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2042年12月 真昼はもういないのに

 雨宮に連れて行かれたのは大型商業ビルの一階だった。そこは三階までアミューズメント施設が入っている。ようするにゲーセンだ。

 意外な場所に驚いていると、雨宮が店内に入っていく。乾燥した温かい空気とともに雑多な電子音が向かってきた。

「ここ?」僕は思わず彼女に聞いてしまう。


「もしかして雨宮ってゲーマー?」

「ち、違いますっ。遊園地はちょっと遠いし、運動系はその、私が苦手なので。ここなら竹田君も楽しめるかなってぶちょ、じゃなくて私なりに考えてみました」

「っても、ゲーセンだってVRばっかりじゃ……」


 VRの登場はゲーム用途だったというくらい親和性が高い。今や家庭用ゲームだけでなくこうした店舗内ゲームや野外参加型ゲームもVR技術を基本に作られている。

 だから僕が遊べるゲームはないんじゃないかと周囲を見回し、はたと気づく。ここにあるのは大小様々な箱ばかり。その中にはぬいぐるみやキャラクターグッズが敷き詰められている。

 ようは、UFOキャッチャーだ。それも昔ながらのレバーで操作するレトロなタイプ。


「二階と三階はVR専用ゲームばかりなんだけど、こっちの方なら大丈夫かなって」


 雨宮ははにかんだように笑って店内を進む。どれをプレイしようか吟味している彼女を眺めながら、僕は天を仰ぎたい気分になっていた。


 ――よりによって、真昼と来たところかよ。


 記憶に蓋をしていた場所の一つだった。中学時代、真昼のレッスンの合間を縫って息抜きに連れ出したことを思い出す。

 実は真昼はこういう場所を好んでいた。根がインドア派だからかARコインゲームをひたすら楽しんでいたくらいだ。

 なんの因果か、偶然のいたずらか、真昼に似ていると感じる女子とここに来るなんて。

 進んでいくと、雨宮は一台のクレーンゲームを覗いていた。

 彼女がじっと見つめるのは大きくて白くて、足がたくさん生えた甲殻類のぬいぐるみだった。

 全身の血が逆流したようにぞわりとした。


『ねぇねぇダイオウグソ君だって! あれ可愛い! 春ちゃん取って!』


 なぜ真昼が欲しがったぬいぐるみを、雨宮も眺めてるんだ。

 僕の気配に気づいたのか雨宮が振り返る。恥ずかしげに笑った彼女は「やってみようかな」と呟いてコインを投入していた。

 雨宮が操作するクレーンのフックがぬいぐるみを掴む。しかしクレーンはぬいぐるみを持ち上げられず落としてしまった。雨宮はめげることなく何回かコインを投入してチャレンジするが、うまくいかない。

 雨宮は財布の中を覗く。それからため息を吐いて、財布をリュックにしまった。


「残念。可愛いんだけどな」


 あれを可愛いと言ってのける奴が真昼の他にいるとは。もしかして真昼と雨宮は感性が似ているのだろうか。だからちょっとした仕草も過剰に反応してしまうのだろうか。

 雨宮は透明な箱の中に熱い視線を向ける。よほど気になるらしい。

 あいつも確か、諦めきれなくてずっと粘っていた。


『えー、もうちょっと頑張ろうよ。ダイちゃんがあたしの元に来たがってるんだよぉ』

『なに勝手に決めてんだ。っていうか小銭がないし。レッスンの時間もあるから、もう行こう』

『……はーい』


 クレーンゲームの筐体を凝視していると、口の中に苦いものが広がる。

 雨宮が諦めて踵を返す。

 入れ替わるように、僕は操作盤の前に躍り出ていた。


「あれ? 竹田くん?」

「言うほど難しくないだろ、これ」


 軽口を叩いてコインを入れる。クレーンを移動させて、フックがぬいぐるみのくぼみを掴む位置に持っていく。僕の操作通りに動いたフックが、ぬいぐるみを掴んでぐっと引き上げた。

「あっ」雨宮が僅かに声を上げて僕の隣に並んだ。良い匂いと体温が伝わって急に緊張した。その動きがクレーンにでも伝わったのか、ぬいぐるみがフックから落ちてしまう。


「お、惜しい」「もう一回だ」


 僕はコインを投入する。舌なめずりして慎重にクレーンを操作する。フックはまたぬいぐるみを掴んだ。でも移動する間に落ちてしまう。フックのパワーが足りなくて保たないんだ。

 何回かチャレンジしても失敗続きだった。しかし、じりじりと、牛歩のように取り出し口までは近寄ってきている。もうひと押し。

 そう考えて財布の中を確認したが、なにも入っていなかった。


「もういいよ、竹田くん。ありがとう」

「勝手に止めるなよ。雨宮、ちょっとここで陣取っててくれ」

「ええーっ?」


 雨宮を置いて僕は換金機まで向かう。千円を押し込むとじゃらじゃらと小銭が出てきた。それを握りしめて戻る。困惑気味な雨宮には構わずコインを入れてレバーを操作する。

 何回も試したおかげで要領は掴めた。ぬいぐるみを掴んだフックが持ち上がる。そして前と同じように、握力が足らなくてぬいぐるみが落ちる。が、取り出し口はもうすぐそこだ。

 落下地点には穴を覆う透明なパイプがあった。転がして落とされないようにする防波堤だ。

 そのパイプの縁にぬいぐるみが当たる。


「「あっ」」


 ぬいぐるみはぐらりと傾き、そして、円周の内側へと落下した。

 取出口に手を突っ込む。柔らかい物体を掴んで外へと連れ出す。箱の中に飾ってあったダイオウグソクムシのぬいぐるみは僕の手の中にあった。やっぱり足がいっぱいで気色悪い。


「あげるよ」

「え、でも。竹田くんが欲しいから頑張ってたんじゃ?」

「挑戦したかっただけだから」


 雨宮は目を丸くしていた。僕がぬいぐるみを押し付けるとうろたえながら受け取る。

 しかし彼女は、ぬいぐるみを胸元に抱きしめて、くすりと笑う。

 僕は明後日の方向を向き、鼻から息を吐く。


 ――なにやってんだろうな、ほんと。


 真昼にできなかったことを雨宮にやってあげたところで、意味なんてない。

 彼女は真昼じゃない。あいつの代わりじゃない。

 真昼はもう、この世界にはいないんだ。


***


「うわぁ……おっきい」


 雨宮は運ばれてきたパンケーキを眺めてうっとりとため息を吐く。パンケーキとはいうが大きめのものが三枚重ねかつ更に生クリームてんこ盛りかつイチゴやらベリーもトッピングしまくりという代物で、見ているだけで胸焼けしそうだ。

 しかし店内にいる客(女性客ばかり)は雨宮と同じスイーツを頼んでいる人たちが多い。どうやらこの店の名物らしい。

 雨宮は子供みたいに無邪気な顔でパンケーキを眺めた後、おもむろにリュックから白いヘッドギアを取り出す。それを装着し、またじーっとパンケーキを眺める。おそらくカイロスギアの撮影モードに切り替えてスイーツを撮っているんだろう。

 ひとしきり撮り終えたのかカイロスギアを外した雨宮がようやくフォークを取る。しかしそこで僕を見て、急にバツの悪い顔をした。


「ごめん、軽率でした」

「なにが?」

「ギアを目の前で使っちゃったし、あなたのパンケーキを頼んでなかった」

「最初のはともかく最後のは問題ないんだが」


 甘党じゃない僕があの量のスイーツを食うのはさすがにしんどい。

「そうなんだ……」なぜか雨宮がしょんぼりする。食べてほしかったのか?


「竹田くんはなに食べる?」

「僕はコーヒーだけでいい」

「それじゃお腹空かない?」

「雨宮のをわけてくれよ。それでいいから」


 味わってほしくて誘ったのなら少しくらい食べてあげた方が良い気がした。

 雨宮はなぜか恥ずかしげにうつむき「う、うん、どうぞ」と呟いて皿をちょっと差し出す。


「横取りされるのが嫌ならちゃんと言うんだぞ?」

「そ、そんなんじゃないですっ」


 ぷりぷりと怒った雨宮がパンケーキを切って口に運ぶ。僕はそのおこぼれを頂戴した。

 しばらく二人とも黙々と食べ続ける。


「遠慮すんな」


 僕の言葉に、フォークごとスイーツを口に含んだ雨宮が半目になる。


「だから私そんな欲張りじゃ――」

「VRを使えないのは僕のせいであって誰のせいでもない。使うのが当たり前の世界で、僕に合わせろなんて無理強いしないからさ」


 途端、雨宮は神妙な顔になる。流してもよかったのだが、ギアを使うことへの過剰な気遣いについては言っておかなければいけないと思った。


「でも……」

「むしろ気を遣われる方が苦手なんだ」


 そう言っても、雨宮はまだ遠慮がちに僕を伺っている。

 仕方がない反応だ。気を遣うなと言って普通に振る舞える奴はそういない。

 両親が典型的だった。普通に過ごしてくれればいいのに、わざわざカイロスギアの使用場所を制限して話題にも出さなくなった。そのせいで柚がとばっちりを受けている。

 中学時代の友人たちも僕に気を遣って慎重に話題を選んでくれた。そのせいで、互いに会う時間が楽しくなくなってしまった。遠慮すればするほど、当人もかけられる側も窮屈になって疲れ果てていく。


「前から聞きたかったんだけど。どうしてVRが駄目になったの?」


 真剣な様子で聞いてくる。きっと何度も聞こうとしては躊躇ってきたことを、覚悟を持って口に出したのだろう。


「言いたくないのなら、無理をしなくてもいいです。でも、私はあなたのことを知りたいと思う。なにを考えているのか、見てるのか……助けてくれた分、私も役に立ちたい」


 今日はこれを伝えるために誘ったのだと、わかってしまった。

 息苦しさを感じる。

 僕に興味を持ったところで、知ろうとしたところで、何もならない。放っておいてくれたほうがお互いのためだ。


「……義理とか同情で聞いても、そのうち面倒になって、関わらなきゃ良かったと思うよ」

「ならない」


 忠告のつもりだったのだが、雨宮は即座に否定した。眉根を寄せてじっと見つめてくる雨宮の瞳に射抜かれると、名状しがたい感情が胸の中で波紋のように広がる。

 僕は彼女にどうして欲しいのだろう。彼女をどうしたいのだろう。わからない。

 だけど、頑なな彼女を前にしていると、口は勝手に動いていた。


「……僕がVRを苦手になった理由は、はっきりしてない。精神的なものだとは思うけど……原因がわからないから、治療も長引いてる」

「そう、なんだ。それは、どれくらい前から?」

「あいつが亡くなってすぐだったから、もうそろそろ二年くらい経つか」

「え?」


 雨宮が唖然としていた。先程の発言を思い返し、失言だったと反省する。亡くなったなんて不穏なワードを入れれば気を取られるのは当然だ。

 しかし出してしまったものは仕方ない。簡潔に説明するしかないだろう。


「幼馴染がさ、事故で死んだんだ。当時は結構なショックで、受験も全然うまくいかなかった」


「ご、ごめんなさい」雨宮が困惑して視線を彷徨わせる。そうなることはわかっていたので僕は苦笑いして首を振る。


「こっちこそごめん。聞かれたこととは直接関係ないのに、つい口が滑って」

「関係ないって……その人のことは、辛かったんでしょう? 塞ぎ込むくらいに」

「そりゃね。でもVR恐怖症の原因ではないらしいんだ。確かにあいつの――真昼の事故死がショックを与えて、引き金にはなったらしいんだけど」


 カランと、乾いた音が響いた。雨宮がフォークを落としていた。

 雨宮は拾う素振りもなく極限まで目を見開いて口を半開きにしている。

 その顔は病人のように青白い。だというのに、僕を見る瞳はいやにざらついていて、鈍い光沢を帯びていた。


「真昼……間藤、真昼……?」


 半開きになった彼女の口から掠れた声が漏れる。

 心臓が跳ねる。なぜ雨宮の口から真昼の名前が出た?

 呆然としかけて――もしかしてと、勘が働く。

 雨宮はプロのピアニストを目指していた。真昼という天才の噂は関係者の間で轟いていたし、住んでいる場所が違っても知っていた可能性が高い。


「そ、そう。間藤真昼。天才少女なんて持て囃されてた奴でさ。雨宮も、プロのピアニストを目指してたなら聞いたことあるんじゃないか?」

「………………うん。知ってる。とても」


 それはまるで、幽霊が語りかけているかのような不確かな声音だった。

「雨宮?」声をかけても彼女は自分の世界に入っているのか反応がない。さすがに不穏なものを感じて問い正そうとしたとき、雨宮がのろのろと動き出してフォークを拾った。

 しかしパンケーキを凝視してじっと黙る。


「どうした。もしかして体調悪いのか?」

「竹田君、私――」


 彼女は口を開けた。濡れた瞳が揺れ動いていた。


「……お店、出よう」

「え? まだ残ってるけど」

「いいの。お腹いっぱいになっちゃった」


 雨宮は苦笑いして席を立つ。僕は慌てて後を追う。

 会計中の雨宮にお金を渡そうとしたとき


「ごめん、竹田君。慰労会は次で終わりにさせて……話したいことが、できたから」


 静かな声に逆らい難い気迫を感じた僕は、頷くしかなかった。

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