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2040年1月 真昼が残した想い

 頭上に煌めく星を眺めて、あたしはただ歩き続けた。足はもう棒みたいでじんじんと痛い。それでも止まらずに進む。

 深夜の時間帯で駅からどんどん離れているからか、すれ違う人はほとんどいない。

 白い息を吐きながら進んでいくと、目の前に大きな鉄橋が見えてきた。緩やかな上り坂を歩いて橋の真ん中に辿り着く。

 当たり前だけどあたし以外には誰もいない。ここでなら一人きりになれる。今は家族ですら近くにいることが辛かった。一人になれば心が休まると思った。

 でも、荒んだ胸の中は穏やかとは程遠い。

 わかってる。結局、あたしが答えを見つけるまで、この苦痛に終わりはない。

 手すりから下を覗くと、黒々とした水面と、誰も居ない土手が見えた。


 ――いっそ死んじゃえば楽になるかな……。


 底の見えない川を眺めて、爪先立ちになる。手すりはたぶん楽に超えられる。

 だけど、足は地面から離れない。自殺する勇気なんて起きない。死が怖いわけではなく、残された人のことを想うと、とてもそんな真似はできない。

 母も父も、そして大好きな幼馴染の男の子も、悲しませたくはない。

 ただでさえ今は彼を傷つけてしまった。鬱屈とした感情をぶつけたことを後悔している。


 ――あたしのこと、嫌いになったかな……春ちゃん。


 三日前の夜は人生の中でもどん底だった。

 自分の演奏がアリシアのコピーでしかないと気づいてから、あたしは元の弾き方を思い出そうと躍起になった。だけど染みついたアリシアの弾き方は簡単には消せず、強引に変えればちぐはぐな演奏にしかならなかった。おかげでコンクールは散々な結果に終わった。

 あたしの価値はアリシアのコピーでしかないと、突きつけられてしまった。

 そんなときに聞かされた彼の想いは、あたしの絶望に輪をかけるだけだった。本当だったら飛び上がるくらい嬉しいはずなのに、そのときは彼の人生の決断にあたしが影響していることがとてつもなく怖くなった。

 ニセモノだとバレたとき、選択を間違えたと彼が悔やむような気がして、耐えられなかった。

 手すりにもたれかかり、かじかむ手に息を吐きかけながら彼のことを考える。今も困惑しているかもしれない。わけがわからないと愛想を尽かされてしまったかもしれない。

 不意に、笑いがこみあげる。あたしは自分に呆れた。


 ――わかってるくせに……春ちゃんは、あたしのこと見捨てないって。


 驕りや自信過剰でもなく、彼とあたしは互いに互いを見捨てないと言い切れる。

 吠える犬の前で手を差し伸べた彼は、男の子たちの間から連れ出してくれた彼は、ずっとずっとあたしを引っ張ってくれた。あたしが空元気で過ごしていたときも必ず気遣ってくれた。

 彼はあたしを見捨てない。

 あたしが、彼を見捨てないように。

 その信頼に甘えて、あたしは自分のことを優先するあまり彼を傷つけてしまった。

 本当にワガママな女で、自分が嫌になる。


 ――……まだ、間に合うかなぁ。


 手すりから離れて、道路と歩道を隔てる縁石の上に乗る。バランスを保ったまま縁石の上を歩き、空を眺めた。

 自分の未来はもう決まっているのだと、漠然と考えていた。でも何一つ確約はされていなくて、未来は白紙になった。何を信じて、頼ればいいのかわからない。

 でも、ただ一つだけ、あたしに残っているものがあるとすれば――それは、彼との信頼。

 春ちゃんはあたしがどんな姿になっても、側にいてくれる。手を差し伸べてくれる。

 今まではその関係に甘えるだけだった。でも、寄りかかっているだけじゃ駄目だ。そんなことをしていれば本当に愛想を尽かされてしまう。

 変わりたい。あたしも、春ちゃんの人生の一部を背負えるくらい強くなりたい。


 ――謝らなくちゃ。明日、ちゃんと言おう。


 自分の才能がアリシアのコピーだったと打ち明けることは、怖い。考えると足が震える。

 それでも大好きな幼馴染なら、受け止めてくれる気がする。

 そして、彼がそばにいてくれるなら治療に踏み出せる。

 アリシアの影響を消すことでピアニストの才能がなくなるとしても、一から出直すことになっても、構わない。

 彼が未来を見据えて頑張っているのに、あたしだけ逃げたくない。


 ――……よし、ちょっと楽になった。


 深夜徘徊はちょっと背徳感があって癖になりそう――なんて考えていると、前方からチカっと光が差した。橋の向こうからライトの光が近づいてきている。

 車だろうけど、若干ふらふら揺れていて危なっかしい。

 避けた方がいいかも。そう思ったとき、縁石から足を踏み外した。


「あっ」


 足に力が入らなくて、よりによって車道の方に転んだ。早く戻ろうと車の方を見て、気づく。

 車はスピードを落とさない。あたしに気づいていない。

 垣間見えた運転席の男の人は、眠る直前のようにカクンと頭を垂らしていた。

 逃げなきゃ。頭ではそう考えても、足がうまく動いてくれない。そういえば昔、寒い日に貧血を起こして倒れたことがある。そのときみたいに痺れている。

 ライトの真っ白な光が視界を塗り潰す。

 その瞬間――なんとなく、結末がわかってしまった。

 あーあ、と残念に思った。うまくいかないもんだなぁ、なんて冷静に考える自分がいた。

 だから、刹那の間に想う。大好きな幼馴染の男の子のことを。

 あなたのそばに居たかった。どんな形でもいいから、あなたを支えたかった。

 だから、神様、どうか――

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