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2042年12月 真昼の模倣

 終業式の日は午前中で解散になるが、僕は家にも帰らず第二校舎に向かっていた。渡り廊下を進みながら携帯電話の画面を眺める。


『相談したいことがあります。終業式が終わったら、音楽室に来てください』


 それは雨宮からのメッセージだ。

 この文面を読んで僕はまず、僕との関係について話したがっているのだろうかと思った。露骨に避けていることは雨宮も気づいているだろうし、どうしてなのか問い詰められる気がした。

 逃げようかと考えたが、けれどよくよく読み返して、相談、という言葉が引っかかった。理由を聞くときにそんな言い方をするだろうか。むしろもっと別の、重要な話をしたがっているようにも感じられた。

 僕は迷い、そして今、雨宮の元へと向かっている。

 無駄に緊張する中、ゆっくりと第二校舎の扉を開ける。

 微かな旋律が聞こえた。校内放送で流れているのではなく、誰かがピアノで曲を演奏している。階段を上っていくと、演奏曲がはっきりわかった。


 ――パッヘルベルのカノンか。

 

 聞こえてくるピアノの弾き方はとても繊細で、情緒豊かだ。

 音楽室へ近づくにつれ、音は一段と大きくなっていく。僕は開けっ放しの扉の向こうから演奏中の誰かを確認して、息を呑む。

 ピアノを弾く少女の姿勢、身体の動かし方、指使いが――真昼にそっくりだった。

 だけど彼女は、真昼じゃない。

 ドアに手をかけるとガタッと音がなる。そこで演奏をしていた雨宮が指を止めた。彼女は振り返り、遠慮がちに笑う。


「ごめんなさい、わざわざ来てもらって」

「別に、いいけど」


 僕と雨宮は数秒間ほど見つめ合った。気まずさに負けて「ピアノ弾いてたんだな」と、どうでもいいことを聞いてしまう。


「私のピアノ、どうだった?」

「どうって、普通に上手だったよ」

「そう、か。この曲だけじゃダメか」


 意味のわからない独白に眉をひそめたとき、携帯電話が振動する。ポケットから取り出してみると動画データが届いていた。差出人は雨宮だ。

「見てくれる?」と、雨宮が促す。僕は訝しみつつも動画の再生ボタンを押す。

 ディスプレイに流れるのは、ショパンの幻想即興曲を弾く誰かの手元だった。


「これは?」

「私が自分で自分を撮影したもの。どうかな」


 さっきから雨宮は何を聞きたいんだ。

 不審に思いつつ、僕は動画を眺める。これが雨宮の演奏だとすれば素直に感嘆するが、それだけだ。ピアニストの夢を諦めなくて良かったんじゃないかと思う力量だけど、まさかそんな褒め言葉を欲しているわけじゃあるまい。

 ……いや待て。

 なんだろう、この感じ。

 初めて見るはずなのに、ずっと前から知っていたような既視感。


「真昼さんの弾き方と、似てる?」


 ヒュと、喉から掠れた音が鳴った。


「その実感を聞きたかったの」

「どう、いう……?」

「たぶん私の指は、真昼さんの演奏技術をトレースしてる」


 一瞬、なにを言われたのかわからなかった。


「トレース……再現だって?」

「そうとしか考えられない」


 僕は口元を手で隠し、もう一度動画を確認する。

 凡人の僕には、ピアニストの演奏の違いだなんて見分けがつかない。

 だけど真昼は違う。幼馴染として間近で見て聞いてきたからこそ、この耳と目に彼女の残滓がしっかりと焼き付いている。

 これは、真昼の弾き方だ。

 でも、信じられない。だって雨宮は――


「ありえないって、思うよね。私はピアニストの夢を諦めてほとんどピアノに触ってこなかった。ブランクのある私が、真昼さんの演奏を完璧に再現できるはずがない」


 椅子から立ち上がり、僕にゆっくりと近づいてくる彼女の瞳には真剣な光が宿っている。少なくとも、僕との関係がどうとかいう生ぬるい話をしたいわけじゃなさそうだった。


「私の予測が正しければ、イミテイトが関係してる」


 僕が唾を飲み込む間、雨宮は構わず続けた。


「イミテイトは元々イメージトレーニング用に開発されたVRソフトだから。それを毎日続けたおかげで、私の指は真昼さんの動きをトレースできるようになったんじゃないかって、そう考えてる」


 馬鹿な。いくら他人の感覚を追体験できるといっても、他人の能力がそのまま移るなんてことあるはずない。

 疑念が表に出ていたのか、僕の前で立ち止まった雨宮が苦笑いする。


「私も最初は信じられなかった。でも自分で確かめて、あなたの反応も見て、間違いないって思える」


 雨宮は自分の携帯電話を僕に見せてきた。ディスプレイには文章がズラッと並んでいる。新聞記事のようだ。

 読め、ということだろう。促されるままに文字を目で追っていく。

 ――二千三十四年、プロテニスプレイヤーのオリバー・オースティン選手がイミテイトソフトを提供するセントルース社を相手取って訴訟を起こした。その内容は、オースティン選手が得意とするドロップショット技術を不特定多数のテニスプレイヤーに提供・流布したとする個人情報保護違反に関するものだった。

 原告側は、イミテイトに提供した自分の五感情報からドロップショットの技術を故意に習得できるよう調整されていたと訴えている。しかし個人情報を争点とした裁判は原告側の訴えを棄却することで決着した。イミテイトは個人技術を他人に習得させるようプログラムされているとは言えず、実現性はかなり低いものと判断された。

 なお、オースティン選手はイミテイトの危険性を訴え、個人技能を著作権法で保護すべきと呼びかけている――

 つまりこの裁判記録は、イミテイトから自分の技能が盗まれていると訴えた男の話だ。


「こ、これ、精神病だったとかのオチじゃないよな?」

「残念だけど。それにこの裁判だけじゃなく、世界各地で似たような話が起きてるみたい。件数はほとんどないし、日本では事例がないから全然周知されてないんだけど」


 僕は雨宮の携帯電話を受け取り、彼女が表示したイミテイト絡みの事件をななめ読みする。確かに自分の技術がイミテイトを通じて流出していると訴える人々がいた。

 その多くが卓球、バトミントン、体操、ゴルフ、射撃やクロスバイクなど、個人技が発揮できそうな分野のスポーツ選手たちだ。中にはヴァイオリニストなどの音楽家も混ざっている。 


 ――嘘だろ。こんなにいるのかよ。


 イミテイトがいくらイメトレに適しているとはいえ、個人の技能がそのまま他人に盗まれることはない。開発したソフト会社もそう説明している。


「……ん? この記事は? 英語だけど」

「それは高名な黒人ヴァイオリニストが国際コンクールで訴えたときのものね。訳してみたけど、イミテイトは危険だから直ちに排除すべきだって言ってる」


 写真はヴァイオリンを握りしめた黒人男性が、多くの人々を前に声を張り上げている様子が映し出されていた。簡易翻訳にかけると、彼の台詞が表示される。


『イミテイトはいたずらにデッドコピーを増やし個人の才能という領域を浸食する! いずれ全ての人間が平準化され文化は壊滅されるだろう!』


 かなり過激な発言のようだったが、僕は内容よりも一つの単語に気を引かれた。

 デッドコピー。意味は、模造品とか物真似、模倣。


『ニセモノには価値がないもの』


 背筋を冷たい汗が流れる。

 あのときあいつはなぜ、ニセモノなんて言葉を使った?

 僕になにを訴えかけようとした?

 信じがたい気持ちが芽生えるも、僕の思考はどんどんとそちらに流れていく。


「竹田くん。相談というのは、あなたの通っている病院を紹介して欲しいということ、です。できれば一緒に、カウンセリングについてきてほしい」


 雨宮の言葉に意識を持っていかれる。

 でも責める気になるどころか、僕は更に困惑を深めることになった。


「カウンセリングって、自分の症状のことを?」

「それもだけど、私の内面のことも」


 彼女の目が、悲しげに揺れた。


「私が無意識に得てしまったものは、真昼さんの演奏力だけじゃないかもしれない。私の人格も、影響し始めてる」


 温度も音も遠ざかっていく。

 その中で雨宮は、硬い声で告げた。


「今の私は、イミテイトの影響で、真昼さんに近づいている」

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