第130話 老人と犬4
トーラムが出港してから、ついに一週間が経過した。
予定では今日が帰港日だ。
嵐がようやく収まったということで、漁師ギルドでは捜索隊を編成。
仕切るのはグレクだ。
早朝から十数隻の漁船が、次々と沖へ出て行く。
「マルディン! ポルコ! 行ってくる!」
「頼むぜ、グレク!」
「バウバウ!」
捜索隊を見送った俺は、自分の無力さを痛感した。
「海が相手じゃ、俺は何もできない……」
「クウゥゥン」
ポルコが俺の足にすり寄る。
「すまん、ポルコ」
俺は天を仰ぐ。
青空には、船のような形をした白い雲が浮かんでいた。
「空……。飛空船……。そうだ! 飛空船なら空から捜索できる!」
俺はすぐに冒険者ギルドへ走った。
状況を話せば、使用できるはずだ。
なんなら俺が救助クエストを依頼して、自分で受注すればいい。
金なんていくらかかっても構わない。
だが、飛空船は嵐の前から別のクエストで使用中だった。
「くそ、他に飛空船はないのか」
俺はポルコをレイリアに預け、調査機関の事務所へ走った。
「ティアーヌ。すまん。飛空船を借りられるところを知らないか?」
「飛空船を? 今からですか?」
「そうだ。今すぐだ。捜索で使いたい」
「確かイレヴスの皇軍に、小型船が何隻かあったはず……」
「分かった! 行ってくる!」
事務所を出ようとすると、ティアーヌに肩を掴まれた。
「ま、待ってください。突然行っても貸してくれるわけないです。私が交渉します」
「そうか。すまん。頼む」
「馬車だと時間がかかるので、町役場で馬を借りましょう」
町役場へ行き、町長に話を通すと、一頭の黒風馬を貸してくれた。
町役場で最も足が速いそうだ。
俺は黒風馬の首をなでる。
「すまんが急いでるんだ。頑張ってくれるか?」
「ブルゥゥ!」
「ありがとう。頼むな」
「ヒヒィィン!」
黒風馬は体長約三メデルトの馬の品種で、移動に適しているため冒険者や旅人が好んで利用する。
美しく艶のある黒い毛並みと、漆黒のたてがみが特徴だ。
鞍に飛び乗り、ティアーヌへ手を伸ばす。
「ティアーヌ! 乗れ!」
「はい!」
イレヴスまで、俺は最速で黒風馬を走らせた。
皇軍の駐屯地に到着すると、ティアーヌが様々な交渉を行う。
「マルディンさん。貸してもいいが、お金が必要だと言ってます……」
「構わない。言い値を出す」
「金貨五十枚出せと言ってますが……」
「五十枚でも百枚でも出す! 急げと言ってくれ!」
飛空船を借り、皇軍の操縦者と共に沖へ出る。
飛空船の使用は二日が限度だったが、時間が許す限り捜索を続けた。
しかし、トーラムを発見することはできず、俺たちはティルコアへ帰還した。
――
トーラムが漁に出て二週間が経過。
漁師ギルドは、捜索を打ち切った。
漁師全員が悲痛な面持ちだったし、グレクは個人的に船を出すと言っていたが、組織として、これ以上の捜索は二次被害が出ると判断。
グレクも従うしかなかった。
ポルコは毎日港にいた。
日差しが強くても、寒くても、風が強くても、雨が降っても、朝から晩まで主人の帰りをじっと待つ。
ただひたすら海を眺めて、主人の帰りを待っていた。
「ポルコ、そろそろ日が暮れる。帰ろう」
俺はそんなポルコを、ただ迎えに行くことしかできなかった。
だが、今日のポルコは動かない。
「気持ちは分かるよ。だけどもう見えなくなる。また明日だ。一緒に来るからさ」
足元にいるポルコに視線を向けると、丸く短い耳が僅かに動いた。
「バウバウバウバウ!」
「おい!」
突然、ポルコが海に向かって走り出す。
「ポルコ!」
ポルコは一切の躊躇なく、海へ飛び込んだ。
海面で手足をバタつかせている。
だが鬣獅犬は、たてがみの影響で上手く泳げない。
前に進まず、徐々に沈んでいくポルコ。
「くそ! 溺れてんじゃねーか!」
俺も泳げないが、このままではポルコが死ぬ。
「ポルコ!」
俺は海へ飛び込んだ。
「ごぼっ。し、沈む。ポ、ポルコ……」
必死にポルコへ近づき、左腕で抱え、係船柱に向かって糸巻きを発射。
すぐに巻き取る。
「ごほっ! ごほっ!」
「ボフッ! ボフッ!」
ポルコが全身を震わせ、海水を弾き飛ばした。
「バウバウ!」
助けたにも関わらず、ポルコはまた海へ飛び込もうとする。
「おい! ま、待てよ!」
俺は必死にポルコを押さえつけた。
「待てって!」
「バウバウ! バウバウ!」
海に向かって吠えるポルコ。
「バウバウ! バウバウ!」
「おい、ポルコ! ポル……コ……」
ポルコが吠える方向へ視線を向けると、一隻の船が見えた。
「あ、あれは……。トーラムの船か!」
「バウバウ! バウバウ!」
「ポルコ! 行くぞ!」
俺はポルコを抱きかかえた。
そして、船が近づく方向へ向かい、港内を全力で走る。
ポルコを離すと、きっと海に飛び込むだろう。
「マルディン! どうした!」
「グレクか!」
偶然、港で作業中のグレクが声をかけてきた。
「船だ! トーラムの船だ!」
「なんだと!」
俺たちは全速力で走った。
「はあ、はあ」
船に最も近い桟橋に到着。
船はゆっくりと岸に近づいている。
ここから直線距離で、百メデルトほどだろう。
「行ってくる!」
グレクが海に飛び込む。
さすがは漁師だ。
泳ぎとは思えないスピードで船に近づく。
乗船すると、操舵して船を桟橋に係留した。
「こ、これは……」
甲板には六メデルトを超える巨大な魚と、ロープを握ったまま両膝をつく老人の姿があった。
俺はポルコを抱えたまま、甲板に飛び乗る。
「ト、トーラム……」
ロープを握り、満足そうな笑顔を浮かべているトーラム。
やりきったという晴れやかな表情だ。
「バ、バカヤロウ……」
「クウゥゥン」
ポルコが俺の手から離れ、トーラムの身体に顔を擦り寄せた。
「師匠……。師匠……」
ずぶ濡れのグレクも、トーラムにすがる。
「トーラムが帰ってきたか!」
ギルマスのイスムが桟橋を走ってくる。
そのまま、甲板に飛び乗った。
「こ、こりゃ……。見事だ。見事な幻黒鮪だ……。これほどの幻黒鮪は、俺も初めて見たぞ。よくやった。よくやったぞ。トーラムよ。おい、トーラム! 返事をせい! トーラム!」
号泣しながら、動かないトーラムの肩に手を置くイスム。
イスムはギルドとして、捜索を打ち切る判断を下した。
組織全体のことを考えれば、厳しく非情な判断をせざるを得なかっただろう。
だが、自費で密かに捜索していたという噂もあった。
「トーラム……」
俺はこれまで、何人もの死を見てきた。
だが、死の瞬間に、これほど満足した笑顔を浮かべる人間は初めてだ。
「あんたの生き様と死に際……。カッコいいよ……」
俺はトーラムに祈りを捧げた。




