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2042年11月 雨宮の変化

 MRメイド執事喫茶はかなり繁盛した。お客が代わる代わる二年C組の教室を訪れた。それも訪れた人たちの多くは僕と雨宮の姿を見て声をかけてきた人たちで、おそらく、いや確実に僕と雨宮の呼び込みが功を奏していた。

 客入りと反比例するようにぶすっとしていたのが花崎だ。それはそうだろう。わざとメイド服を作らせてからかったのに、それで雨宮を引き立ててしまえば本末転倒だ。

 だけど逆恨みするのは花崎と取り巻きたちくらいのものだ。他のクラスメイトは繁盛した結果に大満足だった。雨宮に至ってはクラスの女子からも話しかけられるようになっていた。

 これで花崎への仕返しは完了。後は二日目を無難にこなせばいい。

 そう思っていたのだが、一日目の終了段階で雨宮が予想外の行動に出た。


「花崎さん」


 初日が終わり、片付けを始めていた頃。

 着替えを終えて戻ってきた花崎に、雨宮が話しかけた。教室の空気は一気にピリっとした。僕も驚き、片付けの作業を止めてしまう。

 敵意を隠そうともせず睨みつける花崎に向かって、雨宮は静かに近寄る。そして綺麗に折りたたんだ服を花崎の前に差し出した。

 それは雨宮が着ているメイド服と同じ代物だ。僕らが作った三着のうちの一つ。


「なんのつもり?」


 花崎が眉をひそめ、刺々しい声音で問う。今の花崎は明らかに不機嫌で、喧嘩腰だ。

 止めに入ろうか逡巡したが、雨宮の意図がわからないので下手に動けない。


「これ、花崎さんの分。良かったら貰って」

「……なんでよ」

「あなたの分は絶対に必要だったから、真っ先に作ったの。捨てるのはもったいないし」


 花崎は雨宮が持つメイド服を凝視する。垂らした両手を拳に握りしめていた。


「ふぅん、そう。別に貰ってもいいけど、こんな恥ずかしいのどこにも着てけないし、捨てちゃうかもよ?」


 花崎が挑発的に笑う。僕はハラハラしたが、雨宮は気を悪くした様子もなく続けた。


「じゃあ花崎さん。明日は私の代わりに、宣伝係をやらない?」

「――は?」


 花崎は目を丸くする。それは周囲の人間も同じだった。

 僕ですら予想の斜め上すぎて唖然としてしまう。


「着るタイミングっていうなら明日しかないし。それにお客さんを呼ぶのは私よりも適役な人にやってもらいたいから。花崎さんはきっと似合う。あなたが宣伝したほうが効果的だと思う」

「なに、今更あたしに媚を売るっての? それとも上から目線の慰め?」


 まずい、これじゃ火に油だ。まさか本当に挑発したいだけなのか。いや、雨宮に限ってそんな悪辣なことはしないはず。

 僕の考えを証明するように、雨宮は静かに首を振った。


「本心から言ってるの。私はこういうの苦手だから」

「ええそうでしょうね? あんた暗いし」

「そうね。正直、花崎さんみたいには笑えない」

「なにそれ嫌味」

「違うよ。私は女の子らしい笑い方を知らないし、できない。だから、あなたの明るくて他人に気負わせない振る舞いは、素直に憧れる」


 花崎は双眸を細めて雨宮を見つめる。意図を測りかねているようだった。


「私は代わりに雑用でも何でもする。だからお願い、花崎さん」


 花崎は黙り込む。その目には戸惑いが過ぎる。

 教室は静まり返っていた。加害者と被害者の奇妙なやり取りは全員の意識を捉えて離さない。


「いいじゃん華、やってやれば」


 茶化すような声が静寂を破った。またもあの須賀という男だ。花崎がキッと睨むが、須賀は物怖じしない。名前を呼び捨てにしているところからして、この男は花崎と対等に接することができる唯一の人間のようだった。

 花崎は何かを言いかけて、また口を引き結ぶ。張り詰めた空気に胃が痛くなってくる。


「嫌なら、しょうがないけど……」


 雨宮の語尾が尻すぼみになって消えた。服を差し出した腕が徐々に降り始める。

 花崎が舌打ちした。


「マジあり得ない。なによこれ」


 ぶっきらぼうに告げた花崎は、メイド服を引ったくるように受け取った。


「言っとくけど、ここで受け取らないとあたしが悪いみたいになるから、仕方なくだから。別にあんたを気に入ったとかじゃないからね!」

「うん、それでいいわ」


 雨宮が微笑すると、花崎はすぐに背を向けて教室を出て行く。取り巻きたちが追いかけると、残されたクラスメイト達は弛緩したようにため息を吐いた。まだ文化祭が残ってる段階で一触即発の事態に陥るところだった。

 僕はすぐに雨宮の元へ駆け寄る。


「おい、なんであんなこと言ったんだよ」


 開口一番に疑問をぶつける。皆はまだ遠慮して聞けないだろうから、声を大にしておいた。しかし当の雨宮はきょとんとするだけだ。


「なんでって、なんで?」

「だってあれじゃ喧嘩売るみたいになるだろ」


 そう言うと雨宮はようやく理解したようで、ぽんと手を打つ。


「そっか、ごめんなさい」

「お前なぁ……」

「でも私みたいな人見知りより、愛嬌があってメイド服がよく似合う子がお客さんを呼んだ方が適役に決まってる。それは嘘じゃないもの」


 雨宮は自信ありげだが、僕は納得しきれていなかった。理屈では正しくても、自分に嫌がらせをしてきた相手に頼るなんてどうかしてる。僕だったら心の中で嘲笑して無視し続ける。卑屈だろうとなんだろうと、すぐには許せない。

 でも雨宮の中では、花崎への憎しみ以外の感情が生まれているようだった。

 不意に、似たようなやり取りを見ていたことを思い出す。


 ――あいつも……真昼も、同じだったな。


 真昼は以前、嫉妬に駆られた女子グループに嫌がらせを受けたことがある。しかし酷いことになる前に友人達が助けに入って嫌がらせは終わった。そのとき友人らは首謀者を懲らしめるべきだと提案したそうだが、あいつはすぐに首を振ってこう言った。


『色んな考えの人がいるから。あたしと仲良くできない人も中にはいるよね。だからって、あたしから傷つける必要はないでしょ?』

「もっと懲らしめてやりたいとか、思わないのか」


 気づけば僕は、かつて真昼に進言した友人らと同じ台詞を吐いていた。

 驚きを示した雨宮は、僕と向き合う。彼女は考える素振りのあと、微苦笑して答えた。


「世の中には色んな人がいるもの。私と仲良くできない人がいるのはしょうがないと思う。でも、だからといって、私から傷つける必要はないでしょ?」

「……そう、か」


 僕は会話を続けることができなかった。胸中は納得するどころか更にかき混ぜられていた。

 今まで考えないようにしてきたことがあった。それは、今の雨宮の言葉を聞いた瞬間パズルのピースが嵌まるように、僕の中で形をなしてしまった。

 思考した瞬間、どうしようもない不快感が滲んだ。

 黙っていると雨宮が続けた。「それに」


「宣伝してるときは性格の悪さも出ないだろうし」

「……それ、絶対に花崎には言うなよ」


 僕は自分の悩みも忘れ、しっかり忠告した。


***


「さぁ二日目もはりきっていこー!」


 文化祭二日目の開始アナウンスと共に、花崎が腕を掲げて檄を飛ばす。クラスメイトも合わせるように声を上げた。しかし一日目と比べて明らかにやる気がなく、白々しい空気が漂う。

 その理由は、花崎のメイド服姿にある。


「じゃあ宣伝いってきまーす!」


 メイド服を着た花崎と取り巻き女子二人が笑顔で手を振り、教室を出て行った。残された僕らはきっと心中で同じツッコミをしたに違いない。結局やるんかい、と。

 クラスの支配者が姿を消したことで皆は弛緩した息を吐き、持ち場へと移動していく。しかし雨宮と僕はぽつんと立っているしかなかった。客引きは自主的にやっていたことで、元々僕らには当日の役割が与えられていなかった。

 どうしようか迷っていると、複数の女子が雨宮に近づく。


「さ、雨宮さんもスキンスーツに着替えよっか」

「えっ」


 唐突な声かけに雨宮はたじろぐが、他の女子に取り囲まれて逃げ場を塞がれる。


「花崎さんと交代するんだからメイド役やるってことだよね」

「で、でも私、雑用するって」

「えー、女子は全員メイド役だよ? 今更逃げっこなし」

「そうそう。やっぱりあたし達も雨宮さんと一緒にやりたいんだ」


 さらっと告げられた言葉に雨宮が目を瞠る。女子たちは若干の遠慮を醸し出しつつも、笑顔を覗かせていた。


「っていうか迷ってる暇はないから! 着替えいくよ!」

「くぇぇ」


 ニワトリみたいな奇声を発した雨宮が連行されていく。クラスの女子たちは容赦がない。けれど、今までのような拒絶感やよそよそしさがないフラットな状態でもある。


 ――僕たちの抵抗も無駄じゃなかったってことか。


 花崎を不満に思っていた生徒や、今回のイジメを不憫に思っていた人間は潜在的に多かったのだろう。僕らの作戦は、そんな生徒たちを動かす呼び水になったわけだ。


 ――さて。邪魔者は退散するかな。


 功績を残したのは雨宮であって僕ではない。一人で考え事をしたい気分だったし、どこかで暇を潰すのが得策だろう。

 そう考えながら教室を出ようとしたとき、襟首を掴まれてぐいと後ろに引っ張られた。


「どこ行くんだよ、竹田」


 そろりと振り返る。百九十センチ近い背を誇る須賀聡太が、僕の襟を掴んで笑っていた。


「ちょっとトイレに」

「わかりやすい嘘ついてんじゃねーよ。お前はこっち」

「ぐええ」


 そうして僕はパーテーションの奥へと連行され、無事にお茶入れ係に任命される。


***


「おかえりなさいませ!」

「お、おかえりなさいませっ」


 灰色のボディウェアに身を包む女子達が、ドアを開けて入ってきたお客さんに柔らかくお辞儀をする。並ぶ雨宮も見よう見まねでお辞儀をしていた。

 夫婦で来たらしいお客さんは面食らっていたが、すぐにカイロスギアを装着する。すると二人して感嘆の声を上げた。


「なるほどなぁ。宮殿仕様のテラスってことか」

「メイド服も可愛いわねぇ」


 旦那さんは教室内を見回し、奥さんは女子達を見て微笑んでいる。僕から見れば何の変哲もない教室とボディウェアを着た女子達という光景でしかないが、夫婦には豪華絢爛な宮殿のテラスと、華やかなメイド達が映っているのだろう。

 正直、見てみたいとは思う。もちろん無い物ねだりというか、思うだけだ。VR恐怖症が治っていないのにギアを付ければどうなるかなんて、嫌という程わかっている。


 ――給仕係が吐くわけにいかないしなぁ。


 簡易コンロに置いたヤカンから蒸気が上がる。僕はパーテーションの間から教室を覗き見しつつ、ティーポットにお湯を入れ、ソーサーとカップを用意した。

 全ての席はお客さんで埋まっている。市販の紅茶とコーヒーだけでこんなに繁盛してるのだから、大したものだ。

 視界に雨宮が入った。彼女は先ほどの夫婦を席に招いて注文を聞いている。緊張気味だけど、ちゃんと笑顔で接客をしている。

 その様子を眺めていると、ボディウェアを着た背の高い男子が「休憩入りまーす」とパーテーションの奥に入ってきた。須賀だ。

 慌てて作業に戻ると、入ってきた須賀は僕を見つけて開口一番に言い放った。


「竹田って雨宮のこと好きなの?」

「は!?」


 素っ頓狂な声が出てしまう。須賀は笑った。


「ビビりすぎ。図星かよ」

「今のは単に驚いただけで……」


 居住まいを正して向き直るも内心は動揺していた。内容もだが、こいつに話しかけられるなんて思っていなかった。

 オールバックにした髪をなぞる竹田は、口角を上げたまま僕にパーテーションの間を覗く。


「だってさ、雨宮を手芸部に誘ったの竹田だろ? 噂になってるぜ」


 一瞬驚くが、すぐに納得する。そういう噂が立つのは想定済みだ。それで雨宮が同じ部活に入ることを心配していたわけだし。


「昼休みに二人で被服室行ってるみたいだし。むしろもう付き合ってんの?」

「ち、違う。これには深い理由があって」

「ふーん? まぁでも、華のイタズラを逆手に取ったのはお前の入れ知恵だよな」


 瞬間、全身にピシリと電気が走った。


「ただのクラスメイトってより好きな女を守る理由ならわか――」

「イタズラだって?」


 長身の須賀を見上げるように睨むと、彼は薄笑いを消す。


「お前ら、イタズラなんてぬるい言葉で済まそうとしてないよな? 雨宮がどれだけ傷ついたかわかってんのか? あいつが真剣に取り組んできたのを知ってればそんな台詞なんて――」

「ちょい待ち。俺は別に蒸し返したいわけじゃない。さすがにやり過ぎだったと思ってるし」


 須賀は無抵抗を示すように両手を上げた。拍子抜けするほど敵意のない態度だ。

 それでも僕の中で滾る炎は収まりが付かない。


「やり過ぎ? 立場が危ういからって今更言い訳か?」

「まぁ、否定はしない。非があるのは認めるし謝る。だから今回のことは穏便に済ませてくれないか? 華にも、もうちょっかい出さないよう言い聞かせるから」


 言っていることがうまく飲み込めず僕が訝しむと、須賀は苦笑いして首の後ろを掻いた。


「気遣ったのを無視されて怒るってのはわかるんだよ。でもだからって今回のはやり過ぎだ。俺も一応止めはしたんだけどよ」


 バツが悪そうな顔に嘘の気配はない。この男の中に罪悪感はあったようだ。

 でも、だからといって簡単に許せるわけじゃない。


「あんたがどう思ってようと、実際には花崎に加担してたじゃないか。そういう話はちゃんと止めてから言えよ」

「はは、まったくもってその通りだな。すまん」


 空笑いした須賀は、いきなり頭を下げた。僕が目を瞠ると、須賀は真剣な声音を出す。


「今回のことは俺の責任にしていい。なんなら俺が首謀者でも構わない。だから、華への仕返しとかは勘弁してやってくれ」


 返答に困った。なぜ須賀が花崎を庇うのか理解できない。

 しかし、整髪料を撫で付けた彼の頭頂部を眺めていると、動機がわかったような気がした。


「須賀は、花崎のことが好きなのか?」


 彼はゆっくりと顔を上げた。


「んなわけあるか」


 顔色一つ変えず言い切った言葉には呆れが滲んでいた。あれ、違うのか。


「なんつーか腐れ縁でさ。親同士が知り合いで小中高一緒だと見捨てられないっていうか。あれでもあいつ昔は友達全然いなかったんだぜ。そういうのも知ってると余計に、な」

「幼馴染、なのか?」

「まぁそうなる。ほんと面倒だけどよ」


 須賀は辟易したように答えるが、彼の顔はそこまで嫌そうには見えなかった。

「須賀君ちょっとヘルプー」女子の声が降ってくる。須賀は「雨宮にも言っといてくれ」と僕に言い残して去ろうとした。


「……責任とって、あんたがちゃんと手綱握れ。それと引き換えなら考えないでもない」


 割と小声だったが、須賀にはちゃんと聞こえていた。彼はちらりと振り返って「了解」と返し、出て行く。

 僕は溜め息を吐いて天井を見上げた。

 我ながら甘いと思う。でも、幼馴染を想う須賀の気持ちは、わからないでもなかった。

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