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2043年1月 真昼の日記

 冬休みが終わって三学期が始まったが、僕は学校に行っていない。家から一歩も出ず、部屋の中で布団にくるまって過ごしていた。

 雨宮に最低最悪のセリフをぶつけておいて、どんな顔で会えばいいかわからなかった。平然としていられるほど神経は図太くない。

 いや、白状しよう。僕は雨宮が怖かった。傷つけてもなお彼女は僕の前に来て、話しかけてきそうな気がした。僕との関係を大切にしたい一心で、精一杯に傷ついていないふりをして、僕の考えを変えようとする気がした。

 きっと、真昼ならそうする。あいつは異性関係になると弱気になるくせに、幼馴染の僕に対してだけは大胆で、遠慮がなくて、とても優しかったから。

 だから僕は逃げた。隠れた。閉じこもった。陽の光が当たらないように。

 このまま過ごせば自動的に三年生になる。クラスも変わる。出席日数が足りなくて留年になるかもしれないが、むしろその方が皆と顔を合わせない分、楽かもしれない。

 こんな僕を両親は心配していたが、VR恐怖症のことがある手前、学校に行けと強く責めることはできない様子だった。自分の立場を悪用しているようで気が引けるが、もうこれしか元の生活に戻る術はない。

 今日もまた薄暗い部屋の中で携帯電話をいじっていると、唐突に部屋に明かりが差した。開けられたドアの向こうから露骨なため息が聞こえた。


「はーあ、ほんと辛気臭。家の中にこんな場所があるとこっちまで気が滅入る」


 ゆっくりと上半身を起こすと、部屋の妹の柚が立っていた。着崩した制服姿の妹はドアに寄りかかって立ち、面倒くさそうに半目になっている。


「あれ、学校行ってたんじゃ」

「はぁ? なに言ってんの、もう夕方じゃん。閉じこもってるから感覚なくなるんだよ」

「あー……そうだな。すまん」


 何の気無しに謝ると柚が舌打ちする。「馬鹿兄ぃ」


「あのさ、引きこもりになるなら絶対出てこないでくれる? あたしも友達とか呼びたいし。こんなのが兄貴とか知られたくないし。自分宛の荷物とかも誰も居ない日中にこっそり取りに行って。もう取ってこないから。じゃ」


 吐き捨てるように言った柚は、脇に抱えていた何かをぽいと放り投げ扉を締めた。

 苦笑いしか浮かばない。柚にはだいぶ嫌われてしまったようだが、仕方がない。あいつの言う通り極力関わらないように生きていこう。

 僕は寝癖だらけの頭を掻き、ドア付近に落ちた何かを取りに行く。柚の口ぶりからすれば僕宛の郵便物ということだが、何か頼んだ覚えはない。

 床に落ちているのは封筒だった。ちょうどノート一冊が入りそうなほどの厚みだ。差出人を確認したが薄暗くてよく見えない。電気をつけて、もう一度宛名をよく確認する。


「っ……」


 息が止まるかと思った。いや実際には数秒ほど呼吸が止まっていたかもしれない。

 差出人の名字は間藤。記憶の通りなら、名前は真昼の母のものだった。


 ――なんで僕宛に。今更、どういうつもりなんだ。


 間藤家はすぐ近所だったが、真昼の死後に母方の実家に引っ越したと聞いている。それ以来あいつの家族とは会っていないし、連絡も取っていなかった。

 このタイミングの連絡――それは、僕に得体のしれない予感をもたらした。

 封筒を開ける。中に入っていたのは一冊のノートと、一枚の便箋だった。

 まず便箋の方に目を通す。きれいな字で書かれた便箋には、やはり真昼の実母の名前が入っていた。最初の方は簡単な挨拶、ちゃんと別れを告げずに出ていったことへの謝罪、僕の母を心配しまた会いたいと願う言葉など、およそ普通の言葉が羅列してあった。

 だけど途中から、同封してあったノートについて言及された。


『一緒に送ったノートは、あの子の遺品を整理してるときに見つけました。表紙に何もなかったから勉強ノートかと思っていたけれど……これはあの子の残した日記のようです』


 心臓が不協和音を奏でる。床に置いた日記を一瞥し、また便箋を読む。


『送ったのは、清春君に預かっていてほしいからです』


 読みながらギョッとした。脳裏には、おばさんの困ったような笑顔が浮かんだ。


『ごめんね。こんなもの押しつけられて、驚くわよね。でも、わたしが持っててもしょうがないから。頑張ったんだけど、わたしは結局読めなかった。あの子の気持ちを知るのが、怖くて……こんな情けない親で、あの子に笑われるかもしれない。だけど、家族以外の誰かがあの子を覚えていてくれる方が、やっぱり嬉しいから。あなたが一番真昼と仲良しだったから。できればずっと、あの子のことを覚えていて欲しいの』


 その後は当たり障りのない文章になって、終わった。

 便箋を持つ手を下ろし、ため息を吐く。。

 おばさんがこのタイミングで送ってきた気持ちを、僕はわかる気がした。二年経って皆が真昼のことを忘れ始め、自分たちも娘がいない生活に慣れ始めて――そんな悲しい現実に打ちひしがれて、僕を巻き込んだ。生きていた証を、残そうとしたかった。

 責められはしない。僕も同じだから。

 なにより感謝する気持ちもあった。この日記には、真昼の本音が隠されているかもしれない。

 少し前の僕だったら迷わず机の奥にでも隠していただろう。でも今は中身を、真昼の気持ちを確かめたいという衝動に駆られている。

 明らかになったイミテイトの影響と、ニセモノという言葉の意味。

 点と点が繋がりかけている今、この日記に僕が知りたかった真相が隠れているのではないかという直感があった。


 日記に手を伸ばす。そこで指先が震えていることに気づく。

 不安と恐怖の触手が心に絡みつく。知りたいのに知りたくないという相反する気持ちが僕を苛む。知ってしまえば引き返せない。もう逃げられない。

 だけど僕は、薄っすらと感じ始めていた。

 自分はもう限界に来ている、と。

 雨宮と出会って気づいてしまった。

 僕にはまだ、人を好きになる回路が残されている。

 真昼に近かったという理由があったとしても、僕は雨宮に、他人に好意を抱いた。

 いずれ僕は真昼のことも忘れて、真昼以外の誰かを愛すだろう。

 おばさんが抱いた危機感と同じだ。生きている人間は、死者を置き去りにしていってしまう。

 だから僕は自分を、周囲を誤魔化してきた。わかっていて目をそらし、違う真実を信じ込ませてきた。

 それも続けられないとしたら、僕にできることは、あと一つ。

 選べば、僕はなにも知ることができなくなる。その前に真実を知っておきたい。

 日記を開く。ノートには可愛らしい文字が踊っていた。


『はぁ、最悪だ~。修学旅行の日程とコンクールが被っちゃった。さすがにこれは凹みます。ほんとどうしよ。だって中学の修学旅行は一度きりだよ!? 皆とも春ちゃんとも行けるのこれ一度きりだよ!? ぐあああ沖縄行きてー!』


 日付を確認すると二千三十九年の六月とある。ちょうど修学旅行の時期だ。これは僕があいつを励ましたときのことだろう。

 ぱらぱらとページをめくる。他にもピアノのこと、家族のこと、留学のこと、友達のこと、そして僕のこと。雑多な内容が記されていた。


『文化祭が終わったあと、他校の男子から遊び行こうって誘われちゃった。茜たちも一緒だし行けばよかったかなぁ? ちょっと面白い子たちだったしもったいなかったかも? まーいっか。春ちゃんがヤキモチ焼いてくれたもんね。うへへ、ニヤケがとまりません』


 そこには僕の知らない真昼の本音が並んでいる。

 あいつが隠そうとしていた不安や悩み、そして喜びが臆面もなく書かれている。

 鼻の奥がツンとした。読み進めていくにつれ視界が滲む。

 そのとき、ページをめくる指が止まった。十二月の日付を最後に、白紙が続いている。


『ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい、アリシアさん。あなたの真似をしてごめんなさい。あなたの技術を盗んでごめんなさい……最低です。でも、あたしはアリシアさんの演奏から離れられない。他の弾き方を試してもうまくいかない。どうやってもコピーにしかならない。それでしかあたしは認められない。あたしらしさってなに? 自分の弾き方ってなに? あたしに価値はないの? あたしは、どうしたらいい。苦しいよ……春ちゃん』


 ノートを掴む手が震えていた。誰かの息遣いが聞こえた。

 それは僕の乱れた呼吸音だと、ややあって気づく。


『ニセモノには価値がないもの』

『春ちゃんには……あんなこと、知られたくない』

「は、はは……」


 息苦しさの中で、乾いた笑いが漏れた。

 あいつはもうとっくに僕にシグナルを送っていたんだ。責任感が強いから自分で抱えるしかなくて、押し潰されそうになって、僕が気づくのを待っていた。いつか話してくれるだなんて僕が呑気に考えている間も、ずっと。

 真昼を追い詰めたのは僕だ。僕の決断の責任を押し付けて、逃げ道を塞いだ。


「はは、ははははっ」


 笑いながら瞼を閉じる。

 わかっていた。とっくにわかっていた。

 真昼を殺したのは――僕だ。


「……ごめんな、真昼」


 机に向かう。引き出しの奥に突っ込んでいたカイロスギアを引き出して、頭に被る。


「ギア、スタート」


 視界を覆うバイザーに白い起動画面が映し出される。

 吐き気がこみ上げたが、麻痺しつつある感覚ではどこか他人事のようにも感じられた。


「イミテイト、オープン」


 アプリが開き、暗い画面に移る。モデルを選んでくださいと表示される。

 僕は迷わずに告げた。


「モデル、アリシア・ヴィーグリーズ」

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