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リスタルト

作者: 星賀勇一郎





 その日は午後から大雨で、台風が近付いている事もあり、風も強かった。

 私たちがいつも溜まり場にしている廃工場のトタンの壁はガタガタを音を立てっぱなしで、工場の中も時折風が渦を巻いていた。


 もう学校にまともに行かなくなって半年以上。

 このままでは卒業どころか進級も出来ないって担任の佐々木に今日も言われたところだった。

 その腹いせもあって、いつも虐めている同じクラスの優等生、神野亜希子をこの工場まで連れてきた。


 はみ出してしまった理由……。

 そんな事を今更語っても仕方ないんだけど、私の場合はいわゆる家庭崩壊が原因。

 パパは外で女を作って帰って来ない。

 そんな中、ママもハーバリウムとかいう瓶の中に花を詰める教室の先生と出来てしまい、徐々に家を空ける様になった。

 

 誰だってそんなんじゃ家に帰らなくなるし、学校も行かなくなるよね。


 私とアヤとカズキはいつも一緒で、フラフラと街で遊んで、次第に学校にも行かなくなった。

 それでもたまに学校には顔を出している。

 カズキがお気に入りの歴史の先生、工藤先生の授業のある日だけは学校に行く事にしている。


 この工場は少し前に解散させられた暴走族が溜まり場として使ってた場所で、真ん中で焚火が出来るドラム缶を半分に切ったモノが置かれてある。

 私はそのドラム缶にいつもの様に工場の端に積んである木を放り込み、族が忘れて行ったガソリンを少し掛けて火をつけた。

 アヤだけがタバコを吸うから火をつけるのはアヤの仕事。

 その間も神野は私たちの後ろで小さくなって震えていた。


「座んなよ……。別に殺そうって訳じゃないしさ」


 アヤが言うと、積まれたタイヤの上に神野はゆっくりと座る。


「別に勉強、教えてもらおうって訳でもないけどな」


 カズキはそう言うと声を出して下品に笑った。


 私たちはここに集まってはつまらない話を日が暮れるまで続けて、寒くなっただの、お腹が空いただの、なんかのきっかけが見つかれば解散する。

 そんな毎日だった。


「なんかお腹空かない……」


 アヤがタバコを吸いながら言い出す。


「仕方ないな……」


 私は制服のスカートのポケットに入っている小銭を取り出した。

 百二十六円。

 私は無意識に舌打ちした。


「あー、あたしタバコ買ったから二十円しかないわ」


 アヤは私の手に二十円を乗せた。

 カズキは無言で三十四円を渡す。

 三人合わせて百八十円。


 今時百八十円で何が買えるってのよ……。


 私はタイヤの上に座っている神野を見た。


「神野……。お金貸してよ……」


 私は神野に近付いて手を出した。


「わ、私……お金、持ってないし……」


 私は神野とは小学校、中学校と一緒で、神野の家が裕福な家である事を知っていた。


「そんな訳ないだろう……」


 私は半ば強引に神野が大事そうに抱えている学校の鞄を引き剥がす様に取り、中身をコンクリートの床にぶちまけると、ブランド物の財布が転がった。


 ほら、あるじゃん……。


 私はそれを拾い、中を見た。

 高校生ではなかなかお目にかかれない一万円札が数枚と千円札が入っていた。


「お前、嘘つくと為にならないよ……」


 そう言って空になった鞄を投げつけた。

 そして私が髪を束ねていた飾りの付いたゴムを外して神野の髪を束ねてやった。


「コレと交換してやるから……」


 私は神野の頭を撫でながら盗った財布をスカートのポケットに入れた。


「ダメ……。塾の参考書代なのよ……」


 そう言う神野を睨む様に見ると、神野は口を噤んだ。


 私は神野の財布から千円札を数枚出して、アヤに渡した。


「私が行ってくるよ」


 アヤの手から千円札を引っ手繰る様にカズキが取ると、工場を出て行った。


 工場から少し行ったところにコンビニがあった。

 カズキの事だからレジ前で売っている揚げ物や肉まんを大量に買ってくる筈だった。


 アヤは吸い終えたタバコをドラム缶の中の焚火に放り込んだ。


「神野なんて連れてきてどうするんだよ……」


 アヤは私の耳元で小声で訊いて来た。


 別にどうこうしようなんて考えてなかった。

 ただ少し虐めてやれば気が晴れるかと思っただけだった。


 私は振り向いて床に散らばったモノを鞄に入れている神野を見た。


 神野は私の視線に気付いたのか、さっさとタイヤの上に戻った。


「私、そろそろ帰っても良いかな……。今日は塾の日なんだ……。誰にも言わないし、もちろん先生にも、親にも……」


 神野は声を震わせながら小さな声で言った。

 広い工場の中ではそんな小さな声も響いて聞こえる。


「塾なら仕方ないな……」


 私はニッコリと神野に微笑んだ。


「って言うと思う……」


 私は神野に息がかかる距離まで近づいた。


「こんな大雨の日にも塾か……。大変だな……」


 アヤはまたタバコに火をつける。

 アヤは最近タバコの量が増えている。

 あんな不味いモンよく吸ってると思う。


「そう言えばさ、神野って彼氏いるんだっけ。東高の筒井……。アレ、私中学一緒なんだよね」


 アヤは煙を吐きながら言うと歯を見せて笑った。


「そうなの……」


 私は神野の目を見てじっと見つめた。


「つ、付き合ってるっていうか……、塾がたまたま同じで……。休みの日に図書館とか一緒に行っているだけで……」


 神野は詰まり詰まり答えた。


「やってないのか」


「え……」


「まだ、やってないのかって訊いてるんだよ」


 神野はそう訊く私の顔をじっと見ている。


「何を……」


「セックスだよ、セックス」


 私の言葉に神野は顔を真っ赤にして下を向いた。


「してません……」


 その神野を見てアヤが声を上げて笑った。


「そんなに虐めちゃ先生にチクられるよ」


「キスはしたの」


 私は俯いている神野の顔を覗き込む様にして訊いた。

 神野は俯いたままじっと動かなかった。


「キスはしたんだな……」


 私は神野の顎を掴んで顔を無理矢理上げさせた。


「やらしい……。立派な不純異性交遊だね」


 私もニヤニヤと笑った。


 その時、ビニール傘を差したカズキが戻って来た。


「雨、すごいよ……。しばらく帰れないかも……」


 カズキは工場の入り口のドアノブに傘を掛けると、私たちの方へコンビニのビニール袋を提げて足早にやって来た。


「どうしたの……。神野、顔真っ赤じゃん……」


 アヤはカズキの持っているビニール袋を取って中を覗き込んだ。


「今、神野が不純異性交遊を激白したところ……」


 カズキは神野の顔をじっと見つめた。


「何、神野、やるじゃん……。なになに、誰と何処で、どこまで行ったの」


 私はビニール袋の中身を出してタイヤの上に積んでいくアヤの横に来て、ペットボトルのお茶と肉まんを取り、カズキにつめられている神野に渡した。


「お腹空いてるよね……。ほら、食べなよ……。って言っても神野のお金だけどね……」


 神野はそれを受け取って、私の顔を見た。


「ありがとう……」


 小さな声で礼を言う神野に私は自然と微笑んだ。


 私は小さく頷いて、自分の食べるモノと飲み物を取った。


「どうせ、この雨じゃ帰れないし……。しばらくここで雨宿りしよう……」


 私は神野の横に座り、ピザまんを口にした。


「これはなんだよ……」


 アヤはビニール袋の中に残っていた花火を取り出す。


「夏に売れ残ったらしいのよ。コンビニのバイトの大学生がくれたのよ」


 カズキはアヤから引っ手繰る様に、その花火を取った。


「この雨の中、どこで花火なんてやるのさ……」


 アヤはフライドチキンを食べながら苦笑してた。

 そのアヤに小声でカズキは文句を言っている。


「仲良いのね……本当に……」


 私の横で、神野が言う。


 私は膝の上に、食べかけのピザまんを置くと、神野のペットボトルを取り、蓋を開け、手渡した。


「みんな、色々と悩みを抱えててね……。好きでこんな馬鹿やってるんじゃないんだよ……。もちろん、悩んでても普通に暮らしている子もいるのは知ってる。けど、私たちはそれが出来なかっただけ。三人で馬鹿やってる間はそんな現実から少し離れられるような気がしてね……」


 私はピザまんを口にして神野を見た。

 神野は私にぎこちなく微笑むと自分も肉まんを口にした。


「私も同じかも……。両親共、仕事が忙しくて、私に構う事なんてない。お金さえ渡していれば良いって感じなのかもしれない。私が毎日どんな事をしてるかなんてわかってないのかもしれないわ……」


 私は目を閉じて、息を吸い込んだ。


 どこも似たような境遇なのかもしれない。


「冷めない内に食べよう……」


 私はそう言って神野に微笑んだ。

 神野もニッコリと笑って頷いた。






 虐めてやろうと思って連れてきた神野だったけど、虐める気力も無くなって、私は神野と話し込んでいた。

 学校の話、家庭の話、彼氏の話。

 私とアヤとカズキは特に彼氏がいる訳でもなく、男関係の話は興味があり、神野がキスをしたときの話を聞いているとドキドキした。

 そして羨ましくも思った。


 突然、私たちの前をロケット花火が音を立てて飛んでいく。


「危ないでしょ。何やってんのよ」


 私がアヤとカズキに言うと、二人は謝っていた。


「ごめん……そっちに行っちゃったね」


「危ないから気を付けてよね」


 私が言うと、二人は花火をやめて、食べ物を食べ始めた。

 私はそれを見て、神野の方を見て歯を見せて笑った。


「ごめんね……。あんな花火でも当たり所悪いと死んじゃうかもしれないしね」


 神野は首を横に振ってた。


「いつもここにいるの……」


 神野は肉まんを口に入れた。


「いつもって言うか、暇な時とかお金の無い時とかだね。お金ある時はハンバーガーショップとかカラオケとか、買い物行ったりかな」


 私も残りのピザまんを口に放り込んだ。


「まあ、お金の無い時の方が多いから、ここにいる事が多いかな」


 口の中をいっぱいにした私の言葉を神野がどこまで聞き取れたか分からなかったが、そう言った。


 神野は口を押えて笑ってた。

 そして、その笑顔を徐々に消す様に神野の表情は暗くなっていく。


「私さ、ホントは三人の事が怖くてさ。今日ももしかしたら殺されるのかもって思って……。いろんな噂もあるし。でもなんか根も葉もない噂だってわかった気がしたわ……」


 私は口の中のモノを飲み込んだ。


「どんな噂よ……」


 噂と言うモノは得てして本人たちの耳に入るのは遅いモノだったりする。


「怒らない……」


「怒らないわよ。だって、神野が立てた噂じゃないでしょ」


 神野はお茶を飲んで、タイヤの上にペットボトルと食べかけの肉まんを置いて立ち上がった。


「何かさ、三人は暴走族と付き合ってて、いつも暴走族の溜まり場にいるとか……」


 火の無い所に煙は立たないと言うけど、この廃工場に出入りしているところを誰かに見られ、それでそんな噂が立ったのだろう。


「他には……」


 私は腹を立てるよりもワクワクしていた。

 自分たちにダークなイメージが着いている方がカッコいい気がした。


「うーん。薬やってるとか、夜の店で働いてるとか、もう百人は経験してるとか……」


 私は言いにくそうに言う神野を見て声を上げて笑った。


「馬鹿げてるわよね……」


 神野はタイヤの上に置いた肉まんを取って口に押し込む様に食べた。


 私の笑いは止まらず、腹を抱えて笑った。

 久しぶりにこんなに笑ったかもしれない。


「何よ。どうしたの……」


 笑う私のところにアヤとカズキがやって来た。


「私たちすごい噂になってるみたいよ」


 私はそれだけを二人に言うのが精一杯で、笑いが止まらなかった。

 少し落ち着いて、


「何か薬やったり、夜の女になってたり、もう百人くらい男知ってる事になってるみたいよ」


 そう言って息を整えながら落ち着かせた。


「はぁ……薬は生理痛の時に飲むくらいよね」


 アヤが冷静に言う。

 それにカズキも頷く。


「夜の女って……、なんだろう……。お酒も飲めないし、働かせてくれる店もないし……」


 今度はカズキがボソボソと言う。

 それに私とアヤが頷く。


「ましてや、男、百人知ってるとかって、なんかすごいよね……。まだヴァージンだし」


 そう私が言うとアヤもカズキも声を出して笑った。


「私、そんなのデタラメだって言ってあげるよ」


 神野がお茶を飲みながら言った。


「良いのよ、神野。そっちの方が面白いじゃん。私ら何とも思ってないしさ」


 私は必死に言う神野に微笑んだ。


「なんか高校生で百人切りとかカッコいいじゃん」


「そうよ、勲章みたいなモンだよ」


「うんうん。本当はキスもした事無いけどね」


 カズキのその言葉に私たちは笑うのをやめた。


「え……。何……」


 カズキは自分がおかしな事を言った事に気付いたのか、私たちを見渡す。


「ないの……」


「嘘……」


「え……」


 カズキは慌てて両手を振った。


「嘘……。みんなあるの……」


 私は慌てるカズキを見てまた声を出して笑った。

 それに合わせてアヤと神野も笑った。


「ちょっと待ってよ。いつしたのよ」


 カズキは私とアヤの腕を引っ張った。

 それを見て神野は笑ってた。





 その後、アヤとカズキはもらった花火を束ねて何かしていた。

 私と神野は他愛もない話を続け、雨が止むのを待った。


「東高の筒井って子とは付き合ってるの」


 神野は不意に訊かれて、体をビクッてさせた。

 そして俯いて顔を赤らめた。


「うん……。夏休み前からね……。でも、一緒に勉強してるだけだよ」


 神野は恥ずかしそうに話してくれた。


「でもキスはしたんでしょ」


 私は肘で神野の脇腹を突きながら訊いた。


「うん……」


 神野は暑そうに火照る顔を掌で扇いだ。


 私は純粋に神野が羨ましかった。


「いいな……」


 私が口にした言葉に神野は不思議そうに声を上げた。


「え……」


 私は神野に微笑んで、


「私も彼氏欲しいよ……。そしたら高校生活ももっと楽しいんじゃないかなって……」


 そう言った。


「その気になればすぐに出来るでしょ……。可愛いし……」


 神野がお世辞で言ってない事は理解できた。

 けど、そんなんじゃない。

 もちろん言い寄って来る男もいるにはいる。

 でもそれはさっきの噂みたいに、簡単にやれそうって思われてる気がして、付き合う気にはなれなかった。


「ねぇ、彼氏の写真とかないの……」


 私は神野の脇腹をまた突いた。


「えー。どうしようかな……」


 神野は満更でもなさそうに言う。


「あるんでしょ。見せなさいよ」


「仕方ないなぁ……」


 神野は床に置いた鞄から携帯電話を出した。

 その画面を私は神野の横から覗き込んだ。


 神野は無言で画面いっぱいに笑う東高の筒井の写真を私に見せた。

 思ってたよりも好青年で、爽やかな感じだった。

 私は携帯電話を神野から受け取ると、じっと見つめた。

 やはり羨ましいという感情しかなかった。


「優しいんだよ……」


 神野は遠くを見て呟く。


「好きなんだね」


「うん」


 私は自然に微笑んだ。

 そして神野に幸せになってほしいって心から思った。


「じゃあ、本日のメインイベント行きますよー」


 カズキが大きな声で言う。

 私と神野がその声の方を向くと、空き缶に差した束ねたロケット花火が見えた。

 工場の天井が破れて雨の降り込むところを狙ってそのロケット花火はセットされているようだった。


 そのロケット花火にアヤがライターで火をつけた。


 二人を止める暇もなかった。

 導火線をその火は辿って行き、束ねたロケット花火は一斉に火を噴きはじめた。

 そして束ねた花火の重さに耐えられなかったのか、花火を差した空き缶は倒れ、工場の壁に向かってロケット花火は飛んでいく。

 私にはそれがスローモーションの様に映り、壁に当たった花火が工場の中を縦横無尽に飛んで、綺麗にも見えた。


 その花火から神野を守る様に私は神野の前に立った。


 その時、何を叫んだかなんて覚えていない。

 ただ、大声で逃げてって言ったような気がする。


 工場の隅に置いてあったガソリンタンクに一発の花火が当たる。

 タンクの口は緩くなっていて、普段からアヤにもタバコの火は気を付けてって言ってあった。


 ガソリンタンクの周囲から火の玉が広がって行くのが私には見えた。

 そして私たちはその爆風で紙屑の様に飛ばされ、廃工場の中に転がった。






 私が目を覚ましたのはそれから何日か経った日の午後だった。

 目を覚ましたって言っても視界はぼやけているし、耳も聞こえない。

 意識は起きているのに、ぼやけた音の無い世界に放り込まれた気分だった。

 声を出そうとするのだが、その声も上手く発声出来ていなかったのだろうと思う。


 あの爆発をそのぼやけた世界で思い出す。

 アヤとカズキは工場の壁に強く身体を打ち付けていた。

 私の傍にいた神野の姿も既に見えず、もしかしたら生きているのは私だけなのかもしれない……。

 私はそう考えると涙がこぼれる。

 でも、包帯を巻かれた目から涙が出ているのかどうかも分からなかった。


 自分の意思とは関係なく、何度も手術を受け、以前の自分を取り戻していくのが分かった。






 ある日、目の手術を受けた。

 声も出ない、耳も聞こえない私には手術を受けるって事も感覚でしか分からず、その数日後に私の目に当てられたガーゼが取られる事になった。


 あの爆発事故以来、私が本当に目覚める瞬間だった。


 ゆっくりと私に巻かれた包帯が解かれる。

 そして目を覆ったガーゼが外され目を開くと、以前と変わらない光が私の両眼から差し込んできた。


 私が生きている事を実感した瞬間だった。

 私を覗き込む両親の姿が目に入った。

 ゆっくりと視界は開けて行く。

 ぼんやりと見えていたその姿がはっきりと私の目に映った時、私は目を見開いた。






 その後、聴覚を取り戻す手術を何度か繰り返し、やっと音を取り戻した。

 音を取り戻した事で、声も戻って来た。


 あの爆発事故から一年以上が経過して、ようやく退院する事が出来る日が来た。

 光と音、そして声を失ったが、それもやっと回復してきた。


 あの事故でやはり私以外はみんな死んでしまったらしい。

 奇跡的にタイヤの陰に飛ばされた私は生き延びたんだけど、頭部の火傷がひどく、目と耳と声帯をやられたようだった。

 けど、今の医学ってのはすごく発達していて、火傷の痕も殆ど分からないくらいだった。

 一応女だし、顔に傷が残ると大変だって事で、何とか元通りに……。






 自分で歩いて病院を出る。

 それが嬉しかった。

 ママが支払を済ませて私を追いかける様にやって来た。


「大丈夫……。荷物持つわよ……」


 ママは私に優しく話しかける。

 私は首を横に振った。


「大丈夫よ……。それくらい持てるわ」


 私はそう言って、紙袋を胸に抱いた。


 大切なモノが入っているのよ……。


 私は紙袋の中を覗き込む。

 そこには神野亜希子の財布と携帯電話が入っていた。


「あ、パパの車よ……」


 ママは病院に入ってくる高級車を見て言う。


 パパは窓を開けて私たちに手を振っていた。


「亜希子」


 パパは嬉しそうに笑って私の事をそう呼んだ。


 私はパパの車の後部座席に乗り込んで、紙袋を脇に置いた。


「亜希子、退院おめでとう」


 パパは振り返ると私にそう言った。


「ありがとう……パパ」


 私は微笑みながら、ルームミラーを見た。

 そのルームミラーには神野亜希子の顔が映っていた。

 そしてその顔はとても自然に笑えていたような気がする。


 ゆっくりと景色が車窓に流れる。

 私はそれをじっと見つめていた。


「レストランを予約してあるから、とりあえず飯を食おう」


 パパはルームミラーで私を見ながら言う。


「お前の好きな地中海料理だぞ」


 私はミラー越しにパパに微笑んだ。


 地中海料理なんて食べた事ないんだけど、口に合うかしら……。


 私は車窓に映る自分の顔に気付き、ニコニコと笑う練習をした。








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