている。
「貴様、誰から聞いたのだ?」
「それは……言えませぬ」
「ほう。貴様、私の正体を知ってなお、口を閉ざすというのか」
「力ずくでどうぞ。陛下の目的もそうだと伺ってます」
「わははは。いい度胸だ。全てを話してもらおう」
「私に勝てれば……です」
「面白い冗談を言うやつだな。わははは」
ただ、俺も全く興味がないわけではない。
目の前にいる男は、世界三大剣士の一人だ。
世界三大剣士の残り二人はラルシュ王国の両陛下で、もはや人外と言われているため、このキルスが人類最強を名乗っている。
剣士として人類最高にどこまで通用するのか、試してみたい気持ちは僅かながらあった。
キルスの身長は俺と同じくらい。
引き締まった身体は、相当鍛えているのだろう。
何より身体のバランスが良い。
普通の人間は、直立しても左右のどちらかに体重が乗るものだが、キルスの重心は身体の中心にある。
一ミデルトもブレがない。
恐ろしく体幹が強い証拠だ。
無造作に剣を抜くキルス。
だが、全く隙がない。
これまで俺が対峙した剣士の中で、最も強いのはこの時点で明白だ。
俺も長剣を抜く。
「貴様。その長剣は何だ? 普通の剣じゃないか。貴様はネームド殺しだろう?」
「現在制作中でございます」
「ふむ、どこで作ってるんだ?」
「……開発機関の局長に依頼しております」
「ローザの剣か」
キルスの剣は、どう見ても普通じゃない。
オーソドックスな長剣だが、剣身は薄っすらと青白い光を放っている。
「陛下の剣は?」
「私が討伐したネームドの剣だ」
モンスターの最上級である固有名保有特異種。
街や国に厄災をもたらすほどの存在で、討伐すれば一生遊んで暮らせるほどの莫大な報酬が入ると言われている。
「私の剣では、貴様の剣など簡単に切ってしまうな。他に剣はないのか?」
キルスの発言が癪に障った。
「ほほう。そう簡単にいきますかな? この剣でお相手いたしましょう。殺す気で来ませんと……死にますよ?」
「貴様っ! ……面白い。本気を出してやろう、糸使い。いや、首落としか」
「私の戦い方をご存知で?」
「もちろんだ。剣と、その腕の糸巻きとやらだろう?」
「左様でございます。陛下は剣のみですか?」
「そうだ。私は盾を使わん。私の異名を知らんのか?」
「……存じ上げてます」
キルスが笑みを浮かべ、青白く輝く剣を構えた。
その笑みはまるで死を告げる死神のようだ。
互いに剣を構える。
だが、一切動かない。
この領域に入ると、呼吸の読み合いが重要になる。
迂闊に糸巻きも発射できない。
森には静寂が訪れていた。
僅かに風が吹く。
そして、頭上から舞い落ちる一枚の葉。
その瞬間、キルスが踏み込んできた。
「くっ!」
速い。
速いなんてものじゃない。
もはや瞬間移動だ。
キルスは突進しながら、剣を左下から右上へ振り上げる。
これを俺の剣で正面から受ければ、剣は真っ二つに切られるだろう。
俺は剣を斜めに構えた。
キルスの下段斬りを上方へ受け流し、空いたキルスの喉元へ剣を振り下ろす。
これで終わる。
「甘いわ!」
受け流される瞬間に、剣筋を変えたキルス。
下段にあった剣が突然方向を変え、突如として上段から振り下ろされた。
「雷かよっ!」
雷光のキルス。
剣士としてのキルスの二つ名だ。
猛烈な速度で自由自在に方向を変える上に、大木をも両断する威力を持つと言われている。
噂で聞いただけだが、それは本当だった。
この剣をまともに受ければ、剣ごと俺の頭が切られる。
俺は身体を前進させ、キルスに密着させた。
「ほう、ここで前進できる胆力はさすがだな」
キルスはすかさず剣を振り上げ、柄頭で俺の頭部を殴りつけるように柄を振り下ろしてきた。
この攻撃を食らえば、間違いなく頭蓋骨を砕かれる。
俺は肘をたたみながら手首を返し、切先を下に向け、柄を上に向けた。
柄頭が衝突し、激しい火花が散る。
その隙で俺は一旦後方に飛び退き、間合いを外す。
葉が地面に落ちた。
たった一瞬で、どれほどの命のやり取りを行っただろうか。
俺には糸巻きを使う余裕すらなかった。
「強い……」
やはり人類最強は伊達ではない。




