自由への下剋上
「無事に、事が終わればいいのだがな」
怜治の部屋を飛び出してからクロワールは、人気の無い建設途中のビルの下へと来ていた。
相手は落ちぶれているとはいえ、魔女だ。
クロワールが決戦の舞台に選んだ骨組みのビルを深刻な顔付きで見上げた。
使い魔である私が勝てるのだろうか? 例え勝てたとしても無傷というわけにはいくまい。
クロワールの不安と恐怖は決して安価なモノではない。
「ウダウダと考えていても仕方ない……ヤるぞ!」
だが、クロワールは怜治に告白した時から既に腹を括っていた。
決意を言葉に、佇んで見上げていたクロワールは一歩ずつ歩き出す。
重たい足取り、されど怖じ気の無い足取りでビルの頂上へと向かった。
怜治……私はお前を死なせないし、私も死なない! どちらかが欠けてしまっては、恐らく怜治の恋は実らないからな。
帰ってからの事をアレコレと想像し、軽笑しながら最上階を目指して上る。
恋が叶ったら怜治はどんな表情をするだろうか? 毎日をどんな風に過ごすのだろうか? 少しは浮かれたりもするかもしれんな。フフッ……さて、そろそろ気を引き締めねばな!
「ミューエ! 私の声が聞こえているのなら姿を現せ!」
クロワールが頂上に辿り着くと、笑みを消して魔女ミューエを呼んだ。
「ミューエ! ミューエ!」
しかし、クロワールが幾ら声を上げてもミューエは一向に現れない。
……いかんな。緊張してたせいか頭が回らなかった。アレが私の呼び掛けに答えるハズも無いのにな。
クロワールは冷静になって反省すると、舌打ちしてボソッと呟いた。
「チッ、あの軟弱が」
「誰が軟弱ですって! ダ・レ・が!」
すると先程まで全く姿を現す気配が無かったミューエが、クロワールの目前に突如現れて怒鳴りつけた。
やはり最初に使った呼び出し方が間違っていたのか。
「ソレにアンタ、使い魔のクセに主である私を呼び出そうなんて」
「落ち着けミューエ。使い魔が故に報告しなければならない事があるのだ」
興奮しているミューエの罵倒を遮り、クロワールが仏頂面で意見を主張した。
「ッタクもー! 何よ報告って! どうでもいい事だったら容赦しないわよ!」
相変わらずだなコイツは。だが不思議だ。昨日までは憎たらしく思っていたのだが、今は憐れでしょうがない。
クロワールは普段ミューエの事を不快に思っていたのだが、今回に至っては微塵の怒りも感じなかった。
いつも通りならここで、溜息のひとつも漏れていただろう。
「ミューエが待ちに待っていた強い魂だが、直に実を結ぶぞ」
クロワールが感情の無い面持ちで近況報告をすると、瞬時にミューエの目が輝きだした。
「やっときたのね! あ~んもぅ♪ この瞬間を待ち焦がれたわぁ♪ コレでやっとアイツ等を見返してやれるわ!」
ミューエは吉報を聞くと、その場で歌い、踊り、走り出し、全身を使って上機嫌ではしゃいぎだした。
あぁ、憐れと感じるハズだ。
クロワールはミューエの浮かれ様を見て、特に理由もなく憐れだと確信した。
間違いないな。私の次の一言でピタリと動きを止める。
「だが……少々厄介な問題があるのだ」
クロワールが危機的な言葉を告げると、ミューエは予想通りに片足を上げて浮かれた状態でピタリと止まった。
その状況は、まるで時間が止まったかのようだった。
暫し停止していたミューエであったが、ハッと我に返ったかと思うと、瞬速でクロワールに詰め寄った。
「何よその問題って!? 今更そんな不安要素だされたら私が困るじゃない! この役立たず!」
ミューエはクロワールの双肩を掴んで上下に振りながら、矢継ぎ早に言葉責めをする。
必死になると途端に俊敏になる。コレは分が悪そうだ。
クロワールがミューエの突発的な動きに脅威を感じる。
だがもう賽は投げられたのだ。今更退けない!
「私は役立たずか」
クロワールの呟きでミューエが更に激高する。
「そうよ役立たずよ! このダメ使い魔! 甲斐性無し! 世界のゴミ屑!」
「そうか。だが役立たずなら、まだ良かったかもしれんぞ」
ミューエはクロワールの放った言葉に悪寒を感じ、思わず動きを止めた。
その言葉に何か含みを感じたからだ。
ミューエは急激に緊迫し、冷や汗を垂らしながら訊いた。
「なっ、何よ? まだ良かったかもって」
意外と鋭いな。一言で危機感に気付くとは。
クロワールがミューエの評価を修正しながら問いに答えた。
「さっき問題があると言ったろ? ソレは怜治の恋愛についてなんだ」
ミューエがクロワールから手を離すと数歩下がり、固唾をのんで報告を聞く。
「怜治の恋はもうレールに乗っている。もう何もしなくても恋は実るだろう」
「何よ? 何の問題もないじゃない」
言葉とは裏腹に、ミューエの中では警鐘が鳴り響いている。
「あぁ。ここまでは問題ない。だが、このまま恋が実ってしまうと怜治が死んでしまう。そうなっては私が悲しいのでな」
「かっ、悲しいって……アンタとアイツは赤の他人でしょ!?」
ミューエが悲鳴を上げるように訴える。
その様は次に出てくる言葉に怯えるようでもあった。
「あぁ他人だ。だが、全く繋がりが無いわけでもない。絆を結ぶのに二ヶ月は充分過ぎる」
クロワールは毅然とした態度で事実を受け止めると、そのまま続けた。
「そしてこの二ヶ月で私は怜治を好きになった。好きな人間が死んでしまうのはとても悲しい。だから私は怜治を護る事にした」
ミューエは驚愕し、危惧した。クロワールが告げた真意を想像したくないかのように、身震いしながら祈る思いで訊き叫ぶ。
「護るって……私はどうなるのよ!? アンタはこの私の使い魔なのよ! 私は力が欲しいの! あの忌々しい奴等を見返したいの! 分かる!?」
ミューエの主として命令する態度でありつつ、内心は懇願するようでもあった。
愚かな。もう答えを知りつつも、顔を背けるとは。
「もう理解しているのだろう? 私が怜治を護ると言う事は、私がキサマを殺すと言う事だ」
殺すと言う言葉を口にするのに躊躇いはあった。
だがソレでもクロワールは、平静を装ってミューエに言い切った。
クロワールに放たれた宣告で、ミューエの顔色が青ざめる。
「なっ!? 冗談じゃないわよ! アンタを人間の姿にしてあげたのは誰だと」
ミューエは躍起になってクロワールを言いくるめようとする。がっ、無惨にも阻まれてしまう。
「では問おう。誰が人間になりたいと言った? 人間の姿をしたいと願った?」
クロワールの問いにミューエがウッと絶句する。
「私は願っていない。望んでもいない。望んだのは……使い魔を欲したのはキサマ自身であろう? ソレを事もあろうか恩着せがましく誇張し、私から自由を奪った。些か甚だしいとは思わんか?」
ナゼ、私は自由を奪われていたのだろうか?
クロワールが主張しながら胸中で愚痴た。
「だから……だから何よ! 私はアンタを探すのに苦労したのよ! アンタのワガママなんてどうでもいいから私に尽くしなさいよ!」
ミューエは必死にクロワールを手中に収めようとする。あくまで主人として。
つくづく救えぬ奴だ。
クロワールはミューエの態度に呆れ果てた溜息を吐き、ある魔法を使った。
因果なモノだな。よもやキサマが用意した魔法がキサマ自身に牙を剥こうとは……
クロワールが使った魔法は、別次元に倉庫を造り、物を出し入れする魔法。
クロワールが役目をこなしやすいようにと、ミューエが備え付けた魔法。
そしてその倉庫にはクロワールの武器がひとつだけ入っていた。
「ちょ!? クロワール!」
叱り付けるように驚愕するミューエを無視して、クロワールが虚空から二個一対の鉤爪、手甲鉤を取り出し、装着する。
「ふむ。やはり猫の武器は爪に限るな。良く馴染む」
クロワールは初めて手にする武器の感覚を確かめると、ミューエに視線を向けた。
ミューエが怯むようにビクッと震えて、声を荒げる。
「よっ、よしなさいよ! 第一アンタ、私が死んだらもう人間になれないわよ!」
「ソレが?」
「つまりあの男の子と二度と話せなくなる! 意思の疎通なんて出来なくなるわ! アンタはソレで良いの!?」
ミューエが初めてクロワールの心に揺さ振りを掛ける。
言い換えるならそれ程までにミューエは追い詰められていた。
「確かに困る事が多いだろうな」
そしてクロワールはその事に苦しめられていたのも、また事実だった。
「ならっ……」
ミューエの表情が若干ほころぶ。がっ。
「がっ、既に覚悟の上だ。ソレに私が手を下さなければ、キサマ自身が怜治を殺しにいくのだろう?」
キサマが強欲な事は既に知っているのだ。
「後キサマがひとつ勘違いしてる事を教えてやろう。私は怜治を異性としてではなく、異形として好きになったのだ」
クロワールが言い切ると、ミューエの表情から希望の色が消え失せた。
震える身体を両腕で抱き締める。歯は噛み合わずガチガチと音を立てている。その表情は極寒の地で独り、孤独という寒さに耐えかねないと言わんばかりに絶望に染まっていた。
ナゼこんな事になったのか? っとミューエは思わずにはいられない。
そもそも、こんな危機に晒されるだなんて有り得ないハズだった。
理由はクロワールがミューエの使い魔だから。
ミューエのさじ加減ひとつでクロワールは人間の姿を維持できなくする事が出来るのだ。だから何の問題でも無かった……本来なら。
ミューエはその面倒臭がり屋な性格から、本来ひとつずつクロワールに掛ける複数の魔法を一回にまとめたのだ。
使い魔として使役する為の魔法と、虚空に倉庫を造る魔法と、そして人間の姿を模する魔法。
みっつワンセットの魔法。
まさにコレが裏目に出た。
クロワールが使い魔として使役する魔法を打ち破った為に、その魔法が暴走したのだ。
そしてセットになっていた為、暴走の影響は使役の魔法に留まらず、虚空倉庫、擬人化の魔法にもその影響は及んだ。
つまり、ミューエはクロワールに対する魔法のコントロール権を失ったのだ。
故にクロワールはやりたい放題、何でも出来るのである。
コレはミューエ自身が招いてしまった状況、責任を持って対処しなければならない問題。
だがミューエは他の誰かに縋らずにはいられない。他の何かを恨まずにはいられなかった。
「さて、覚悟はいいか?」
クロワールが見据え、月光で鉤爪をギラリと輝かせながらユックリ歩み寄る。
「はっ……はははっ……」
迫り来るクロワールの気配に、ミューエは目元に涙を溜め、何かにぶら下がるように立つ身体で、ただ真上に浮かぶ月を仰ぎながら、消え入るような乾いた笑いを漏らした。
ミューエの中で何かが壊れた瞬間でもあり、同時に全てが吹っ切れた瞬間でもあった。
「ふざけんじゃないわよ! どいつもコイツも私の事バカにしてぇぇぇえ!」
ミューエがヒステリックに叫ぶや、虚空から分厚い本を取り出した。
っ! くる!!
クロワールがミューエの行動に危険を予感させた。
「死ねっ! どいつもコイツもっ! みんなまとめてぇぇぇぇえ!」
ミューエがドス黒い何かに狂いながら、クロワールに数発の火球を撃ち放った。
なっ!? 炎……
クロワールは向かいくる無数の火球に仰天する。
その火球が、クロワールにはヤケにユックリと進んでくるように見えた。
遅く、遅く、尚遅く。
スローモーションの中で垣間見た、迫り来る無数の火球にクロワールは漠然と思った。
コレは、イケるぞ!
クロワールが感じた火球の遅さは、決して走馬燈のように危機的なモノではない。
猫故の動体視力から見えた希望の遅さだ。
そう感じた次の瞬間、迫り来る無数の火球の更に先に居るミューエに向かって駆け出した。
自身の身体能力を信じて特攻。
ゴウゴウと唸りを上げるひとつ目の火球をまず右に避け、すかさず迫った二発目は身体を捻ってクロワールの背を通り抜けた。
「ちょ!? 速っ! ヒィ!」
そしてミューエが魔法の反動で硬直している隙に、クロワールは瞬く間に近付いた。
足下に迫った火球を急停止して足場に着弾させ、爆炎に紛れながら迫る高度が若干高い火球を前傾姿勢で駆け抜け、続け様に放たれていた足場スレスレに迫る火球は跳びながら前転して躱して……
少し掠った、流石に無傷とはいかなかったな。だが!
そして全ての火球を避け終えた時にはもう、クロワールがミューエの目前……鉤爪の射程内で、体勢を崩しつつも両手を拡げて構え、低い視線から睨み付けていた。
「終わりだ。パニックフィッシュ!」
クロワールは叫ぶと、まるで猫が水槽で泳ぐ金魚を高速で掬うように、鋭い爪先でミューエの喉笛をかっ裂いた。
手応え……あり。
「ぁっ……」
ミューエは絶望に似た驚倒の表情で、見開かれた瞳孔から生気をユックリと消しながら、糸が切れた人形のようにその場で崩れ落ちた。
ミューエの敗因。
ソレは身の丈に合わない程、高い素質を秘めた猫を使い魔にした事。
なのにクロワールと絆をもって主従関係を結ばなかった事だった。
クロワールが肩で息をしながら、もう動かないミューエを見下ろして諭すように呟いた。
「ソレになミューエよ。人間よりも、猫の方が人間の傍に居続ける事がが出来るのだ。コレは猫の特権だぞ」
微笑みながら言い切ると、幼女クロワールの姿が夜の闇にユックリと消え入った。
そして幼女の代わりにその場に佇んでいたのは一介の黒猫、クロワールだった。