第一章 魔女
負けを認めるのが、悔しかった。ただ単純に。
私自身は耐えられていたつもりだったけれど、周りの大人たちは私のことを心配し、冬休みの終了とほぼ同時に私を逃がすことを決定した。
別に、それ自体には悔いも何も感じない。
長い悪夢が終わったと思えばいい。
ただ、負けを認めて逃げようとすることが、何だか私らしくない。あんな卑怯者に負けたから学校から逃げただなんて、思いたくなかった。
だからせめて、少しでもアイツの中に私への罪悪感を残してやろうと思った。……なのに。
荷物を全部まとめて、数少ない友達にお別れを言って、正門を出る前に、自転車置き場にアイツの姿を見つけた。精一杯の憎しみと悔しさを込めて、睨み付けてみた。目が合ったはずなのに、アイツはずっと笑ってた。
憎かった。
私は、アンタのせいでここを卒業出来なくなったのに。アンタは私をこんなに苦しめて、傷付けたのに。
憎い、許せない。
憎い憎い憎い憎い憎い!!
正門を出て、振り返らずにまっすぐ帰った。道中の記憶はほとんどない。確かなのは、歩きながら静かに泣いたこと、そして、
私の中で、私が死んだこと。
***
「香ちゃん?また考え事してるの?」
「ん?あぁ、別に大したことじゃないよ。こんないい学校、もうすぐ卒業だと思うと、なんか寂しくてさ」
「そっか~、もう一月の真ん中だもんね」
普通で平和な高校に通う普通の女子高生、吉崎香は、小学校からの幼馴染みの山永有利紗と、高校生活を振り返りながら並んで歩いていた。
「三年間無難に過ごせたし、大学も特に心配することないし、あとはもう卒業するだけだね!」
「あ~あ、でも、二ヶ月間で何か面白いこと起きないかな~」
大きく背伸びをしながら呑気に言っていると、後ろの方から聞き慣れた自転車のベルの音が聞こえてきた。
「おっはよー、お二人さんっ」
「あ!春樹ぃ!」
「おはよー、春樹くん」
挨拶をして自転車から降りたのは、クラスメイトの瀬戸村春樹だった。春樹とは高校からの付き合いだが、三人は一年生の時からずっとクラスが同じで、何をするにも基本いつも一緒の、いわゆるイツメンである。もう三年生の一月、三人はもうすぐこの日月高校を卒業することになる。
「あ、そういえば昨日聞いたんだけどさ、今日うちのクラスに転校生来るらしいぜ」
「おぉー!……って、今日から?でも、二ヶ月間しかないよ?」
「なんか、色々あって通ってた高校が突然廃校になったって聞いたぞ」
「えぇ!?何それ!」
転校生というワードに期待を覚えながらも、廃校というなんとも現実味の無いワードに素直に驚いた。
「二ヶ月間しかないのに、わざわざよその学校で卒業することなくない?」
「もう授業も少なくてほとんど卒業式関係のことしかしないのにな。高卒っていう経歴が欲しいだけじゃね?」
「あぁ、確かに」
相槌を打ちながら、香は空を見上げた。
「でも凄いなぁ、突然の廃校にもへこたれずに新しい学校に通うなんて。……あー!早く会いたくなってきた!」
「え、ちょっとぉ!置いて行かないでよぉ!」
新たな出会いを待ちきれなくなった香は、慌てる有利紗と春樹を尻目に、軽快に走って行った。
香たちは、いつも通り十分前に教室に着いた。転校生の噂を聞いた生徒たちで、教室の中は案の定ざわついていた。
「よーしお前ら、席に着けー」
そこへ、いつも教室に入るのが早めな、担任の朝比奈耕治先生がやって来た。年齢も近くて、とても親しみやすい先生で、みんなから「耕治先生」と呼ばれている。
全員を席に着かせ、耕治はいつものように机に両手をついた。
「えー、聞いている人もいると思いますが、今日からB組に転校生が来ます」
耕治が廊下に向かって「入りなさい」と言うと、引き戸が開き、背の高い女子が堂々と入ってきた。長くて綺麗な黒髪以外に大した特徴は無いように見えるが、彼女の目からは、なんだか不思議な威圧感が感じられる。
「黒星彩芽さんです。短い間だけど、仲良くしてあげて……」
黒板に名前を書きながら話す耕治を遮るように、彩芽が口を開いた。
「先に言っておきますけど、私はあなたたちと仲良くするつもりは一切ありませんから。むしろ、私には関わらないでください」
彩芽がそう言うと、教室内が凍り付いたのが分かった。香も、感じ悪ぅぅ……!と、心の中で舌打ちをした。
案の定、彩芽は転校初日から孤立化した。香のように警戒したり敵対視したりする人もいれば、有利紗のように怖くて近寄れないという人もいた。席も一番端っこだったし、休み時間は文庫本から目を離さないし、せっかく美人なのに感じが悪いことこのうえない。
運悪く彩芽の隣になっている香は、自分の席にいたくなくて、一番前の春樹の机から、頬杖を着いて睨むように彩芽を眺めていた。
「……嫌な予感しかしないなぁ」
「まぁまぁ、そんなに睨むなよ」
そうは言うものの、春樹だって良くは思っていないのだろう。たまにチラチラと目線を送っている。今までで一番長い二ヶ月間になりそうだな、と憂鬱な気持ちになった。
それから数日ほど、彩芽による嫌がらせが続いた。廊下を数人で並んで歩く男子に、「邪魔」とだけ言って間に割り込んだり、大声で笑う女子を、思いっきり睨み付けて黙らせたりと、小さなことばかり。まるで一人で大勢をいじめているようだ。
ただ、彩芽は、直接誰かに手を出すようなことは決してしなかった。
そのうち香は、彩芽の細かい嫌がらせにイライラを募らせていった。
彼女が転校して来てから一週間経った日の放課後、いつもの三人で教室の掃除当番をこなす傍で、彩芽は一向に帰ろうとせず自分の席で本を読んでいた。さっさと帰ればいいのに、とイライラしながら仕事をしていたが、とうとう我慢出来なくなって、「やめといた方がいいよ!」と小声で制する有利紗を振り切り、彩芽に声を掛けた。
「ねぇ、みんなを痛め付けて楽しい?何がしたいわけ?」
台詞に棘を含ませて言い放つと、彩芽が若干面倒臭そうに本から顔を上げた。
「……やはりあなたたちには、私がただ痛め付けている『だけ』のよう見えているんですね」
「え……、どういう意味よ」
『だけ』という単語が引っ掛かり、思わず困惑すると、彩芽はフッと薄く笑った。
「まあ、私の素性を知らないのであれば、今はありがたいです」
「……何それ、ちゃんと説明してよ!」
「今はまだ話す必要はありません」
「はぁ!?」
彼女の言うことは、何が何だかさっぱり分からなかった。ただ、彩芽のこの態度を見る限り、前の学校でとんでもない問題を起こしたのであろうことは予想出来た。まさか、それがその学校の廃校に関係しているのか。何だか、嫌な予感が当たってしまう気がする。
そのうち彩芽は、うんざりしたようにため息を吐いてから、本をしまって席を立った。立ち去ろうとする彩芽に、「ちょっとぉ!」と呼び掛ける。
「こんなことして、ただで済むと思ってないよねぇ!?」
訊くと、彩芽は今度は、少し寂しいそうに笑ってみせた。
「──思ってるわけないでしょ……?」
「え……、じゃあ、なんで……」
訊き返そうとしたが、その歪な笑顔に勢いを奪われ、教室を出ていく彩芽を引き止めることは出来なかった。
「……やっぱり気になります?あの生徒」
彩芽の素性が気になり、パソコンのディスプレイに映し出された彩芽の生徒情報を眺めていた耕治に、同期の岬蓮先生が声を掛けてきた。
蓮は耕治と年齢も近く、話も合うので、仕事がしやすい同期だが、彩芽の話になるとどうしても顔が強ばってしまう。彼は意外とビビりらしい。
「あぁ、まあそうですね。あのクラスの担任として、出来ることはしたいなー、と思いまして」
「あんまり深入りしない方がいいと思いますよ?何するか分かったもんじゃないですから」
心配そうに言ってくれているが、だからこそ放っておくわけにはいかないということもある。ひとまず、安心させるように蓮に笑顔を見せた。
「きっと大丈夫ですよ。ちょっと大袈裟じゃないですか?」
「えぇ、でも、怖くないですか?あの目。合わせたら石にされちゃいそうですよ」
それでも蓮は、怖くてたまらないというように身震いしながら、耕治に苦笑を返した。まあ、彼の言いたいことは分からないでもない。耕治も、彩芽には普通の子とはどこか違う雰囲気を感じていた。彩芽の転校前、挨拶する際に目が合った時、背筋が凍るのを覚えたほどだ。
「まあ、無理はなさらないように」と言って、蓮が職員室から出ようと引き戸に手を掛けた時、その引き戸が独りでに開いた。誰かが外から開けたのだ。蓮が軽く手を滑らせ、「おぉ」と声を上げたが、廊下へ視線を移した当人の「わあぁ!」という悲鳴に瞬時に掻き消された。
驚いて耕治も廊下を見た。どうやら蓮は、『合わせたら石にされちゃいそう』なその目と、自分の目をばっちり合わせてしまったようだった。彩芽が不服そうに口を開く。
「……何ですか先生、化け物でも見たような声を上げないでください」
「お前もお前だ、ノックくらいしろよな?」
「あぁ、それは失礼しました」
耕治に注意されて、彩芽は蓮に向かって小さくお辞儀をした。不思議なくらい素直だったので、何だか余計に恐ろしく感じられた。「あ、い、いえっ」と、小さくも分かりやすく声を震わせて言いながら、蓮は職員室を出ていった。
「で、どうした?黒星。もう放課後だぞ」
パソコンを閉じてから彩芽に呼び掛けると、彩芽は静かに歩み寄ってきた。無表情な彩芽を目の前にして、思わず後ずさりしかける。
「朝比奈先生、お話ししておきたいことがあるんです」
「お、おぉ、何だ?」
「私の前の高校が廃校になったのはご存知ですよね?」
「あぁ、そのことはお前の編入手続きの際に保護者からも伺っているが、それがどうした?」
他の先生もチラチラとこちらを窺う中、彩芽はゆっくりと話した。
「──私は、その前籍校を潰した張本人なんです」
昨日のやりとりから、彼女への恐怖が一層増し、彩芽に会いたくない、早く卒業したい、と考えるうちにふと思った。──自分たちは、あの人と一緒に卒業することになってしまうのか……。
「──崎。おーい吉崎、聞こえてるかー?」
「……あ、え、何?」
「いや、おはようって言っただけだけど」
春樹に言われて、少し恥ずかしくなった。彩芽のことで、まさかそんなに周りの音が聞こえなくなるくらい考え込んでいたとは。軽く謝ってから、「おはよう」と改めて挨拶をする。
「お前まさか、昨日からずっと黒星のこと考えてたのか?」
「だって、気になるじゃん色々。過去に何があったかとか、彼女が次に何をするのかとか」
「まあなぁ」と同調してくれた春樹に、「それに」と続けた。
「黒星さんは黒星さんで、何か大きなものを抱えてるようにも見えるんだよね」
「え、なんでそう思うんだ?」
「昨日見せてた表情だよ。あの人があんな中途半端な笑い方をするなんて変だなって思って。多分、前の学校でも何か問題が起きて、そのことがあの人のことを根本的に変えてしまったんじゃないかな」
「あぁ、そういえばあいつの前の学校、廃校になったらしいしな。でも、問題ってどんな?」
「さあ?」
話しながら二人で昇降口に入った──のと同時に、「ふざけんなよ!!」という罵声が鼓膜を叩きつけた。それは三年生の教室がある方向から聞こえてきた。
何事かと思い、すぐに駆けつけると、E組の教室前に野次馬が出来ていた。その中には、日直のため既に学校に来ていた有利紗もいた。有利紗も二人に気付き、「香ちゃん!春樹くん!」と手招きしてきた。
「おはよう、どうしたの?」
「喧嘩だよ!黒星さんと、E組の榊くん!」
「えぇ!?黒星さん、あの榊くんに喧嘩売ったの!?」
見てみると、確かにそこには怒鳴り散らしている榊勇人と、涼しい顔でそれを聞いている彩芽の姿があった。二人の喧嘩というよりは、無表情の人形に勇人がひたすら怒号を浴びせているだけという感じにも見える。
「まったく、あなたが私のことをしつこく訊いてくるから、仕方なく答えて差し上げたというのに、どうして逆ギレされないといけないんですか」
「はぁ!?テメェ自分が何言ってたのか分かってねぇのか!」
「あーもう、こうなると思ったから他人には話さないと言ったのに」
どうやら、先に喧嘩を売ったのは勇人の方らしい。彩芽の言っている『私のこと』とは、昨日香たちも訊こうとした、彼女の素性や目的のことだろう。勇人がまた声を荒らげた。
「どういうことなんだよ、学校を潰すって!頭おかしいんじゃねーのか!?」
────はぁ??
学校を潰す?彼女の目的って、それだったの?そんな大事だから、みんなに隠しておきたかったってこと?そもそも、一週間前まで他人だった人が、なんでそんなこと言うの?
「転校生だからって何やってもいいってわけじゃねぇんだよ!何様だよテメェ!」
彩芽は勇人にいくら怒鳴られても怯むことなく、むしろうるさそうに耳をこすった。
「在校生だからって転校生の個人情報を掘り下げて責め立ててもいい理由にはならないでしょう?そういう意味ではお互い様じゃないですか?」
「な…、なんだと貴様ぁ!!」
「ちょっと!やめなよ榊くん!」
激昂して彩芽に殴りかかろうとした勇人を、香は咄嗟に止めに入った。そして、即座に彩芽の方を向く。
「あんたねぇ!ちょっと人のことバカにし過ぎじゃないの!?……一体、どんな親に育てられたんだか!」
言い放つと、珍しく彩芽の表情が揺らいだ。日頃の恨みも込めて精一杯侮辱してやったんだ、当然と言えば当然だ。ところが、予想以上に刺さったようで、彩芽は、穴が空くほど強く香を睨んでいた。
「……今、何て言いました?」
そして、ワントーン低い声でそう訊いてきた。なんだか相当怒っているらしく、体も震えている。
「親の顔が見てみたいって言いましたが、何か?」
感情的な彩芽が少し面白かったので、煽るように答えてみた。が、次の瞬間、彩芽は香に歩み寄り、そして思い切り胸ぐらを掴んできた。
「きゃあっ!!ちょっと何するのよ!放して!」
「黙れ!!私のことなんか何も知らないクセに!親の顔が見てみたいだなんて、私に対してよく言えたものね!どうせあなたたちには私のことなんか絶対に分からない!のうのうと幸せそうに生きてる人なんかにはね!」
「やめて……!苦しい……!」
怒鳴られながら服を力いっぱい掴まれ、息苦しくなった。「やめろよ!」と春樹が彩芽を引き剥がした。さすがの彩芽も、男の春樹には抗えなかったようだ。
「うるさい!!放せぇ!!」
それでも彩芽は、狂ったように暴れ続けた。
するとそこへ、ようやく先生が駆け付けた。耕治が彩芽の両腕を押さえ付ける。
「何やってんだよ黒星!行くぞ!落ち着け!」
「うるさいっ、もう放っといてっ」
激しく抵抗し、もはや泣きそうにもなっている彩芽を、耕治が半ば無理矢理に職員室に連行していった。
彩芽の姿が見えなくなると、香は床に膝を落とした。有利紗が駆け寄って、「大丈夫?香ちゃん」と声を掛けてくれる。
「……うん大丈夫、ちょっとびっくりしたけど」
「保健室行っとく?」
「平気だよ、けがとかもしてないし」
そう言って立ち上がりながら、今の彩芽の顔をもう一度思い出した。いつも冷静な彼女が、あんなに人が変わるとは思ってもみなかった。まるで、綺麗な外見の裏に恐ろしい顔を隠し持った、悪い『魔女』のようだった。
騒ぎが収まってから十五分ほど経ったが、彩芽と耕治はまだ戻って来ない。ずっと話し込んでいるのだろうか。
「き、聞き間違いじゃないよね?『学校を潰す』って言ったの」
香がずっと黙っていて不安にでもなったのか、有利紗が言ってきた。
「うん、気になるね。それがあの人の目的ってことでしょ?」
そう返すと、「本当にそうなのかな」と春樹が呟いた。
「え?」
「学校を潰すこと自体が目的だとしたら、じゃあそれであいつに何のメリットがある?自分と縁もゆかりも無いこの日月高校を潰すことで得られるメリットって何だ?」
言われてみれば確かにそうだ。日月高校を潰したところで、彼女が何かを得られるわけでもなく、逆にそんな問題児は将来的にも不利になる。そう考えると、彩芽にはデメリットしかないはずだ。
「じゃあ、何か裏があるってこと?」
「さあ」と言って、春樹は腕を組んだ。
ややあって、彩芽と耕治が戻ってきた。二人とも険しい表情をしている。不安を覚えながら、耕治が教壇に立つのを見守る。
「みんなに伝えなければならないことがあります。言うまでもなく、黒星のことですが」
ゆっくりと話す耕治を、彩芽が「先生、もういいです」と痺れを切らしたように止めた。そのまま自分が教壇に立ち、話し始める。
「私が通っていた前籍校が廃校になったのはおそらく知っている人もいるでしょう。そして、そうさせたのは、この私です」
無表情で淡々と言い放たれたその言葉に、クラスはどよめいた。まさか本当に、この『魔女』みたいな人が、学校を潰してきたのか……。
「私は今まで、いくつもの学校を巡っては、生活や雰囲気を崩壊させてきました。ゆくゆくは廃校せざるを得なくなる状況に至るまでに。皆さんの日月高校にも、犠牲になって頂きます」
テンポよく話しながら、彩芽は不敵な笑みを浮かべた。教室の空気が冷える中、香は強い苛立ちと、彼女を止めなければという使命感に駆られ、ついに、「ふざけないで!」と怒鳴って立ち上がった。
「何なのよ、次から次へとわけの分からないことばっかり!何であたしたちがそんな目に遭わなきゃいけないの!あたしたち、あんたに何かした?違うよね?おかしいよこんなの!」
思い切り叫ぶ香を、彩芽は見つめていた。その顔色が少しだけ変化していたような気がしたが、彩芽は誤魔化すように口を開いた。
「──勇ましいですねぇ、吉崎さん。でも、私の意志は変わりませんよ」
「バカ言わないで!こんなこと、許されるはずない!」
そう言い放つと、彩芽は今度はため息を吐いて、昨日と同じような寂しそうな笑顔を見せた。
「そんなの当たり前じゃないですか」
「え……」
また彼女のあの笑顔に、完全に戦闘意欲を奪われてしまう。この時の彩芽の感情が、一番よく分からない。
「私は、それが分かっている上で四年間もこんなことを続けているんです。だからこそ、私のことは許してはいけないのです」
そう言った彩芽の目は、驚くほどまっすぐだった。太くて強い芯を持っているように感じられた。言ってることはめちゃくちゃなのに、なんとなく筋が通っていると錯覚してしまうほどに。
この『魔女』には、何か裏が、真の目的がある。それだけは確実だった。
「吉崎さん」
朝から無駄にエネルギーを消費し、休み時間になるなり疲れて机に突っ伏していた香は、突然名前を呼ばれ、「へ?」と間抜けな声を上げながら声のした方に顔を向けた。が、その相手が彩芽だったと気付き、ぎょっとした。
「な、何?」
聞き返すと、彩芽が急に頭を下げてきて、「えぇ!?」と大声を上げてしまった。ますます混乱する。
「なになになに!?ちょ、ちょっと、怖いよ!?」
「先ほどは逆上してしまい、すみませんでした。あんなことは初めてで。これだけは謝っておきたいとずっと思ってたんです」
「え、はあ」
立ち上がったときに微妙な顔をしたのは、そういうわけか。彩芽が顔を上げ、見つめてくる。
「でも、私の家族は何も関係ないですよね?今後は、その事には絶対に触れないでください。それに、あんな分かりやすい子供みたいな暴力や暴言を使うなんて、私の主義に反します」
わけも分からず、「はあ」と小さく返事をすると、彩芽はすぐに自分の席に着いた。
香は首を傾げた。彼女は不思議だ。なぜ学校を潰しておいて平然としているのに、さっきのことでは謝るのか。なぜ家族のことに触れられたくないのか。
……謎が多過ぎるよ。隣で本を読む『魔女』を見ながら、香は頭を掻きむしった。