第111話 マルディンを噂する者たち
◇◇◇
ラルシュ王国、王都アフラに建つ冒険者ギルド総本部。
最上階のギルドマスターの執務室を訪れる一人の男。
少し小柄で、年齢より若く見える男の腰には、二本の両刃短剣が吊るされていた。
「オルフェリアさん、どうしたの?」
部屋を訪れたのは元ギルドハンターで、ラルシュ王国騎士団副団長のウィル。
ウィルは現役のAランク冒険者でもあり、双竜の二つ名を持つ双剣使いだ。
「呼び出して、すみません。ウィル」
そのウィルを応接ソファーに通し、珈琲を淹れる黒髪の女性。
冒険者ギルドのトップたるギルドマスターのオルフェリアだ。
オルフェリアは世界最高の解体師とも呼ばれている。
「ウィル。マルディンが共通試験を受けましたよ」
「へえ、そうなんだ。結果は? アイツならAランクもいけるっしょ?」
「それが……」
「どうしたの? まさか点数が悪くてAランク受けられないとか? もしそうなら洒落にならないよ?」
「その逆です」
「逆? どういうこと?」
「結果は……満点です」
「う、嘘だろ!」
思わず立ち上がったウィル。
「嘘じゃありません。私も驚いているのですから」
「マ、マジかよ……。受験者のレベルが低かったんじゃないの?」
「周りがというより、マルディンが突出してます。どの種目も圧倒的な一位です」
「なるほどね。アイツも化け物の類かよ……」
「まさか両陛下以外に、この試験で満点を取る人間が出るとは思いませんでした」
オルフェリアが珈琲カップを二つテーブルに置き、ソファーに座った。
ウィルも大きく深呼吸して座る。
「マルディンは、Aランクの討伐試験を申し込みましたよ」
「ギルドハンターとして正体を隠しながら、表立ってAランクになるのは初めてだ。上手く行くといいねえ」
「そうですね。新しいギルドハンターのあり方として、モデルケースになってくれると嬉しいですね」
オルフェリアの言葉を聞いて、ウィルの口元が緩む。
元ギルドハンターとして、新たなギルドハンターの道を切り開くマルディンに期待していた。
オルフェリアもまた、マルディンの名が世に響く日を想像して、静かに微笑む。
それは近い将来のことだと思いながら。
「マルディンのような実力者こそ、今の世に必要です。騎士を追放されたことはマルディンにとって不幸だったかもしれませんが、世界は幸運です。ですから、マルディンには冒険者ギルドの新たな英雄になっていただきたいのです」
「裏ではギルドハンターをやりながら、表では英雄か。実現するといいねえ」
そう呟くウィルのために、オルフェリアがテーブルに置かれている木箱を開けた。
中には焼き菓子が入っている。
「Aランクの討伐試験はどうすんの? 支部に任せるの?」
ウィルが剣を振る速度で両腕を動かし、焼き菓子を二つつまんだ。
その様子を眺めるオルフェリアは、双竜と呼ばれるウィルの実力を思い出しながら、珈琲を口にする。
「そのことなんですけど……。どうやらカーエンの森に、一角虎が出現したようなのです」
「え? あの森に一角虎なんていたっけ?」
「南のモンスター領から侵入したようですね。研究機関の局長も同じ意見でした。私の経験上、恐らく一角虎は定住すると思います」
「そりゃ、ヤバいね。安心して試験なんかできないじゃん。先に討伐した方がいいんじゃない?」
手にした焼き菓子を口へ放り込むウィル。
突然、動きが止まった。
「ちょっと! まさか討伐試験で一角虎をやんの! ごほっ! 喉に詰まった! ごほっ!」
慌てて珈琲を飲むウィル。
「ええ、そうです。あの地域にはAランク冒険者がいないので、ちょうどいいかなと思いましてね」
「ちょちょちょちょ、そんなの無理に決まってんじゃん! 一角虎だよ! そこら辺のモンスターとはわけが違う!」
「マルディンは討伐試験で一角虎を討伐して、新たな伝説と名声を得る。そしてカーエンの森にも平穏が訪れる。一矢で二羽の鳥を射る、ですよ」
「いやいやいやいや! 百歩譲って、もしマルディンが一角虎の討伐試験に行くとしても、同行する試験官が危険じゃん!」
「腕の良い試験官が同行すればいいのでは?」
この時点で、オルフェリアの考えを正確に見抜いたウィル。
「最悪だよ。嫌な予感しかしない……」
「さすが双竜。フフ」
「何でオイラが試験官なんだよ! 嫌だよ!」
ウィルが口に出した通り、オルフェリアは試験官としてウィルを派遣しようとしていた。
「危険だからこそ、任せられるのはあなたしかいないんですよ」
「あのねえ。オイラは冒険者でもあるけど、騎士団の副団長だよ! 国王陛下の護衛がオイラの正式な仕事なの!」
「陛下には伝えてありますから大丈夫です。フフ」
「ちょ、ちょっと! 先読みしすぎだよ! ねえ、いつからそんなに悪巧みするようになったの?」
「レイ様に鍛えられてますから。フフ」
「ちっ! あの人の影響か。オルフェリアさんだけは、あの人に染まらないでほしかったのに。ああ、最悪だ」
オルフェリアが口に出したレイ様とは、ラルシュ王国の王妃レイ・パートその人だ。
国王は冒険者としても活動しているため、ラルシュ王国の実質的な政治を担っているのがレイ王妃だった。
「ねえ、ウィル。また私の悪口言ってるの?」
「げええええええ! レレレレ、レイ様!」
ギルマスの部屋へ無許可で入れるのは、この世に三人しかいない。
国王と王妃と前ギルドマスターだ。
オルフェリアが立ち上がり、簡易的な礼式を行う。
ウィルもそれに習う。
右手を上げて二人を制するレイ。
「レイ様。どうしたのですか?」
「小耳に挟んだのよ。ウィルがエマレパ皇国へ行くってね。だから労いに来たのよ」
「陛下から伺ったのですね」
「そうよ。そしたら、ウィルが私の悪口言ってるんだもの。うふふ」
オルフェリアに向かって微笑むレイ。
金色の長い髪を後頭部で一本に結んでおり、その髪は、金細工職人が一本ずつ作り上げたかのような繊細さと、絹のような艶を持つ。
きめ細かい白い肌は、太陽を反射する雪原のように煌めく。
切れ長の目、紺碧の瞳、綺麗に通った鼻筋、ほのかに桃色をした薄い唇。
絶世の美女と謳われるレイ。
この世で最も強く、最も美しいと言われており、強さも美しさも、その全てが伝説だ。
「おいおい、ウィル。オマエまたレイ様の悪口言ってたのかよ」
「うるせーな! ってか、またってなんだよ! 言ってねーよ!」
ウィルをからかう女は、ラルシュ王国騎士団団長のリマ・ブロシオン。
女性としては身長が高く、引き締まった筋肉質の体格に、燃えるような赤髪の長髪が特徴的で、飾らない美しさを持つ。
リマもまた、二つ名持ちのAランク冒険者として活動していた。
ラルシュ王国は、国家として大きな戦力を持つことができない。
建国から数年の新興国にもかかわらず、世界の覇権を握るほどの国力を保有したため、各国から戦力を制限されていた。
騎士団の設立は許可されたものの、王家の警護と国内の治安維持が任務だ。
だが、世界有数の治安の高さを誇るラルシュ王国。
そして、国王と王妃は世界三大剣士だ。
形式上、騎士団副団長が国王、団長が王妃を警護しているが、誰もが知っている。
国王と王妃に警護はいらないことを。
レイがソファーに座ると、ウィルも着席した。
「ねえ、ウィル。私もマルディンの名前は知ってるわよ。私だって、イーセ王国の元騎士団団長だもの」
「あ、そうか。そりゃそうですよね。マルディンと面識はあるんですか?」
「残念ながら、面識はないのよ。彼は次期月影の騎士団長と言われていたし、人格者と聞いていたから会ってみたかったけどね」
「アイツ、マジで面白いよ。陽気な面白おっさんでね。でも、腕も良いんだよ。糸巻きって装置がまた凄いんだ」
「あらあら、あなたが人を褒めるなんて珍しいわね」
「あ! し、失礼いたしました」
ウィルが頭を下げた。
ウィルとレイ、そしてリマの三人は、昔冒険者のパーティーを組んでいた。
時折、その時の癖が出てしまうウィル。
もちろん非公式の場であれば、レイは全く気にしない。
「アタシも糸使いを知ってるよ」
騎士団長のリマが、焼き菓子をつまみながらウィルに視線を向けた。
「あ、そうか。アンタも昔はイーセ王国の騎士団で、近衛隊隊長だったもんな」
「アタシは会ったことがあるんだよ」
「マジで?」
「当時のイーセ国王の外遊に警護で同行してね。マルディンはジェネス前国王の護衛についてた。マルディンの年齢は、確かアタシの一つ下だったかな。実はその時にジェネス前国王が襲撃されたんだけど、一瞬で取り押さえたよ」
「アイツ、その当時から凄かったのか」
「間違いなく将来の団長だと思ってたんだけどな」
まさかマルディンも遠く離れた地で、自分の噂をされているとは思わないだろう。
それも異国の騎士団副団長と団長、ギルドマスター、そして王妃だ。
その時のマルディンは、フェルリートが作った朝食を食べていた。
 




