2042年10月 貶められる雨宮
雨宮が手芸部に入ってから、表面上は平穏な時間が流れた。
手芸部の部長は雨宮を部員補充の一人として迎え入れ、部活動を強要することはなかった。あくまで昼休みに被服室を使わせるその見返りという形だ。
しかし雨宮はどうも手芸に興味を持ったらしく、たまに部室に顔を出して編み物を教えてもらっているらしい。そのおかげか昼休み中も部長ら三年生のグループに混ぜてもらっている。
会話のない気まずさを想像して億劫になっていたが、完全に杞憂に終わった。雨宮は随分と楽になったろうし僕も適切な距離感を保てているしで、結果オーライというやつだ。
後はこのまま何事も起きなければいい。僕は密かにそう祈った。
でも、現実は希望を容易く裏切るものだ。
***
「というわけで! 二年四組の文化祭出し物はMRメイド&執事喫茶に決まりました!」
教壇に立つ花崎が宣言すると、まばらな拍手が返ってくる。大抵の人間は興味なさそうにぼけっとしていた。僕も気持ちは一緒だ。この時間が早く終われと心から願ってやまない。
今日のホームルームは来月行われる文化祭の出し物について時間が割かれた。司会進行は学級委員の花崎。年に一度の文化祭とあって議論は活気づく――わけもなく、盛り上がっているのは花崎と一部の生徒達だけで、他の連中は他人事のように傍観している。
理由は単純。花崎の影響力が大きすぎて、なにを提案しても彼女の意向に捻じ曲げられるという諦観のせいだ。
実際、出し物として決まったMR喫茶店とやらは花崎の提案で、それを取り巻きの仲間たちが後押しした形だった。出来レースというやつだ。
「はーい、では時間もないのでじゃんじゃん決めていきますねー。メイド担当は基本女子の交代にしよっか。執事は、んー、聡太」
「あいよ」返事をしたのは短髪の男子だ。上背があるのか座高が他の生徒より頭一つ分高い。
「後で男子の希望者聞いておいてくれる? 背の高い順で」
どうやら背の高い男子を集めたいらしい。明け透けな人選ではあるが、やっぱりツッコむ人間はいない。聡太という男子も鷹揚に頷くだけだ。
「女子の方はあたしがルーティン組むから、希望時間あったら知らせてね」
「マジかーコスプレ初体験なんですけど。てかあたしらでスキンスーツ着るんだよね?」
「あれボディライン出るからちょっと恥ずい」
「いいじゃん誰もギア外したりしねーんだし」
女子二人のやり取りに先程の聡太という男子が口を挟む。「お前らが見るだろ!」女子らがぎゃあぎゃあ騒ぐと、男子数人が自意識過剰などと煽って更に騒がしくなる。
今騒いでいるのは花崎と仲の良い連中で、クラスの中心メンバーだ。彼らはもうその気になっていて、会話は次第にメイド衣装とか内装の話に移っていく。
――MR喫茶店、か。まぁ僕には関係ないな。
花崎が提案したMR喫茶店というのは、店内レイアウトと店員の服装をヴァーチャルに置き換える仮想コスプレと呼ばれるものの一種だ。スキンスーツを着ている人間をカイロスギア越しで見ると、スーツ部分だけが仮装服に置き換わって表示される。単なるデジタル素材を人間に張り合わせているだけなので素材費はかからないし、どんな奇抜な服でも再現できるのでコスプレ界隈の表現はほとんどARに移行している。
ここで必要になるのは画像処理やプログラミングの技術だ。あいにくその辺の技術には疎い。もちろん僕なんかに執事役が回ってくることもない。せいぜいお茶くみくらいだろう。
などと考えていると、花崎が当のデジタル衣装について言及した。
「それでメイドと執事のデジタル衣装だけど、ARコスプレ用のフリー素材を良い感じに加工しようと思うんだ。そこは佐藤君にお願いしたいんだけどいいかな?」
花崎が媚を売るように視線を向けた先には、眼鏡をかけた男子がいた。確かこの男子生徒は競技プログラミング部に所属していて、VRやARプログラミングにも精通している。
佐藤は頼られて嬉しかったのかまんざらでもない顔をしたが、すぐに咳払いした。
「別にいいけど、さすがに一人はきついと思う。もう少し人手を増やしてもらえないか」
「あ、そこは大丈夫。竹田くんに入ってもらうから」
あくびの途中で意表を突かれて「んがっ」と変な声が出てしまった。
「な、なんで僕? そういうの得意じゃないし、何よりギアが、つけられないし……」
「だいじょーぶ。プログラミングはパソコン作業でしょ? 設計は佐藤くん担当で、竹田くんは指示通りにカタカタ打ち込んでくだけ。欲しいのはそういう人手じゃん?」
確認された佐藤は同意するように頷く。
「それにちゃんと表示されるかの確認作業があるしね。佐藤くんがギアで確認するためのマネキン役がいるってこと。それならギアはつけなくて済むじゃん?」
反論が見つけられず押し黙る。確かに花崎の説明通りなら僕でもできる。
でも反対に、僕じゃなくてもできるとも言える。なぜわざわざ僕を指名したのだろう。
その疑問の答えは、花崎自身から告げられた。
「あーでも、そうするとメイド用のマネキン役がいるね。竹田くんは男の子だし。コード打ち込みも三人くらい居たほうが良さそう」
勿体ぶった言い回しの花崎は、ニヤリと笑ってある一人を見つめた。
「雨宮さん。お願いしてもいい?」
気配を消すようにうつむいていた雨宮が、驚いたように顔を上げる。
「わ、私、ですか?」
「うん。最近竹田くんと仲良いみたいじゃん? だからいいかなって」
僕は内心で舌打ちする。なるほど、これが狙いか。
「でもさー、メイド役は外れてもらうかも。ごめんね? メイドはメイドで打ち合わせとかしないとうまくできそうにないし、さすがに二つも役を押し付けられないよ」
さも気遣った風に花崎が優しい声音を出す。花崎の取り巻きたちはくすくすと笑っている。大方、女子全員メイドという共通点から雨宮だけを外して、面白がっているのだろう。
懸念していたことが現実になってしまった。僕と関わったことが裏目に出ている。
――どうする。止めるか。でも理由がないぞ。
大っぴらに反抗すれば花崎だけでなくクラスの半数を敵に回す。この人数を説き伏せるだけの説得材料がない。
雨宮に、我慢してもらうしかないのか。
黙っていると「……わかりました」雨宮が静かに答えた。
「あ、そう? ありがとう雨宮さん。じゃあ決定ね!」
意気揚々と人選を定めた花崎が次の話題に移る。僕はちらと雨宮を盗み見る。彼女は、周囲の騒ぎから身を守るようにうつむいていた。
彼女の胸中には諦めが渦巻いているのだろうか。それとも怒りが湧いているのだろうか。
どちらにせよ、僕であろうと雨宮であろうと、この状況は変えられそうにない。
彼女には悪いが、花崎が飽きる(嵐が過ぎる)のを待つしかない。僕はそう自分に言い聞かせる。
このとき、僕は侮っていた。花崎の周到さを。
そして、雨宮の根性を。
※※※
「データが、消えた?」
放課後、ほとんどの生徒が帰宅するか部活に出向いた後のがらんとした教室で、僕の声が響いた。自分でも驚くほど大きな声だった。
「そうなの竹田君。佐藤君が今日確認したら、作りかけのARデザインが消えてたって」
花崎が大仰にため息を吐く。僕と机一つ分挟んで立つ彼女の後ろには取り巻きの女子二人と背の高い男子生徒、そしてメイド衣装の設計を任されていた佐藤が立っていた。
それぞれ神妙な顔をしているが、佐藤は卒倒しそうなほど青白い顔をしている。
「お、おいおい、バックアップは? 途中まででも復元できるんじゃないのか?」
「……ごめん。俺のミスで、取ってなかった」
蚊の鳴くような声だった。なんて痛恨のミスだ。さすがに絶句してしまう。
「ど、どうすんだよ……もう時間ないぞ。最初からなんて、間に合うわけが……」
「うん。かなりヤバいかも」
言葉とは裏腹に花崎はどこか軽い調子だ。いや、こいつはいつもこんな感じか。
隣に目配せする。ここにはプログラム班として従事していた雨宮も同席しているが、さすがに彼女も困惑と動揺を隠しきれないようだった。
「でね、こっからが本題。二人って手芸部だったよね?」
相手の機嫌を取ろうとする猫なで声。僕の中で嫌な予感が膨れ上がる。
「最悪、出店さえできればオーケーだからさ。ただのメイド喫茶にしちゃうのもありかなって相談したんだ。それには皆の分の衣装を数着用意しとく必要があるわけ。なんで、お二人に衣装製作を主導してもらいたいんです。クラスの皆のためにお願い!」
花崎は両手を重ねて頭を下げた。僕と雨宮は揃って唖然とした。
「衣装を作る? 僕らで? 冗談だろ?」
「大丈夫大丈夫! 市販のメイド服を買ってきてリボンとかフリル付け足すくらいだから!」
「これデザインね」花崎がノートに書いたラフ画を机に置く。やけにファンシーな感じのメイド服は、本来ならデジタル衣装として実装される予定だったものだ。
驚きは呆れに変わっていく。出来合いのものを改良するだけ、なんてとんでもない。
僕は基本幽霊部員だが、部員の衣装製作を手伝ったことくらいはある。だから製作期間の見積もりもできる。数着とはいえ仕立て上げる工数を計算すると、それこそ毎日制作時間を確保しないと間に合わない。今からコードを打ち直して作り直すのとどっこいだ。
「作るのは私達二人で?」
雨宮が問う。花崎はすぐに首を振った。「まさか!」
「もちろんあたし達も手伝うから。ただ皆も準備とか部活で忙しいと思う……全員は手伝いに回せないかもだけど、いいかな?」
「気持ちはわかるけど、時間的には厳しいです。だったら素直に――」
「いやいやいや! 待てよ!」
僕は机を叩いて立ち上がる。なにを勝手に進めているんだ。
「どう考えたって無理だろ。実物使うなら衣装製作をどこかに頼めばいい」
「こういうのってお金で解決するの違くない? 皆で頑張って達成するから面白いんじゃん。ねぇ聡太?」
花崎が後ろを向く。黙っていた長身の男子生徒が、バツの悪そうな顔で頷いた。
「華の言い分はともかく、うちの文化祭は外注禁止って決まりなんだ……すまん」
男子生徒――本名は確か須賀聡太――は頭を下げる。深刻な雰囲気が真実味を帯びている。
しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。
「あ、あのさ。どうしてもメイド喫茶にする必要はないだろ。違う演目にするとか」
「今からの変更こそ間に合わないよ。 それに文化祭実行委員にはメイド喫茶の名目で予算を貰ってるから、ここで変えると話が違うって言われちゃうじゃん」
「そこは僕たちも頭下げるから」
「しつこいなぁ」
「は?」
「しんどいなって言ったの」
どこか投げやりな言い方だ。態度にも横柄さが見え隠れしていて、疑心が膨れ上がる。
「とにかくさぁ、手伝ってくれるの? 無理なの? どっちかハッキリしてよ」
「悪いけど他の奴にも聞いて――」
「わかった」
静かな声が鼓膜を震わせる。
雨宮は、デザイン画をじっと見つめていた。
「私で良ければ手伝います。でもまず、手芸部の部長にこのデザイン画を見せて、時間的に間に合うかの確認をしてから決めたいんだけど、いい?」
耳を疑った。雨宮は、何を言ってるんだ?
「ありがとう雨宮さん! それでオッケーだから!」
花崎がパァっと顔を晴らして喜ぶ。後ろの連中もほっと胸を撫で下ろしていた。
僕は麻痺したように動けず、雨宮を凝視した。意味がわからない。
「お前はどうする、竹田」
須賀の問いかけに釣られるように、雨宮が僕の方を見た。真っ直ぐな目だ。
「竹田くんの方が手芸部歴長いよね? さすがに雨宮さん一人じゃ可哀想だなぁ」
花崎の挑発的な言葉は右耳から左耳へと流れていった。今はただ、僕の選択を待つ雨宮の純粋な瞳に、緊張する。
本音では投げ出したくてたまらないのに、ここで雨宮を置いて逃げることを考えると、胃がキリキリと痛む。
どうしても、見捨てることができない。
「……やればいいんだろ、やれば」
根負けしたのは僕だった。ぶっきらぼうな返事に花崎は鼻白んでいたが、雨宮は安堵の息を吐いていた。もしかすると僕が引き受けない可能性を考えて、不安だったのかもしれない。
頼りにされている。そう感じると、むず痒さと苛立ちが同居したような気分になった。
雨宮が部長に確認を取った結果、ギリギリ間に合うとのお墨付きを貰った。佐藤は背景プログラミングに集中することになったので、実質は僕ら二人でメイド服制作を主導していくことになる。
問題は雨宮がまだ服飾作業に慣れていないことだ。僕は部員歴が一年ほどあるので多少の覚えはあるけど(それでも素人に毛が生えた程度)、雨宮は入って間もない。
それでも、約束したからにはやるしかなかった。
放課後、僕と雨宮は購入したサイズ違いのメイド服三着を元に、デザインに合わせたリメイクを試みた。もちろん理想通りにいくわけもなく、進行も出来栄えも酷い有様だった。失敗してはやり直して、を繰り返すうちにあっという間に夜になる。時間だけが無情に過ぎていく。
見かねた部長らが手伝いを申し出てくれたこともあったが、雨宮はクラスの問題だからとやんわり断っていた。こんなときまで生真面目に生きなくてもと僕は不満に思ったが、しかし口には出さなかった。というのも、いずれ手伝いが来ることがわかっていたからだ。
予定では花崎達を含む中心メンバーらが手伝ってくれることになっている。本当はクラス全員に協力して欲しかったけれど、皆それぞれ部活に塾もあるし、設営や接客の担当だって忙しいだろうから多くは望めない。二人だけじゃないだけマシだと言い聞かせた。
しかし、時間が経過していくにつれて不安は増大していった。
手伝うと言っていた花崎達が全然来ない。彼女らは部活や委員会の用事、文化祭の他の作業に追われて合流できないと言い訳をするだけだった。
クラスにも切迫した雰囲気が感じられなかった。もう少し騒ぎになってもいいのに、衣装作りなんて簡単だと楽観視しているのか、それとも我関せずを決め込んでいるのか。
違和感を抱えながらも、誰かが来ると信じて被服室に籠った。仲が良いやつがいたなら来てくれと頼むこともできたけど、あいにくと僕も雨宮もそういう生徒は一人もいなかった。
この間、雨宮はずっと無表情でミシンを動かすだけだった。感情が表に出ないから余計に何を考えているか読めなかった。
雨宮は今の状況をどう思っているんだろう。なぜ断りもせず引き受けたんだろうか。
花崎が懇願してきたことで溜飲が下がった?
生真面目な部分から断りきれなかった?
考えてはみたものの、しっくりこない。
僕と雨宮はお互いが無言のまま、黙々と作業を続けた。
そして、作業開始から一週間が経過した。この間、手伝いに来た生徒はいなかった。




