3.エモーション・アナライザー②
総裁選に出馬したことで不評を買った。閣僚も外された。しばらくはおとなしくしていた。実行力に抜きんでているという点で多くの国民に支持されているという自負はある。内外で次から次へと生じる問題が何一つ解決されず、課題が山積みされて行くだけで、国民の間に不満が鬱積している。そうした現状を打破することに少しでも役に建てればといつも考えている。今日は久しぶりに派閥の領袖と面会が叶うことになった。もう十年以上、実質的に政界を支配している方だ。誰も逆らえない。とにかく今のままでは実務が滞ってしまってどうにもならないので、突破力のある人間が必要だと考え直しているのかもしれない。
「お招きいただき、ありがとうございます」
幹事長室に入る。正面の壁に書が立て掛けてある。幹事長はその手前にある焦げ茶色の長机の向こうに座っている。鋭い眼光が私を捉える。少し緊張する。
「君は以前の行いを反省しているそうだね?」
また、それか。私は国のために粉骨砕身の思いで働きたいと考えただけなのだ。賛同してくれる仲間もけっこういたので、つい先走ってしまった。それをずっと根に持っているらしい。
「あの男はどうしているだろうね? せっかく大臣に取り立ててやったのに私のことを批判ばかりするから、とうとう誰も寄り付かなくなった。他の派閥にどんどん人を抜かれてしまって、もう派閥を維持することもできないだろう。そこに留まっていてもポストに恵まれる訳ではないからねぇ」
執念深い。一度でも逆らったら、ずっとそのことを忘れないでいる。些細なことで機嫌が悪くなる。ちょっとした言い争いが原因で、選挙区に対抗馬を擁立することもあった。そこまでしなくてもと誰もが思っている。この人が独裁国家の元首であったなら、敵対勢力はおろか身内ですらことごとく粛清してしまうに違いない。仕方なく私は平伏することにした。政治家にはやはりポストが必要だ。そのためには実力者に頭を下げるしかない。
「私が間違っておりました。厚かましいことを言ってすみませんが、もう一度、チャンスをください」
幹事長は笑っていた。私が頭を下げて喜んでいるのだろうか? そんなはずはない。周囲の人間は従って当たり前というのが、この人の考え方なのだ。その時、私はこの部屋に入って来てから覚えていた違和感の正体に気付いた。幹事長が今日に限って眼鏡をかけていたのだ。
「どうしましたか? 私が眼鏡を掛けているのが腑に落ちないという感じですね。これはスマートグラスなのですよ。私のような年寄りはすぐに世の中に置いて行かれてしまいますからね。こうして先端技術の恩恵を肌で感じて勉強しているのですよ」
幹事長とスマートグラス。そういう組み合わせがあるというのはちょっと不思議な気がした。不思議というか、嫌な気がした。
「私のネクタイピンが実は小型のカメラになっていてね。さっきから君の表情を捉えています。その映像を逐次解析して、君が今、何を感じているのかスマートグラスに表示される仕掛けになっているのですよ」
その話は聞いたことがあった。顧客の反応を調べるために表情を解析して表示するといったことだった。プライバシー保護の観点から禁止されたはずだった。
「さっきから君の感情が表示されていますけど、どれも良くないものばかりですね。嫌悪や恐れ、悲しみと怒り、少しでも好意的な感情がないかと必死になって見ているのですが、まさかこんなに嫌われているとは思いませんでしたよ」
幹事長が私を呼び出した目的は、それだったのかと思った。私は噓発見器のようなものを仕掛けられて、隠していたはずの感情を見抜かれていたようだった。
「これはなかなか良い製品だ。これからも役に立ちそうだ。今日はありがとう。もう一生、話すこともないとは思うが、まぁ元気でやってくれ」
幹事長は笑いながらそう言った。