2042年11月 変わっていく雨宮
文化祭二日目の昼時。僕は校舎の非常階段に座って一息ついた。
「ふー……疲れた」
疲労感が押し寄せる。休む暇なく給仕係を続けたせいで身体が凝り固まっていた。交代できたのは午後一時を回った後で、さすがにかなりくたびれた。
秋空を眺めながら、持っていたビニール袋に手を突っ込む。クラスの女子が用意してくれた昼飯で、コンビニのおにぎりとかサンドイッチが入っていた。
その一つを取って包装を剥いていると、興奮気味の神経が徐々に落ちついてくる。ようやく考え事をする余裕ができた。
――真昼と似てる転校生、か……。
赤の他人に、自分が知っている誰かの面影を重ねてしまうというのはままあることだ。僕にも経験はある。
だけど、よりによって大切だった故人の面影を感じてしまうのは精神衛生上よろしくない。
それが気のせいなのか原因があるのかはわからないが、離れてしまえば終わる。文化祭の後はまた喋らなくなればそれで済む。
だけど、彼女はどうだろうか。僕のことを、どう思っているだろうか。
少なくとも赤の他人ではなくなっている。これからも話しかけられるかもしれない。
で、それを僕は個人的な事情で、理由も告げず、一方的に拒絶するわけだ。無視して、逃げるわけだ。彼女は何も悪いことをしていないのに。
ここまで一緒に頑張った相手に、凄いと認めている相手にする行いじゃない。
だけどこのまま親しくしていたら、僕は取り返しのつかないことを
――……取り返しのつかないことって、なんだ?
自分で自分の考えに疑問を抱いたとき、カツンと音がした。
「ここに居たんだ」
背後からの声に心臓が跳ねる。声だけで誰かわかった。
僕は口の中のものを飲み下して、平静を装いながら振り返る。
非常階段の踊り場に制服姿の雨宮が立っていた。彼女は風に吹かれてなびくスカートを押さえながら、ビニール袋を掲げてみせる。
「私もお昼休憩なの。ここ、使ってもいいかな」
「あ、ああ。別にいいけど」
雨宮は階段を降りて、僕が座る階段の一段上に座る。僕は前に向き直って、下唇を噛んだ。
――なんで来るんだよ。
いつもと違って今日は文化祭だ。どこで何を食べていようと気にする人はいない。
これじゃまるで、わざわざ僕を探しに来たみたいだ。
無言の時間が流れた。文化祭の薄らとした雑音に包まれているのに、いつもより気まずい。
早く食い切って立ち去ろうと思ったが、背中に視線を感じる。雨宮が何かを言おうとして迷っている気配がする。
「……あ、ありがとう」
小さな声にゆっくり振り向くと、雨宮は恥ずかしげに僕を見ていた。
「あなたのおかげで、メイド服を捨てなくて済んだ。クラスのためにもなったし、メイド喫茶にも参加できて……感謝してます」
「それ本心から言ってる?」
「あ、当たり前でしょ」
ふくれっ面の雨宮は、しかし気が緩んだように吹き出した。
「不思議な人ね、竹田くんて。クールキャラになれそうでなりきれない人よね」
記憶の扉が音を立てて開いた。
ため息を吐く。なんでこんなにポンポンと、真昼と同じようなことを言うのだろう。わかってやってるのかと疑いたくなる。
気が滅入りそうだったので、僕は話題を逸らした。
「そういう雨宮の方こそ、変わってるよな」
「私?」
「仕方なかったとはいえ、僕みたいな奴と同じ部活になって、色々と、その、変な噂も流されてさ……嫌じゃなかったのか?」
雨宮はしばし僕を見つめていたが、階段の向こうにある秋空を眺めて目を細めた。
「そういうの、気にならなかったと言えば嘘になる。でも私自身が竹田くんを見下せるような人間じゃないわ。他人のことどうこう言えない。それに、竹田くんは悪い人じゃないって、信用できる人だってそう思ってたから」
「なにを、根拠に」
「女の勘、かな」
面食らう僕に対して、あの雨宮が悪戯っぽく笑った。
「冗談。あの休日のことをずっと黙っててくれたから。誠実な人だって、わかってたよ?」
僕の顔がよほど面白いのか雨宮はくすくすと笑い続ける。僕が不機嫌なふりでそっぽを向くと、「……私、ちょっと変わったのかもしれない」雨宮が話題を変えた。
「昔の私だったら、こんなすぐに人を信じることなんてできなかった。花崎さんを信じてみようと決心したことも、メイド服制作を請け負ったことも、昔ならできなかったかもしれない」
「それはまた、大きく変わったことで」
「そうね、そう思う」
「なにか変わるきっかけとかあったんだな」
ふと気になって訪ねてみた。
「きっかけ……」雨宮は口の中で言葉を転がす。
「どうだろう。確かに中学生のときから色々変わったけど、正直、辛いことの方が多かったから。いい影響はなかったと思う」
しまった。両親の離婚に踏み込んでしまった。でも雨宮の言う通り、良い方向に向かう要素がない。むしろますます塞ぎ込んで、他人を拒絶してもおかしくない。
「なんで私、前向きになれたんだろう」
雨宮は不思議そうに呟いている。本当に心当たりがないのか。
――もしかして。雨宮が気づいてないきっかけがあったのかな。
その可能性を模索してみたものの、途中で止めた。それこそ本人しか気づけないことだ。
「いい意味で吹っ切れたんじゃないか」
僕は無難な返事を選んだ。雨宮は柔和に笑って頷く。
そのとき強めの風が吹いた。黒髪を押さえた雨宮は、遠くを眺めながら頬を緩める。
いつかの日に感じた、甘い切なさがこみ上げる。
「? どうしたの?」
「なんでもないよ」
僕は前を向き、残っている昼飯を口の中に放り込む。咀嚼しながら、ザラついた塊が僕の中にあることを自覚する。
こんなのは雨宮への、そして真昼への冒涜だ。
だから僕は、どうにかしてこの気持ちを殺す術を考えなければいけなかった。




