いつもすれ違う人
ちょっと書いてみたので、興味がおありでしたらお付き合いください。
※この作品はホラー・怪談の短編です。苦手な方はブラバしてください。
「おはようございます!!」
「あら、おはようございます。今朝も早いですね」
週に何度か住んでいるマンションのエレベーターで会う女性。歳の頃は自分と同じ20代後半といった所か。
長い黒髪に少し派手目な服装をしている事が多いこの女性は、少し色白できりっとした少し目じりが上がり目な眼が特徴で、そういう仕事をしていると思われる。
大学時代を過ごした町から、就職先に近い今のマンションに引っ越して来てはや2年。俺こと溝内康尭は、この女性に会う事が習慣になりつつあった。
というのも、就職した会社が少し始業時間が早いので、他の人達が朝のラッシュに飲まれている時間よりも早く、気持ちよく眠っていた布団と名残惜しいけどおさらばしなければいけない。
帰りも定時退勤出来る事は少なく、皆が家でくつろいでいるであろう時間に帰宅する。
その両方で頻繁にこの女性に会うのだから、面識が出来て当たり前なのである。
朝はちょうど帰ってきたところか、夜は出て行くところに遭遇するのが多い。
「では今日も失礼しますね。急がねばいけませんので」
「あら……もう少しお話ししたかったのですけど、仕方ないですね」
自分の部屋からエレベーターで降りてきて、広いとは言えないエントランスにてばったりと会った今日も、そこまで会話するという事もなく俺は会社へ向けて歩き出した。
――しかしよく会うのだけど、まだ名前も知らないんだよな……。
自分がヘタレである事は否めない。ただ性格が暗いとかそういう事じゃなく、今は仕事の事もあるので彼女を作るという事は考えられないだけ。
大学生時代は彼女もいたのだが、就職先が離れてしまった事で、自然消滅に近い形でその子との関係は終わった。
心機一転という気持ちと、会社への利便性を考えて引っ越しを決意し、選んだのが今住んでいるマンション。
マンションというのは名ばかりで、既に築数十年という物件なのだが、外装はそこまで古くなく、内装は割と最近リフォームされたばかりだという事で、値段の割にはいい部屋に入ることが出来た。贅沢をしなければ全然気にならない。とはいえ遊ぶ暇も友達もそこまで多い訳じゃない。
何度か会社の同僚や、大学時代の友達が来たこともあるけど、その時はあの女性に会う事は無かった。
もしも会っていたのなら、連れが声を掛けるのは間違いない。それほどまでに整った容姿をしている。
――おっと!! 会社に急がねば!!
先ほどの事を考えていた頭をぶんぶんと振り、改めて進行方向へ集中し始める。
「おい溝内」
「ん? どうかしたのか?」
定時就業時間はとうに過ぎた社内の一室で、まだデスクのパソコンと格闘していた俺に声を掛けてきたのは、マンションに遊びに来たことのある同僚で、大の女好きという批判にも負けず声をかけまくっている広井元信だ。
「今度お前の所に遊びに行ってもいいか?」
「ん? 別にいいけど……」
「そのついでと言っちゃなんだけどさ、そのまま2、3日泊めてくれないか?」
「あん?」
「ちょっとこれと喧嘩しちまってな」
そういうと右手の小指を立てる仕草をする広井。
「またか……。どうせいつもの事が原因なんだろ? いい加減にしないと本当にそのうち刺されるぞ」
「あははははは。まぁ……気を付けるわ。で? いいか?」
「……しかたねぇな。本当に2、3日だけだからな!!」
「すまん!! 差し入れはたんまり持ち込むからさ!!」
顔の前で両手を合わせて俺に礼をする広井。こういうのも既に慣れたものなので、俺もため息をつきながらそんな広井に「わかったよ」と声を掛けた。
そんな事が会社であったその日――。
仕事がようやく終わり、マンションまでの道を重い脚を引きずる様にして帰ってきた俺は、エントランスを通り過ぎてエレベーターの前まで到着した。
「ん?」
いつもは目に入らない掲示板にふと視線が向いた。ちょうどエレベーターが降りてくる前なので、時間があったという事もあるが、普段は注意書きかゴミの日などをお知らせする事しか書いていないので、ここ最近は気にしていなかった。
しかしこの日の俺は吸い寄せられるようにそこに張り出されたものを見る為、自分でも知らず知らず掲示板の方へと近寄っていた。
「なんだこれ? そんな事が有るのか?」
思わず掲示されているモノを見ながら独り言ちる。
書かれていた内容は見慣れたものが多いケド、その中に一つ気になる物を見つける。
『最近、マンション内にて不審な人物を見かけたという情報が頻発しております。居住者様各位、ご注意ください。何かございましたら下記までご連絡をお願いします』
そこには赤い文字で書かれた注意書きがあった。マンションの管理会社と担当者、そしてオーナーと思われる人の名前が連名にて記載されている事で、それがいたずらなどの類では無い事が分る。
――不審者ねぇ……。
読み終えるとチラッとエントランスから、今マンションに入ってきた入り口の方へと視線を向けた。
いくら古いとは言っても、それなりに防犯設備は整っているように見える。さすがにオートロック機能のドアでは無いが、管理人室の前を通らなければ今いるエントランスには来ることが出来ない。その管理人室にも常時警備会社の人が一人か二人は必ずいるし、各階層には監視カメラも付いている。そして階段で上り下りもできるのだけど、各踊り場には監視カメラがしっかりと付いていた。このご時世なので何があるか分からないから、安全性が高い事は大変ありがたい。
――自分で自衛はしっかりしないとな……。
チン!!
ガコン!!
自衛の念をしっかりと確認したところで、待っていたエレベーターが到着した。
「あら……」
「……どうも」
今日も今日とて同じ女性にあってしまう。
「お疲れさまです。今お帰りですか?」
「はい。ようやく仕事が終わりまして」
「そうですか。ゆっくりとお休みになってくださいね」
「ありがとうございます」
いつもようにたわいもない会話をする。
「それじゃ私はこれで……」
「あ、あの!!」
「はい?」
エントランスを歩いて進もうとした女性に声を掛ける。いつもはそんな事はしないのだが、この時は何故か声を掛けなければいけないような気がした。そんな自分に自分でも驚く。
「あ、えっと……、その、不審者……そう!! 最近不審者が出るそうなので気を付けてくださいね!!」
「そうですか……。えぇ分かりました。でも私は大丈夫ですよ?」
俺の方へにっこりと笑う女性。そしてそのまま小さく頭を下げてマンションから歩いて出て行った。
――やっぱり、綺麗な女性だなぁ。俺なんか相手にされる訳もないか……。
自分で考えた事に少しだけ落胆し、彼女が出て行った方へ視線を向けてからエレベーターに乗るために足を動かした。
――ん? なんだ?
その一瞬の間。本当にほんのわずかだけど、俺の視線に捉えたもの。
しかしそれが何なのか分からないまま、結局は気のせいだと自分に言い聞かせ、俺はそのままエレベーターで自分の部屋のある階へと上がって行った。
数日後――。
本当に我が部屋へと転がり込んできた広井と共に、金曜日の夜という事もあって部屋で二人で酒を飲んでいた。
「ところでよ」
「なんだ?」
酒も進み、広井が俺に絡み始める。
「お前……彼女とかつくんねぇの?」
「ん? 彼女かぁ……今はいいかな?」
「本当かぁ? 本心じゃ欲しいだろ? 癒しが欲しいって言えよ!!」
「いや、本当にいまはいいんだよ。考えられないかな」
「お前……つまんねぇ人生になるぞ?」
「ほっとけ!!」
広井に言われたことが少し気なる所もあったけど、本当に今は考えていないので、広井に悪態で答える。
「お? 酒もつまみももうなくなるな……」
「どうする?」
「ん~……飲み足りないから買いに行くぞ」
「仕方ないなぁ……」
十分に飲んだとは思うのだが、俺の部屋に来てからは愚痴や自慢話などをするので、まだ話したりないというところか、広井は財布だけを手に持って立ちあがる。
仕方ないので俺も広井と共に一緒に行く事にした。
そうして部屋を出て鍵をかけ、エレベーターで下へと向かう。
チン!!
ガガコン!!
エントランスへと到着したエレベーターの扉が開くと、目の前にいつもの女性が立っていた。
――あれ? 珍しいなこんな時間にここにいるなんて……。あ、広井が居るからやばい!!
金曜日という事もあり、いつもなら忙しくなるような時間帯に、エントランスに居た女性を不思議に思いつつ、女好きな広井とばったり遭遇してしまった事に焦る。
「何してんだ溝内!! 早く行くぞ!!」
「え? あれ?」
すたすたと先に歩いて行った広井から大きな声で呼ばれる。
俺は女性と広井を交互に見ながらも、広井の方へと急いで向かう。その時に見た女性は俺の方へ笑顔を向けてくれていた。慌てて女性に頭を軽く下げて、先に行ってしまっている広井の後を追いかける。
――女性に反応しないなんて……。酔ってるからか? いやそれなら尚更……。
女性の事を気にしないで歩く広井を見ながら考える。
しかし、当の広井は本当に何事もなかったように酒を買い足して、つまみになりそうなものを持ちながらほくほくした顔をしてマンションへと戻った。
そして――次の日の夜。
またも広井と共に買い物に出た俺たちは、いつもの女性とエレベーターの中でばったりと遭遇してしまう。
買い物に行こうとエレベーターの前まで移動して、待っている間に掲示板へふと視線を向けると、そこには新たな不審者の情報が貼りだされていた。
『最新情報。不審者と思われる人物は女性であり、朝と夜に目撃情報が多数寄せられています。情報がございましたら――』
――不審者は女性なのか……。しかしマンションまで来るという事は、ここに住んでる人へストーカーでもしてるのか?
貼りだされたものを読みながら考える。
チン!!
がこん
「お、来たな」
「おう」
エレベーターが到着したので、二人で扉が開くのを待つ。
開いた扉の向こう側、開閉ボタンや階のボタンがある側の奥に、一人の女性が乗っていた。俺はソレがいつもの人だと気が付いて、軽く会釈しながら乗り込み、一階へのボタンを押して扉も閉める。
エレベーターが動きだすと広井は女性に構うことなく、俺に向けて話しかけてくる。少し酒も入っているので声はいつもよりも大きくなっている。
自分と二人だけなら気にもしないけど、同じ空間に第三者が居る状況ではまた違ってくる。
「広井」
「あん? なんだよ」
「声が大きいぞ。迷惑になるだろ」
「迷惑? 俺とお前しかいねぇじゃん? 誰に迷惑が掛かるんだよ?」
「え?」
広井の言葉が理解できなかった。
――俺とお前しか? 誰に迷惑? え? どういう事?
俺はハッとしてその女性が乗っている方へと視線を向けた。
にこぉ~……。
俺に向けて満面の笑顔を向ける女性。
――ま、まさか……。まさかだよな!!
エレベーター室内についている鏡をゆっくりと覗き込む。
そこに写っているのは、俺に対して不思議そうな顔をした広井と、青白い顔になった俺の姿だけ。
「広井!!」
「な、なんだよ急に大声出して」
「いいから早く降りるぞ!!」
「あん?」
俺は広井の隣に並ぶように立つと、すぐにどこでも停まれるようにとボタンを全て押した。
運よく次の階でエレベーターが停まり、扉が開く。
転がりだすようにして俺はエレベーターから出た。未だに不思議そうな顔をして俺を見る広井。
そしてその後ろにあの女性がいた。
「気が付いちゃったのね?」
そのまままた俺に笑顔を向けてくる。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「あ、溝内!! ちょっと待てよ!!」
俺は急いで階段を使って一階エントランスまで降りていく、そのまま広井も俺について来る。
「どうしたんだ溝内。そんなに慌てて……」
「そうか……広井には……見えて無かったんだな。初めから」
息を切らしつつ広井と共にマンションの外へと飛び出した。
その後はどうしてもマンションに住む気になれず、広井にお願いしてしばらく泊めてもらい、ウィークリーマンションへと引っ越す事にした。
もちろん引っ越しするにあたりマンションには何度か足を運ばねばならないけど、その都度あの女性に会うのではないかという恐怖が襲ってくる。
良かったと言えば、あれ以降あの女性に会う事は無く引っ越しが無事に済んだ事。ようやく平穏な時間が戻ってきた事で、夜でも一人で帰れるようになった。
そのマンションで目撃されていた不審者とは? その答えは今も分からないままだけど、たぶん俺と同じように見えてしまった人が居たのではないだろうか?
あの女性が今もあのマンションに居るのかは分からない。
ただ――彼女を不審者として捕まえる事は出来ないだろうとも思う。
お読み頂いた皆様に感謝を!!
ホラーというよりも怪談に近いかな?(^▽^;)
御付き合いいただきありがとうございましたm(__)m