とある日の恋人たち
昨年書き終えた時には時期を過ぎていてお蔵入りになっていたものです。
「──ばあっ!」
「うわっ! ……ロティ?」
「エド引っかかったわね」
私は笑いながら曲がり角から姿を現す。目の前には大きく目を見開き、呆然とするエドが居る。
ここはハリントン家の廊下。なぜ私がここにいるのかというと、エドと会う約束をしていたからだ。
「…………なにその服装」
「これ? 可愛いでしょう」
私はその場でくるりと回る。ふんわり広がった黒のワンピースにマント、頭には同色のとんがり帽子をかぶっている。髪は赤いリボンと共に編み込み、バレッタでとめていた。
「じゃーん! 魔女の格好」
最後にスカートの端を持って淑女の礼をしたのだが、彼はポカンとしている。
「仮装……? でもどうして。ロティはそんなの普段着ないよね」
「もう、今日が何の日か覚えてないのね」
パチンとエドの額を弾き、むぅっと頬をふくらませた。
「今日はハロウィンよハロウィン。街では仮装した人達が練り歩き、子供達はお菓子を貰って楽しんでるわ」
「ああ」
そこでようやく理解したらしい。エドはしげしげと私の服装を上から下まで眺めて突然こう言った。
「似合っているよ。キスしたくなるくらい可愛いね」
そう微笑みながら告げてくるから、予期せぬ反応に私は顔を真っ赤にしてしまう。
「な、な、な何処でそんな覚え…………前までこんな直接……」
慣れていない。全くもって慣れてない。最近になってようやく見慣れ始めた彼の微笑みも合わさって、頭がいっぱいいっぱいになってしまう。
「言わなかっただけで、いつも心の中では思っていたよ。粧し込んだロティは誰よりも綺麗な女性だ」
直接的すぎる。目の前のエドは私の婚約者のエドなのだろうか。成りすましなんてありえないと分かっていても、疑いたくなる。
「褒めても……何も起こらないわよ……」
「別に、思ったことを伝えただけだ。あと、その表情は他の人に見せたらダメだよ」
私よりも身長の高いエドが屈んだと思ったら、彼はチュッとわざと音を立てて頬にキスした。
「〜〜〜っ!」
声にならない悲鳴を上げて二歩下がる。
(心臓が! もたない!)
全力疾走した後のように早鐘を打っている。はち切れてしまいそうなくらいに。
そんな私と対照に、エドは余裕の表情で。私と目が合った彼はまた、ふっと表情を緩める。
それは最近見せてくれるようになった笑い方。貴族に向けるものでも、友人に向けるものでもなくて、婚約者である私だけのもの。
(こんなのずるい)
目線を下に落とす。
以前だったら反対だったのだ。でも、あの件があってから彼の中で何か吹っ切れたのか、他の恋人同士が言うような甘い言葉を、時折私に対して囁いてくる。
その度に言い様のない感情が湧き上がる。今も心臓がドキドキしていて、気持ちがうわずっている。
だけど嫌ではなくてむしろ嬉しくて。ああ、私はエドの事をとても愛しているのだなと強制的に自覚させられ、恥ずかしくなってしまうのだ。
「ロティ」
「なに」
「談話室に行こう。ここで立ち話も何だし」
いつの間にか隣に立っていた彼はそっと手を取り絡めてくる。
(こういう所もずるいよ)
「……うん」
小さく頷いて私はエドと一緒に談話室に向かった。
◇◇◇
ふかふかのソファに腰を沈めれば、エドは当然のように私の隣に座る。
何も言っていないのに、大好きな蜂蜜入りのホットミルクが出てくるのは、エドが先に用意するよう伝えたのだろう。完璧に好みを把握されている。
「それでロティが仮装したのは何も私に見せるためだけではないんだろう?」
「! そうよ」
先程のことですっかり頭から飛んでいた。今日、エドに会いに来た本当の理由を。
「……あのね、仮装して一緒に街を散策できたらとっても楽しそうだなって誘うつもりだったの。駄目、かしら」
あまりエドはこういう催し物を好まないし、一年の終わりが近付いていて、仕事の方も忙しそうだったので負担になるかなと躊躇っていたのだ。
「私がロティの誘いを断ると?」
「だって今日も午前中は王宮に出仕していたでしょう? 本当はお休みの日なのに忙しそうで、来るのもやめようと思ったの」
「そんなの気にしなくていいよ。行こう」
エドは立ち上がる。
「ま、待って!」
「?」
着いてきた侍女に目配せをすれば、彼女は心得たと大きなバスケットを私に渡す。
「もう一個、お願いを聞いてくれる?」
「…………物による」
エドは嫌な予感がしているようだ。じりじり後退してドアノブに手をかけた。
「そんな大したことじゃないの。このバスケットの中に入った服に着替えて欲しいなぁって」
中身はエド用の仮装服。
来るのをやめようか迷った事と矛盾しているように聞こえるかもしれないが、事前に公爵夫妻には許可を取ってある。
ちなみに夫人の方は張り切っていて、何を着せるか一緒に選んでもらったのだ。
「ロティだけではなくて私も?」
「そう」
彼は眉を顰める。仮装に対して抵抗があるようだ。
それを見たハリントン家側の侍女が言う。
「エドウィン様、お着替えください」
「侍女が言ってくるということは。ロティ、母上を取り込んだだろう」
「ふふっ公爵様も、よ。外堀を埋めておかないと仮装なんてしてくれないでしょう?」
「……こうなったら仕方ない。着替えるよ。貸して」
バスケットを持って部屋を出ていく。三十分後、再び現れたエドは黒いマントに糊のきいた白シャツ、黒ベストに十字架のピアスを着けていた。おまけに髪までセットしている。
(に、似合う!)
公爵夫人とエドは絶対ヴァンパイアの格好が合うと話していたのだが、想像以上である。
「…………ヴァンパイアって十字架嫌いなはずだよね。何でアクセサリーが……」
ぶつぶつ文句を言いながら、袖口のボタンを止めている彼は絵になっていた。
そんなエドに私は満面の笑みで感想を口にする。
「とってもとーっても似合っててかっこいい。お願い聞いてくれてありがとう。大好き!」
すると一瞬固まって。一拍遅れて私からくるりと背を向ける。
「エド?」
回り込んで正面に立つ。
(あ、顔真っ赤)
手袋をつけた手で口元を覆っているが、耳まで赤い。廊下での私と同じだ。
エドは赤面した顔を隠すようにそっぽを向く。
「…………ほら早く」
「ええ」
腕に抱きつき見上げれば、彼はまだ頬を紅潮させていた。
「私がかっこいいと大好き! って言ったから赤くしているの?」
「……違う」
「え〜〜なら何で顔を隠すのかしら」
にやにやしながら問えば、彼は腕を解いて私の頬に優しく手を添え────
「んっ」
不意に視界が真っ暗になった。唇に柔らかい感触が降り、離れていく彼の端正な顔が間近にあった。
ぺろりと移った赤い口紅を舐めとる姿は、ヴァンパイアの吸血行為に似ていて色っぽい。
「次、からかったら──どうなっても知らないよ」
あまり聞かない低音で耳元に囁かれる。ゾクッとした私は頷くことしかできず、大人しく手を繋いで街に出かけたのだった。