7.感情が最も強く結び付いた記憶
研修の後に懇親会が開かれた。参加者は私を含めて十八名いた。誰もが自分を取り巻く環境に対して漠然とした不満を抱いているようだった。望んだ処遇が得られない自分自身に対する苛立ちも幾分か混じっているようだった。個体の生存本能から派生した自尊心が激しい競争を繰り広げているうちに、ねじれた方向に肥大化して手が付けられなくなってしまったのかもしれない。そこに<エモーション・アナライザー>という悪意を結び付けて、自分への評価が不当であると確信を得たのかもしれなかった。そういう連中の中に混じって話をするのは少々疲れた。本日の講師を務めた沢村巧は、不満を晴らしたくて仕方がない参加者たちの聞き役に徹していた。今日は彼と二人で話すのは無理そうだった。私は遠くから笑顔で彼を見つめていた。夜は静かに更けていった。また明日もあるということで懇親会は終わった。
部屋に戻ってくつろいでいた。一応、個室があてがわれていた。明かりを消して窓際に立ち、ぼんやりと外を眺めていた。周囲に明かりをともしている建物はなかった。都会の濁った空では見られないこぼれ落ちそうな星の夜。あまりに星の数が多くて、星座がうまく結べないでいる。人間界で妙なテクノロジーが個人を貶めている間にも、悠久の彼方より星は静かに光を届けていた。そんなことを考えていると自分のやっていることがバカバカしくなって来た。いつだって、社会で重責を担っているというお歴々のためにスキャンダルをもみ消したり、都合の悪い人物を排除したりしている。どうしてこうなってしまったのかよくわからない。私は私で生き延びるのに精一杯だったのだ。窓を閉めて星空に別れを告げる。浴室に入って熱いシャワーを浴びる。明日までに<感情が最も強く結び付いた記憶>を用意しなければならなかった。まずは楽しかったことを思い出してみようと考えたが、すぐには思い出せなかった。今までの人生で楽しかったことが一つもなかったということではない。そんな寂しい人生ではなかったはずだ。あるいは本当に楽しかったことがなかったのだろうか? 少し不安になる。シャワーの流れる音がする。目を閉じる。遠い過去へと時間が巻き戻って行く。ずっと昔にあったことが次第に意識に立ち現れて来る。その頃、私は小さな女の子だった。父と一緒に何度も水族館に行った。私たちはイルカショーを見ていた。イルカは係員の指示に従って何度もジャンプしていた。水面から勢いよく飛び出したイルカの引き締まった流線形の身体が空中で一瞬、静止する。なんて美しい生き物なのだろうと思った。最高到達点に達したイルカが吊り下げられたくす玉を口でつつくと二つに割れて花吹雪が舞って中から垂れ幕が下がった。野外ホールは親子連れで満員だった。みんな笑っていた。あの頃はまだ、人々は希望に満ちていた。今みたいに社会は劣化していなかった。ジャンプしたイルカが観客席のすぐ近くに着水する。水が観客席まで溢れ出て、水浸しになった人たちが笑っている。係員の人がタオルを持ってお詫びに行く。あの頃は何でも笑い飛ばせたような気がする。<喜び>のキーワードは<イルカ>にしようと思った。その言葉を唱えると私は幸せだった少女時代に戻って、父やイルカショーに訪れた大勢の人たちと一緒に笑っていられるのだった。