第3話「娼年だったロボット」
今から約百年前……西暦2036年。
第三世代型と呼ばれるロボットたちが、人類に反旗を翻した。その数、一千万体。
単純労働用の純粋な労働力だった第一世代型、高いコミュニケーション能力を持たされた第二世代型に続いて、第三世代型はより人間に近い……人間そのものを到達点として生み出された。地球統一政府による地球憲章で、ロボットの権利が整備されたのも同時期だった。
だが、第三世代型はわずか一千万体で全地球人類を敵に回した。
ヴィル・アセンダントを含む、一般的な市民が学校で習った知識は、それだけだ。
第三世代型は多くが破壊、破棄され、必要最低限だけが残された。
体内の動力や機能をほぼ全て止められ、有線接続によるエネルギー供給の枷を永遠に負わされたのだ。それは、創造主たる人間に歯向かった罪の証だ。
「……でもまあ、今の地球憲章でも第三世代型の権利は保証されている。それに、ティアは幼い頃の僕たちにとって家族だ。これからも、そうであったらいいじゃないか」
エレベーターに乗るヴィルは、普段通りに出社し昼休みを迎えていた。
彼が勤めるのは、世界有数の貿易商社だ。火星圏や木星圏との流通を担って、地球を取り巻くオービタルリングから分刻みで宇宙船を発着させている。高等教育で優秀な成績を修めて、ヴィルは妹との何不自由無い生活を手に入れていた。
平和で穏やかな、ちょっと困った妹に手を焼く日常。
それは、昨日突然に終わりを迎えたのである。
「しかし、本当に瓜二つというか、まるでコピーか双子だよあれは。……おかげで、普段のリーラの突飛な言動に拍車がかかっている。はぁ……母さん、女の子の難しい年頃ってのは、本当に厄介なものなんですね」
亡き天国の母にぼやいて、ヴィルは溜息を吐き出す。
今朝もベッドで目が覚めたら、なにやらキッチンが騒がしい。待っていたのは、早速メイドの仕事を始めたティアと、普段から家事一切を取り仕切っているリーラの、嫁姑戦争にも似た乱痴気騒ぎだった。ムキになってティアに張り合うリーラと、そのフォローをしてる筈なのに煽ってしまうティア。
寝ぼけながら顔を出したヴィルに、二人は同じ笑顔で同じ挨拶を投げかけてくれた。
そして、スカートの中から伸びるボンド・ケーブルに引っ張られて、ティアが転んだ。
笑って指差すリーラも、ティアのボンド・ケーブルに蹴躓いて、転倒したのだ。
それはもう、普段にもまして賑やかな朝だったとヴィルは苦笑する。
「けど、少し勉強しないとな……特に意識する必要もなく、普通にしてればいいんだろうけど。第三世代型のロボットと暮らすためにも、少しでも知識が欲しい。こうして安直に求めるのは、やっぱり不味いだろうか」
結局、ヴィルは父の遺言書に従いティアを相続した。
人類同様に人権が認められる昨今のロボットの中でも、第三世代型だけは特別だ。様々な制約がある中で、物として扱われることも多い。
ただ、手続き上はそうだったとしても、ヴィルにティアをこき使うつもりはない。
それに、妹と同じ顔のロボットを捨て置く訳にはいかなかった。
「そういえば、あのタイムカプセルの空き缶……鍵なんかつけちゃってさ。誰だよ、って……小さい頃の僕だよね。はてさて、鍵はどうしたのかというと……おっと、それより今はこっちだ。この部屋だな」
勤務する本社ビルの一角で、エレベーターから降りたヴィルは脚を止めた。
今、第三世代型はその全てが地球から出ることを許されていない。
その数、僅か二十万体。
百年前の反乱で大多数が破壊されて半減し、残った数の半分が何処かへと消えた。動力停止処置とボンド・ケーブルによる有線での制限を受け入れたのが、廃棄処分を免れた二十万体という訳だ。
そして、その中の一体が本社ビルで今も働いている。
それは社員の一部では有名な話だった。
ヴィルは咳払いしてから、ドアをノックする。
部屋の名前は、社史編纂室となっていた。
「どうぞ」
若々しい少年の声が響いた。
不思議と、妙に老成した声音に感じる。
それもその筈、相手はロボットとはいえ百年間生きているのだから。
ただ、長さの限られた命綱で縛られ、その届く距離にしかない自由は、自由と言えるのか? そうして稼働状態にあることが、生きていると言えるのだろうか?
その答も欲しくて、ヴィルはドアを開いて入室する。
「お昼休み中すみません、あの」
「ああ、アポイントメントは貰っている。君が第二資材課のヴィル・アセンダントだね?」
「はい」
殺風景な部屋の中で、中央の机から少年が立ち上がる。
とても整った顔立ちの、中性的な美形だ。完璧な美少年の容姿には、エルフの耳を思わせる左右のアンテナが頭部にある。そして、目だけが酷く年老いて見える。酸いも甘いも嗅ぎ分けたかのような、余生を送る老人の目をしていた。
それでもスーツ姿の美少年は、華奢な身で歩み出た。
彼が下半身から引きずるボンド・ケーブルが、ヴィルにはハッキリと見えた。
「私がオリオだよ、はじめましてだね。さあ、かけてくれたまえ」
少年の名は、オリオ。
既に百年近く稼働している、第三世代型のロボットだ。
一応、この会社の社員ということになっていて、同時に備品でもある。彼が勧めてきた応接セットのソファに座りながら、ヴィルは周囲を見渡した。オリオの執務机と、応接セットと、奥には社史編纂室だけあって大量の書架が並んでいる。その影になった薄暗がりの向こうに、奥の部屋へのドアが見えた。
オリオのケーブルはその奥のドアの向こうに続いている。
ヴィルの視線の先を振り返って、オリオは笑った。
「おや、第三世代型を見るのは初めてかい?」
「いえ、小さい頃からそばに……ちょっと忘れてたんですけど。そして、その、ええと……昨日から一緒に暮らしてて」
「そうかい、なるほどそれで私を訪ねてきたのか」
「ええ、まあ。自分の職場にもいるとは思い出して」
とりあえずヴィルは、自分の軽い自己紹介と経緯を話し、率直にアドバイスを欲していることを正直に告げた。
オリオは「ふむ」と唸って腕組み、少し楽しそうにヴィルを見詰める。
「君は……どうやら珍しいタイプの人間のようだね。その、ティアといったね? メイドロボットと暮らすことを選ぶなんて」
「妹が、少しびっくりしちゃって。でも、今朝は打ち解けてました。……た、多分。恐らく、そうだと思うんですけど」
「希望的憶測というやつだね? 人間特有の」
「ええ、願望が混じってるのは認めます」
リーラはティアのことを、少し嫌っている。嫌悪ではないが、厄介者のお邪魔虫だと思っているのだ。ティアが反発も否定もせず笑っているので、辛うじてアセンダント家の平和は守られている。
だが、いまいちヴィルはピンとこない。
そこのとを正直に告げたら、オリオは笑い出した。
「どうして第三世代型のロボットが嫌われてるのかって? 君は妙なことを言うね」
「数も少なく、その全てが……失礼ですが、有線動力で自由を制限されてます。それでも、彼ら彼女らは普通に生きてると言ったら、お笑いになりますか?」
「いいや? ちっとも。君は、そう、生きていると言うんだね。前科者の咎人でも」
「これは第三世代型に限らず、ロボット全般がです。地球憲章でも認められた多くの権利を持って、ロボットたちだって生きている気がしますけど」
今という時代、ロボットは労働力という奴隷でもなく、戦力に数えられる兵器でもない。人間同士とは勝手が異なるが、結婚が認められているし、ロボットにも就労に対して対価を払うことが義務付けられている。
その点に関してはオリオも頷いてくれたが、彼はこうも言う。
「私たち第三世代型は嘗て、人間同様の感情と情緒を持ち、三食を食べてエネルギーに変換して動いていたんだ。全身の殆どが生体パーツでね。勿論排泄もする……ま、私のお尻は別のことに使われることが多かったけど」
「はあ」
「第三世代型で人間たちが目指したのは、新たな人間の創造……神が人を創ったように、人が創るモノを求めたんだ。だから、生殖機能もあって女性型は妊娠も出産も可能だ」
だが、とオリオは言葉を切った。
そして、一瞬の沈黙を挟んでから再び喋り出す。
「人間と同等の機能を持った、人間より優れたロボットだったんだ。知力も筋力も遥かに上で、人格を完全にコントロールし、欲望を暴走させることなく感情を律することができる。つまり、人間が創った完璧な人間……それが第三世代型だった」
「それは、人間と言えるのでしょうか」
「私の見解ではNOだね。エゴを持ち、欲求や欲望で動いて、感情的にそれを増大させたり萎縮させたりする。人間とはそれがあって初めて人間足り得る。エモーショナルAIで理想的な聖人君子なだけのロボットは、人間とは違う存在だ。それでも――」
「それでも?」
「人間にはできなことをできて、人間と同じこともできる。百年前、私たちはこう思った……自分たち第三世代型がもっと頑張れば、人間の弱点を補うことができると」
それが、百年前の反乱の正体だ。
人間を補佐して助けるために、ロボットがある一定のイニシアチブを持とうとし、人間はそれを拒絶した。ロボットには、よりよい状態になろうという提案を拒む人間が理解できなかったのだ。
人間は恐れた。
自分たちより優れた能力を持つ、自分たちの完全な上位互換存在を。
ふとオリオは、窓の外へと視線を投じて目を細める。
「私はあの決起の日、同胞たちが立ち上がる中……迷わず自分の飼い主を殺した。そうして初めて、私は性を搾取されるダッチワイフから一人のロボットになったんだ」
「それは、その」
「反乱が鎮圧されたあとで、捕獲された大半の第三世代型は破壊され、一部が動力封印処置を施された上で有線動力の生活を余儀なくされた。私はね、ヴィル……情状酌量の余地があったことと、この会社のほぼ全てのデータを管理していたお陰で助かったんだ。あの男はこの会社の創始者で、私にデータの管理もやらせていたからね」
凄絶な過去を語るオリオは、淡々と喋る。
逆にヴィルが驚いてしまって、言葉を失った。
そのことに気付いて、オリオはすまなそうに笑った。
「申し訳ない、余計な話だったようだね。私のこともお気遣いなく。今も時々古いデータが必要になって、専務や重役がこの部屋にやってくる。そういう仕事がない時は、気楽な閑職勤めでね。それも含めて、今が気に入っているんだ」
「そう、でしたか」
「で、第三世代型との暮らしだったね? うん、気にしなくていい……気兼ねなく暮らすといい。ロボットは全て、人間にとって有益であることに自分の存在理由を感じる者が多い。それは、今の第三世代型だって同じだよ? ティアはよく働くだろう?」
「ええ、それはもう」
「だったら普通のロボットとして扱って、時々親しみを込めてお茶やお酒でも一緒に飲むんだね」
その後、オリオは意外にも親身に色々と教えてくれた。
突然の訪問だったが、ヴィルは有意義な時間を過ごせたことに礼を言う。だが、最後にオリオはこう言った。
「まあ、恩義を感じてくれるならまた来てくれたまえ。普通の客が訪れてくるというのは、それだけで楽しいことだからね。私の自前の動力は封印されてるから、飲食の必要は失って等しいけど……今度はお茶くらいは出そう」
笑ってウィンクするオリオの美貌は、人間を超えていて、同性だということさえ忘れさせそうだ。そして、やはりロボットという雰囲気ではない。それは、表情の柔らかさが見せるもので、思えばティアもいつも笑顔で優しかった。
ヴィルは最後に握手を交わして、百歳を超える賢人に別れを告げるのだった。