第136話 お嬢様の小さな冒険2
二日目の朝を迎えた。
ハルシャは自室で朝食を取るという。
俺は警護として、配膳するハルシャのメイドと一緒に部屋へ入室した。
食事前にロルトレがいつものように毒見を行う。
毒見を行うということは、毒の知識があり、味を知っているのだろう。
ただの老執事が、毎食毒見をするのは常識的ではない。
通常は毒見役がいる。
だが、俺の見立てでは、ロルトレは殺し屋だ。
殺し屋は毒の知識を持つ者も多い。
多少なりとも、毒に対する抵抗力もある。
もしかして、その能力を買われて執事をやっているのだろうか?
まあ、俺がどんなに考えたところで、あくまでも推測の域を出ない。
「お待ち下さい」
ロルトレが口にしたスープを白いハンカチに吐き出し、懐に収める。
その様子を見たハルシャが、小さく溜め息をついた。
「また……」
ロルトレが配膳したメイドへ詰め寄る。
「どちらですか?」
「あ、あの、あ……」
「言いなさい。どちらですか?」
「デ、デリス様です」
「このままデリス様の元へ、お帰りなさい」
「も、申し訳ございません!」
床につきそうなほど、深く頭を下げるメイド。
「デリス様陣営に脅されておりまして……。お、お願いします……」
「お帰りなさい。あなたの仕事も居場所も、もうここにはありません」
ロルトレは姿勢を正したまま、静かにメイドへ告げた。
だがその迫力は、まるで怒れる牙獅獣だ。
「……は、はい。うぐっ」
嗚咽を漏らし、号泣しながら退室するメイド。
その表情は絶望に支配されていた。
あのメイドがこれ以上何かできるとは思えないが、普通はこの場で拘束するだろう。
しかし、拘束もせずにただ帰らせるということは、できない事情があるのかもしれない。
もしくは、それが最も重い罰になる……。
「ハルシャ様、大変申し訳ございません」
ロルトレが、ハルシャに頭を下げる。
「代わりの朝食を用意させます」
「もういいわ。どうせ次も同じでしょう。お兄様のやりそうなことよ」
ハルシャが席を立つと、残り四人となったメイドが身支度を開始。
俺は部屋を出た。
「毒の混入は日常的にあるようだな。それにしても、ロルトレの能力は高そうだ」
ロルトレは、スプーンにほんの僅かすくったスープで、毒を見抜いていた。
――
この日は朝から、漁師ギルドの視察だ。
ハルシャは、ギルマスのイスムと会談した。
昼食はイスムが魚を捌き、そのまま調理。
ハルシャの目の前で調理をするイスムは、これこそが漁師の極上飯だと笑っていた。
ロルトレが毒見するが、水揚げされたばかりの魚をイスムが目の前で捌いたものだ。
問題ないことは明白。
ハルシャは、この日初めて食事を口にした。
いつもはすぐに食べるのをやめるが、焼き魚を一匹完食。
「まあ昨日からほぼ食ってないもんな。そりゃ、腹も減るさ。それに、この町の魚はマジで旨いしな」
その後は港を見て回り、漁船で港内を遊覧した。
高い透明度を誇る翠玉色の海は、泳ぐ魚の姿も見える。
ふとハルシャに視線を向けると、海を覗くその口元が、僅かにほころんでいた。
この日の視察を終え、迎賓館へ帰還。
ようやくハルシャの就寝時間を迎えた。
「長かったぜ……」
とはいえ、警護の俺は気が抜けない。
朝食の毒混入の件もあるし、仮眠を取りながらも宿の周囲を見張る。
控室へ戻ると、扉をノックする音が聞こえた。
「誰だ?」
「ロルトレです」
あの老執事だ。
警護について話でもあるのだろうか。
俺は扉を開け、ロルトレを部屋に招き入れた。
「マルディン様。今朝の様子を見て、どう思われましたか?」
応接ソファーに座ると、ロルトレがさっそく口を開いた。
「どうって……。毒の混入なのに、やけに静かだと思ったくらいか。あの様子からすると、日常的に発生しているのだろうと思ったよ」
「全く動じないとは、さすがでございます」
「そうでもないがな」
「マルディン様は、サウール家の状況をご存知でしょうか?」
「まあ、噂くらいは聞いたよ。領主のレイベール伯爵が病だとね」
「実は……。他言無用でお願いしたいのですが……」
ロルトレは表情を変えずに、声色を下げた。
「伯爵閣下はもう長くありません。年内もつかどうか……」
「お、おいおい、何で俺に話すんだ? そんなの極秘事項だろ?」
「仰る通りです。ですが、マルディン様には知っていただきたいのです。誠に失礼ながら、マルディン様の素性は調査済みです」
「めんどくせーことに巻き込むんだろ? そのために俺を雇ったんだろうし」
「さすがでございます」
「あんただって相当な腕だ。それに執事が毒見はおかしいだろう?」
ロルトレの右眉が僅かに動く。
「あんたは影を踏まない」
「なるほど。そこまで分かりますか。……さすがでございます」
俺はロルトレに対し、暗殺者であることを見抜いていると伝えた。
「仕方ねーな。これも仕事だ。全部聞くよ。それに、もう見てられない。ハルシャ様があまりにもかわいそうだ」
「ありがとうございます」
ロルトレが立ち上がり、珈琲を淹れてくれた。
暗殺者とはいえ執事だ。
その動きは洗練されている。
「ハルシャ様は次期領主として、家督を相続される予定です」
「え? あのお嬢様が?」
「左様でございます」
「でも、ハルシャ様って……あの肌の色は……」
ハルシャは褐色の肌だが、レイベール伯爵も夫人も肌は白い。
「はい。ハルシャ様は妾の子。さすがにそれでは家督の相続ができませんので、母君は第二夫人となり、正式な継承権を得ました」
「そこまでして、ハルシャ様に継承させる理由はあるのか?」
「ハルシャ様はまだお若いですが、サウール家を救うお力を持たれております。先代より財政難に陥っていたサウール家の財政を、僅か十一歳で立て直しました。伯爵閣下もそのお力をお認めになり、代理の視察としてハルシャ様を派遣したのです」
「なんだ。レイベール伯爵にとって、ティルコアの優先度は低いと思ってたよ」
「いえ、むしろ逆です。今後、最も発展することが明白なティルコアだからこそ、次期領主のハルシャ様が視察に訪れたのです」
確かにティルコアは重要だ。
領主にとって、ティルコアの発展は絶対に外せない。
レイベール伯爵は、性別や年齢、出生よりも能力を最も重要視したのだろう。
「で、そのハルシャ様を暗殺しようとしてるのは?」
「長男のデリス様。次女のサリッシュ様です」
「二人か。それで今朝のメイドに、どちらの陣営か聞いたのか」
「左様でございます」
「嫉妬深いバカな兄弟を持つと苦労するね。お家の将来よりも、自分のことしか考えない」
俺の故郷では、愚弟と呼ばれた王弟によって王は暗殺され、俺は国外追放となった。
権力をもった愚者ほど、危険なものはない。
「マルディン様。実は先ほど入手した情報によると、両陣営から何人かの暗殺者が放たれたようです。この視察中に実行するでしょう」
「視察中に暗殺なんて、伯爵家にとって悪影響しかないだろ。視察の邪魔をすれば、どうなるかなんて分かるだろうに。バカな兄弟だぜ」
「時間がないのです。伯爵閣下が薨去する前にハルシャ様を暗殺し、継承権を主張するつもりです。今回、我々に私兵が同行しなかったのも、全て先方陣営の手回しです」
「なりふりかまってられないってことか」
「仰る通りです。しかも、利害が一致した両陣営が、手を組んだようなのです」
敵対勢力が共通の目的のために手を組むなんて、よくあることだ。
それほどハルシャが脅威なのだろう。
「じゃあ、俺の仕事は、その暗殺者の対応か」
「左様でございます。私はハルシャ様のお側におりますゆえに」
「分かったよ。ところで、あんたは何で執事なんてやってるんだ? 元々執事じゃないだろう?」
「私は……、十年前に伯爵閣下の暗殺依頼を受けました。しかし、失敗し捕えられました」
「よく生きてたな」
「はい。通常であればそこで殺されますが、私の能力を知った伯爵閣下に命を救われました」
「能力?」
「……毒の知識です。私の暗殺方法は毒殺でしたから」
「それでハルシャ様の毒見を行っているのか」
「左様でございます。伯爵閣下の毒見係を経て、ハルシャ様の執事に指名していただきました。私は伯爵閣下に多大なる御恩がございます。ですから、命に替えてもハルシャ様をお守りいたします」
俺は珈琲を口にしながら、ハルシャの様子を思い出した。
「そういえば、ハルシャ様は生き物に興味があるのか? 冒険者ギルドの視察時に、剥製を興味深く見ていた。それに港でも泳ぐ魚や、イスムの魚捌きを熱心に見ていたぞ」
「気づかれましたか。ハルシャ様は本来、野原で駆け回ることが大好きな活発なお方でございます。お部屋には生き物の研究本や、モンスター事典を隠し持っているほどです」
「なるほどね。生き物好きなお嬢様か」
俺はふと、一つの考えが頭に浮かんだ。
「視察中に一日だけ休暇があるだろう? 予定はあるのか?」
「外は危険ですので、ハルシャ様はお部屋で過ごすと思われます」
「分かった。今回は指名クエストだ。俺流のおもてなしをしよう。いいか?」
「おもてなし……ですか?」
「そうだ。ハルシャ様にも、暗殺者にもな」
「かしこまりました。そのように手配いたします。どうぞよろしくお願いいたします」
ロルトレが深く頭を下げた。




