2039年10月 真昼の手を引く機会
文化祭は滞りなく終了した。中でも三年二組の合唱は大絶賛だった。
中学生ながら複合現実を扱った点も大きかったが、やはり映像と歌の効果を何倍にも倍増させる真昼のピアノ演奏が、誰もの心を揺さぶっていた。傍から見ていた僕も震えていた。
そうして参加者が帰って行く中、僕は友人達と一緒に教室に残ってだらだらと時間を過ごした。充実感と脱力感が混ざったふわふわした感覚で、あまり帰る気にはならなかった。たぶん友人たちも同じ気持ちでここに残っている。
三年二組の話で盛り上がっていたとき、教室のドアが開いた。入ってきたのは友人の一人だったが、彼は廊下の方を見ていた。
「なぁ、あそこの奴らって正蘭中だよな。私立の」
怪訝そうに呟く友人の声に引かれて、僕らはぞろぞろと入口に近づく。廊下には女子数名と、白いブレザーを着た男子達がいた。楽しそうに談笑している。
「私立の連中がなんで校内に入ってんだよ」「誰か友達いたんじゃね?」「ってかナンパかもよ」「マジかよ。うぜ。チャラ過ぎ」「あいつらも呼ぶなよな。はー萎える」
友人達が口々に苦言を呈する中、僕は別のことが気になってずっと観察していた。喋っている場所は三年二組の教室の前だ。女子達も真昼と仲が良かった生徒ばかり。
笑っていた男子が立ち位置を替えた。彼のせいで隠れて見えなかった生徒が一人居た。
僕の幼馴染は、どこか緊張気味な様子で弱々しく笑っている。
どう接していいかわからず困っている、という感じだ。
――優柔不断は治らないよな、あいつ。
今でこそ快活な姿で皆を明るくさせる真昼だが、昔は結構おどおどしていた。あいつは僕が引っ張ってやらないとなにもできなかった。よく吠える犬がいる帰り道を通るときも、手を繋いでやったっけ。
演奏はあんなに堂々としていたのに、根っこの部分は変わっていないらしい。あんなのでオーストリアに行って大丈夫なんだろうか。
友人達が興味をなくして教室に戻っていく。僕も教室に戻ろうとしたが、鼓膜が他校の生徒の声を拾う。
「じゃあ決定ね。遊びいこうよ。真昼ちゃんレッスンないって言ったよね?」
「う、うん。今日は文化祭の片付けあるから、お休みって……」
「オッケー。先輩がバイトしてる店に行こう。安くしてくれるって」
僕は教室とドアの境界線で足を止め、真昼の返事を待った。もちろん断るはずだと思った。
なのに、真昼はもごもごと言葉を転がすだけではっきりと態度に示さない。
「ねぇいいでしょ真昼? 今日くらいさ」
「え、どう……しよっかな」
「いこ? こんな機会ないよ?」
選択肢の天秤がぐらついているのが手に取るようにわかった。友達がいるならいいかな、くらいに考え始めているかもしれない。
真昼がどうしようが真昼の勝手だ。僕はただの幼馴染で、それ以上でも以下でもない。
でも――吠える犬の前で立ち尽くしている真昼の姿が浮かんだとき、体が勝手に動いた。
「真昼」
気づけば僕は幼馴染みへ声をかけていた。他校の生徒と女子達の視線に怖じ気づきそうになるけど、真昼のぽかんとした顔が目に入って引っ込みが付かなくなった。
「なにしてんだよ。早く帰るぞ」
男連中が眉根を寄せた。威嚇するような鋭い視線だ。逆に女子達は喜色を浮かべている。
ややあって我に返った真昼は、女子達に向き直って軽く頭を下げた。
「ごめん! 春ちゃんと約束があったの忘れてた!」
「あーそうなんだ。じゃあまた今度ね?」
真昼はこちらに小走りで駆け寄ってきた。僕はすぐに教室に入って友人達に伝える。
「悪い。先帰るわ」
友人らはニヤニヤと笑い出して「末永く爆発しろよ」などと冷やかしを飛ばしてくる。
鞄を取って廊下に出ると真昼が「行こっか」と微笑する。その頬はほんのりと赤い。
「彼氏いたんだ?」
「幼馴染みだってさ。今も仲いいみたい」
「へぇ。まぁ、わかるかも」
「彼氏彼女って感じじゃないもんな」
他校の男子生徒たちは、歩き始めた僕に嫌味をぶつけるくらいには強かだった。
「もーそれより早くいこーよ」女子達が促すので挑発じみた台詞はなくなったが、僕は一刻も早くその場を離れたくて大股で歩いた。
角を曲がって廊下を駆け下りる。しかしその途中でぐいと袖を引っ張られた。
「ま、待って」
振り返ると息を切らせた真昼が僕の袖を掴んでいた。
「……悪い」
「ううん。あたしがトロいだけだから」
そう言って真昼がにへらと笑う。別種の恥ずかしさがこみ上げて、僕は目をそらした。
ゆっくりと歩いたが、真昼は僕の袖を摘んだままだ。犬の前を通り過ぎるときみたいに。
「もう早歩きしないから離せって」
「ねぇ、春ちゃん」
僕の言葉を無視した真昼が、にんまりと笑う。
「ヤキモチ焼いた?」
「ばっ……!」
全身が熱くなる。腕で口元を隠すと、真昼は面白そうに笑った。
「清春くんはクールキャラになれそうでなれないねぇ」
「あ、あのな! お前が困ってそうだから助けてやったんだぞ!」
「ほんとにぃ?」
「……本当だよ。別に困ってないなら戻ってもいいし」
勢いでそう口走ってしまう。真昼は「へー」などと呟き、僕を見透かすように見つめてくる。恥ずかしいし腹立たしいしでまともに直視できない。
けど、すぐに自分の発言を後悔した。本当にこのまま戻ってしまったらどうしよう。
真昼は腰の後ろで手を組んで勝手に歩き始めた。向かうのは下駄箱の方だ。
「やめとく。初対面の男の子がいてちょっと怖いなって思ったのは本当だし。きっと春ちゃんには筒抜けだったんだろうなぁ」
ホッと息を吐く。もちろん真昼には感づかれないよう静かに。
「でも、こんなことじゃいけないよね。海外じゃ知らない人ばかりだし。男性も積極的な人が多いって言うし? 流されないよう、しっかり意思表示できるようにしないと」
「お前みたいなちんちくりん相手にされないだろ」
何気ない真昼の発言を、僕はつい馬鹿にしてしまった。現実感のある話として受け取りたくなかったのだ。
「あーひどーい!」
真昼は頬を膨らませながら僕を置いてズンズン進んでいく。僕は後を追いながら、胸のざわめきを押さえられないでいた。
昔のままだったら鈍感で居られたのに、今は気が気でない。あいつの魅力は僕だけの秘密じゃない。黙っていようと否応にも伝わるものだ。近くに居なければ持っていかれてしまう。
ちくしょう、何も起きてないのに嫉妬や不安でどうにかなりそうだ。
「別にいいもんね。どうせ三年間は音楽漬けなんだから、外国のイケメンと遊んでる暇なんかありませんよーだ」
不貞腐れたように言った真昼は、そこで立ち止まってちらと振り返った。
「まぁ、誰かさんは違うんでしょうけど? 共学の高校に入って三年間楽しんで彼女なんか作っちゃったりするんでしょうけど?」
「それは僕への当てつけか?」
「誰も春ちゃんだなんて言ってませーん」
なにか機嫌を損ねてしまったらしい。意固地になってしまったことを少し反省する。
「……彼女とか、そんなの興味ねぇよ。高校入ったら勉強で忙しいし」
「えー? ほんとなりかー?」
「あ、当たり前だろ」
お前以外の誰かと付き合う気はない、なんて本音を告げられるはずがない。
「でも勉強って言ったってさ、春ちゃん行こうとしてるの桃井第三高校だよね? 君のレベルなら遊んでても十分ついていけると思うけども」
「いや、城南高校受けるからな」
「え?」
意表を突かれたような声で僕は自分の迂闊さに気づく。
しまった。言ってしまった。
「え、じ、城南? 急にどうしたの? あそこ凄い進学校だよ? 受験大変だよ? 本気?」
「ほ、本気だよ悪いか」
引くに引けず認めてしまう。ああ、僕の間抜け。まだ親にも告げていなかったのに。
「へぇぇぇ」などと興味なのか驚きなのかわからない声を上げた真昼が、僕に近寄ってくる。
「それはどういう心境の変化でしょうか竹田清春選手?」
真昼がマイクを向けるようなジェスチャーをする。瞳が好奇心できらきらと輝いている。
「トップシークレット」僕はマイクを回避するように彼女を避けて進む。
「なんでよケチー! 春ちゃんの一世一代の決心ぽくてすっごい気になるんですけど!」
勘が鋭い。さすがに付き合いが長いせいか。
彼女の言う通り、一世一代の決心かもしれない。今の僕の成績では届くか届かないかという瀬戸際だから、かなり頑張らないと合格しないだろう。それでも城南は有名大学への進学率が高い上に、独自カリキュラムや課外活動、海外留学など面白い制度がたくさんある。
もしこの学校に行けたなら、平凡な風景が変わる気がした。
「でも、そっか……ほんとにそこに行けたら、勉強ちゃんとしなきゃかもね」
「そうそう。だから誰かと色恋沙汰なんて暇はねーの」
「じゃあさ、三年後にあたしが帰国したとき。お互いに彼氏彼女がいなかったら」
いなかったら? ドキリとして、背後からの声に耳を澄ます。だけど続く声はない。
「なんだよ」振り返ってみると、僕の後ろをくっついていた真昼が悪戯っぽく笑う。
「なんでもなーい」
それから真昼は文化祭の話に切り替えて、僕は聞き出すタイミングを逸した。よくわからなかったが、僕自身の頭も違うことに反応していて特に言及はしなかった。
踏ん切りがつかなかったけど、真昼のせいか、おかげか。これで進むしかない。
高校受験。それが僕にとってのチャンスだ。




