魔女の使い魔
「みんなー、ごはんよー!」
午後八時を回った頃。
とある一軒家、栗原家の台所から母親が声を上げて家族を呼んだ。
「おっ……聞こえたかクロワール。ごはんだと」
ゲームをやっていた怜治が電源を切りながら、寝転がっているクロワールに一声掛けた。
「あぁ。ようやくメシか。今日は何かのぉ?」
クロワールは両手を挙げて伸びをしながら、ごはんに希望を膨らませる。
メシになるたび、私の好物がある事を願ってしまうな。
クロワールは怜治と一緒に二階の自室を出た所、声を掛けられる。
「あっ、クロちゃん。おにぃの部屋に居たんだ……」
廊下でバッタリ会った女の子は、長い髪を左右で分けていて怜治よりも身長が高かった。
私が怜治の部屋に居たと知るなりにショボンとしたコイツは栗原鈴蘭。怜治とは二つ離れた妹だ。
「あぁ。先程までゴロ寝をしていたぞ」
「ソレって退屈だったって事でしょ。スズと一緒だったらいっぱいかまってあげたのにぃ」
いや、鈴蘭の相手をすると私が疲れる。
「そうか……また今度な」
残念そうに肩を落とす鈴蘭に、クロワールが適当な言葉を返した。
「約束だよぉクロちゃん!」
うっ……また厄介な事に……
「あっ……あぁ」
クロワールが内心で面倒事に巻き込まれたと思いながら、渋々と承諾した。
「さて、いつまでも喋ってないでメシ食うぞ」
怜治が、いつまでも続きそうな会話に痺れを切らして促した。
「はーい、おにぃ」
鈴蘭が手を挙げて元気に返事をすると、三人で一階のリビングへと移動した。
クロワール達がリビングに入ると、既に料理はテーブルに並べられており、両親が座って待っていた。
「おぉぉ! 私の大好物があるではないかっ!!」
クロワールは料理を確認するなり、開口一番で歓喜を上げた。
今晩のメニューはごはんにワカメの味噌汁、煮魚にタクアンに餃子だ。
「ほら、いいからまずは座ってくれ」
クロワールを筆頭に硬直していた三人を、もうすぐ五十歳になろう父親が促した。
「おぉ、すまぬな父殿」
クロワールは一言詫び、テトテトと自身のイスへと走る。
父殿は最初、私が家に同居する事に反対だった。
私の姿が幼女という事もあってか、生活費が増加する問題以上に怜治の性癖が心配だったらしい。
まあ、私の正体が黒猫と知れたとたん、意見が折れたようだったが……
何はともあれ、今はソレなりに認めてくれている。
クロワールがイスに座ると、怜治と鈴蘭も続いて所定のイスに座った。
クロワールの両隣に母親と鈴蘭、正面に怜治、怜治の隣に父親。
コレが栗原家が食事する時の定位置だ。
食事の用意が出来たところで、全員が合わせて合掌した。
「いただきます」
クロワールは挨拶を終えると羨望のまなざしで、待望の笑顔で作業に取り掛かる。
味噌汁のお椀を手に取るとすかさず、されどユックリと溢れぬように白いごはんの中へと残さず注ぎ込んだ。
そう! 白いごはんに煮干しのダシが効いてるワカメの味噌汁をブッ掛けたコレが、私は大好物なのだ!!
そして、クロワールは猫のシルエットが沢山ついている幼児用のスプーンを握って動きを止めた。
クロワールに箸は難しすぎたのだ。
早く冷めないかな♪ 早く冷めないかな♪
クロワールは猫故に熱いモノが苦手だった。
だから待つ。ひたすら待つ。
「ねぇクロちゃん、ホントにそんなごはんで良いの?」
クロワールを不憫に感じたのか、四十代も後半に差し掛かった母親が心配そうに尋ねた。
「あぁ。コレが良いのだ。確かに猫缶は美味しかったし、魚も美味だった」
母殿は父殿と違って最初から私を同居させる事に賛成だったようだ。
女の子も猫も好きなようで、いろいろ良くしてもらっている。
様々な食べ物を食べさせてくれたし、今も私の好物を積極的に知ろうとしてくれている。
そう、母親はここ一週間でクロワールにいろんなモノを食べさせた。
連れてきた初日こそ何の準備もしてなかったので味噌汁だったが、猫の好きそうなモノは全部試した。無論、人間用の食事も。
「だが私にはどこか高級すぎてな、たまに食べれればいいという次元だ。その分、コレはどこか落ち着く味で、ナゼか身体に馴染む。毎日でも食べたいと思ってしまう程だ。無論、今日の人間用のおかず、餃子も好きだ」
……ただ、タマネギだけは二度とゴメンだな。味は嫌いではないのだが、気分が恐ろしく悪くなって……思わず吐いてしまった程だ。しばらくの間は悪寒が止まらなかったぞ……
クロワールは嫌な体験を思い出すと、眉をひそめて毒突いた。
「そう、それならいいんだけど……ただ、ごはんが冷めるのを待ってるクロちゃんを差し置いてみんなが食べてるのはちょっといたたまれなくて」
クロワールがひたすら待っている間にも、家族は各々のペースで食事を続けている。
母親はその状況に心を痛めていた。
「その心配は無用だ。人間は温かいごはんが好きなのだから温かいうちに食べるのが条理だ。対して私は猫だ。熱いのがダメなら待つのが道理……だろ?」
「ソレはそうだけど」
「ソレに私のせいでみんなのメシが冷めて美味しく感じなくなってしまっては、私が心苦しくなる」
過ぎた心配をされても困るのだ。
クロワールが胸中で付け足しながら続ける。
「だから、遠慮はしないでくれると嬉しい」
クロワールが微笑みながら説得すると、母親は渋々と納得した。
「そうね。ゴメンね、クロちゃん」
「だから構わぬと言っている」
その後もクロワールはひたすら待った。
クロワールは冷めたごはんでなければ食べられないので、必然的に食べ終わるのは一番最後になるのだった。
食事を終えたら後は風呂に入って寝るだけだ。
クロワールは猫故に苦手な風呂を、これまた苦手な相手である鈴蘭と一緒に入る。
クロワール自身は風呂に入るという選択肢を排除していたが、家族が不潔だからとソレを認めなかった。
また、渋々と諦めて怜治と一緒に入ろうとしたが、世間体を理由に断られ、風呂の相手は鈴蘭という事になった……なってしまった。
まあ、今では大分慣れてきたが……ソレでも辛いモノは辛いな。
風呂から出て、パジャマに着替えた後は怜治の部屋で寝るだけになる。
最初は鈴蘭の強烈な要望で鈴蘭の部屋で寝る事にしたクロワールだったが……
ダメだ、鈴蘭と一緒では寝る事が許されない!
っと悟ったので、結局は怜治の部屋のベッドで寝る事となった。
鈴蘭は遊ぶのに夢中で、イタズラに私の睡眠時間を奪ってくれるからな……
対して怜治はそんなにかまわない。高二故に寝る時間は遅いモノの、クロワールは電気の明るさなど気にせずに寝れる。
また、起きている際に生じる雑音も、クロワールに向けられたモノではないので気にならなかった。
部屋が暗くなれば怜治がクロワールの隣にきて一緒に寝る。
何事もなければコレで1日が終わるのだ。だが……
……チッ! 今日はまた面倒な……
深夜一時頃。
クロワールが何かに気付き目覚めると、怜治を起こさぬように猫となってベッドから降り、幼女の姿に戻り窓を開けると、再び猫の姿になって窓から出た。
クロワールは外に出ると、栗原家の屋根の上へと移動する。
月夜に照らされた屋根に足を付けたところで、猫の姿から幼女の姿に切り替えて目の前に佇む人影と向き合った。
クロワールが不機嫌な面持ちで尋ねる。
「何の用だ、ミューエ?」
ミューエと呼ばれた人影はツヤのあるブロンド髪を腰元まで伸ばした女性で、黒地のワンピース姿で、右手に装飾の多い腕輪を2つ身に着けている。
「何って、近状報告に決まってんでしょ。例の彼、どんな様子よ?」
ミューエが髪を後ろに払いながら訊く。
「好調だ……っと言っても、成就するまで遅くても三ヶ月は掛かりそうだがな」
偉そうに。
クロワールが睨み付けながら報告した。
「うっわ……三ヶ月も? そんなに待たなきゃいけないの!?」
ミューエは悲鳴を上げると、クロワールを問い詰める。
「じゃあ、止めるか?」
私はソレでも構わないのだが?
「冗談! せっかく見つけた強い魂なのに、ソレを易々と見過ごすなんて愚の骨頂よ!」
クロワールの皮肉が癇に障ったようで、ミューエはヒステリックに叫んだ。
うるさいヤツだ。
クロワールは呆れながらジト目で訊いた。
「あっそ……時に、ナゼ強い魂を求める?」
「そんなの決まってんじゃない、強くなる為よ! 強い魂を取り入れれば強い魔力に変換できる。ソレで、私をバカにしたフロワやリュゼを見返してやるんだからっ!」
ミューエが胸中で嫌なヤツを浮かべながら叫んだ。
要はいじめられた腹いせか……つくづく好かんヤツだ。
クロワールはミューエの身勝手な都合に軽蔑した。
「だからクロワール! アンタもしっかり働きなさいよ! 魂は気持ちが昂ぶってる時に一番力を解放するんだから! その瞬間を逃さずに刈り取りなさい!」
だがミューエは、クロワールの気持ちなんかつゆ知らずに命令した。
「分かっている。話は終わりか? なら帰るぞ」
クロワールは内心でため息を吐きつつ、適当な相づちを打って踵を返した。
「素っ気ない態度ね! ソレが主人に対する仕草なの?」
ミューエはクロワールの投げやりな態度に突っ掛かった。
チッ! さすがに気付かれたか。
クロワールは背中を向けたまま佇んだ。
「いいクロワール? アンタに人間の身体を与えたのはこの寛大なミューエ様よ! その恩を忘れるんじゃないわよ!」
恩着せがましい事だ。使い魔としての素質があるからと、本気で逃げる私を執拗に追い掛け、捕まえ、勝手に姿を変えた挙げ句に主人面か。
「安心しろ。仕事はちゃんとこなす」
言うが早いか、クロワールは猫の姿になって怜治の部屋へと帰っていった。
ホント、いけ好かんヤツだ。
ミューエに対する不満は多いモノの、クロワールは言われた事をやると渋々決めていた。
そう、怜治は偶然クロワールと出逢ったのではない。
クロワールの方が目的を持って怜治に近付いたのだ。
私の仕事、ソレは……告白に成功して気持ちが昂ぶっているトコで怜治の魂を刈り取る事。つまり、殺す事。
クロワールは魔女の使い魔である使命に奥歯を噛みしめながら、ベッドに身体を潜らせたのだった。