第133話 独身おっさんの誘い方
「今日も良い天気だぜ!」
頭上には雲一つない青空が広がる。
冬とはいえ、俺にとっては初夏のような日差し。
少し汗ばみつつも、気持ち良さを感じながら海沿いの町道を歩く。
「お、スミリ婆さん。おはよう」
顔馴染みのスミリ婆さんの姿が見えた。
「あら。おはよう、マルディン」
「今日は暑いな」
「暑い? 何言ってるんだい。もう寒くてかなわないよ。腰にくるねえ」
「そ、そうか?」
スミリ婆さんは、今年に入り最愛の旦那を亡くした。
今は一人で農作業をしながら生活している。
俺は時々様子を見に行って、婆さんの美味い料理をご馳走になっていた。
「ところで、あんたはいつまで夏服なんだい?」
「え? やっぱり変かな?」
「そうだねえ。まあ、あんたが北国出身なのは、みんな知ってるから構わないけどさ」
「まあな。それも極寒の雪国だったからな」
「だけど、夏服はもう一人いるじゃない。あの綺麗な子よ」
「綺麗な子?」
「ほら、最近引っ越してきた冒険者ギルドのあの娘だよ」
「ああ、ティアーヌか」
「そうそう。あの娘も夏服だよねえ。あんなに綺麗なのにもったいない」
「ティアーヌも北国出身だからな」
「そうなのかい。あの娘は私の若い頃にそっくりだから、気になっちゃうんだよ」
スミリ婆さんは若い頃、町でも指折りの美人だったそうだ。
これは本人だけじゃなく、周りの爺さんたちも言っている。
「そうか。この後、会う予定だから伝えておくよ」
「ほっほっほ。頼むよ。あの娘とは、今度お茶でも飲みたいねえ」
「それも伝えとく」
「あんたもまた家に来るんだよ。お爺さんも待ってるんだから」
「ああ、また行くさ。美味い飯を作ってくれよ」
「もちろんだよ。ほっほっほ」
スミリ婆さんと別れ、俺は繁華街へ向かう。
「スミリ婆さんに似てるかは別として、確かにティアーヌは綺麗だよな。うんうん」
その容姿とは裏腹に、物怖じしない性格で、並外れた胆力と鋭い洞察力を持つティアーヌは、一流の諜報員として活動している。
さらには、Aランク冒険者で、短い期間だがギルドハンターの経験もあるほどだ。
「ティアーヌと結婚する相手は大変だろうな……」
ティアーヌのことを考えていたら、調査機関に到着した。
扉を開け、事務所に入る。
「ティアーヌはいるかい?」
「マルディンさん。どうしました?」
ティアーヌがちょうど入口付近を歩いていた。
今日の髪型はいつもと違い、明るい金色の長髪を後頭部で一本に結んでいる。
だが、服装はいつものように、白い長袖シャツに黒いタイトなズボンを合わせていた。
これは夏服だ。
俺とティアーヌは北国出身のため、冬を迎えたティルコアでも暖かいと感じている。
だが、スミリ婆さんも言っていたが、冬なのに夏服は違和感があるという。
ラミトワに言わせると、恥ずかしいそうだ。
俺はティアーヌに、そのことを伝えに来た。
しかし、若い女性に直接言うのは気が引ける。
どうにか会話から気づいてもらいたい。
「さ、最近はさ。めっきり寒くなったよなあ」
「寒い? 私たち北国出身者にとっては、快適な気温ですよね?」
やっぱりティアーヌは寒くないようだ。
ということは、まだしばらくは夏服のまま……。
いや、もしかしたらこのまま冬を乗り越え、春を迎えてしまうかもしれない。
「それじゃあ、ティアーヌは冬服なんか持ってないよな?」
「一応持ってきてますけどね。でも、ここで着るにはさすがに暑いですよ。ふふ」
「そ、そりゃそうだよな」
毛皮のコートなんて、この町では不要だ。
ティアーヌが大きく目を見開いて、俺の瞳を真っ直ぐ見つめている。
その表情は、口角が僅かに上がっていた。
「……マルディンさんは、冬服を持ってるんですか?」
「俺か?」
この質問は想定してなかったが、これはチャンスだ。
ここから上手く切り込める。
「いや、俺もさ、北国用の防寒着は持ってるけど、ここでは着られない。だから、この町で着られる冬服を買おうと思ってね」
「なるほど。言われてみれば、確かにいつまでも夏服じゃ変ですもんね」
上手く乗ってきた。
もうひと押しだ。
「じゃあさ、一緒に冬服を買いに行かないか?」
「マルディンさんと一緒に? 服を買うんですか?」
「そう……だ」
しまった。
若い娘が、俺みたいなおっさんと服なんて買いに行かないだろう。
最後の最後で、しくじったかもしれない。
「ふふ。いいですね」
「い、いいのか?」
「ええ、もちろんです。ふふ」
ティアーヌが片手を口に抑えて笑っている。
「ん? ど、どうした?」
「マルディンさんが一生懸命だから。ふふ」
「な、なんだよ?」
「ふふ。夏服が変だって私に教えようとしてたこと、最初から分かってましたよ? だから、一緒に買物へ行こうって、誘ってくれるんだろうなあって思ってました」
「な、なんだと!」
「マルディンさんがどういう誘い方をしてくれるのか、期待して待ってたんです」
「お、お前!」
「ふふ。ちょっとぎこちないけど、ハッキリと誘ってくれたので嬉しかったですよ。本命にはちゃんとそうやって伝えてくださいね」
「ほ、本命ってなんだよ?」
「え? もしかして私が本命ですか? 嬉しい!」
ティアーヌが悪戯な笑顔を浮かべている。
「ち、ちげーよ!」
「違うって……。そんなにハッキリ言わなくても……。逆に失礼ですよ……」
「あ、う……。そ、そういうわけじゃなくて……」
「ふふ。じゃあ、買い物のあとに、町で一番いいレストランの食事で手を打ちます」
諜報員との会話は面倒だ。
しかもティアーヌは一流だから、すぐに誘導される。
「ちっ! これが狙いかよ!」
「ふふ。私の勝ちですねえ」
「くそっ。分かったよ。何でも好きなもの食えよ」
「やったー!」
両手を上げて喜ぶティアーヌ。
「明日行きましょう! 予約しておきます!」
「ったく、手際良すぎんだろ……」
ティアーヌが満面の笑みを浮かべながら、俺の顔を見つめている。
「じゃあ、お気に入りの冬服を着ていきますね。この間、凄くお洒落な冬服を買ったんですよ。ふふ」
「は?」
俺はティアーヌの言っていることが、すぐに理解できなかった。
「あのですね。冬服くらい買ってますよ。一応、私も年頃の娘ですもの」
「お、おまっ!」
「この服は私の仕事着です。動きやすいから、仕事はずっとこれなんですよ。普段は違いますよ。当たり前じゃないですか」
「な、なんだと!」
「やったね。夕食、儲かっちゃった。それも、とても高いやつ。あそこのレストランは前から行きたかったんです。ふふ」
「ふ、ふざけんな!」
両手を叩き、喜んでいるティアーヌ。
「ったくよ……」
まあ、普段から世話になっているから、飯くらいは構わない。
それよりも、ティアーヌが冬服を持っているのであれば、この町で夏服なのは俺だけだ……。
途端に恥ずかしくなってきた。
「ふふ。マルディンさんだけですね」
俺の考えを見抜いて、不敵に笑うティアーヌ。
これだから、一流の諜報員は面倒だ。
「一緒に選んであげますから。ふふ」
この綺麗な笑顔の裏に、どんな策略を隠し持っているのやら。
恐ろしい娘だ。




