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2042年10月 雨宮と上げる反撃の狼煙

 携帯電話のディスプレイに映された「ごめーん今日も無理っぽい」というメッセージを目にした瞬間、僕は無意識に舌打ちをしていた。


「あいつら今日も来ないってさ」


 隣の台にいる雨宮は返事をしない。ミシン作業を止める気配もない。

 同じ目的で動いているはずなのに、まるで違うことをしているようだった。


「なぁ、もう止めよう」


 僕はミシンを止めて天井を仰いだ。ようやく雨宮が僕を横目で見た。


「止めてどうするの?」

「帰る。八時過ぎてるし」


 窓の外は夜の帳が落ちている。被服室には部長も他の部員もいない。もちろんクラスの連中がやってくる気配はない。


「わかるけど、もう少し頑張らない? 余裕ないから」

「時間だけが原因じゃないこと、雨宮だってわかるだろ」


 彼女は僕を見ない。ミシン作業を続けながら、服の縫い目を凝視している。

 その態度で僕は悟る。雨宮だって、本当はちゃんと理解しているんだ。


「こんなのおかしいって。手伝う約束だったのに誰も来ないし、それが一週間も続いてる。口裏合わせて僕らを放置してるとしか思えない」

「偶然、かも」

「そんなわけあるかよ。っていうか、本当に危機感あるなら一人くらい様子見にくるだろ。衣装ができなかったら全部水の泡になるのに」

「なにが言いたいの」


 僕は答えようとして、迷った。状況的には限りなく黒に近いグレーで、花崎の仕業だと確信しているけど、証拠はない。もしかすると明日ひょっこりと皆が顔を出す可能性も、僅かに残されている。


「明日には、花崎さんたちが来るかもしれないよ」


 考えは同じでも、彼女にそれを指摘されると無性にイラッとした。


「来ないよ。絶対に」

「どうして? 誰かからそう聞いたの?」

「違うけど」

「なら――」

「わかれよ! 嫌がらせだって!」


 言い放ってから、しまったと我に返る。雨宮は俯いたまま何も言わない。

痛々しいほどの沈黙が流れる。

 雨宮は現実を受け入れたくないのだろうか。だから都合のいい解釈を拠り所にしているのか。気持ちはわからなくはないけど、そんなの虚しいだけだ。


「……とにかく、僕はもう帰る。話が本当だとしても、僕らはやることはやってる。責められる筋合いはない」


 一人きりになればさすがに雨宮も頭を冷やすだろう。そう考えて片づけを始めたとき「あのときは」雨宮が唐突に切り出した。


「急に両親の離婚を話題に出されて、頭が真っ白になった。私が隠していたことを勝手に詮索されたんだと気づいてからは、胸のあたりが熱くなって、一緒にいるのが嫌になって……気づいたら逃げ出してた」


 彼女が言っているのは、嫌がらせが始まる発端になった途中帰宅のことか。

 なんだ、やっぱり花崎にだって非があったじゃないか。


「でも、私の行動も良くなかったなって、今ではそう思う。転校してきたばかりの私をグループの中に入れてくれて、面倒も見てくれて……どんな理由があったとしても、助けられたのは事実だから」


 僕は片づけを進めながら鼻を鳴らす。


「気にする必要ない。花崎が悪いんじゃないか。人のプライバシーを勝手に漁って、本人が言われたくないのにずけずけと言いやがったんだから」


 雨宮は静かに首を振った。


「やっぱり、私にも落ち度はあるから。一方的に拒絶することはできない、したくない」


 手を止め、ため息を吐く。僕には理解できないお人好しさだ。


「それに、文化祭を盛り上げようっていう花崎さんの気持ちを尊重したい。ううん、信じたい」

「なんでそこまで」

「だって文化祭で大切なことは、こういうことでしょ?」


 その言葉は、僕の記憶を刺激した。

 体育館での会話が蘇る。真昼の無邪気な笑顔が浮かぶ。


「……こういうことって、なんだよ」

「成功するかどうかじゃなくて、放課後まで残って皆と一緒に目的を達成すること。そのプロセスが楽しいし、重要なんじゃないかな。竹田くんが言ったようにお金で解決できることもあるけど、花崎さんは皆と作り上げることを優先した。その気持ちは、わかる」


 台詞は違えど、ニュアンスは真昼の返事とほぼ同じだった。

 反論しようとして、口を閉じる。余計な感傷が混ざって気持ちが定まらない。


「……好きにしなよ。僕はもう帰る」

「うん、わかった。明日もよろしく、竹田くん」


 雨宮は僕が来ることを疑っていない。

 こんなにも純粋な人だったろうか、雨宮という人は。

 こんなにも前向きで、ひたむきな人間だったことを、初めて知った。

 そういうところは、真昼みたいだ。


「鍵、よろしく」


 僕は頭を振って、被服室を後にした。


***

 

 翌日、僕と雨宮のメイド服制作作業は、唐突に終わりを告げた。


「ってことで、佐藤君が衣装データを復元してくれたみたいなの! 予定通りMRメイド喫茶にしちゃうね? ごめんねぇ二人には頑張ってもらったのに」


 登校してすぐ、花崎は僕と雨宮に飄々と告げた。

 雨宮は真顔で硬直していた。凍り付いた、と言ってもいい。


「じゃあメイド服は……?」

「だからーごめんね? いらなくなったわ」


 うっかりミスを報告するように花崎がぺろりと舌を出す。

 悪びれる、という感じが一切ない。むしろ楽しんですらいそうな気配。

 確信する。この女は、最初からこの展開にすることを狙っていたのかと。


「もしかして、もう出来上がってたりする?」

「三着くらいはな」


 僕が答えると、花崎は大げさに胸を撫でおろす仕草をして、にっこりと笑った。


「良かったー。三着ならセーフだよね?」


 何がセーフだ。僕らがその三着のためにどれくらいの時間と労力を払ったと思ってる。


「でもさすが手芸部だね。勿体ないし、それ部活の制作物発表とかに使いなよ。なんなら着てみたらいいんじゃない。ね、雨宮さん?」


 雨宮は返事をしなかった。表情をなくした白い顔で、花崎を見つめている。


「そうそう。雨宮さんも竹田くんも制作で疲れたろうし、当日はなにもしなくていいから。ほんとありがとう。製作費は文化祭が終わった後に返すね」


 腹の奥底から熱い塊が吹き上がった。

 足が動いて花崎との距離を詰める。だけど、それだけだった。

 花崎の後ろから凄みのある眼光が飛んできて気圧された。須賀聡太という男が睨みを利かせている。花崎には指一本触れさせないとでも言いたげだ。

 花崎は僕が動いたことで若干ビクついていたが、何もしないと気づくと余裕の微笑みを浮かべる。そして「おつかれさま~」などと話を切り上げ、自分のグループの方へ戻っていった。花崎を迎えた仲間内の女子達は、雨宮を盗み見ながらくすくす笑って囁き合っている。

 よく観察すれば教室内の視線も僕らに集まっている。なにが起きているのか探っている、というよりは、事情を把握している人間が知らない振りをしているような素振りだ。


 ――知らないのは僕たちだけってわけか。


 花崎がクラス全員に伝えて口裏を合わせていたか、あるいは花崎らが隠れて実行していたイジメに薄々感づいていたか。どちらにしても僕らに味方する奴は皆無というわけだ。誰もが我関せずを決め込み、安全圏から眺めるだけ。

 ふざけやがって。お前らは雨宮の純真を、希望を踏みにじったんだ。責任を持って仕事を成し遂げようとした彼女を侮辱したんだ。

 花崎も、この場の全員も、死ぬほど後悔させてやりたい。ここで暴れて文化祭の演目を台無しにしてやろうか。

 握りしめた拳に、ひんやりした感触が伝わった。


「竹田くん。私は大丈夫だから」


 振り返ると、雨宮が僕の拳を手で優しく包んでいた。


「でも、お前――」

「大丈夫だから」


 念を押すように言った雨宮は、寂しげに微笑する。

 雨宮はそっと手を離して自分の席に戻っていった。皆の視線を受ける中、黙って授業の支度を始める。しかし筆箱を落としてしまい、甲高い音が響いた。慌てて拾う彼女を花崎の取り巻き達がまたくすくすと笑う。

 怒りが再燃しかけるが、先ほどの雨宮の言葉が僕の感情に冷や水をかける。

 チャイムが鳴って教師が入ってくる。誰もが席に座る中、僕だけが突っ立っていた。


「ん? どうした竹田、授業始めるぞ」

「――はい」


 強張る声を出して席につく。

 そして僕は、決意した。


 休み時間にこそこそと教室を抜け出していく男子生徒がいた。僕はそいつを追いかけて、廊下で呼び止めた。


「佐藤、ちょっと待てよ」


 びくりと肩を振るわせた佐藤は恐る恐る振り返る。僕の顔を見ると、鬼にでも出会ったかのように顔を引きつらせた。


「話、聞きたいんだけどさ」


 僕は威嚇の笑みを浮かべ、大股で彼に近づいた。


***


 休み時間は雨宮に話しかけられる雰囲気ではなかったので、放課後まで待つことにした。

 しかし授業終わる頃、ちょっと目を離した隙に彼女の姿はなくなっていた。


 ――雨宮、もう帰ったのか?


 慌てて教室を出る。彼女の行方を想像してみるが、校内に残っている気がしなかった。

 それはそうだ。花崎を信じていたのに裏切られて、クラスにも居場所がなくて、耐えられる奴なんていない。学校のすべてが敵に思えても仕方がない。僕だって同じ気持ちだ。

 廊下には文化祭の準備品や作りかけの展示品が並べられ、開催間際の浮かれた雰囲気が漂い始めていた。走っていても容赦なく視界に入ってくる。

 雨宮は、一体どんな気持ちでこの光景を眺めたんだろう。

 立ち止まり、ため息を吐く。明日にしようかと迷いながら、ふと廊下の窓を見る。

 第二校舎の被服室に、ちらりと人影が見えた。

 ハッとして、すぐに走る。部長という可能性もあったが向かわずにいられなかった。

 息を切らせて走り、被服室のドアを開けると――雨宮がそこにいた。

 彼女は作りかけのメイド服を掲げて眺めているところだった。

 僕の気配に気づいた雨宮が振り返る。


「……竹田くん? どうしたの?」

「雨宮こそ、なんで、ここにいるんだよ」


 全力疾走後の荒い息を吐きながら聞くと、雨宮は作業台にそっとメイド服を置く。


「片付け。もう要らないだろうし」


 彼女は使いかけの糸や布を整理し始め、紙袋に畳んだメイド服をそっと入れる。


「佐藤が白状したよ。全部、花崎の仕業だったって」


 雨宮が手を止めた。でも僕の方は見ない。長い髪の一房が垂れて彼女の横顔を隠している。


「データが消えたなんて嘘だった。佐藤が隠してたんだけど、それも花崎の命令でさ。あいつら、僕らが何日で投げ出すかどうか賭けをして遊んでたんだよ」


 佐藤曰く、花崎は他の生徒に内緒で僕らをいじめていたようだ。佐藤以外の人間と僕らの接点を絶ち、文化祭の進行に影響がない範囲にした上で弄んでいた。

 でもクラスの連中はたぶん、本当のところを察している。僕と雨宮が駆けずり回っている様子に気づかないわけがない。わかった上で、クラスカースト上位にいる花崎らに目をつけられたくなくて傍観に徹していた。そこも花崎の目論見通りだったかもしれない。

 陰湿さに目眩がする。でも今はとやかく言うつもりはない。

 重要なのはこれからのことだ。


「本当は雨宮だっておかしいと思ってたんだろ。それなのにどうして、花崎を信じたんだよ」


 僕はいつぞや聞いた問いを再び投げかけていた。これからのことを話す前に、雨宮の本心を聞いておきたかった。

 花崎を信じるにしても、やっぱり無理がある。付き合いが長いわけでもなく、ましてや互いに緊張関係にある相手だ。他にも理由があったと考えたほうがしっくりくる。

 しばらく待っていると、雨宮が紙袋を作業台に置いた。静かに顔を上げる。

 憂いを帯びた目が、ドキッとするほどに綺麗だった。


「本当はね、気づいてたよ。竹田くんの言う通りだって」


 雨宮は垂れた髪を耳にかけ、悲しそうに微笑む。


「でも、疑いたくない自分がいたの。このまま文化祭の準備をしたかった」

「どうして」


 感情を抑えて聞くと、雨宮は紙袋の中身を見つめる。


「中学生の頃の話だけど。私はピアノレッスンやコンクール参加を優先して、文化祭に参加したことがなかった。だから、夜遅くまで残って準備する皆のことが羨ましくて。関われることが……単純に、嬉しかったの」


 雨宮の声には諦念と、未練が感じられた。本音なのだと伝わってくる。

 僕はゆっくりと深呼吸した。


 ――真昼と同じ、なんだな。


 あいつもレッスンやコンサートの都合で校内イベントに参加できないでいた。だからこそ皆との共同作業に憧れを抱いていた。

 雨宮も同じ境遇で、同じ羨望を抱いている。それは僕の胸の奥に鈍痛を生じさせた。

 思うところはあるが……とにかくこれで本心がわかった。話を先に進めよう。


「雨宮は、どうしたい」


 問うと、雨宮はパチクリと三回ほど瞬きした。


「どう、って?」

「これから先のことだよ。当日、どうしたい」


 眉を曇らせた雨宮が、少しだけうつむく。


「……どうしたいもこうしたいもないよ。役割はないし、隅にいても邪魔になるだけ。皆に笑われるくらいなら、家にこもってたほうがマシかも」

「それでも文化祭、出たいんだろ? 今まで参加できなかったんだし」


 途端に雨宮は唇を噛み締め、不機嫌さを剥き出しにした。


「わかってるくせにそんなこと聞かないで……! 参加したいよ、でもどうにもできないじゃない! 花崎さんに土下座して仲間に入れてくださいって言う? そんなことをしたって何も解決しない。私にだって譲れないことはある!」


 ダムが決壊するかのようにまくし立てた雨宮は、荷物を置いていきなり走り出した。この部屋から、僕から逃げるつもりだ。

 すれ違いざまに彼女の腕を掴んで引き止める。


「別に譲れなんて言ってない。悪いのは花崎だし、逃げ出した雨宮の気持ちもよくわかる」


 驚いた雨宮が振り返る。目尻には涙が浮かんでいた。


「なのに自分が悪いって言った雨宮は偉いよ。あの花崎を信じて頑張った雨宮は凄い。僕が認める」

「竹田、くん……」

「だから諦めるな。せっかくここまでやったんだ。逃げ出すなんてもったいない」


 涙目で顔を歪ませる雨宮に向けて、僕は腹の底に溜めていた熱を吐き出す。


「出来は拙いかもしれないけどさ、僕らで作ったメイド服はちゃんとここにある。だから文化祭で使おうぜ。もちろん花崎には内緒で」

「でも。複合現実のメイド喫茶に、服の使い道なんて」

「ものは考えよう、ってね」


 僕は不敵に笑ってみせる。それから練り上げたプランを彼女に伝えた。

 雨宮は驚愕していたが、次第に落ち着きを取り戻したようで、目に光が戻っていく。

 そして彼女は、不安と希望の入り交じる顔で、コクリと頷いた。

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