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2043年1月 真昼の力

『とにかく、治療にストレスがかかるのでは先に進めない。だから僕は原因を探るという体で認知療法を始めたわけだが……不安定な状態は治っていない。何らかのキッカケで精神に負担がかかり、症状が悪化することは十分に考えられる。警察にも話したけど、彼は軽度の錯乱状態にあって突発的な行動に出てしまっているのだろう』


 耳の奥で、ドクドクという心音が聞こえていた。手先が痺れて感覚がない。視界が滲む。


 ――私が、あんなことを言ったから。


 佐久間先生はなにかのキッカケと言った。

 それはつまり、私のせいじゃないのか。私が、彼の精神に負担をかけたから。余計な気遣いをして傷つけたから。

 私のせいで――


『――さん、雨宮さん!』


 ハッとする。遠ざかっていた音が再び戻ってきた。


『自分を責めてはいけない。断言するが、君とのやり取りが決定打になった可能性は低い。そうであれば彼の変調はもっと前に現れていたはずだ。おそらくこの数日内にショックを受ける何かが起きたんだろう。だから落ち着いて、気持ちを切り替えて』

「……はい」

『とにかく僕はできることをしようと思う。君もなにか思い出したら伝えて欲しい』

「わかり、ました」


 佐久間先生はまた連絡すると言って電話を切った。

 腕を下ろす。歩き出そうとして、自分の足がまったく動かないことに気づく。

 早く竹田くんを探しに行かなければいけないのに、気持ちは泥沼に沈んでいく。

 その場にしゃがみこみ、膝の間に顔を埋める。 

 佐久間先生は私のせいじゃないと言ったけれど、本当にそうだろうか。

 彼の傷に気づかず、強い人だと無神経に評したのは私だ。

 罪の意識を抱えた彼に、真昼さんの話ばかりしたのも私だ。

 私と出会ったことで、竹田くんは余計な負担を抱えてしまった。

 私なんかと出会わなければ、こんなことにならなかった。

 動き出せずにいると、誰かがすぐ近くに寄ってくる気配がした。でも私は億劫で、ただじっとしていた。


「あんた、こんなとこでなにしてんの?」


 聞き覚えのある声。のろのろと顔を上げる。

 そこには花咲華さんが立っていた。首にマフラーを巻きコーヒーカップを手に持っている花崎さんは、怪訝そうに私を見下ろしている。


「お腹でも痛いの」

「あ……いえ、これは」


 すぐに立ち上がる。花崎さんから鋭い視線を向けられ、思わずたじろいでしまう。


「じゃあなんでこんなとこでうずくまってんのよ」


 挑発的な聞き方にイラッとしてしまう。普段なら聞き流せたけど、精神的に疲弊している今は余計に不快だった。

 黙っていると花崎さんがじっと見つめてくる。正確には目元当たりを確認している。


「竹田と喧嘩でもした?」


 肩が跳ねる。花崎さんは肩を竦めた。


「彼氏と揉めただけでこんな場所で泣いてるとか、随分と大袈裟ね。そういうのは家に帰ってやったら? 正直、邪魔だから」

「彼氏じゃ、ない。喧嘩したわけでもない」

「へぇそう。じゃああいつから泣かされたわけ」

「違う! ……そんなんじゃ、ないよ」


 どうして無関係の花崎さんにこんなことを話さなきゃいけないのだろう。私だと気づいても無視してくれればよかったのに。


「あの、私のことなんてもう気にしないで、行ってください」

「惨めなところを眺めてたいだけよ。そっちこそ気にしないで」


 この人はほんと。言い返そうと口を開いて――ふと、花崎さんの目つきに違和感を覚える。

 彼女の眼差しは私を嘲笑するというよりも、私の動向をつぶさに観察するといったほうがしっくりくる。言葉ほどに悪意がないというか、妙に真面目だ。


「もしかして心配してくれてる?」


 カマをかけるつもりで聞いてみた。

 瞬間、花崎さんは慌てたようにそっぽを向いた。


「べ、別にあんたが何してようとあたしには関係ないけど? ただ制服のままだし変な男に言い寄られでもしたら大変、じゃなくてうちの生徒が変な目で見られたら迷惑ってだけ!」


 早口で捲し立てられてポカンとしてしまう。

 まさかとは思ったけど、そのまさからしい。あの花崎さんが私を気遣ってくれている。

 なぜだろうと考えたけど、別に不思議ではなかった。花崎さんは転校初日の私をグループに誘ってくれるほどリーダー気質だし、クラス委員も率先して請け負っていたと聞く。

 花崎さんは基本、面倒見が良い性格なのだろう。だから彼女の周りには多くの人が集う。自分の意図や好意に反対されるのが我慢できなくて人を傷つけたりもするけど、こういうときは違う面が出てくる。

 この人なら、私の迷いに答えを出してくれるだろうか。


「花崎さんは、たとえば自分を嫌ってる相手に、どうしても言いたいことがあったとき……どうしますか」


「はぁ?」急な質問に花崎さんが眉をひそめる。


「それってあたしになにか言いたいわけ?」

「あの、ではなく私自身のことで……話したくないと思ってる人に、一方的に自分の想いを伝えるのは、単なる自己満足なんじゃないかって」


 心が疲弊しているせいか、花崎さんの強さに縋りたい気持ちが強くなっていた。

 花崎さんは鼻白んだような表情を浮かべて少しだけ考え込み、鼻を鳴らした。


「程度によるでしょ。どうでもいい奴なら黙っておけばいいし。言わないと一生後悔する相手なら迷惑がられても伝えるだけ。口に出さないと、いつまで経ってもなにも変わらない」


 当たり前といえば当たり前の返答だった。

 だけど胸の中にストンと落ちて染みこんでいく。

 伝えなければなにも変わらない。竹田くんとの関係を続けるのも終わらせるのも、私が一歩を踏み出さなければなにも始まらない。

 真昼さんでも、きっとそうするはずだ。


「ていうかどうせ竹田とのことでしょ。迷ってないで行けばいいじゃん」

「あ、その、今は言えないというか。どこにいるのかわからないし」

「はぁ? なによそれ」


 しまったと思ったときには、花崎さんがずいと詰め寄ってきた。

 誤魔化せない雰囲気に根負けして、今の状況を掻い摘まんで話す。


「はぁあああああああ!?」


 話し終えた途端、通行人が驚いて立ち止まるほど素っ頓狂な声が響いていた。


「は、花崎さん声大きい……!」

「なんでそれを先に言わないのよあんた! 大ごとじゃない!」

「でも、迷惑かなって」


 花崎さんは舌打ちすると私にコーヒーカップを突き出した。戸惑いながら受け取ると、彼女は鞄からカイロスギアを取り出して頭に装着し、ジェスチャー操作を始める。

 数秒後「あ、聡太?」と声を出す。どうやら須賀君に電話をかけているらしい。


「あのさーなんか竹田が家出したらしいのよ」


「!? 花崎さんちょっと!」慌てて彼女の腕を掴むが鬱陶しそうに払われる。


「は? なんでかって? 知らないわよそんなの。とにかくあいつ家に戻ってないんだってさ。別にどうでもいいんだけど、なんか雨宮が泣いてんのよね。だから仕方なく……ちょっとなに笑ってんのよ今は関係ないでしょ。とにかくあんたは友達とか部活の後輩とか総動員して竹田を探させて。あたしも他の高校の子に連絡回して貰うから」


 話し終えた花崎さんがまた別の人に電話をかける。話す内容はやはり竹田くんの捜索を手伝うようにという指示だった。

 呆けていると、ギアを外した花崎さんが私を見て口をへの字にする。気まずい、というより照れている表情だった。


「勘違いしないでよね。あんたには借りがあるから」

「借り……?」

「~っ、鈍いわね! 文化祭でのことよ!」


 言われてみるとそうかもしれないが、別に恩に着せるつもりは一切ない。もしかすると花崎さんはずっと気にかけていたのだろうか。


「とにかく! あたしは他の子にも目撃情報がないか確かめてみるから、あんたも早く探しなさいよ。それとも自分だけ待ってるつもり?」


 問われ、すぐに首を振る。花崎さんは不敵に笑った。


「あんたまだウチらのグループ入ってるわよね。そこに情報上げてくから。あんたもなにかわかったら連絡して」

「あ、あの、花崎さんっ」


 声を振り絞る。恥ずかしさや申し訳なさや嬉しさが混ざり合って、彼女を直視できない。

 せめて誠意が伝わるようにと、頭を下げる。


「ありがとうございます……!」

「そういう重たいのいらない。どうしても礼がしたいなら今度おごれ」


 頭を上げると、花崎さんは赤くした頬で笑っていた。


***


 街中を走る。片手に握りしめた携帯電話は絶えず振動していた。花崎さんグループ専用の連絡画面には様々な人の情報が上げられていく。

 どの地点に探しに行く、この場所にはいなかった、特徴を教えて欲しい、他校の友達も呼んできた――多くの人が竹田くんのために動いてくれている。

 画面を眺めていると涙腺が緩む。私は唇を噛みしめ、多くの人に心の中で感謝した。

 そして、尊敬する女の子に対しても。


 ――ありがとう、真昼さん。


 皆を動かしたのは花崎さんだけど、その花崎さんとの関係は私の中の真昼さんが大きく影響している。以前のままの私だったらきっと、こんな展開にはならなかった。

 真昼さんのせいで私は変わってしまった。同時に、こんなにも救われている。


 ――もしかすると、竹田くんのことだって……。


 私の身に起こった異変は彼の心をかき乱すだけと思っていたけど、本当は違うかもしれない。

 傷つき消え入りそうな彼のために、私の異変は起こったのかもしれない――今はそう思える。

 また携帯電話が振動した。画面を確認して、立ち止まる。


『バスケ部の後輩が竹田っぽい奴を見たらしい。ただあいつの住所からかなり離れてるし見間違いの可能性もある』


 それは須賀君からのメッセージだった。どの辺りかを聞くと、すぐに返事がきた。


『県境に近いんだ。埼玉方面に向かってるっぽい』


 疑問が浮かんだが、じきに氷塊した。同時に血が凍ったような錯覚に襲われる。

 駅に向かって走る。予感が正しければ、彼の向かっている場所は。

 彼の幼馴染が――間藤真昼が、死んだ場所。

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