第15話「悪意と、憎悪と、白い肌と」
帰宅したヴィルは、蹴破るようにドアを開け放つ。
脱ぎ散らかした靴が宙を舞い、落ちる音を聞く前にリビングへと飛び込む。
そこには、お茶の準備をしているいつものティアがいた。
彼女が驚きに目を丸くする中、鞄も放り出す。
そうしてヴィルは、ティアに飛びつくようにして抱き締めた。
「ヴィッ、ヴィル様!? あ、あの――」
「ティア! 無事だね、ティア……ああ、よかった。その、ニュースを見て飛んできたんだ」
「あの、ヴィル様」
「わかってる、なにも言わなくて大丈夫。僕は君が裏切るなんて思ってないし、ロボットは人間の敵じゃない。こんな時こそ冷静になって、落ち着く必要があるんだ」
「は、はい。それで、ヴィル様」
ティアはロボットなのに、甘やかな匂いがする。胸の中に閉じ込めたくなるような、花の香りだ。それは彼女のメイド服を洗った洗剤の匂いかもしれないし、彼女が使っているシャンプーの香りかもしれない。
だが、安堵のあまりヴィルは強くティアを抱き締めて息を吸い込む。
確かな温かさと柔らかさが今、腕の中に息衝いていた。
そう、第三世代型のロボットは人間と同程度の弾力を持つ人工皮膚で覆われ、体内を血管のように巡る循環液で体温を保っている。なにも人間と変わらない。
「あの、ヴィル様……は、恥ずかしいです」
「ごめん、でも……もう少しだけ。もう少しだけ、こうしてていいかな。帰ってくるまで、ずっと不安だった。それが――」
「で、でも……恥ずかしい、です。その……見られて、ますから」
その時だった。
ゴホン! と咳払いが響き、ヴィルは驚き首を巡らせた。
リビングのソファに、スーツ姿の男が二人座っている。片方は中肉中背の壮年男性で、眼光が鋭い。もう一人は長身でがっちりした筋肉質の青年だ。
二人は立ち上がると、同時にスーツの内ポケットから小さな専用端末を出した。
小さく電子音が響いて、警察のマークが立体映像として浮かび上がる。
「どうも、ヴィル・アセンダントさん。……もう、いいですかな?」
「え、あ、ああ……どうも。すみません」
慌ててヴィルはティアを手放した。
ティアも頬を赤らめつつ、苦笑しながらお茶の準備に戻ってゆく。
改めて二人は刑事だと名乗り、捜査のために訪れたと語った。
「私はオクター・ヴィンス。こちらは部下のラケル・シャフターです」
「どうも、ラケルです。少しお時間、よろしいでしょうか?」
二人の刑事には、有無を言わさぬ迫力があった。任意の形を取っているが、既に上がり込んだ以上、引く気はなさそうだ。そして、疑惑の視線がヴィルに向けられていた。
正直、心当たりはない。
だが、聴取に同意すると衝撃の事実を突きつけられた。
「貴方のお兄さん……ヒドル・アセンダント氏が亡くなりました」
「な、なんですって!? ヒドル兄さんが!?」
「今朝、遺体で発見されました。それで今、容疑者を捜査中です」
「なんてことだ……連絡がつかないと思ったら」
リーラの病気のことで、ヴィルは何度も長兄ヒドルに連絡を取った。だが、家人はもちろん兄の会社関係者すら知らないという。行方不明のヒドルのことを、電話する先々で逆に聞かれる始末だった。
しかし、連絡が取れる筈がなかったのだ。
なぜなら、ヒドルは死んでいたから。
刑事のラケルが淡々と報告を読み上げ、オクターが疑念を捩じ込んでくる。
「ヒドル氏の遺体は今朝、浄水場の中の浄化槽で発見されました。死後数日が経過しており、現在は検死中です。死因ですが……生きたまま、力任せに拗じられたとしか――」
「と、いう訳でしてね。親の財産を継いだばかりの資産家が、肉雑巾みたいになってた訳ですよ。で……我々は財産相続絡みの怨恨の線を探っとるんです」
ヒドルが死んだことが、まだ実感できない。
短慮で短気、すぐに暴力を振るう次兄タルスとは間逆な人だった。自分とリーラには冷たく意地が悪かったが、己の手は汚さず狡猾ないじめばかり考える人だった。
父の自慢の秀才息子で、誰からも愛され……誰にも残虐性を気付かれなかった。
いい思い出が全くないが、死んでいい人間なんていない。
それも、人間とは思えぬ死に方をしたと聞いて心が痛んだ。
だが、二人の刑事を交互に見てヴィルは正直に話す。
「僕をお疑いでしたら、アリバイを証明します。会社に問い合わせてみれば同僚がいくらでも。勿論捜査にも協力しますし、詳しい事情も説明します」
「……ヴィルさん、貴方は犯人に心当たりがあるのでは? あるいは、貴方はやっていないが、誰かに命じて――」
「そんなことはしてませんっ! ……こ、こんな大変なことになっているのに」
「ええ、先程の臨時ニュースですな? そのこともあって、私共も急いで来た訳でして」
第三世代型のロボット達が、再び人類に反旗を翻した。
それを知った時にはもう、ヴィルは大事な友人を失っていたのだ。だが、そのことと兄の死は、どこで繋がっているのだろう? 疑問に思えど、頭が上手く働かない。
そうこうしていると、ティアがお茶を用意し戻ってきた。
紅茶のいい香りが湯気に乗って、室内にゆっくり漂ってゆく。
そして、熱い茶を一口飲んで落ち着いたヴィルは、あることを思い出した。
「あ、あの……先日、もう一人の兄、タルス兄さんが訪ねて来ました」
「ふむ、それで? ……大変興味深いですな。続けてください。おい、録音を。構いませんな?」
若い方のラケルが、先程の警察用端末を取り出す。
聴取が録音されることに同意して、ヴィルは先日のことを思い出しながら全てを話した。兄を憎く思うことはないのだが、心当たりがあったのに話さないのも気が引ける。なにより、知っていた情報を提供しなかったと思われたくない。
今のヴィルに大事なのは、リーラとティアだ。
だが、二人のために第三世代型ロボットのボディを手に入れるという、唯一の希望が絶たれてしまった。ツテを頼りたかったヒドルは、既に故人となってしまったのだ。
そして、世界中の第三世代型ロボットの蜂起が、希望を持つことさえ許さない。
「タルス兄さんは、月面の……月の裏の事業に関して、財産相続に不満を漏らしていました。それで、僕の家に一度来たんです」
「ええ、存じてます……その時、ちょっとした騒動があったようですが?」
「あ、ええ……タルス兄さんに手をあげられ、その時――」
「その時、そちらのティアさんが守ってくれたと。……彼女が、物理的にタルス氏へ反撃した訳ですね?」
「いや、それは違うんです! ティアは僕を守ってやむなく……え? な、何故、それを」
オクターは神妙な表情をことさら強張らせ、そして言い放った。
「タルス氏は亡くなられました。もう三日も前に病院で。その死の間際に、我々が得た情報がここに導いたのです」
「と、言いますと……え? ま、まさか」
ヴィルは驚きに目を見張った。
だが、真っ直ぐ見詰めてくるオクターの瞳は強く輝いている。
「タルス氏は出血多量で亡くなりました。両手両足を力づくでむしり取られたんです。生きたままね。そして……今回のヒドル氏もそうですが、我々は一つの結論に至りました」
「ま、待って下さい! それは違います!」
「犯人はロボットで間違いありません。なにせ、人間技じゃない。そして……死の間際に、タルス氏が先日ここであったことを教えてくれました。ティアさん、でしたね?」
オクターはソファから立ち上がった。
慌ててティアに駆け寄ろうとヴィルも続いたが、ラケルが録音を続けながら手で制してくる。
そして、オクターは無慈悲な一言を言い放つ。
「つい先程の第三世代型ロボットの再度の反乱。そして、それと前後するようにヴィル氏の二人の兄を惨殺。……全て、貴女の仕業に違いませんね? そうだな? ポンコツ売女っ!」
「わ、わたしはなにも」
「昼間、ヴィル氏が仕事で出ている時、常にお前は一人、いや……一体だった。アリバイはない。そのボンド・ケーブルは本当に庭のデカブツに繋いであるのか? ええ?」
「も、勿論です! わたし達はもう、有線接続による外部動力からのエネルギーがなければ」
「だが、お前等は再び人類を裏切った! そうだな! 今日のあの緊急ニュース!」
ティアにそんなことができる訳がない。
だが、実際にティアはタルスをあの日、彼女らしからぬ荒業で引き下がらせた。ヴィルに降りかかる暴力を振り払うため、自分もまた暴力を振るったのだ。嘘までついて脅したのを覚えている。
あの時のティアは確かに、ぞっとするような恐ろしさがあった。
それでも、彼女が一番そのことを気にしてたし、ヴィルのためにと手を汚したのだ。そのせいで今、殺人容疑で疑われている……それはヴィルには耐え難い苦しみだ。
そして、更なる業苦が訪れる。
「……脱げ。ケーブルの接続を確認する」
「待って下さい! 僕の話を聞いて下さい、オクターさんっ!」
「飼い主は黙っててもらいましょうか? このポンコツには、殺人容疑ともう一つ……無断でケーブルを外して行動した疑いがある。それを確かめてみようじゃないですか」
ヴィルはラケルの太い腕に阻まれながらも、噛みつかん勢いで叫ぶ。
そんな彼に、ティアは弱々しく微笑んだ。
「ヴィル様、大丈夫です。刑事さんにはわかってもらえると思いますから。わたし、そんな恐ろしいことしてないですし」
「でも、ティア! 君は……駄目だ、こんな辱めを! ロボットの人権だって地球憲章で」
「その地球憲章は、第三世代型には多くが適用されないんです。でも、平気です……わたしはヴィル様が信じてくれてますから、平気です」
ティアは、エプロンを脱ぎ、スカートに手をかけた。そして、シャツも脱いで床に捨てる。そこには、少女が大人を脱し始めた一瞬を、永遠に閉じ込めたかのような美貌があった。ほっそりとしていても、胸や尻の膨らみは女性的な曲線を優雅に描いている。
そして、ティアのヒップラインのすぐ上には、背骨から脊髄へと直結するかのようなケーブルが繋がっていた。
だが、オクターは厳しい視線で小さく叫ぶ。
「下着もだ! 全部、脱げ……お前等ロボットは、なにをどこに隠しているかわからんからな」
「ッ! ティア、もういい! いいんだ、服を着て!」
「ラケル、飼い主を黙らせろ」
不意に「失礼」という言葉が響いて、ヴィルはソファに押し付けられた。
そして、見る。
ティアは恥じらいに俯きつつ、最後の着衣を脱ぎ捨てた。
生まれたままの姿のティアが、そこにはいた。
人間そのものを完全に再現した第三世代型のボディは、背後にケーブルが突き刺さっていることを除けば、人間と全く変わらない。下腹部にはささやかな茂みがあり、形良い乳房も豊かな質量で重力にあらがっている。
ヴィルも初めて見る、ティアの芸術的な裸体。
だが、その感動を感じる余裕もなく、ひたすらに耐える彼女の横顔を見るのが辛かった。
「さあ、そこの壁に手を付け。ボディチェックだ……しかし、ええ? 肉付きのいい生娘みたいな身体じゃないか。おい、ラケル! 動画で撮っておけ。さあ、反抗分子め……たっぷり隅々まで調べてやる」
オクターに言われるまま、ティアは背を向け壁に手を付けた。
そして、中年男の大きな手が彼女の柔肌に触れてゆく。
オクターは何度もケーブルの基部周辺を執拗に調べた。その間ずっと、ティアは唇を噛みながら耐えている。その光景をただ、ヴィルは見ているだけしかできなかった。




