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2043年1月 竹田清春の真実

 チャイムのボタンを押そうとして、指を引っ込める。

 そんな動きを民家の玄関先で繰り返している私はどう見ても不審者だし、押すか諦めるかしたほうがいいのはわかっているけど、踏ん切りがつかない。

 ため息を吐いて、竹田、と書かれた表札を見つめる。


 ――竹田くん……何してるのかな。


 家の中には明かりがついている。チャイムを押せば彼は出てきてくれるだろうか。

 それとも、これまでのように無視されてしまうのだろうか。

 本当は家にまで押しかけたくはなかったけれど、なにも反応がないままで時が過ぎていくことに、私は耐えきれなかった。

 竹田くんは三学期が始まっても学校に来ていない。風邪なのかと心配して連絡しても返事はない。初めのうちは症状が辛いのかなと思っていたけど、それが三日も続いたことで私は不安に駆られた。

 もしかしたらなにか起こっているのかもしれない。私達に降り掛かっている問題の大きさから、思い過ごしとは断じきれなかった。


 ――でも、彼はきっと……私なんかに来て欲しくないだろうな。


 カラオケ店で突き付けられた台詞が蘇り、ズキリと胸が痛む。

 明らかになった真実は私の全てを剥ぎ取り足元を崩すほど衝撃的で、同時に彼との関係も大きく変えてしまった。

 何よりショックだったのは、私のこの気持ちすら真昼さんの模倣じゃないのかと、彼に告げられたことだった。

 否定できなかった。私がイミテイトの影響で真昼さんの人格を模倣しているなら、彼への好意もその内に入るかもしれない。自分でもその可能性を考えてしまった。

 そんな自分が不甲斐なくて許せなくて、私は自己嫌悪に陥った。わざわざ指摘した彼にも腹が立って憎んで、それが余計に自己嫌悪に拍車をかけた。年末は母にも心配されるくらいどん底まで落ち込んで、ベッドから一歩も出れなくなった。

 さすがに前と同じように真昼さんの追体験をすることもできなくて、気持ちを上げる術は何一つなかった。

 それでも私は、竹田くんを嫌いになれなかった。この胸を締め付けるような切なさは、拒否されても会いたいと願ってしまう甘い苦しみは、確かに存在している。

 この気持ちが本物か偽物なのかはわからない。でも、簡単に諦めることもできない。

 そんなもやもやを抱えて訪れた三学期の始業式――彼は姿を現さなかった。

 会えない時間が積もるごとに不吉な予感が拭えなくなる。

 でも、また拒絶されるのかと思うと身体が竦んでしまう。


 ――真昼さん。私の背中を押して。


 意を決してチャイムを押す。するとすぐに足音が響いてきた。


「おにい!?」


 勢いよく玄関ドアを開けたのは中学生くらいの女の子だった。

 竹田くんじゃない。家族の誰か……妹さん、だろうか。


「あ、あの、私は竹田くんの同級生で、休んでらっしゃるから様子を伺いに参りまして」


 私服姿の女の子は目を丸くする。緊張で思い切り変な言い方になってしまった。

 思わず慌てたが、すぐ別のことが気になった。

 女の子の目には今にもこぼれおちそうなほど涙が溜まっている。


「おにぃの、友達……?」

「は、はい。特に用事はないんですけど――」

「ならおにぃが居る場所わかりますか!?」


 玄関から飛び出してきた女の子が私の手を掴む。急な展開にひぇっと声を上げてしまう。


「知ってたら教えてください! いまどこにいるのか!」

「ち、ちょっと待ってください。待って……話がよく、見えないのですが」


 私がそう言うと女の子は目に見えて意気消沈した。憂いを帯びた表情に背筋がゾクリとする。


「――竹田くん、帰ってないの?」


 思い違いであって欲しいと願いながら、そう聞いた。

 女の子が小さく頷く。その拍子に溜まっていた涙が頬を流れた。


「一昨日の夜から、帰ってなくて……一日だけは様子見しようってお父さんが言ってたんですけど、全然帰ってこないし、連絡も取れないままで……いまお母さんとお父さんが、警察に相談に行ってて」


 女の子がしゃくり上げ、堰を切ったように涙がぽろぽろと流れていく。


「このままおにぃ、帰ってこないかもしれない……!」


 彼女の悲痛な声に、私は呆然とするしかなかった。

 竹田くんがどこかに消えた。現実味がなくてすぐには信じられない。

 けれど、裸足のまま慌てて外に飛び出した彼女の態度が、事の深刻さを物語っている。


「あ、あなたは竹田くんの妹さん、ですよね。いなくなった原因に心当たりは」

「たぶん、あたしのせいだ」

「えっ?」

「あたしが、おにぃのこと面倒くさくなって、邪魔者扱いしたから。それで嫌になっちゃったんだ、あたしのせいで……!」


 妹さんが両手で顔を覆う。触れた小さな肩が震えていた。

 竹田くんがそんな理由で消えるとは思えないけど、妹さんは責任を感じて心を痛めている。

 ふと、胸の奥から温かいものが沸き起こった。初めて出会ったはずなのに、ずっと昔から知っているような懐かしさと親しさを感じる。

 自然と手が動き、私は彼女を優しく抱きしめていた。


「大丈夫。竹田くんは怒ってない。あなたを嫌ってなんかいないから」


 妹さんはびっくりしたように肩を振るわせた。しかし離れることなく、ゆっくりと私の胸元に顔を埋め、声を殺して泣く。

 しばらくしたあと、妹さんがそっと身体を離した。恥ずかしそうにうつむいている。


「ご、ごめんなさい、あたし……見ず知らずの人に」

「ううん。平気ですから」


 笑顔を作る。これで少しは安心してくれるだろうか。

 すると彼女は私の顔をじっと見つめてきた。


「あの、もしかしておにぃの彼女さんですか?」


「えっ」自分のものじゃないみたいなだみ声が出た。すぐに首を振る。


「た、ただのクラスメイトです」

「そっかぁ……実はおにぃの部屋に手編みのマフラーが置いてあったんです。もしかして彼女のところにいるのかもって、お母さんと話してて」


 チクリとした痛みが走る。冬の最中で部屋に置きっ放しということは、彼は使っていないということだろう。

 頭を振って余計な考えを押し出す。今はなにより彼の行方を探さないと。


「たぶん彼女とか、彼が家に押しかけられそうな同級生はいなかったと思うけど……行きそうなところに心当たりは?」


 妹さんは眉を曇らせ首を振る。

 途方に暮れる、とはこういう状態なのだろうか。家族が知らないのに私に見当がつくはずがない。数ヶ月程度の付き合いじゃ昔の交友関係も把握できない。

 でも、目の前で悲しむ妹さんの顔を見ていると、諦めかける自分に腹が立った。


「わかった。とりあえず私も探してみる」

「お、お姉さんが?」


 キョトンとする妹さんの手を握りしめて頷く。こういうときは自信がある風にしないと。


「竹田くんとはちょっとだけ親しかったから。もしかすると行き先がわかるかもしれない」

「じ、じゃああたしも一緒に探します!」

「ううん、あなたは家で待ってて。すぐにご両親が帰ってくるだろうし、もしかしたら竹田くんが帰ってくるかもしれない。そのときはいつも通りに接して、彼を家の中に留めていて」


 妹さんは逡巡したが、唇を噛みしめながら頷く。それから連絡先を交換して、お互いなにかあったらすぐに連絡すると約束する。

 探しに行こうと背を向けたとき控えめな声がかかった。「あの」


「ありがとう、ございます。ちょっと、楽になりました」


 彼女は泣き腫らした目を細めて、弱々しい微笑を浮かべる。


「お姉さん、昔大好きだった人に少し似てます……おにぃも、大好きな人でした」

「……そう、ですか」

「どうか兄のこと、よろしくお願いします」


 小さな頭を下げる彼女の姿に、切なさがこみ上げる。

 私は妹さんに向けて頷き、すぐに走った。特に当てがあったわけでもなく、ほとんどしらみつぶしになることを覚悟していた。

 当然の如く、彼の姿は街のどこにも見当たらなかった。


 ――どこなの、竹田くん……。


 心の中で呼びかけても反応があるはずがない。そうしてさ迷っていると気分はどんどん沈んでいく。見つかるわけないと別の自分が囁く。

 滲んできた涙を袖で拭きながら、夜の街を必死に駆けた。コートも脱いで脇に抱えた。


 ――どうしていなくなったの? 


 道行く人とぶつかり、こけそうになっても走る。

 止まると、心が折れてしまいそうだった。


 ――私が、あなたを苦しめたから?


 妹さんの言葉が蘇る。彼女は自分を責めていたけれど、竹田くんは病気のことで気を悪くするような人じゃない。ましてや家族に対して反感を抱くはずもない。

 だからどうしても、私達に降り掛かった問題が関係しているように思える。

 私が姿を消すきっかけだったんじゃないかと、考えてしまう。

 唇を噛み締めたそのとき、コートから微かな振動が伝わった。気づいて立ち止まり、震動源である携帯電話を取り出す。

 一瞬竹田くんかと期待したけど違う番号だった。というか登録していない番号だったので、誰なのかもわからない。

 不審に思いつつ携帯電話を耳に当てる。


「……はい」

『もしもし、雨宮さん? 佐久間です』


 呆気に取られ、すぐに思い出す。そういえばクリニックに行ったとき、いつでも相談できるようにと連絡先を教えていた。


「は、はい、そうです。雨宮です」

『こんな時間帯に申し訳ない。緊急の話で、どうしても連絡しておきたくて』


 咄嗟に、竹田くんのことが頭を過ぎった。


「竹田くんのことですか!?」


 電話の向こうから息を呑む気配が伝わる。


『……そうか、君も聞いているんだね。ついさっきクリニックに警察から連絡が来た。ご両親が彼の捜索願いを出した関係で、彼の症状について色々と質問を受けた。もちろん身を隠していないか、行き先に心当たりがないかどうかも。残念ながら僕はそのどちらも当てはまらない』

「先生のところに連絡は?」

『申し訳ない、そちらも……だとしても、担当医として放っておくことはできない。僕としてもできる限り協力しよう動いている。もし君に何らか思い当たることがあるなら聞いておきたかったのだけど、その様子では同じ状況ということかな』

「……すみません」


 悔しさが滲む。先生はすかさず『自分を責めないで』と優しく言ってくれた。


『とにかく情報を交換しよう。彼の態度でなにか異変はなかった?』


 問われ、私はカラオケ店でのやり取りを思い出す。打ち明けるのには勇気が必要だったが、今は気にしている場合じゃない。私は恥じらいを抑え込んで全てを佐久間先生に話した。

 電話でしかも早口で捲し立てたせいで聞き取りづらかったはずなのに、佐久間先生は口も挟まず真摯に聞いてくれた。


『……急いだ方がいいな』


 ぽつりと呟かれた台詞に、心臓が不協和音を奏でる。


「どういう、ことですか」


 聞いても返事はなかった。というより、答えに迷っている雰囲気がある。


「教えてください!」


 強く促すと、佐久間先生はため息を吐いた。


『――わかりました。君にも関係していると判断し、伝えます。ただ本来、ご家族の方以外に個人情報を漏らすことは問題がある。慎重に聞いて欲しい』


 唾を飲み込み、往来の邪魔にならないようにビルとビルの間まで入り込む。


『雨宮さん。竹田くんは、自分の病気が発症した原因をなんと説明していた?』

「わからない、とだけ」

『原因は既に判明しているんだ。間藤真昼さんの死が心因的外傷となり、彼の仮想現実適応障害を発症させている』


 私は、その説明をうまく処理できなかった。


「でも竹田くんは、確かにそう言ってました」

『君を騙しているわけじゃない。そして彼の方も、嘘を吐いた自覚症状がないんだ』

「わ、わかりません、なにを仰ってるのか」

『つまり彼の症状はVR恐怖症だけではない、ということだ。彼は自分の病気が間藤真昼さんの死に起因しているという事実を無意識に忘れる。そういう解離性健忘症を発症している』


 目の前を学生の集団が通っていく。彼らの笑い声が聞こえなくなるまで、私は固まっていた。


「忘れる……VR恐怖症の原因を?」

『そう。僕は真昼さんの死が彼の適応障害に繋がっていると診断し、その事実を彼に伝えトラウマを克服していく治療方針を説明した。その日は彼も了承し帰宅したのだけど、次の診療日、彼はその話を全て忘れてしまっていた。改めて詳細を伝えても次の診療日には忘れている。何度繰り返しても同じ結果だった』

「本当に、そんなことがあるんですか?」


 にわかには信じがたい。その疑心が見え透いていたのか、佐久間先生は『事実です』と念を押すように答えた。


『彼に悪意や悪戯心はまるでない。本当に診察時の記憶だけが抜け落ちている。おそらく彼は治療を施すことに強いストレスを抱き、その結果として数時間ほどの記憶障害を起こしている』

「治療自体にって――」


 矛盾している。治療に抵抗があるなら、なぜクリニックに通い続けているのだろう。彼自身だって、治そうとしている素振りだったのに。


『これは珍しい話ではないんです。変わりたいと願っていても、実際に変わることを恐れる人は大勢居る。彼も表向きはご両親を安心させるため、将来への危機感から通い続けているのでしょう。しかし本心では現状維持を、VR恐怖症であることを望んでいる。だから治療が進まないように体が拒否反応を起こす』

「なぜ、そんなことに」

『二年間を診てきた所見だけど、僕は内罰的感情に起因しているのではないかと考えている』

「罰……?」


 それはなにかに対して罪の意識を抱いているということだろうか。

 一体、何に? 誰に対して?

 自問自答して浮かんできたのは、一人の少女だった。


『おそらく彼は、間藤真昼さんに対してなんらかの罪の意識を抱いている。それが原因で自ら辛い状況に身を置こうとする心理的傾向にある。もしかするとVR恐怖症を通して自分を罰しているのかもしれない』

「彼と真昼さんの間に、何かがあったということですか……?」

『それはわからない。意図的に隠しているのか、解離性健忘症の影響で忘れているかは定かではないけれど、僕に語ってくれることはなかったから』


 その声はどこか寂しげだった。もしかすると佐久間先生は、医者という立場以上に彼のことを気にかけているのかもしれない。

 脳裏に竹田くんの笑顔が浮かんだ。

 無愛想なことが多いけれど、時折に見せる笑顔はどこか愛嬌があって親しみが持てる。だから私は、この笑顔が本当の彼で、今はただ隠れてしまっているだけだと思っていた。

 なにもわかっていなかった。本当に隠れていたのは、大きな傷口だ。

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