第140話 お嬢様の小さな冒険6
ベースキャンプに戻ると、調理はまだ途中だった。
ティアーヌが俺に気づき、笑顔を向けている。
「おかえりなさい。大丈夫だとは思ってましたが、いくらなんでも速すぎますよ?」
「まあ、相手が弱かったんだよ」
「ふーん。そうは思えないんですけどねえ……」
疑いの目で俺を見つめているティアーヌ。
包丁を手に持ち、野菜を高速で切っている。
だが、手元を見ていない。
「おいおい、目を離すなよ。危ないぞ」
「え? これくらい簡単です。それより……」
手を止めず、周囲を見渡すティアーヌ。
「人を殺す方が難しいんですよ?」
最後の言葉は、俺以外に聞こえないような小さな声だった。
「お、お前も大概だな……」
料理が終わるよりも早く、暗殺者を始末してきた俺への皮肉だ。
諜報員でAランク冒険者のティアーヌ。
ウィルやオルフェリアも認めるほどの腕前だし、サポートとしても飛び抜けて優秀な上に、交渉事にも強い。
これほどの人材が、どうしてこの町に来たのかよく分からない。
「マルディン! できたよ!」
フェルリートが声を上げると、いくつもの大皿がテーブルに並べられていた。
ベースキャンプに備え付けのテーブルは、大人数でも食事が可能だ。
「こりゃ凄いな」
「これが森のサラダ。こっちは巨兵蛙の香辛料焼き。それと黒森豚のステーキとスペアリブだよ。この四品は、森で用意した材料を使ってるよ」
「こっちの大皿は何だ?」
「それはね、皆がそれぞれ一品ずつ作ったんだ。私はハルシャ様とマルディンの好きなカレーを作ったよ」
「そうか。ありがとう」
フェルリートが一品一品説明してくれた。
ハルシャとフェルリート特製、水角牛のとろけるカレー。
アリーシャ特製、角大羊の柔らか煮込み。
リーシュ特製、茶毛猪のこだわり炙り焼き。
ティアーヌ特製、牛鶏の悪魔風。
どれも旨そうだ。
しかし、一つだけ不穏な大皿がある。
真っ黒な湯気が立っている紫色の肉。
ラミトワ特製、闇翼鼠の殺人ステーキだそうだ。
「こ、これは……」
俺はラミトワが作った料理を見て絶句した。
「な、なんだよ! 闇翼鼠の肉は美味いんだぞ!」
「そ、そりゃそうだが……」
「肉はアリーシャの店で買ったんだぞ!」
ステーキだから焼いただけなのに、なぜこんな色になるのだろうか。
見たこともない紫色だった。
「お、お前、何をしたらこんな色になるんだよ……。それに名前がヤベーだろ」
「うるせー! 死ぬほど美味いって意味に決まってんだろ!」
相変わらずのセンスだ。
それよりも、これをハルシャに食べさせるつもりなのだろうか……。
俺は頭を抱えた。
――
全員がテーブルにつく。
ロルトレがいつものようにハルシャの背後に立つと、ハルシャは振り返った。
「ロルトレ。今日の私は見習い冒険者なのよ。一緒に食事をしましょう」
「しかし、お嬢様……」
「いいじゃない。ねえ、隊長」
ハルシャが笑顔で俺に視線を向けた。
「ああ、そうだ。全員で食べるんだ」
「か、かしこまりました」
ロルトレがハルシャの隣りに座る。
俺はジョッキを手に持ち、立ち上がった。
「皆、今日の作戦は大成功だ! よくやった! ささやかだがパーティーだ! 存分に飲んで食ってくれ!」
「「「はい!」」」
娘たちが元気よく返事をした。
もちろんハルシャも一緒だ。
「さあ、ハルシャ。自分で作った料理を味わってみろ」
「う、うん」
ハルシャがスプーンを持つ。
そして、毒見なしでカレーを口に入れた。
「お、美味しい……」
フェルリートと一緒に作ったカレーを一口食べると、ハルシャの頬に一筋の雫が流れた。
「美味しい……」
何度も呟くハルシャ。
スプーンを運ぶ手は止まらない。
ロルトレに視線を向けると、目頭を抑えて必死に涙を堪えていた。
「ハルシャ、いいぞ。もっと食え」
「うん」
次々に肉を取るハルシャ。
人が美味そうに食べてる姿を見ると、こちらまで幸せになる。
食とは偉大だ。
俺もそれぞれの料理を取り、堪能する。
「くうう、うめーな」
皆が作った自慢の料理だ。
どれも驚くほど旨い。
だが、ハルシャの手の動きを見て、俺は即座に制止した。
「待て! 待て待て! その紫色の肉はやめとけ」
「え?」
ラミトワのステーキに手を伸ばしていたハルシャ。
「で、でも、せっかく作ってくれたし……」
領主という重圧から開放されたハルシャは、とても素直で優しい少女だ。
「ロルトレ。これ、毒見した方がいいんじゃないか?」
「さ、左様でございますね……」
毒王という二つ名を持つロルトレですら、食べるのを躊躇するラミトワの肉。
「おい! 失礼だな! 大丈夫に決まってんだろ! こんなに美味いのに! まったくもう!」
自分が作ったステーキを頬張っているラミトワ。
「そうだよな。頑張って作ってくれたしな。ありがとうよ。俺がちゃんと食べるよ」
「マジで美味しいんだぞ!」
一口大に切った紫色の肉。
意を決して口へ放り込んだ。
「こ、こりゃ……」
噛めば噛むほど肉汁が溢れる。
臭みは一切なく、濃厚で爽やかな味が広がっていく。
複雑に絡んだ味は深みがあり、繊細なのに豪快だ。
「な、なんだこれは……。マジで旨い……」
「だろー! 私は天才なんだよ!」
「ラミトワ。この味付けはどうやったんだ?」
「えーとね。塩少々、胡椒少々、赤糸少々、爽香少々、夏種子少々、黒辛子少々」
「なるほどね。そんなに使ったのか。そりゃ複雑になるわけだ」
「鮮香少々、苦香少々、消香少々、火吹実少々、蜜黄玉少々、白大柚少々、椰白乳少々。えーとそれに……」
「ぐ、偶然の産物じゃねーか!」
「なんだと!」
俺たちのやり取りを見て、全員が腹を抱えて笑っている。
もちろん、ハルシャも大笑いしていた。
予想通り騒がしい食事は続く。
最後は、リーシュとハルシャが肉の取り合いをしていたほどだ。
ハルシャは声を荒げ、大笑いし、腹いっぱいになるまで飯を食べていた。
ロルトレは、その様子を涙を流し見つめている。
俺はロルトレの肩を軽く叩いた。
「年相応の姿も、たまにはいいだろ?」
「はい……。はい……。マルディン様……。ありがとうございます」
「これが俺たちのおもてなしさ。ちょっと騒がしいがな。あっはっは」
食事が終わり、全員で後片付けをする。
これもハルシャにとっては初めてのことだろう。
「よし、じゃあ帰るぞ!」
全ての片付けを終えて、俺たちはベースキャンプを出発。
森の中を大型荷車は進む。
何人かの娘たちは寝ているが、ハルシャはいつまでも森を眺めていた。
笑顔の中にも、どこか寂しそうな横顔がとても印象的だった。
――
「マルディン、着いたよー」
「ありがとう、ラミトワ」
迎賓館に到着。
俺とハルシャとロルトレは、ここで降りる。
「皆、すまんがあとを頼んだぞ」
全員が頷いてくれた。
ハルシャは迎賓館の入口へ向かう。
だが、突然立ち止まり、振り返った。
「あの!」
ハルシャは頬を淡く染め、両手の指を身体の前でそっと絡めながら、小さく身じろぐ。
照れた仕草の中に、仲間への感謝、別れの寂しさ、領主としての立場が見て取れる。
「み、皆さん。今日は……、ありがとうございました。ま、またいつか……、一緒にクエストへ行ってくれますか?」
「もちろんです。ハルシャ様は私たちパーティーの一員ですから。フフフ」
アリーシャが答えた。
「今度はまた別のお料理をしましょう!」
笑顔を向けるフェルリート。
「次は負けません!」
肉を取られたことを根に持っているリーシュ。
「弓の才能は隊長以上ですからね」
ティアーヌが悪戯な笑顔を浮かべていた。
「次はもっと美味しい殺人ステーキを用意します!」
ラミトワの発言で大笑いしたハルシャが、指でそっと涙を拭う。
それが笑った涙なのか、楽しかった涙なのか、寂しさの涙か分からないが、詮索するのは野暮というもの。
俺はハルシャの背中に手を回した。
「……ハルシャ様。お部屋に戻りましょう」
「う、うん……」
隊長ごっこも終わりだ。
俺も任務に戻る。
ハルシャは最後に全員を見渡した。
「皆、ありがとう」
全員に対し、丁寧にお辞儀をするハルシャ。
領主代理としては考えられない行動だが、彼女本来の性格と本心が垣間見えて、俺は感動していた。
人の上に立つ者は、こうあるべきだ。
十二歳ですでに、民に慕われる領主としての片鱗を見せているハルシャだった。




