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2042年9月 雨宮深月という転校生との出会い

「では本日よりクラスの一員になる転校生を紹介します」


 中年の女教師の発言に、僕は唖然とするしかなかった。

 今日は通っている高校の二学期始業式だ。こんな時期に転校生がやってくるなんてかなり珍しい。

 さぞかし教室は騒ぐだろう――と思いきや、僕の予想に反して教室は静まり返っていた。男子にも女子にも期待と興奮が見え隠れしているが、驚いている生徒はほとんどいない。


 ――ああ、そういうこと。知らなかったの僕だけか。


 おそらくクラスの連中は夏休み期間中に転校生の情報を掴んでいたんだろう。誰が仕入れて情報拡散したのかも大体見当がつく。

 クラスで孤立している僕だけがなにも知らなかったわけだ。

 ドライアイスを突っ込まれたみたいに急速に熱が引いていく。驚いた自分が馬鹿みたいだ。

 教室のドアが開かれる。ブレザーの制服を纏った女子高生が室内に入ってくる。


「じゃあ自己紹介を」

「雨宮深月です。神奈川県から引っ越してきました。よろしくお願いします」


 雨宮深月と名乗った転校生が静かに頭を下げる。

清楚な立ち振る舞い。涼やかな表情。すらっとした細身の体つきに長い睫毛と、腰まで届きそうな艷やかな黒髪。整った顔立ちが皆の目を引いている。

だけど僕は、どの部分よりも彼女の瞳に吸い込まれた。

苛烈な炎が燻っていそうなほどの、強く研ぎ澄まされた黒い瞳だった。


「二年生の二学期という時期ですので、雨宮さんもわからないことが多いと思います。皆さんは是非、彼女に協力してあげてください。では雨宮さんは石川君の隣の席へ」


 もう一度軽く頭を下げた雨宮は、机と机の間を通って空いている席に座る。

 その後は女教師が提出物を集めたり三者面談の日程や進路希望の締め切りといった事務的なことを淡々と話して教室を出て行った。

 ドアが閉まった瞬間、雨宮の元にわっと女子生徒たちが集まる。


「雨宮さんよろしくね」「神奈川のどこに住んでたの?」「部活は? バレー興味ない?」「お菓子あげる雨宮さん」「お昼ごはんウチらのとこきなよ」「駄目だって雨宮さん困ってんじゃん」「なにいい子ぶってんだよ~」「ごめんねぇこいつおかん気質でさ」


 女子連中が座ったままの雨宮を取り囲みぎゃーぎゃー騒いでいる。男子たちはさすがに勢いに入って行けず遠巻きで眺めているだけだ。


「あの、ごめんなさい。ええと……?」


 騒ぎの中、か細い声が漏れる。雨宮は困ったような笑みを浮かべていた。

 そこに真昼がいた。


 ――え?


 目をこすってもう一度彼女の姿を確認する。女子たちの騒ぎに圧倒されている雨宮という転校生は、どこをどう見ても真昼とは違う。あいつは、中学生だったこともあるがもう少し愛らしいタイプの顔だった。雨宮はどちらかというと美人タイプで、正反対と言える。

 笑い方が似ているのかと思ったが、別にそうとも言えない。どう考えても他人だ。


「あのさ雨宮さん。これから皆でVカラいかない?」


 気になって観察していると雨宮の席の前に派手めな化粧の女子が立つ。花崎華という名前の女子で、見た目は遊んでいそうなのに成績が良く学級委員も務め交友関係も広い。

事実上、このクラスの女王的存在だった。


「ね、どうかなVカラ? 間に色々教えてあげるよ。そのほうが助かるでしょ?」


 VカラというのはVRカラオケの略称で、ポータブルVRデバイス『カイロスギア』をつけながら歌うことだ。皆が共通のVR映像を見つつ、専用ルームではその映像に合わせた匂いや音や風などの演出が現れる。たとえば高層ビルの屋上や海底で歌うという疑似体験ができる。

カイロスギアは拡張デバイス抜きだと聴覚や視覚の再現に留まるため、部屋自体に没入感を高める仕掛けを作るわけだ。そうすると皆で同じ体験ができるから臨場感があって盛り上がる。

 僕のような例外を除けば、だが。

花崎の提案に女子達が賛同する。雨宮は正面に立つ女子を見上げた。


「ありがとう、ございます。あの」

「花崎華。華って呼んで」


 鷹揚に頷いた雨宮は「お願いします」と答える。目を細めた花崎は先導して準備を始めた。参加を確認したわけでもないのに女子達も用意を始めてぞろぞろと教室を出て行く。こういうところに花崎の権力が現れているようだった。

 そのとき不意に――雨宮が僕の方を見た。

 目が合う。不意打ちで固まってしまう。

 彼女は真顔だった。じっと僕を凝視して、口元を引き結んでいる。

 僕は金縛りにあったみたいに固まって、彼女と見つめ合ってしまった。

 数秒ほど無言だった雨宮は、花崎から呼ばれると教室を出ていった。

 僕は彼女の姿が完全に見えなくなってから、静かに息を吐いた。


 ――何だったんだ、今の。


 割とじっと見られていた気がするが、僕の顔に何かついていたのだろうか。ぺたぺたと頬を触ってみるが、おかしな点はないように思う。

 妙な居心地の悪さを感じつつ、僕も帰り支度をして席を立つ。その頃には残っていた男子たちもほとんどが教室を出ていた。

 当たり前だが、僕を待っている人間など、いない。


***


「ただいま」


 玄関を開けて廊下を歩く。奥の方から甲高い笑い声が聞こえてきた。

 リビングのドアを開けて真っ先に目に入ったのは、ソファにあぐらをかいて座る私服姿の妹――柚だ。


「あれ、お前部活ないのか」


 確か今日は中学校も始業式で、妹は所属するバトミントン部にいるはずなのに。

 問いかけへの反応はない。そっと近づく。妹の頭部に白いヘッドセットが装着されているのが見えて、なるほどと思った。

 ヘッドホンとメガネが一体化した形状になっているヘッドセットは、正式名称を透過切替式VR・AR用ポータブルデバイス『カイロスギア』という。目も耳も完全に隠れているが、子供でもつけられる大きさかつかなり軽量で、なによりディスプレイが透けて眼鏡のように使えるという特性から爆発的に普及した製品だ。カイロスギアを使い始めた世代からすると、僕らでもう三世代目くらいだろうか。

 私服姿の妹からそっと離れる。あまり近づきすぎるとセーフティ機構が働いてカイロスギアが透過モードに戻る。そうなると動画や音楽も中断するから妹の怒りを買ってしまう。

 冷蔵庫から炭酸飲料のペットボトルを取り出したところで黄色い声が聞こえた。なにを見ているのかは僕には確かめられないが、まぁVRアイドルの類だろう。

 部屋に戻って漫画でも読むかと考えていると「ただいまー」という別の声が聞こえてきた。ドアを開けて入ってきたのはスーツ姿の母親だ。

 両手にビニール袋を持った母は、冷蔵庫前にいる僕に気づいて眉を上げる。


「あら清春、帰ってたの。柚は部活?」


まずいと思った。しかし、僕がなにかしら答える前に妹の馬鹿笑いが母の耳に届く。

母は渋面になると、ビニール袋を置いてとのしのしとソファに近づいた。


「柚! リビングでは駄目って言ってるでしょ!」


 母が接近すると妹がかけているギアのグラス部分が透明になった。カイロスギアは対人・対物事故を防ぐため周囲の熱源を感知して強制的に通常視界に戻る制限がされている。

ちなみに妹の場合はちょっと近づくだけで反応する敏感な子供モードの制限がかかっていた。親心ゆえの措置だが、最近はこれが原因で母と揉めることも多い。

「ちょっと!」驚いた妹はグラス部分を押し上げて唇を尖らせる。


「いまいいとこだった! アルト君の生放送なのに!」

「部屋で見なさいっていつも言ってるでしょ」

「だってお兄ちゃんは――ああ」


 ソファー越しに僕を確認した柚は露骨に舌打ちする。


「VRは一人のとき限定って家族みんなで約束したじゃない。やるなら部屋に行きなさい」

「はいはーい、わかってまーす。マジお兄ちゃんのせいで超面倒だけど~」

「柚!」


 母の怒声も妹にはのれんに腕押しだった。柚はカイロスギアを持って二階に続く階段を上っていく。「勉強やってからね!」という母の声も無視していた。


「あの子はもう……」


 母はぐったりしながら台所に戻ってくる。僕がグラスに入れた麦茶を差し出すと、母は目尻を和らげながら受け取った。


「許してやってよ母さん。僕は気にしてないし」

「いいのよ、清春はなにも心配しなくて」


 その返事に、息苦しさを覚える。

 僕のせいで喧嘩するくらいなら気遣わなくていい。いっそ居ないものとして扱って欲しいとすら思うけれど、両親の気持ちを考えるととても言えない。

 綻びは二年前、僕がVR恐怖症に陥ってから始まった。親は僕の病気を心配するあまりVRに関する話題だけでなく実物までも遠ざけようとしている。その皺寄せが妹に及んでいるからこそ、多感な時期の柚が反発している。

 全部、僕のせいだった。


「そういえば佐久間先生の診察、来週だっけ?」


 母が買ってきた商品を冷蔵庫に入れながら訪ねてくる。

 佐久間先生というのは、僕の診療を担当している精神科医の名だ。


「そうだけど」

「どう? 順調なんでしょ?」

「……どうかな」

「大丈夫よ、いつか治るから。先生もそう仰ってたし」


 母から目を背ける。本気でそう信じて慰めてくる母の顔を直視できない。

「勉強してくる」と言い残して、僕は自室のある二階に逃げた。階段を上ってすぐの部屋からは柚の話し声が聞こえてくる。友達に愚痴をこぼしているのだろうか。

 向かい側の自室に入って、電気も付けずその場に座り込んだ。体は倦怠感に包まれていた。

 額に手を当てて、喉元に引っかかっていた言葉を吐き出す。


「いつかって、いつだろうな」


 およそ二年前のあの日から、僕はVR体験ができなくなった。仮想世界特有の、視界や聴覚が現実から隔離された感覚を味わうと吐き気を催すようになった。

 ARみたいに現実世界の中にデジタルが混ざるのはまだ我慢できるが、完全に現実離れするともう駄目だ。

 僕の症状を知った両親は慌てて専門クリニックに連れて行った。結果、僕はVR恐怖症――仮想現実適応障害という病だと診断された。VR技術が普及してから世界的に症例が増えているらしいが、精神病の一種として根気よく治療していくしかないらしい。

 しかし、僕の症状は一向によくならない。家族のためにも普通にVRができるように戻りたいと願っているが、一進一退を繰り返している。

 焦りはあった。VRは社会全般に浸透していて、使えないと不便なんてレベルを通り越している。受験では面接試験に利用するし、スポーツでは仮想トレーニングが重要視されているし、VRを前提とした仕事も多い。VRを使えない状態はハンデ以外のなにものでもない。

 自分と家族のためにも、この病を治したい。

 何より真昼が残した思い出すら体験できないのがもどかしかった。イミテイトを使えば真昼の演奏が感じられる。あいつの指使いを通して、その存在を感じ取れる。写真や動画なんかよりよっぽど意味のある大切な体験を、僕はできないでいる。


「ごめんな……真昼。お前の演奏、ずっと聞かないままで」


 暗闇の中で膝を抱える。遠くで柚の楽しそうな声が聞こえた。


『ニセモノには価値がないんだよ』


 不意に、あいつの言葉が脳裏を過ぎった。

それは真昼が死ぬ三日前にこぼしていた台詞だ。あのときの真昼は僕から見ても危うい状態で、ほとんど何を言っているのかわからなかった。

ニセモノとは一体なんのことなのか。真昼自身のことなのか、それとも別のことなのか。

 問いただす前に、あいつは逝ってしまった。

 果たして僕はあいつのことをどれだけわかっていたのだろう。イミテイトのこともそうだ。僕がサボりを装って真昼と帰ったあの日、真昼はイミテイトの話題に反応して僕を拒絶するような素振りを見せた。常とは違う反応があったのに、僕は何も理解できなかった。

 もしかすると、この二つがあいつの死に関わっているのかもしれない。だけどそれを確かめる術も、真相を知ることで救える相手も失ってしまった。

 今日もまた僕は、暗闇の中で無力感を抱きしめる。

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