2.エモーション・アナライザー①
上司のミスは部下のミス、部下の手柄は上司の手柄という言葉の通りに尽くして来た。いつも絶対的な服従が要求されて来た。上司の言うことに疑問を差しはさんではならないのだとずっと自分に言い聞かせて来た。もっと良い案がありますなんて言ってはならなかった。そんなふうに言うと上司の考えを否定していると解釈される恐れがあった。能力に見合った処遇なんてあるはずがなかった。上司と反りがあうことが一番大切なことだった。反りが合わなくても、合わせなくてはならなかった。
「いつも苦労をかけてすまないね。君にはもっと活躍の場を広げてほしいと思っている」
今年度の開発案件の説明の後に部長が仰られた。活躍の場を広げるというのは、昇進させてもらえるということなのだろうか? 経験や能力から考えて、そろそろ課長に指名されてもおかしくはなかった。一瞬、期待に胸が膨らむ。
「先ほどの開発案件のことだが、新しい機能と圧倒的な性能を備えたネットワークの開発が急務だと思っている。今から追加できないだろうか?」
部長は続けて仰られた。指示されたことに一瞬、戸惑う。開発要員等のリソースは限られている。その中で目一杯の開発項目を並べたつもりだった。これ以上、増やすと各々の開発が回らなくなる可能性が高かった。
「どうしたのかね?」
すぐに回答できなかった私を怪訝な顔付きで部長が見ていた。
「承知しました。早急に検討したいと思います」
「早急と言うのは具体的にいつになるのかね?」
部長は新しい機能と圧倒的な性能と仰られたが、そんな思い付きのレベルではなくてもっと具体的なことを関連部門と協議する必要があった。それがいつになるかなんて今の段階でわかる訳がなかった。無理な要求に対する不平不満が私を一瞬、支配する。その気持ちを悟られないよう気を付けながら、とりあえず引き延ばしを図る。
「申し訳ありませんが、関係部門と調整しますのでしばらくご猶予をお願い致します」
そう言ってその場はなんとか逃れた。部長が要望された新規開発については関連部門との協議が難航し具体的な計画の立案がなかなか進まなかったが、進行状況を逐次報告することで概ね納得していただけているようだった。
やがて年度が変わり、人事異動の通知がイントラネットで閲覧可能になった。あれから人事に関する具体的な話はなかったので今年度は何もないのかと思っていたが、同期が昇進して課長になり、私の上司になることがわかった。愕然とした。あんな能力の低い奴に負けたのかと思うと悔しくてたまらなかった。確かにあいつは扱いやすい人間だろう。指示された通りに動く。言われたことにどんな意味があるかなんて考えたりはしない。それからしばらくして社内である噂が流れた。幹部候補を見極めるために<エモーション・アナライザー>が使用されているという話だった。いったいそれは何なのだろうと思ってネットで検索してみると『カメラで顔の画像データを取り込み、顔の筋肉の微細な動きを解析して感情を読み取るシステム』ということだった。商品に対する顧客の反応を定量的に把握できるシステムとして開発されたが、プライバシー保護の観点から禁止されたということだった。禁止されているとは言っても会話の相手がそのシステムを使っているかを知る手段もないのだと思った。もしかしたらあの時の戸惑いや不満が<エモーション・アナライザー>で読み取られてしまっていたのかもしれなかった。