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第三章 日記

 あの騒動の後、しばらくの間は特に何も起こらなかった。彩芽の態度も相変わらずだし、他の生徒も先生も日常を取り戻しつつある。――というより、卒業式が近づいてきているのもあって、みんなそれどころではない、といった感じだ。彩芽ですら、なんだかソワソワしている。

 しかし、一つだけ気になるのは、最近の耕治の動きだ。いつもは早く始めるホームルームに遅れたり、体調不良でもないのに学校にいないことがあったり。しかも、他の先生たちはその理由を知っているらしく、訊いても誰も教えてくれなかった。仕方がないので、香は思い切って本人に訊いてみることにした。

「耕治先生」

 廊下を歩く耕治に後ろから声を掛けると、耕治は足を止めて振り返り、「おぉ吉崎、どうした?」と笑顔で応えてくれた。

「あの、気になってたんですけど、先生って最近どこかに行ったりでもしてるんですか?こんな大事なときに」

「え、あー……」

 つかの間言い渋っていた耕治だったが、そのうち「……まあいいか!」と心に決めたように話し出した。

「実は最近、黒星の保護者と色々話をしているんだよ。卒業式のこととか、黒星自身のこととかで」

「え!?」

 思わず大きな声が出てしまい、近くを通る人がビクッとこちらを見てきたのを感じたが、そんなことはどうだっていい。

 ――黒星さんのこと、もっと知るチャンスだ!

「その話、詳しく聞きたいです!聞かせてください!なんならその方に会わせてほしいです!」

「……そうくると思ったからお前には言わないつもりだったのに」

 目をキラキラさせる香に、耕治は苦笑いしたが、すぐに明るい表情に戻って言った。

「でも、確かにお前たちにも知る権利はあるかもしれない。そうだなぁ……明後日また訪ねる予定だが、ついてくるか?もう授業もほとんどなくて卒業式の練習ばかりだし」

「いいんですか!?行きます!――あ、じゃあ有利紗と春樹もいいですか?」

「あぁいいぞ、連絡しておこう。特別だからな?」

 案外快く承諾してくれた耕治に、「ありがとうございます!」とお礼を言って、香は駆け足で教室に戻っていった。


 二日後、時刻は午前九時。香たちは正門前に集まり、少しだけ仕事を片付けておくと言って校舎に入った耕治を待っていた。

「眠たい卒業式の練習サボれる上に、あの黒星さんの親に会えるなんてラッキーだよね!」

 別に遊びに行くわけではないのに、香は遠足にでも行くかのように、期待に胸を躍らせていた。有利紗も春樹も、何気に楽しそうだった。

「まあそうだな。黒星の計画を止めるためにも、今日は色々聞かせてもらおう」

「両親だってこんなこと望んでないだろうしね」

 程なくして、耕治が校舎から出てきた。パッと片手を上げて「おはよう。よし、行くか」と、前置きもなく歩き出した。

 特に話すようなことはないが、黙って歩いているとやけに緊張するので、雑談がてら、訊きたいことを訊いてみる。

「すぐ近くなんですか?」

「あぁ。小さいアパートで二人暮らしだそうだ」

「二人?黒星さんって、片親だったんですか?」

 そう訊くと、耕治は「あぁ」と思い出したかのように声を上げ、若干言いにくそうに言った。

「実の親は、いないそうだ」

「――えぇ?」

 思わず三人同時に声を出し、互いに顔を見合わせた。そのカミングアウトは色んな意味で衝撃だった。

 じゃあ、今日は一体誰に会うのだろう?

「着いたぞ、ここだ」

 そうこうしているうちに、アパートに到着した。どこにでもありそうな、少し古びたアパートで、高校の廃校という急な事情に伴って突然引っ越してきた、という感じがよく伝わってくる。

 耕治がインターホンを押したのは、一階の奥から二番目の部屋だった。ややあって戸が開き、「はぁい、あ、お待ちしてました」と、柔らかい笑顔で女性が出迎えてくれた。静かそうな人で、年齢的には母親であってもおかしくなさそうだが、どうも違うらしい。

「おはようございます、須藤(すどう)さん」

「おはようございます。そちらがおっしゃってた生徒さんですね?どうもはじめまして。いつも彩芽が迷惑かけてるみたいで、ごめんなさいね」

 須藤と呼ばれたその女性は、香たちに丁寧に挨拶してくれた。香たちも会釈を返す。

「彩芽の叔母の、須藤透子(とうこ)といいます。さっ、どうぞお入りになって」


 居間に通されたとき、両親が不在な理由はすぐにわかった。部屋の奥、窓際の小さな棚の上に、黒い仏壇と、写真が二枚。若い男女の写真だ。

「それは彩芽の両親よ」

 お茶を入れていた透子が、写真を眺めている香に気づいて言った。

「……お若いですね」

「でしょう?きっと運が悪かったのよね。……亡くなったのは、彩芽が産まれた日なの」

「えっ、そんなに早く!?」

「ええ、父親は交通事故で、母親は産後出血だったわ」

 その事実は、あまりにも衝撃すぎた。

「――ということは、黒星さんの誕生日って……」

 両親の命日。こんなに悲しいことはないだろう。彩芽は、産まれた頃からすでに、心に大きな傷を、闇を抱えていたということか。

 前に、「親の顔が見てみたい」と言って激怒されたことを思い出した。自分にももう見ることが叶わない両親のことをバカにされ、癒えることのない傷をえぐられたから、あんなに暴れるほど怒ったのだ。香は、少しだけ申し訳ない気持ちになった。

「両親のこともだけど、でもやっぱり、彩芽の心の傷を大きくしたのは、いじめなのよね」

「あ、それ本人も言ってました。酷いいじめがきっかけで、こんな復讐みたいな真似をするようになったって」

「あら、知ってるのね」

 苦笑いした透子に、春樹が遠慮がちに訊いた。

「……止めようとはしなかったんですか?」

 少しだけ俯いた透子の返答を静かに待った。そして、透子は息を吐いた。

「――間に合わなかったのよ、あの子が壊れてしまうのに。両親の死も、長い間遭っていたいじめも、あの子を深く傷付け、壊していった。私もいけなかったわ。強がったり、自分を責めたりすることがあったのをわかっていたのに、どうしていいかわからなくて、ちゃんと助けてあげられなかった。そしてやっと、いじめが酷かった中学校から転校させたのを皮切りに、彩芽は全てを諦めて、暴れるようになってしまったの」

「……」

 透子の力の無い声に、言葉も出せなかった。あの『魔女』の過去は、衝撃以外の何物でもなかった。――だからこそ止めなければ、という信念は強くなっていく。香は拳を握った。

「――須藤さん、当時の黒星さんのことがもっとよくわかる物ってありますか?私、黒星さんを止めたいんです。そんなもの抱えてるなら、尚更やめさせないと」

「そうねぇ……。――あ、そういえばあの子、いつも日記を付けているの。見てみたら何か分かるかしら」

 思い出したかのように言って透子は立ち上がり、香たちに手招きをした。ついて行くと、隣の小さな部屋に案内された。

 薄暗く、雰囲気は居間と大して変わらないはずなのに、不思議と居心地が悪く感じられるような部屋だった。

「……ここって、黒星さんの部屋?」

「ええ、帰って来たらすぐにここへ籠って、日記を書いたり本を読んだりして静かに過ごすの」

 そんな部屋の机に透子は歩み寄り、置きっぱなしの黒いノートを広げた。最初の日付は三年前の一月。

「引っ越す直前、あの子が変わってしまった日、……つまり、あの頃の彩芽が死んでしまった日よ」

「死んだって、言い過ぎじゃ……」

「でも、本当にそんな感じだったわ……。それに、日記にもそう書いてあるのよ」

 ほら、と透子が指したページを、恐る恐る覗き込む。


『負けを認めるのが、悔しかった。ただ単純に。

 私自身は耐えられていたつもりだったけれど、周りの大人たちは私のことを心配し、冬休みの終了とほぼ同時に私を逃がすことを決定した。

 別に、それ自体には悔いも何も感じない。

 長い悪夢が終わったと思えばいい。

 ただ、負けを認めて逃げようとすることが、何だか私らしくない。あんな卑怯者に負けたから学校から逃げただなんて、思いたくなかった。

 だからせめて、少しでもアイツの中に私への罪悪感を残してやろうと思った。……なのに。

 荷物を全部まとめて、数少ない友達にお別れを言って、正門を出る前に、自転車置き場にアイツの姿を見つけた。精一杯の憎しみと悔しさを込めて、睨み付けてみた。目が合ったはずなのに、アイツはずっと笑ってた。

 憎かった。

 私は、アンタのせいでここを卒業出来なくなったのに。アンタは私をこんなに苦しめて、傷付けたのに。

 憎い、許せない。

 憎い憎い憎い憎い憎い!!

 正門を出て、振り返らずにまっすぐ帰った。道中の記憶はほとんどない。確かなのは、歩きながら静かに泣いたこと、そして、

 私の中で、私が死んだこと。』


 想像以上だった。彼女の過去は、あまりにも重くて暗くて辛いものだった。日記とは思えないほどの鮮やかな文章に、彩芽の怒りと悲しみがよく表れていて、思わず見入ってしまいそうだ。

「……黒星さんは、いつもこんな風に日記を書いていたんですか?」

「あの子の物だから私はそんなに見ていないからよくわからないけれど、このページが一番たくさん書かれているみたいよ」

 ページをめくってみると、確かにこれ以降の文章は大した量ではなかった。よほどその日の出来事が心に刻み込まれてしまっていたのだろう。そのままパラパラとめくるうちに、知っている出来事が書かれているページに入った。


『今度は日月高校に転校した。またいつものように早々に孤立させた。味方なんていらない。味方を作ってはいけない。私みたいな魔女は、一人でいないといけない。』


『クラスメイトのヨシザキさんに注意された。何も言わない私に激怒した彼女は、何も間違っていない。ごめんなさい。でも、他にやり方がわからないの。』


『E組のサカキくんに質問責めされて、仕方なく目的を明かした。そして、駆けつけたヨシザキさんに乱暴なことをしてしまった。確かに腹が立つことだったけれど、あんな暴力を使うなんて、私らしくない。サカキくんや、アイツみたいで、すごく嫌だ。』


『ハタモトさんと出会った。彼女は、三年前の私とまるっきり同じだった。自分の計画に利用すると同時に、彼女を救おうと決めた。今の私みたいにはさせたくないから。』


『ハタモトさんに全てを明かした。どう思われるのか、少しだけ怖かったけれど、あなたを救いたいと伝えた。でも……もう遅かった……。ハタモトさんはもうとっくに壊れていた。三年前の私じゃなくて、今の私と同じところまで来ていた。だから、彼女の最後の望みを叶えるお手伝いをすることにした。』


『ハタモトさんが死んだ。彼女のお手伝いをしたことに、後悔はしていない。ありがとう、と言って見せてくれた笑顔は、綺麗な笑顔だった。私の方こそ、信じてくれてありがとう。あんな形でしか助けてあげられなくてごめんなさい。それにしても、あの白熱の演技を見て、これが彼女の本当にやりたかったことなのかな、とぼんやり思った。』


 少し濃くて綺麗な字で書かれた彩芽の日記には、彼女のストレートな感情が詰め込まれていた。紙の角に付いた開き癖や消しゴムで消した痕よりも、ポツポツとできている丸くて小さなシミの方が目立っている。

 最後まで読み終えて、静かに日記を閉じ、香は透子の方を向いた。

「……黒星さん、きっと心のどこかで助けてほしいって思ってるんじゃないでしょうか。まだ間に合いますよね……いや、間に合わせます。絶対に黒星さんを止めてみせます」

「……そう。……ありがとう」

 透子の反応は正直微妙だったが、少しでも希望が持てるなら、やることは定まってくる。この日記を読んで、改めて彩芽を止めたいと思ったのと同時に、救いたいと感じた。


「今日はありがとうございました!良い情報たくさん手に入りました!」

 アパートを出て、帰る途中で耕司にお礼を言った。やはりついて来て正解だった。

「そうか、まあ役に立てたなら良かったよ。須藤さんも良い人だっただろ?」

「はい!ちょっと控えめな感じがするけど、素敵な方でしたね」

「あ、そのことでちょっと気になってたんだけど……」

 香と耕司が話していると、後ろから有利紗が声を上げた。

「……須藤さん、ちょっと諦め気味に見えた」

「え……そうかなぁ」

 有利紗に言われて、確かに少し引っ掛かった。そんなことはないだろうと思いながらも、透子の控えめな態度を思い出してみると、そんな気もしてしまう。『間に合わなかった』のが、過去の話だけではなく、今のことでもあるのだとしたら……。

「――こんな所で何を?」

 その時、正面から黒星さんが不思議そうに声を掛けてきた。そういえば、もう午前中で学校は終わりなんだっけ。

「……あんたの家に行ったの。日記も見た」

「え、私の日記を?恥ずかしいですねぇ、見せ物ではないのですが。……それで、どうでした?」

 苦笑いを浮かべながらも、いつもの余裕をほとんど崩さずに彩芽は訊いてきた。香も負けじと声を張る。

「あんたの過去も知れたし、あんたがホントは何考えてるのかもちょっとわかったよ。だからこそ、あんたにはもうこんなことやめてほしい」

 しかし、彩芽は寂しそうな顔で小さく息を吐いた。

「残念ながら、今の私ではもう出来ません。こうして毒や弱みを隠しながら、戻れない道を進むだけです。もちろん辛くなることもありますが、後悔したことはありません。……あなたたちにはわからないでしょうね」

 吸い込まれそうなその黒い瞳に見つめられ、日記の最初のページが脳裏を過った。

「そんなことより、いいんですか?もうすぐ卒業式だというのに、私から目を離すなんて呑気なことしてて」

「あんた……卒業式で何をするつもりなの!?」

「決まっているでしょう?私の最後の復習劇をみなさんにお送りするんですよ。高校卒業ということは、学生生活も終わり。ゆえにこの復讐劇にも終止符を打つことになります。最後にふさわしいものをお見せしようと思っています」

 その不敵な笑みと吸い込まれるような黒い瞳に背筋が凍るのを覚えた。言い返す間もなく、「ではまた明日」と彩芽は立ち去った。

 彩芽は当初、「学校を潰す」と大口を叩いていた。それが今、現実味を帯びてきている。彼女の態度を見ていれば、これまでのどの学校でも成功させているというのが事実なのも、叔母である透子が諦め気味になってしまうのもわかる。

 ……このままでは、本当にまずいかもしれない。『魔女』が本格的に動き始めるのを感じて、どうしようもなく不安でいっぱいになった。

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