黒猫の願い
暖かく心地の良い日和……怜治が告白をするにはとても良い日だ。
怜治が雪歌とおしゃべりをするいつも公園で、耳が少し焼け焦げている黒猫クロワールは空を仰ぎながら思った。
クロワールがミューエと雌雄を決してから数日。
あの日以来クロワールは幼女の姿を化す事が出来なくなった。
怜治との会話は互いに一方通行になったし、意見のすれ違いも多くなった。
クロワールが仰ぎながら感慨に浸っていると、後ろから声を掛けられた。
「そんなに急かすなよ。クロワール」
クロワールが肩越しに振り返って見上げると、夏服姿の怜治が苦笑しながら歩いてくる。
半袖から伸びる剥き出しの両腕からは、生々しい噛み痕や爪痕が窺えた。
ソレら生傷の全ては、クロワールが刻んだ感情でもあり、会話でもあった。
会話が出来なくなってから、怜治に手を出す事がスッカリ多くなってしまったな。だが、不思議と心地は悪くは無いんだよな。
クロワールは怜治の傷痕に、生まれ変わった日常を回想しながらニャーと鳴いて返事を返した。
「ははっ、大丈夫だよ。今日、ちゃんと想いを伝えるからさ」
怜治はクロワールの傍で一旦歩みを止めた。
別に懸念などしてはいない。怜治は言った事はやってのけるからな。
クロワールが、もう言葉に出来ない想いを込めて鳴き声を上げると、怜治の肩へと器用に登った。
再び怜治が歩み出す。
買い物帰りにベンチであんまんを食べながら一息ついているであろう、意中の人に告白する為に。
少し歩けば対象の相手がすぐに見付かった。
怜治は視界に雪歌を確認すると、一旦止まってクロワールに囁いた。
……?
「今までありがとな、クロワール。お前のおかげでこの時まで辿り着けた……そんな気がするんだ」
フッ、買い被りすぎだ。私はただ、雪歌を引き留めていただけにすぎん。雪歌との愛情を深めたのは、紛れもなく怜治だぞ。
クロワールは怜治に微笑みを返す。
「だからさ、今日は俺、自分一人の力で告白してみせるよ」
は?
意表を衝かれたクロワールに怜治が微笑みを向けた。
「クロワールは物陰から俺を見守っていて欲しい。頼りっぱなしじゃ、格好がつかないだろ?」
なっ! このっ。
怜治の決意を聞いた瞬間、クロワールは肩から跳んだ。
「痛っ! クロワール!?」
クロワールは跳んでから地面に降り立つ合間に、怜治の腕を引っ掻いた。
数歩進んでから、クロワールは肩越しに振り向き、戸惑う怜治を見上げて鳴く。
今更抜け駆けなどいい度胸だな! 今まで一緒にやってきた仲だろ? なら最後まで私を付き合わせろ。誰よりも近く、二人の傍で結果を聞かせろ!
「クロワール……ふぅ」
クロワールは鳴くが速いか、ベンチに座る雪歌の膝へと駆け出した。
「あっ! クロちゃん……こんにちは」
雪歌が気付くや否や、クロワールは遠慮無く彼女の膝へと跳び込み、丸まった。
「あははっ……相変わらずだねクロちゃん。って事は、栗原くんも」
雪歌が微笑み、膝に跳び込んだクロワールを撫でながら怜治を探した。
うむ。やはり雪歌は猫の撫で方が上手いな。鈴蘭とは大違いだ。
「あっ! 栗原くん……ってまた引っ掻かれたの?」
雪歌は見付けるなり新しい傷痕に気付くと、怜治が指で頬を掻きながら面目なさそうに答えた。
「ははっ。ちょっと怒らせちゃったみたいでさ。隣、良い?」
怜治が尋ねると、雪歌はどうぞとベンチにポンと手をやって促した。
こうして二人の会話は、何気なく自然とクロワールの話題から入った。
「ふぅん。何だか最近になって急にだよね。ちょっと前まではキレイな手だったのに」
「まぁね。何があったのかは俺にも分からないけど、多分コレが普通なんだと思うよ」
「普通ねぇ。ねぇクロちゃん、一体何があったの? かわいそうに耳まで焦がしちゃって」
雪歌が心配そうに、クロワールの耳に優しく触れながら問い掛ける。
私からは何も言えないし、言っても訳が分からないだけだぞ。
クロワールが申し訳なさと不甲斐なさを込めて雪歌を見上げて鳴いた。
「ホント、最初に見付けた時は俺も驚いたよ。何を決意してどこに行ってたのか……俺はあの時、何も知らずに送り出しちゃったからさ」
怜治もクロワールの傷痕を見据えて憂いに沈む。
「栗原くん」
「でも、さ。ソレがきっかけで、きっとクロワールもらしくなったんだと思うんだ。自由気ままにね」
「あははっ、何だか変な話だね」
取り繕った怜治の見解に、雪歌が笑って応えた。
ソレから二人は他愛ないおしゃべりを続けた。
学校であった事、勉強に対する不満、家族や友達との出来事。
クロワールは雪歌の膝の上で丸まりながら、ソレらを心地好く耳に入れた。
そんな長く続く世間話の途中で、怜治がついに切り出した。
「ところでさ、山中さんって付き合ってる人って……いる?」
おっ、いくか怜治。
怜治の言葉に緊張感が漂う。
「うんん、全っ然。そういう浮ついた話がなかなか出てこなくてねぇ」
対する雪歌は何ともない様子で苦笑した。
「そうなんだ……だったらさ、その……」
怜治は言い淀みながら、軽いパニックを起こし、しどろもどろになりながらも、先に続く告白をどうにか言い切った。
告白を受けた雪歌が頬を染め、戸惑いながら気持ちを整理する。
そんな二人の状況を、クロワールは雪歌の膝の上で心を躍らせ静かに見守るのだった。