2039年6月 間藤真昼という幼馴染の立場
三年三組の教室内は一瞬歓喜に沸いて、次に落胆の声が床を滑っていった。
「ええー。じゃあ真昼、修学旅行これないの?」
「ごめーん。この通り、お許しくだせぇ皆々様」
わざわざ別のクラスの友人らへ報告しにきた真昼は、申し訳なさそうに両手を合わせる。ぺこぺこと頭を下げる彼女に対し、集まった友人らは残念そうに顔を見合わせていた。
真昼を囲む女子たちと違って男子たちは興味なさそうに振る舞っている。が、実はちゃっかり聞き耳を立てている奴ばかりなことを僕は感づいてる。
むっつりどもめ。僕も人のことは言えないけど。
「まぁ大事なコンクールがあるんならしょうがないけどさぁ。っていうかサラッと流しちゃったけど、面白そうなことするんだね」
「そうそう、イミテイト収録するんだって?」
「コンクール参加者を順番に記録するだけっぽいけどね~」
などと答える真昼だが、本人もどことなくワクワクした様子が見え隠れしていた。
「でも真昼の演奏が体験できるんでしょ? どんな感じなんだろね、天才ピアニストの演奏」
「うわー、そう言われるとなんか急にはっず」
「だって期待しちゃうよそりゃ。エメのイミテイト体験とか満員のアリーナ席を見渡しながら歌ってて超気持ちいいんだよね。音とか響きとか、これが本物か~って感じ?」
「わかるわかる。チアリーディングとかもすっごいよ。終わったあと自分の体にがっかりするのがつらい」
「あーね。てか、真昼だってピアニストのイミテイト使ってイメトレするんでしょ?」
「聞きたい? 若干十七歳にしてジュネーブ国際音楽コンクールの第一位になった天才ピアニストであるアリシア・ヴィーグリーズ! 昔から彼女のイミテイト体験してるけど本当に凄くて。伝わってくる指の感覚がまったく違うの。繊細だけど感情豊かで暖かいっていうか、もう私がアリシアに乗り移ったような感覚になって――」
「はいそこまでー。この子アリシアの話になると長いから」
皆が口々にイミテイトの話を始める。それにつられてか、僕が混ざっていた男子グループの会話もイミテイトの話題に切り替わっていた。
「久保選手の無回転シュートは体験するとマジで凄ぇんだよな。何回も体験しちまうよ」
「わかる。俺もプロバスケット選手のダンクとかマジで繰り返すから」
「繰り返してたら俺も身につけられねーかな。イミテイト終わった後はなんかできそうな気がすんだよな」
「それな。でもできないってのが通説らしいぜ」
僕の指摘で皆がため息を吐く。気持ちはよく分かる。イミテイトを体験した後は僕もあの技術やスキルができるような気分になるものだ。でもできなくて、ガッカリしてしまう。
基本的にイミテイトの再現度は、視覚・聴覚・味覚・嗅覚の順で高い。一方で触覚は計測機器の限界から体の一部分だけということが多い。大体が手や足のみだ。しかしその一部分だけでも脳が勝手に補正してくれるらしく、五感が揃ったVRの臨場感は半端ない。真昼の言うように、対象者に乗り移ったかのような錯覚を得ることができる。
とはいえそれで技術が身につくかと言えばそうはならない。バットの握り方やボールの投げ方といった基礎技術だけならVRによるイメトレでかなり上達できるが、高度な技能はその選手の身体能力、筋肉量、肺活量、動体視力、そして経験値が大きく左右する。だからイミテイトを繰り返し体験したとしてもその選手の技術は盗めない、と言われている。
「ま、そういうことだからさ。あたしのイミテイトは皆が帰ってきてからのお楽しみにしといてよ」
真昼の何気ない一言に意識が持っていかれる。幼馴染の軽い声音とは裏腹に、和やかだった雰囲気が沈静化した。
真昼は授業を休みがちで、季節の行事もほとんど参加できていない。だから彼女の友人たちは、修学旅行こそはと意気込んでいた。やっぱり周囲にとっては悔しい話だろう。
「もーみんなそんな暗い顔しないでよ。あたしの分まで楽しんできて。六月の沖縄なんて絶対最高だよ」
真昼一人が声を張るものの、皆の顔は浮かないままだ。すると真昼は「でもあたし、タダでは転ばないから」と言いながら不敵な笑みで面々を見渡す。
「皆は私に一個ずつおみやげ買ってくること。千円以上じゃないと却下だよ」
「ええー!」「横暴だー!」「ゆすりかよー!」
ぶち込まれた提案に非難轟々の中、真昼はヤレヤレと首を振る。
「貴重な青春の一ページを捧げる友人を、君らは見捨てたりしないよねぇ?」
「ったくあんたって子は」友人らが嘆息する。けれど先ほどまで燻っていた不満も悲しみも弱まっていた。真昼なりの気遣いが、彼女らの胸のつかえを軽くしている。
「しゃーない。意中の男子に水着姿を見せられない可哀想な真昼ちゃんにお土産買ってきてあげよう」
「ちょっとなに言ってんのよ!?」
教室に喧騒が戻ってくる。真昼も普段と何ら変わらないように振る舞っている。
でも浮かべた笑みが微かに歪んでいるのを、どれだけの奴が気づいただろうか。