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第二章 解放

 騒ぎから一週間ほど経つと、生徒たちも多少は落ち着きを取り戻してきていた。相変わらず彩芽の小さな悪事は続いていたが、そこまで気にされることもなかった。

 その日の昼休み、彩芽は読んでいた本を読み終わり、退屈しのぎに窓の外を眺めていた。グラウンドから体育館まで、どこにでもありそうな普通の学校、平和を絵に描いたような学校という印象だった。

 ふと真横へ目をやると、窓に肘を突いて彩芽のことを眺めている香の姿があった。いつも睨むように見つめてくる香だが、今日はどちらかというと観察するかのようにじっくりと眺めている感じだった。

「……何か?」

「別に?休み時間は読書してるイメージだったから、何してんのかなー、って思っただけ」

 表情を動かさずに香は言った。人間観察をするには多少距離が近すぎるようにも感じたが、気にしたって仕方がない。彩芽は窓の外に向き直った。

 そして、ふと裏門前の集団に目が止まった。男子が三人、女子が一人。真ん中の男にはなんとなく見覚えがある。気になって見ていると、突然真ん中の男が女子を突き飛ばした。そのまま、倒れた彼女に対して、三人は怒鳴ったり、笑ったりしている。彩芽は思わず目を見開いた。

 不意に隣であくびをする声が聞こえ、彩芽は、香の存在を思い出した。外に目を向けたまま、香に声を掛けてみる。

「吉崎さん」

「え、何?」

「あそこにいるのは誰?」

「どこ?──あぁ、前にあんたが喧嘩した榊くんと、同じE組の旗本純(はたもとじゅん)ちゃん。去年はあたしも同じクラスだった。いつもあんな感じ。何回止めてもずーっと──って、何か今日はいつもより酷い気がする。放っといたらやばいかな……」

 香は若干面倒臭そうに彩芽と同じ方向を見て、紹介してくれたと思ったら、今度は少し不安そうに言って彩芽の顔を窺ってきた。彩芽は思わず、「はぁ!?」と声を荒らげた。

「当たり前でしょう!あんなのは放っておくべきじゃない!」

「えっ、──ちょ、ちょっと!」

 突然怒鳴られてびっくりしている香を無視し、彩芽は速足で教室を出た。


 香が後を追うのを全く気にすることなく、彩芽はずんずん進んでいった。わけが分からない。彩芽はなぜ、また怒鳴ったのだろう。自分のことを棚に上げておいて、勇人たちを注意するつもりなのか。それにしては本気で怒っているようにも見える。

 思考をぐるぐる回転させながら歩いていくと、あっという間に勇人たちの怒鳴り声が聞こえる所へ出た。

「ったく、俺に断りも無く一週間も休みやがって」

「そ、そんなのしょうがないでしょう?インフルエンザだったんだから」

「はぁ?どうせこの俺が怖くて仮病でも使ったんじゃねーのか?ご自慢の演技力でよぉ!こっちはお前がいねぇ間にストレス溜まってんだよ!発散させろ!」

 勇人がそう叫び、純の腕を掴もうとしたその時、後ろから彩芽が声を上げた。

「何してるんですか」

 気付いた勇人は、「クソッ、何だよ!」と腕を引っ込めてこちらを振り向き、彩芽の姿を確認してぎょっとした。

「ゲッ、黒星!何しに来た!」

「私の質問には答えていただけない、と?」

「いや……、俺たち、こいつと遊んでただけだし!」

「遊んでた?彼女は嫌がっているようですけど?」

「ち、ちげーよ!ほら、こいつこういう演技得意なんだよ!」

「本当ですかねぇ?以前の短気なあなたを見ているだけあって、本気でいじめているようにしか見えないのですが」

「黙れよ!てめぇだって似たようなもんだろうが!」

 またこの温度差の激しい喧嘩を見せられるのかと心の中でため息を吐いていると、突然、彩芽はスイッチが入ったように怒鳴り始めた。

「一緒にするな!!」

 彩芽の目の色と口調が変わり、勇人たちはビクッとすくんだ。もちろん、側にいた純や香も。

「あなたたちがしているのは、自分勝手なただのいじめだ!何度注意してもやめない!目の前の標的のことしか見えていない!自分のストレス発散のためだけにいじめをするような人と私を一緒にするな!」

 そう叫び、彩芽は大きく足音を立てながら近づくと、混乱する純の腕を「来て!」と引っ張ってその場を離れた。

「あ、ちょっと、黒星さん!」

 香も、慌ててその後についていった。「お、おい!待てよ!」と怒鳴る勇人たちを背にしながら。


「大丈夫ですか?突き飛ばされてましたよね?」

「え、あ、大丈夫です。……えっと、あなたは?」

「私は黒星彩芽といいます。旗本純さん、でしたね。吉崎さんから話は聞いてます」

 彩芽は純に笑顔で自己紹介をした。純はまだ困惑の色が取れていない様子だが、彩芽を怖がっていることは無いようだった。

「また何かあったら、私を頼ってくださいね」

「はぁ!?」

 黙って聞いていたが、彩芽がとんでもないことを言い出し、思わず声を上げてしまった。彩芽が香の方を振り返り、「何か問題でも?」と眉をひそめた。

 そりゃ、学校潰そうとしてるあんたに純ちゃんを任せられるわけないでしょ!

 ──と言ってしまうわけにもいかず、「い、いいえっ」と目を逸らした。

 もしかしたら、彩芽が純をいじめから守ってくれるかもしれないと思ったし、純と関わることで、彩芽が学校を潰すのをやめるかもしれないという淡い期待も抱いていた。何より、今ここでそんなことを言って、純をもっと怖がらせるのは可哀想だった。彩芽が転校してきた当時、純は学校を休んでいたらしく、彩芽の情報など全く入っていなかったようなのでなおさらだ。

「……私なんか助けて、いいの?」

 純は不安そうに訊いた。自分を助けることで、標的が彼女に変わるかもしれないと、心配しているのか。だが、彩芽はその質問に質問で返した。

「私が信用出来ませんか?」

 そのまっすぐな視線から、純は一瞬目を逸らしたが、やがて、正面に向き直り、「ありがとう」と笑った。

 若干嫌な予感がするけれど、純が彩芽を信用してしまっている以上、見守るしかないのかなと、どことなく疲れている純を見ながら思った。


 翌日から、彩芽と純はよく一緒に過ごすようになった。それもあって、勇人が純に関わることも減った。純はよほど嬉しかったのか、自分のこともたくさん話してくれた。元演劇部で、演技力が高いというのも本当らしい。

「目立つ役はやったこと無いんだけど、みんな私の演技を褒めてくれてたんだよ!」

「そうなんですね。じゃあ将来は女優さんですか?」

 何気なくそう訊くと、純は一瞬黙って、「……うーん、どうかなぁ」と、遠くを見るような顔で答えた。だが、彩芽が首を傾げると、パッと笑顔に戻った。

「あーごめん!もう戻らないと!じゃあね!」

 そして、元気に手を振って去っていった。それを静かに見送り、彩芽も教室に戻る。

 席に着くと、ため息が漏れた。頭の中で、ずっと純のことを考えてしまっている自分が、悩んでしまっている自分がいる。特に、さっきの表情は何だったのだろう。彼女には、まだ隠している本音があるのではないか。ぼんやりと考えていると、「ねぇ」と険しい声で話し掛けられた。顔を向けると、やはり険しい表情で香が睨んでいた。

「あんた、仲良しなふりしてるみたいだけど、純ちゃんを使って何するつもりなの?」

「人聞きの悪いこと言わないでくださいよ。少なくとも、私は榊くんのように傷つけたりしませんし」

 とりあえず、苦笑いしながら皮肉っぽくそう言うと、香の顔はさらに歪んだ。

「ふざけないで。あんたの正体を知ったら、純ちゃんは深く傷つくに決まってる。悪いと思わないわけ?」

 香は責めるように言った。──だが、彩芽にはイマイチ響かない。ふと気づくと、徐々に周りの視線が目立ち出していた。

「確かに、ずっといじめられてた純ちゃんを助けてあげるのも、優しくするのもいいことだよ。ただ問題は、相手があんただってことよ」

「私のことについては、今の彼女が知る必要はありません」

「それで後になって明かして、絶望させるつもりなの!?純ちゃんの身にもなってみなよ!」

「いつ言ったとしてもそれは同じです。でも、今はまだ言うべきではないです。こう見えて色々考えているんですよ?」

「それよ!あんたが何考えてるのかちっとも分からないのが問題なんじゃない!純ちゃんをどうする気なのよ!」

 だんだん声量を上げていく香に対し、彩芽はあくまでも平静を保っていた。だが、

「やっぱり、あんたに純ちゃんのことは任せられない!純ちゃんから離れろ!」

「それは駄目!!」

 香にそう言われ、思わず立ち上がって叫んだ。その勢いに乗って、びっくりしている香や周りの人たちを無視するように、言葉がどんどん溢れてきた。

「今彼女から離れたら、榊くんがまた目を付けるかもしれない!そのことに対して、周りは半ば諦めていて助けようともしない!これ以上傷つけられて、もし彼女が限界に達したら、一体誰に責任を取れる!?そもそも、あなたたちがもっときちんと榊くんを止められていたら、旗本さんに寄り添えていたら、こんなことにはならなかったのに!何度注意してもやめないからもう止めない?その割には、私には何度も噛みつくの?私はそれが気に食わない。ふざけてるのはどっち!?あなた、そうやって私を責めるように、いじめをやめない榊くんのことも責めなさいよ!それが出来ていないあなたの言葉は、私には響かない!旗本さんが私を頼るのは、他に助けてくれる味方がいないからだ!だから私は、私なりの方法で旗本さんを救う!絶対に私みたいにはさせない!邪魔しないで!!」

 静まり返った教室に、自分の声だけが響いた。彩芽は力を抜き、目を閉じて深く呼吸をした。喉が痛い。

 目を開けると、香は呆然としていた。無理もない。純のために攻撃しようとしたのに、返り討ちに遭ったのだから。彩芽は席に座り直し、もう話すことは無い、と言うように机に突っ伏した。


 その数日後、香は純が一人でいるタイミングを見計らい、近くに彩芽や勇人がいないことをよく確認してから声を掛け、校舎裏へと呼び出すことに成功した。有利紗と春樹も来たがったため、昼休みに三人で校舎裏に向かった。

「やっぱり、黒星さんのことを明かすの?」

 純を待つ間、その緊張感に耐えられなくなったように、有利紗がソワソワしながら訊いてきた。

「うん。黒星さんは純ちゃんのことを救うって言ってたけど、やっぱり信用出来ないの。だって、いくつも学校潰した人だよ?手遅れにならないうちに、早く黒星さんのことを知らせて、純ちゃんの方から離れさせた方がいいと思って」

「なるほど。確かに、黒星のことをいつも近くで見てるお前の言葉なら、説得力もありそうだしな」

 春樹は頷きながらそう言ってくれた。軽くお礼を言ってから、「それに」と続けた。

「あの二人はよく話してたから、もしかしたら純ちゃんが黒星さんの過去について何か知ってるかもしれないでしょ?」

 我を忘れさせるほど怒らせてしまった、『家族』のこと。「絶対に私みたいにはさせない」、この言葉の意味。彼女の計画を止めるためにも、彼女の情報が欲しい。

 そうこうしているうちに、純がやってきた。その顔に一瞬、驚きと緊張の色が見えたのは、きっとそこにいたのが香一人だけではなかったことに気付いたからだろう。香は深呼吸をした。

「香ちゃん、話って何?」

「実は、純ちゃんに知っておいてほしいことがあって、──黒星さんのことで」

 純は首を傾げた。──あぁ、やっぱり何も知らないんだ。香は改めて、真剣な表情で話を続けた。

「信じられないかもしれないけど、あの人はここに来る前、自分の通ってた学校をいくつも潰してきたとんでもない人みたいなの。この学校も潰すつもりだよ」

 純は、「……え」と小さく声を漏らし、顔色も少し青ざめていた。当然の反応だと思った。自分を助けてくれたのが、実は恐ろしい『魔女』だったなんて、すぐに信じられるはずもない。

「……そ、そんなの、嘘だよね……?」

 声を震わせながら、純は有利紗や春樹にも問いかけた。有利紗が首を横に振る。

「本当だよ。そのことで、榊くんとも喧嘩してたし、香ちゃんに怒鳴ったこともあるし。最近の榊くんの機嫌が悪いのだって、ほとんど黒星さんのせいみたいなものだよ」

「えぇ……、そんな……」

「だからお願い、もう黒星さんには近づかないで。それから、黒星さんの計画を止めるのを手伝ってほしいの」

 ひどく動揺する純の手を握って、香は言った。まっすぐ純の目を見つめて心からのお願いをした。素直で真面目な純なら、きっと協力してくれると思っていた。──だから、その手を振り払われたことに、余計に驚いた。

「嘘だっ!あの人がそんなことするはずない!私は信じない!」

 後ずさりしながら、純は今まで聞いたことのないような声で叫んだ。予想外のことに、香たちは困惑した。

「ほ、本当だって!黒星さんは、きっと純ちゃんのことも利用する気だよ!」

「そんなわけない!黒星さんのことそんな風に言わないで!」

「違う!純ちゃんのために言ってるんだよ!?」

 涙目になりながら、首をブンブン横に振る純に、今度は春樹が声を上げた。

「お前、なんでそんなに黒星の味方するんだよ!」

 直後、純は動きを止めて俯いたが、──すぐに怒ったような表情で正面に向き直った。

「そんなの、──あの人が、私に手を差し伸べてくれた唯一の味方だからだよ!!」

 そう叫ぶと、純は突然駆け出した。

「えっ!純ちゃん!?待って!」

 香たちは戸惑いながらも、純を追いかけるべく走り出した。特別足が速いというわけではない純だが、今日はなぜかとても速く走っているように感じる。

 廊下を走り、階段を駆け上がり、純は三年B組の教室に飛び込んだ。そして彩芽の席の前でピタッと足を止める。香たちも息を切らしながら教室に入った。他の生徒は怪訝そうな顔で純に注目していたが、彩芽は微動だにせず、静かに本を読んでいる。

「香ちゃんから、あなたのことを聞いたの。……嘘なんだよね?」

 そう訊いて、純は彩芽の答えを黙って待った。教室内はしばらく、時が止まったように静まり返っていた。やがて彩芽はパタンと本を閉じ、純の方へ寂しそうな顔を向けて、

「……ごめんなさい」

 それだけ答えた。許しも乞わず、下手な言い訳もせず、ただまっすぐに純を見つめて。だからなのか、純も彩芽を責めようとはせず、むしろ落ち着いた声で質問を重ねた。

「……なんで私なんかを助けてくれたの?やっぱり利用するため?」

「半分は正解です」

「半分……?」

 純が訊き返すと、彩芽は、少し迷うように目を泳がせてから、心を決めたように深い声で言葉を続けた。

「──あなたが、()()()()だからです」

 またしても、彩芽の答えは短いものだった。香たちにはその意味が全く分からなかったし、純も一瞬は驚いたようだが、──なぜか全てを理解したような、満足しているようにも見える表情で、「ふーん」と薄く笑った。ますます混乱する。

「じゃあ、やっぱりありがとう。救ってくれたのが黒星さんで良かった」

「本当にごめんなさい。こんなやり方しか出来なくて」

「いいの。──それからもう一つ、私にチャンスをくれてありがとう」

 彩芽と純は、周囲の人のことなど忘れているかのように、二人だけでの会話をしていた。

「……本当にいいんですね?」

「もちろん!」

「──分かりました。後は任せてください」

「うん。──黒星さん、あなたを信じて良かった。ありがとう」

「いえ、こちらこそありがとうございました」

 彩芽は、驚くほど穏やかな顔で微笑んだ。それをしっかりと確認してから、純は彩芽から離れた。

 よく分からないけれど、とてつもなく嫌な予感がして、香は咄嗟に、出ていこうとする純の行く手を阻んだ。半分睨むように純を見つめ、首を横に振る。だが純は、もう大丈夫、と言うように笑って見せた。その顔が、あまりにも晴れやかだったことに驚き、香は動けなくなった。

 彩芽が椅子を引く音で我に返り、一冊のノートを持って教室を出ようとする彩芽に慌てて声を掛けた。

「ちょっと待ってよ!何が起こったのか説明して!」

「すみません、後にしてもらっていいですか?」

「は!?──って、どこ行くのよ!」

 香をスルーして廊下に出る彩芽を、速足で追うと、彩芽は三年E組の教室に入った。彩芽は驚く生徒には目もくれず、まっすぐ勇人と所へ行った。無論、勇人とその友達は、彩芽の予期せぬ登場に慌てふためいていた。窓を背にしてあたふたする勇人に、彩芽が持っていたノートを手渡す。

「旗本さんがあなたにと。開いてみてください」

「は、はあ?誰がそんなノート──」

「開きなさい」

 突然の命令口調に気圧され、勇人は渋々ノートを受け取り、開いたが、次の瞬間、その顔が凍りついたのが分かった。

 香も教室に入り、小刻みに震える勇人の手からノートを取った。純が授業で使っていた物らしい。開いてみて、──愕然とした。

『シネ』『ウザイ』『キエロ』

 細いペンで書き殴られた、勇人たちが書いたのであろう幼稚な悪口、そしてその上から油性ペンで大きく綺麗に書かれたメッセージ。

『死んであげるよ』

 彩芽は、勇人に笑いかけた。

「これが、彼女の本音です」

 とその時、日に照らされてはっきりと見えていた彩芽の顔が、一瞬だけ陰った。みんなが窓の外を見て悲鳴を上げる。バッと振り返るが、見えるのは青空だけ。──背筋が凍りついた。

「──旗本……?」

 勇人は外を向いたまま固まり、周囲の生徒は騒然とした。春樹が「せ、先生呼んでくる!」と駆け出すと、だんだん野次馬が増えていくのが分かった。その中から小さなため息が聞こえ、彩芽の方を向くと、彼女は先ほどの笑みを消し、まっすぐ窓の外を見つめていた。


 E組やグラウンドに人が集まっていく中、無言でB組の教室に帰っていった彩芽に、今度こそと声を掛ける。

「なんてことしたの!?利用するために純ちゃんにあんなことさせるなんて信じらんない!」

「──それが、逆なんですよ」

「え……?」

「今回のことは、彼女自身が望んだことなのです。それに私は利用──というより、協力したんです」

 激怒する香とは対称的に、彩芽はあくまでも冷静に打ち明けた。

「冗談でしょ?黒星さんの正体だって今まで知らなかったのに──」

「いいえ、彼女は知っていましたよ。あなたと口論した翌日、私は彼女に協力してもらうべく、全てを明かしていたんです」

「そ、そんなはず……。だって、あんなに動揺してたんだよ?同じこと二回も言われてあんな反応出来るわけない!」

「ですが、彼女は元演劇部。優秀な部員だった彼女だからこそ、簡単にあなたたちを騙せたんですよ」

 ずっと無表情のまま、彩芽は席に着き、頬杖を突いて外を見ていた。香とは目も合わせようとしない。

「旗本さんには、もともと自殺願望があったそうです。言うまでもなく、いじめによるストレスが理由で。ところがあの日、私が助けてしまったがために、彼女の中に迷いが生まれました。大丈夫なふりをした方がいいのではないか、友達を悲しませないためにも死なないべきか、と」

 彩芽は座ったまま、淡々と話し続けた。香は驚きのあまり、ただ黙ってその物語を聴くことしか出来ずにいた。

「しかし、私の過去と真の目的を知ったことで、忘れかけていた自分の本当の望みを思い出し、私に打ち明けました。まさか、彼女が私と同じ種類の人だとは思いもしませんでした。だから私は、彼女の最後にして唯一の望みを叶えたくて、自分を利用するよう提案したんです」

「何それ……。まるでもう他に方法が無かったみたいじゃん!まさかあんた、そんなことで純ちゃんを救った気になってるつもりなの!?」

「まだ分からないんですか?」

「何が!?」

 せっかく反発しても、彼女には響かない。それどころか、抑揚の無い声で言い返される。

「──もう手遅れだったんですよ」

「……え?」

 香は耳を疑った。どういうことなのか理解出来ず、彩芽の次の言葉を待つ。だが彩芽はすぐには話し出さず、切ない顔でわずかに俯いてから、ゆっくりと再び口を開いた。

「……長い間いじめに苦しみ、周りには相談出来る味方もいない。彼女の心はどんどん病んでいき、……ついに壊れた。私が声を掛けたときにはもうすでに、彼女の心は死んでしまっていたんですよ」

 彩芽に助けてもらったときの純の疲れきった表情が頭をよぎった。あれはいじめそのものではなく、もう全てに疲れてしまっていたということなのか。やがて彩芽は、大きく息を吸い、強い視線を香に向けた。

「吉崎さん、例え私が何もしなくても、きっと旗本さんは自分で死を選んでいたと、私には断言出来ます。よって、本当に旗本さんを死なせたのは、──いえ、殺したのは、榊くんや、今まで見てみぬふりをしていたあなたたちということです。だから私は、救えなかったことには後悔しても、彼女に協力したことには後悔していません」

 香は息を飲み、拳を強く握った。怒りでではなく、言い返せないことへの悔しさで。いじめをやめない勇人にいくら注意しても、糠に釘を打つようなものだと諦めていたり、標的が変わることを恐れていたりして、みんな見てみぬふりをしていたのは事実だったからだ。香は、言い返す代わりに質問をした。

「……本当はどうするつもりだったの?純ちゃんのこと……」

「……いじめを理由にしてこの学校から逃がすつもりでした。そして榊くんたちを大々的に責め立てれば、彼らを反省させることも、この学校のランクを下げることも出来る、旗本さんのことも救えると思っていました。いじめからも、復讐心からも」

「──ねぇ、そもそもなんでそんなに純ちゃんにこだわるの?あんなことしてまで純ちゃんを助けようとしてた理由は?」

 もう一つ、ふと気になったことを訊いた。いじめに遭って可哀想に思えたからだとしても、彩芽に、いずれ潰すことになる学校の生徒をここまで想う必要があるとは思えなかった。彩芽は少し言い渋ったが、意を決したように頷いてから話し出した。

「実は、私にも経験があるんです。──いじめによって一度死んだ経験が」

「……え」

 その告白は、衝撃以外の何物でもなかった。人に対して自ら壁を作り、学校を潰すと豪語していた『魔女』が、過去にはいじめに遭っていたなんて、にわかには信じられなかった。

「酷いいじめによって死に、人の心を失い、復讐心に囚われたために私はこんなことをしているんです。だから、彼女に私と同じ道を歩ませないために、死なせないために、彼女に近づきました。……でも、間に合わなかった。彼女はすでに、私と同じ所まで来ていたんです」

 震える声で言い、悔やむように俯く彩芽が、今だけは、あの恐ろしい『魔女』には見えずにいた。

 絶対に私みたいにはさせない。

 あなたが、私と同じだからです。

 その台詞の意味が、ようやく分かった。

 スッと顔を上げて、「でも」と再び彩芽が口を開く。

「私は、良かったと思っていますよ」

「……それは、純ちゃんが復讐に成功したこと?」

「違います」

 彩芽はわずかに口角を上げた。どことなく悲しそうな微笑みだった。

「彼女に夢を見させることが出来たことです。私という味方に恵まれることで、いじめから()()されて、復讐のことなんて忘れられるような夢を。──そしてもう一つ。その夢のせいで抑え込まれていた怒りを()()し、彼女の本当の望みの叶えるお手伝いが出来たことも。彼女が寂しい死を選ばずに済んだのですから」

 そう言って、彩芽は立ち上がり、人が集まっているグラウンドを見下ろした。

「私は、自分のしたことが正解だったとは当然思っていません。ですが、間違っていたとも思えません。──吉崎さん、あなたならどちらを選びますか?疲れ果てた体を、ずっと一人で支え続けるか、自分を解放させて本当の望みを叶えるか」

 ふと、純の最後の笑顔を思い出した。今までに見たこともないようなあの晴れやかな笑顔を見たとき、確かに感じた。──解放感や満足感のようなものを。

 香は何も答えることが出来ず、ただ黙ってグラウンドを見下ろした。胸に残った感情は、悔しさでも怒りでもなく、虚しさだけだった。

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